1/5スタートでどれぐらい続くのだろうかと思っていたが、今時点で615書き込んで、これが616番目の書き込み。最も多かったのは7月で73、少なかったのは9月で25。12月も既に45。1/12には既に「結構、はまってます」と書いている。結構思いの外、書くことが好きなのだろう。過去の記憶、日々気になること、好きな音楽、読んだ本、今年途中から習い始めたアルトサックスのこと・・・・・・・・、人生が結構後半に来たこともあるが、何か書き残したいということもあるのだろう。内心忸怩たることもたくさんあるのだろう。整理をつけずに来たこともたくさんある。
いずれにしても、こういうカタチで自分のこれまでと今の人生のバランスシートをつけるような感覚で記録を残している。そろそろ集約しなければならないのかもしれないが、結構書きすぎて集約するのも億劫なほどになっている。
しかし、感じたこと、過去に感じたことを、こういうカタチで書いてみることは重要だと思う。これからの人生を有意義に過ごすためにも。
今日、まだ書くかもしれないが、とりあえず1年の締めとして。
2008年12月31日水曜日
甲子園への遺言
この本はプロで30年にわたり打撃コーチを務め、最後は高校教師になった高畠導宏の生涯の話である。NHKのテレビドラマの最終回?だけを見て本を購入した。
まずはこんなすごい打撃コーチがいたのだ、という感想であり、その人が50代も半ばから高校教師になり、甲子園を目指そうとしてことへの驚きである。年令が行ってから学校の先生をやってみたいという気持ちになること自体は多くの人にあるかもしれないが、それを5年も掛けて資格を取り、教育実習を経て実際に現職を捨てて教師になり、さらに生徒や周囲の心を掴むまでになるとなると、聞いたこともない話である。それも「伝説の打撃コーチ」を捨ててまでも、である。
記憶に残った部分を書き記す。
・最後はハートの強さで決まる
・指導者は長所を伸ばすのが役目、欠点だけを直そうとしない
・観察の重要性:クセを見抜く・・・観察力とは天性のものか?普通の人間には少なくとも観察のポイントは教えられないと、「観察力」は獲得できない
・それぞれの選手にあった指導法
・コーチにとって重要なことは、選手の内面と技術をいかに尊重するか
・伸びる人の必須の共通点:1)素直、2)好奇心、3)忍耐力・あきらめないこと、4)準備を怠らない、5)几帳面、6)気配り、7)夢を持ち、目標を高く設定できること
まずはこんなすごい打撃コーチがいたのだ、という感想であり、その人が50代も半ばから高校教師になり、甲子園を目指そうとしてことへの驚きである。年令が行ってから学校の先生をやってみたいという気持ちになること自体は多くの人にあるかもしれないが、それを5年も掛けて資格を取り、教育実習を経て実際に現職を捨てて教師になり、さらに生徒や周囲の心を掴むまでになるとなると、聞いたこともない話である。それも「伝説の打撃コーチ」を捨ててまでも、である。
記憶に残った部分を書き記す。
・最後はハートの強さで決まる
・指導者は長所を伸ばすのが役目、欠点だけを直そうとしない
・観察の重要性:クセを見抜く・・・観察力とは天性のものか?普通の人間には少なくとも観察のポイントは教えられないと、「観察力」は獲得できない
・それぞれの選手にあった指導法
・コーチにとって重要なことは、選手の内面と技術をいかに尊重するか
・伸びる人の必須の共通点:1)素直、2)好奇心、3)忍耐力・あきらめないこと、4)準備を怠らない、5)几帳面、6)気配り、7)夢を持ち、目標を高く設定できること
2008年12月30日火曜日
92.9.29 広州→九龍(香港)
広州からの帰りのチケットが残っている。広州10:15発、9号車の76番という座席。等級1、これは軟坐ということで、席はやわらかいシート。2等は硬坐でこちらの席は板張りということだった。
はじめての広州。海外経験豊かな会社の先輩N氏と後輩のT君との3人旅。そして広州では北京駐在の当社社員と現地社員と合流する。広州が消費社会になり始めたということで、香港のブランチ経由で広州に向かった。飛行機が取れずに結構苦労して電車で行ったが、香港側から川を越えて、長蛇の列を並んで中国側に入ったこと、列車の中での乗務員の女の子との筆談での買物、広州駅に降りて駅前広場に出たときのめまいがするような雑踏・・・今思えばいい経験をした。しかし、駅前にはいったいどれぐらいの人がいたのだろう。学校でも1000人はいたのだから、万単位であるのは間違いない。眩暈がしそうだった。彼らは何をしていたのだろう。しかし、その群衆を見るだけでなく、ホテルに向かうためのタクシーを捕まえるためには、この群衆をかきわけ、白タクを断り、荷物を運んでやろうという男を拒絶し・・・・ひたすら掻き分け、掻き分け行かなければならない。
翌日から広告会社の現地の社員の案内で視聴率調査の仕組みを教えられたり、郊外の家電街にいったり・・・、ここはびっくりであった。最新式のTVが中国の物価から考えるととんでもない値段でおいてある。おいてあるだけでなく、どんどん売れていく。豊富な品揃え、新型中心、お客の多さ・・・、広州の秋葉原のような場所だった。
そして、あちこちで皆ファミコンをしていた。仕事が暇だと一心不乱にやっている。そして1つのカセットにゲームが100とか500とか入っているゲームソフトが売られている。全くもってカオスのようだ。花王のビオレのにせものの「ピオレ」など、いろんなジャンルでフェイクがまかり通っている。
食事の記憶はこれだけだが、広告会社はどの国も同じなのか、現地の広告会社の接待は大変だった。広州は川沿いということで、リバーサイドの店に連れて行かれ、川の虫をたべ、ゲージに入った猫と蛇とどちらがいいかと問われ、仕方なく蛇をチョイスして食べた。何といって野菜がうまかった。紹興酒は乾杯の嵐である。結局果てて、しばらくホテルのロビーで気絶していた。よく物がなくならなかったものだ。
北京のブランチから来ていた女性社員は北京にはないといってCDを買い込んでいた。この頃の広州は、新しい街が作られようとしていた。ビルが建ちはじめていて、建設現場には裸足の男がたくさんいて、高層ビルにも拘らず足場は竹で組まれて、そこを裸足で器用に登っていた。転落して死ぬ人間もたくさんいたのだろうけど、これだけ人口がいれば関係ないかもしれない。
この頃の広告会社の上の方は共産党の人間が多いらしく、彼らは裕福で、車もフォルクスワーゲンに乗っていた。
街で記憶にあるのは百貨店のようなところでバーゲンのようなものをやっていたのだが、その一等賞が軽自動車であったことが記憶に新しい。まだまだ、車と自転車と歩く人が道路に同居しているという感じで、どんどん車が増えている今とはかなり違ったはずだ。
はじめての広州。海外経験豊かな会社の先輩N氏と後輩のT君との3人旅。そして広州では北京駐在の当社社員と現地社員と合流する。広州が消費社会になり始めたということで、香港のブランチ経由で広州に向かった。飛行機が取れずに結構苦労して電車で行ったが、香港側から川を越えて、長蛇の列を並んで中国側に入ったこと、列車の中での乗務員の女の子との筆談での買物、広州駅に降りて駅前広場に出たときのめまいがするような雑踏・・・今思えばいい経験をした。しかし、駅前にはいったいどれぐらいの人がいたのだろう。学校でも1000人はいたのだから、万単位であるのは間違いない。眩暈がしそうだった。彼らは何をしていたのだろう。しかし、その群衆を見るだけでなく、ホテルに向かうためのタクシーを捕まえるためには、この群衆をかきわけ、白タクを断り、荷物を運んでやろうという男を拒絶し・・・・ひたすら掻き分け、掻き分け行かなければならない。
翌日から広告会社の現地の社員の案内で視聴率調査の仕組みを教えられたり、郊外の家電街にいったり・・・、ここはびっくりであった。最新式のTVが中国の物価から考えるととんでもない値段でおいてある。おいてあるだけでなく、どんどん売れていく。豊富な品揃え、新型中心、お客の多さ・・・、広州の秋葉原のような場所だった。
そして、あちこちで皆ファミコンをしていた。仕事が暇だと一心不乱にやっている。そして1つのカセットにゲームが100とか500とか入っているゲームソフトが売られている。全くもってカオスのようだ。花王のビオレのにせものの「ピオレ」など、いろんなジャンルでフェイクがまかり通っている。
食事の記憶はこれだけだが、広告会社はどの国も同じなのか、現地の広告会社の接待は大変だった。広州は川沿いということで、リバーサイドの店に連れて行かれ、川の虫をたべ、ゲージに入った猫と蛇とどちらがいいかと問われ、仕方なく蛇をチョイスして食べた。何といって野菜がうまかった。紹興酒は乾杯の嵐である。結局果てて、しばらくホテルのロビーで気絶していた。よく物がなくならなかったものだ。
北京のブランチから来ていた女性社員は北京にはないといってCDを買い込んでいた。この頃の広州は、新しい街が作られようとしていた。ビルが建ちはじめていて、建設現場には裸足の男がたくさんいて、高層ビルにも拘らず足場は竹で組まれて、そこを裸足で器用に登っていた。転落して死ぬ人間もたくさんいたのだろうけど、これだけ人口がいれば関係ないかもしれない。
この頃の広告会社の上の方は共産党の人間が多いらしく、彼らは裕福で、車もフォルクスワーゲンに乗っていた。
街で記憶にあるのは百貨店のようなところでバーゲンのようなものをやっていたのだが、その一等賞が軽自動車であったことが記憶に新しい。まだまだ、車と自転車と歩く人が道路に同居しているという感じで、どんどん車が増えている今とはかなり違ったはずだ。
97.4.6 グッゲンハイム美術館
地下鉄に乗ってセントラルパークのエースと再度を北上して、高級住宅街の中にこの一風風変わりな美術館はあった。入場券が残っていた。高級住宅街のアパートは玄関にボーイがいるという感じ。講演の中は物騒だと聞いていたが、住んでみたくなるような素晴らしい場所であった。
美樹館は中央部が大きく吹き抜けになっていて、らせん状になった坂道に沿って作品が並べられていたように思う。一旦エレベーターで最上階まで上がり、下ってきながら見るという形式だった。一般的にも言われているように決して見学しやすいものではないが、コンセプトを実現しているところがすごい。正式にはソロモン・R・グッゲンハイム美術館という。グッゲンハイム財団により、各地にグッゲンハイム美術館は作り続けられているようだ。
表参道のスパイラルビルがその名の通り、一部にらせん状の様式を取り入れている。
グッゲンハイム美術館の帰りに地下鉄の駅のそばのCDショップ(タワーレコード?)で何か買ったように思う。
美樹館は中央部が大きく吹き抜けになっていて、らせん状になった坂道に沿って作品が並べられていたように思う。一旦エレベーターで最上階まで上がり、下ってきながら見るという形式だった。一般的にも言われているように決して見学しやすいものではないが、コンセプトを実現しているところがすごい。正式にはソロモン・R・グッゲンハイム美術館という。グッゲンハイム財団により、各地にグッゲンハイム美術館は作り続けられているようだ。
表参道のスパイラルビルがその名の通り、一部にらせん状の様式を取り入れている。
グッゲンハイム美術館の帰りに地下鉄の駅のそばのCDショップ(タワーレコード?)で何か買ったように思う。
97.4.5 旧MOMA
まだマンハッタンのど真ん中にあった頃のMOMAにはじめて行った日の入場券。そのあとNYに行ったときはもう移転していた。
NYでの仕事の合間にあわただしく見学。短い時間だったがここは好きなものがたっぷり見学できる場所であった。
このときのNYは寒く、NYにつく前の日に雪は降った。
このときのNY滞在は仕事も結構あったが、ティファニー、ナイキタウン、ソーホー、チャイナタウン、セントラルパークの中のレストラン、オイスターバー、外人のモデレーターに連れて行かれた寿司屋とブルースの店、そしてMOMA、グッゲンハイムの2つの美術館と結構あちこち行っている。宿泊はセントラルパーク前のエセックスハウス。高級すぎて中のレストランでは食べられなかったが。
NYでの仕事の合間にあわただしく見学。短い時間だったがここは好きなものがたっぷり見学できる場所であった。
このときのNYは寒く、NYにつく前の日に雪は降った。
このときのNY滞在は仕事も結構あったが、ティファニー、ナイキタウン、ソーホー、チャイナタウン、セントラルパークの中のレストラン、オイスターバー、外人のモデレーターに連れて行かれた寿司屋とブルースの店、そしてMOMA、グッゲンハイムの2つの美術館と結構あちこち行っている。宿泊はセントラルパーク前のエセックスハウス。高級すぎて中のレストランでは食べられなかったが。
2008年12月29日月曜日
「私は若者が嫌いだ」香山リカ
若者をバッシングする大人は嫌いだ。自分達がつくってきた世代を自己否定もせずに否定することに嫌悪感を感じるからだ。
若者を擁護してきた香山リカが否定する側に回るとはインパクトが大きい。
若者側に君たちはこう育ってきて、そこには大人の側の勘違いあって、間違った育て方をしてきた。申し訳なく思うと同時に、君たちは君たちで育てられてきたプロセスに問題があったことを自己認識して、お願いだから自分の認識やあり方をどうか修正して欲しい・・・・というメッセージを発するべきときなのではないだろうか。
・得体の知れない弱さ/精神的にもろい
・はけ口となるネット
・知識や技能を実生活で応用する力に乏しい
・世の中を柔軟に受け入れることが出来ない
・最高と最低の間がない
・誰かのせいにする
・子供や若者に一方的にサービスしてきたことが誤り
親の問題でもある
若者を擁護してきた香山リカが否定する側に回るとはインパクトが大きい。
若者側に君たちはこう育ってきて、そこには大人の側の勘違いあって、間違った育て方をしてきた。申し訳なく思うと同時に、君たちは君たちで育てられてきたプロセスに問題があったことを自己認識して、お願いだから自分の認識やあり方をどうか修正して欲しい・・・・というメッセージを発するべきときなのではないだろうか。
・得体の知れない弱さ/精神的にもろい
・はけ口となるネット
・知識や技能を実生活で応用する力に乏しい
・世の中を柔軟に受け入れることが出来ない
・最高と最低の間がない
・誰かのせいにする
・子供や若者に一方的にサービスしてきたことが誤り
親の問題でもある
86.9.26 ザントフォールト
手元にCasini Zandvoortの86.9.26の名前入りの入場券のようなものが残っている。
ザントフォールトはアムステルダムから電車で30分ほどの北海に面したオランダのリゾートタウンにして、86年までオランダGPが開かれていたサーキットがある街。
このときはアムステルダム出張で、さらに得意先のメンバーと合宿ということでザントフォールトに行った。
チケットの日付にあるように夏が過ぎてハイシーズンが終わったあとのリゾート地の寂しい感じの中で僕たちはひたすら会議・ブレストをしていたように思う。“ベニスに死す”に出てくるリゾートの雰囲気と似ているなと感じたことだけ記憶にある。あとは見たもの食べたもの何一つ記憶にない。不思議なくらいだが。でも、このチケットが残っているということは、カジノには行ったわけだ。何も記憶にはないが。
ザントフォールトも一枚だけ絵葉書が残っている。リゾート地らしい絵柄のもの。
本当に”甦る記憶”という印象だ。
ザントフォールトはアムステルダムから電車で30分ほどの北海に面したオランダのリゾートタウンにして、86年までオランダGPが開かれていたサーキットがある街。
このときはアムステルダム出張で、さらに得意先のメンバーと合宿ということでザントフォールトに行った。
チケットの日付にあるように夏が過ぎてハイシーズンが終わったあとのリゾート地の寂しい感じの中で僕たちはひたすら会議・ブレストをしていたように思う。“ベニスに死す”に出てくるリゾートの雰囲気と似ているなと感じたことだけ記憶にある。あとは見たもの食べたもの何一つ記憶にない。不思議なくらいだが。でも、このチケットが残っているということは、カジノには行ったわけだ。何も記憶にはないが。
ザントフォールトも一枚だけ絵葉書が残っている。リゾート地らしい絵柄のもの。
本当に”甦る記憶”という印象だ。
87.8.29 マーストリヒト
新シリーズ。一枚の切符などが残っているあの一日を思い返してみようと思います。
第一回はオランダの一番下=南の端の街、マーストリヒト。
行ったのは87.8.29。アムスからマーストリヒトまでの切符が残っている。片道33.50ギルダー。
土曜はホテルで必死で一日で片付けるべく仕事をして月曜のプレゼンに備え、千載一遇のチャンスの日曜日に片道3時間のマーストリヒトに日帰りで行った。あらかじめ時間を駅に行って調べ、途中では地図と通過する駅名を必死に見て、間違いなく列車がマーストリヒトに向かっているか確認しながらという旅だったので、のんびり車窓を楽しむことはできなかった。
日曜だったので、マーストリヒトに帰る人が多かった。駅に迎えに来ている人がたくさんいたことが記憶に残っている。こういう時、一人旅は寂しい。
マーストリヒトの街はオランダの端っこにあるので、どれだけ田舎の街なんだろうと想像していたが、思いのほか都会で、アムステルダムのような大きなビルはないけれど、街を歩いている人のファッションや街が醸し出す雰囲気的には大きくは違わない気がした。このあたりがヨーロッパの豊かさを感じさせた。しかし、街は古い建物が多く、道は狭く、車での生活は少なくとも市街地ではしにくそうだった。にぎやかな休日に一人でのレストランの昼食は寂しかった想い出がある。何を食べたのか記憶にないが、マース川沿いの町で川魚が有名なようなので、マスなどを食べたのかもしれない。あと、お城と大きな公園があったような・・・。家にはオランダ最古の教会のひとつといわれる教会(多分聖セントファールス教会)の絵葉書が一枚だけ額に入って掛けられてある。
その後91年、突如この小さな街がマーストリヒト条約という国際舞台として名前が出たのには驚いた。先見の明?
第一回はオランダの一番下=南の端の街、マーストリヒト。
行ったのは87.8.29。アムスからマーストリヒトまでの切符が残っている。片道33.50ギルダー。
土曜はホテルで必死で一日で片付けるべく仕事をして月曜のプレゼンに備え、千載一遇のチャンスの日曜日に片道3時間のマーストリヒトに日帰りで行った。あらかじめ時間を駅に行って調べ、途中では地図と通過する駅名を必死に見て、間違いなく列車がマーストリヒトに向かっているか確認しながらという旅だったので、のんびり車窓を楽しむことはできなかった。
日曜だったので、マーストリヒトに帰る人が多かった。駅に迎えに来ている人がたくさんいたことが記憶に残っている。こういう時、一人旅は寂しい。
マーストリヒトの街はオランダの端っこにあるので、どれだけ田舎の街なんだろうと想像していたが、思いのほか都会で、アムステルダムのような大きなビルはないけれど、街を歩いている人のファッションや街が醸し出す雰囲気的には大きくは違わない気がした。このあたりがヨーロッパの豊かさを感じさせた。しかし、街は古い建物が多く、道は狭く、車での生活は少なくとも市街地ではしにくそうだった。にぎやかな休日に一人でのレストランの昼食は寂しかった想い出がある。何を食べたのか記憶にないが、マース川沿いの町で川魚が有名なようなので、マスなどを食べたのかもしれない。あと、お城と大きな公園があったような・・・。家にはオランダ最古の教会のひとつといわれる教会(多分聖セントファールス教会)の絵葉書が一枚だけ額に入って掛けられてある。
その後91年、突如この小さな街がマーストリヒト条約という国際舞台として名前が出たのには驚いた。先見の明?
2008年12月27日土曜日
ドラッカーの名言・至言集
これは、Wダイヤモンドのおまけの特集だが、一冊の本並みの重みがあった。ドラッカーはほとんど読んでいないが、洞察力は素晴らしく、マーケッターやビジネスマンはこういう本で勉強すべきだろう。心に残ったことばを箇条書きにしておく。
・これからの世界を左右する支配的な要因は人口構造の変化である
・機会を放って問題にかかりきりになる問題至上主義は企業が低迷する要因
・金銭という近視眼的な考えが、生活と人生を支配することがあってはならない
・マネジメントするには目標が必要である、社会貢献、自己実現
・知識労働で重要なことは仕事の目的である
・リーダーシップにはいささかの神秘性もない。それは平凡で退屈なものである
・知覚の力により、全体を全体として把握しなければならない
・操作によってではなく、真摯さによってリーダーになる
・明日がどのような種類になるかは組織に働く普通の人たちの知識・洞察・先見・能力にかかっている
・世のためひとのためという目線の高さが成果をあげるには重要
・支出配分の変化こそあらゆる情報の基本である
・これからの世界を左右する支配的な要因は人口構造の変化である
・機会を放って問題にかかりきりになる問題至上主義は企業が低迷する要因
・金銭という近視眼的な考えが、生活と人生を支配することがあってはならない
・マネジメントするには目標が必要である、社会貢献、自己実現
・知識労働で重要なことは仕事の目的である
・リーダーシップにはいささかの神秘性もない。それは平凡で退屈なものである
・知覚の力により、全体を全体として把握しなければならない
・操作によってではなく、真摯さによってリーダーになる
・明日がどのような種類になるかは組織に働く普通の人たちの知識・洞察・先見・能力にかかっている
・世のためひとのためという目線の高さが成果をあげるには重要
・支出配分の変化こそあらゆる情報の基本である
2008年12月26日金曜日
あえて、飯島愛”ちゃん”か
覚悟の死のような、富士の樹海での死のような、どうして一人っきりで、一週間も発見されないような死に方を選んだのだろうか。そして、クリスマスイブでの発見。どうしても選んだように見えてしまう。
30代半ばではあるけれど、いろんなことを通過してきたから、もういいのよ、と言っている気もする。
もうここらで、と芸能界から今思えば身を引いたようにも思えるし、無理をするのを辞めたようにも思えるし、そんなことはなくて、あてもなく、ちょっと今いる状態は違うなということで、舞台から降りたようにも思えるし・・・・・・・・・・・・、点をいくつ打っても足りないように思えるほど、わからなくて、そして。切ない。
特段贔屓にしていたタレントさんではないけれども、どこか哀愁や諦観のようなものが身辺からあふれ出していたのが今になってみれば感じるところ。
”私はダメだと思えば、いつでも身を引く”というような潔い覚悟が彼女にはあったようにも思うけど、わかっていないことを承知で書くと、もっと自由に、渋谷の高級マンションなんかで孤独に生活するのはやめて、等身大で、本音で、住める環境をつくればよかったのだ。
でも、それが出来ない何かがあったのだと今は思いたいし,それが何なのかということは詮索しないでおきたいと思う。・・・・・・・・・・・合掌!
30代半ばではあるけれど、いろんなことを通過してきたから、もういいのよ、と言っている気もする。
もうここらで、と芸能界から今思えば身を引いたようにも思えるし、無理をするのを辞めたようにも思えるし、そんなことはなくて、あてもなく、ちょっと今いる状態は違うなということで、舞台から降りたようにも思えるし・・・・・・・・・・・・、点をいくつ打っても足りないように思えるほど、わからなくて、そして。切ない。
特段贔屓にしていたタレントさんではないけれども、どこか哀愁や諦観のようなものが身辺からあふれ出していたのが今になってみれば感じるところ。
”私はダメだと思えば、いつでも身を引く”というような潔い覚悟が彼女にはあったようにも思うけど、わかっていないことを承知で書くと、もっと自由に、渋谷の高級マンションなんかで孤独に生活するのはやめて、等身大で、本音で、住める環境をつくればよかったのだ。
でも、それが出来ない何かがあったのだと今は思いたいし,それが何なのかということは詮索しないでおきたいと思う。・・・・・・・・・・・合掌!
2008年12月25日木曜日
今日はばらちらし
今日の昼は乃木坂の「魚真」のばらちらし、800円。魚が何種類入っているだろうか、いくらも結構乗っているし、魚でだしをとっている?味噌汁もうまい。帰り道、途中で右折してミッドタウンに抜けてみる。思いの外近い。昨晩芝生に電気を敷いてライトアップしていた場所に行ってみたが、昼間はなんということもない。
帰りは青山一丁目の武蔵でラーメンを食べるつもりで歩いていったが、再開発?でなくなっていて、外苑前と表参道の間にあった麺飯坊で広東麺を食べる。当てもなく入ったけれど結構おいしい。この界隈は再開発が進んでいて、そばの川上庵もバーのラジオも場所が変わっている感じがした。大坊珈琲店がちゃんとあるので安心する。結局表参道まで歩いて結構疲れた。
何と、これが今年600回目の書き込み。月平均50。まあ、たいしたことは書いてなくて備忘録だったりもするのだけれど、1年間感じたこと、考えたこと、読んだ本について、聴いた音楽について、好きな曲について、気になったこと・・・・・・・・・、思いのほか継続できたことが収穫。結構書くことが好きであるということを再認識した。
来年はどうしましょうかね。もう少し深掘りして書くとか、文章を練るとか、厳選するとか・・・・高度化・深化したいけど、余り似合わないし、気負わないでとにかく書き続けることが大事かなと思う。一応書き込んだものについて読み返してみることにはしましょうかね。
帰りは青山一丁目の武蔵でラーメンを食べるつもりで歩いていったが、再開発?でなくなっていて、外苑前と表参道の間にあった麺飯坊で広東麺を食べる。当てもなく入ったけれど結構おいしい。この界隈は再開発が進んでいて、そばの川上庵もバーのラジオも場所が変わっている感じがした。大坊珈琲店がちゃんとあるので安心する。結局表参道まで歩いて結構疲れた。
何と、これが今年600回目の書き込み。月平均50。まあ、たいしたことは書いてなくて備忘録だったりもするのだけれど、1年間感じたこと、考えたこと、読んだ本について、聴いた音楽について、好きな曲について、気になったこと・・・・・・・・・、思いのほか継続できたことが収穫。結構書くことが好きであるということを再認識した。
来年はどうしましょうかね。もう少し深掘りして書くとか、文章を練るとか、厳選するとか・・・・高度化・深化したいけど、余り似合わないし、気負わないでとにかく書き続けることが大事かなと思う。一応書き込んだものについて読み返してみることにはしましょうかね。
松輪のアジフライ
昼に京橋の松輪にアジフライを食べに行きました。
開店15分前の段階で並んでいる人2名。寒かったので、INAXのブックショップで立ち読みをちょっとしてもどったら。+5,6名並んでいて、店の規模がわかっていなかったのであわてて並ぶ。
昼はうわさのアジフライのみ。わずか小鉢がある様子。アジフライはフライに向くというやや小ぶりなものが2匹。身はふわふわでおいしい。フライだけど、おろし大根とわさびで食べるのが合っている。うわさにたがわぬうまさ。自分で釣って絶品だったアジより、少し小ぶりなので、食感はよりふわふわとやさしい味という印象。素朴においしい。中骨に身がついた部分もカラリと揚がっていておいしい。加えて味噌汁もうまい。
12時前には食べ終わり、いつもの銀座のかばん屋をのぞき、山野楽器でアルトサックスのアドリブの教則本を買い、丸の内線で戻ってきました。
開店15分前の段階で並んでいる人2名。寒かったので、INAXのブックショップで立ち読みをちょっとしてもどったら。+5,6名並んでいて、店の規模がわかっていなかったのであわてて並ぶ。
昼はうわさのアジフライのみ。わずか小鉢がある様子。アジフライはフライに向くというやや小ぶりなものが2匹。身はふわふわでおいしい。フライだけど、おろし大根とわさびで食べるのが合っている。うわさにたがわぬうまさ。自分で釣って絶品だったアジより、少し小ぶりなので、食感はよりふわふわとやさしい味という印象。素朴においしい。中骨に身がついた部分もカラリと揚がっていておいしい。加えて味噌汁もうまい。
12時前には食べ終わり、いつもの銀座のかばん屋をのぞき、山野楽器でアルトサックスのアドリブの教則本を買い、丸の内線で戻ってきました。
2008年12月21日日曜日
ティファニーで朝食を
「読んだ本」の100回目の書き込みということで、読みかけの本の中からこれを読了。窓からバスローブでやってきて、ベッドで子供のように眠り込んでしまう女の子の友達が一人ぐらいいてもいいようには思うけど、「魅了」まではされなかったなあ。
映画と小説は結構違うのを知った。どちらがどうというわけではないけど。
映画と小説は結構違うのを知った。どちらがどうというわけではないけど。
2008年12月20日土曜日
2008年12月17日水曜日
フェスティバルホール
アヴァンギャルドチャイナ
バス車内のクリスマスイルミネーション
帰りに横浜市営バスに乗ったら車内の各窓にクリスマスイルミネーションが施されていてびっくり。赤字のバスにこんな無駄遣い・・・という声もあるだろうけど、各窓がしっかり飾られていて見事。イブとクリスマスの日は運転手さんもサンタの衣装を着るとかね・・・。
2008年12月16日火曜日
桂川駅から桂大橋西詰へ
リコーダーにはまっていた
母親に”最近アルトサックスにはまっている”という話をして、いくらか母親の理解のためのやりとりがあり、北村栄治のクラリネットでなくて、曲がっている渡辺貞夫が吹いているヤツというところでは母親は理解した。そこで、母親が言ったのは、
「昔も縦笛をよく吹いていた」
という話。忘れていたけど、確かにそうだ。小学校から中学にかけての頃か?指もよく動いていたかもしれない。”そうか、そんなところでつながっていたとは”と再認識させられた。
はまるべくしてはまっているということか?
「昔も縦笛をよく吹いていた」
という話。忘れていたけど、確かにそうだ。小学校から中学にかけての頃か?指もよく動いていたかもしれない。”そうか、そんなところでつながっていたとは”と再認識させられた。
はまるべくしてはまっているということか?
「プレイザアルトサックス1」
・リガチャーを比較的下のほうに付けると、抵抗が増し、特に高い音がしっかり出る→家に帰って試してみると、確かにそんな気がする
・高いCより上の音・・・C:o、D:e、E&F:iに変化させ、リードに当たる唇の面積を少なくする(P23)/少し浅めに咥える
・高いE&F:パテントキーを使う
・下の音がひっくり返る人は、アムブシュアをもっとリラックスさせ、なるべく浅く咥えて腹で息を支える
・アクセント(2種類)
・ターン
・高いCより上の音・・・C:o、D:e、E&F:iに変化させ、リードに当たる唇の面積を少なくする(P23)/少し浅めに咥える
・高いE&F:パテントキーを使う
・下の音がひっくり返る人は、アムブシュアをもっとリラックスさせ、なるべく浅く咥えて腹で息を支える
・アクセント(2種類)
・ターン
2008年12月13日土曜日
鈴木亜紀「お尻に火をつけて」
自由な旅がうらやましい。アルゼンチンの歌手リリアナの話は感動的である。
CDで出会ったリリアナ・エレーロの歌を聴くためにニューヨークからさらにアルゼンチンまで12時間、更に北部の街フフイへ。そこから出会いがあり、日本への招聘まで。こういう「突き起こす何か」に出会うこと、そのとき行動に移すことは重要なことだが、なかなか出来ない。鈴木亜紀さんが比較的自由な立場というのはあるけれど・・・。
ここから、アルゼンチンのコンテンポラリー・フォルクローレという新しいアルゼンチンの音楽に触れた。欧州風味の効いた、アルゼンチンのフォルクローレ。洗練されていて、それでいてその国らしさのあるサウンド。ヨーロピアンジャズにも近く、日本でも好まれそうなサウンドである。
CDで出会ったリリアナ・エレーロの歌を聴くためにニューヨークからさらにアルゼンチンまで12時間、更に北部の街フフイへ。そこから出会いがあり、日本への招聘まで。こういう「突き起こす何か」に出会うこと、そのとき行動に移すことは重要なことだが、なかなか出来ない。鈴木亜紀さんが比較的自由な立場というのはあるけれど・・・。
ここから、アルゼンチンのコンテンポラリー・フォルクローレという新しいアルゼンチンの音楽に触れた。欧州風味の効いた、アルゼンチンのフォルクローレ。洗練されていて、それでいてその国らしさのあるサウンド。ヨーロピアンジャズにも近く、日本でも好まれそうなサウンドである。
矢作俊彦「悲劇週間」
「大きな構想力」とは「大きな妄想」ということかもしれない。それほどこの本はすごい。ヒロインのフエセラのキャラクターづくりは素晴らしい。読ませる力、取材力?、ガッチリした文章、実に見事。
堀口大学が公使の息子として2年間その当時日本にとって親しい国であったメキシコに行っていたという事実、そしてその当時のメキシコ革命前期という時代背景、軟派な文化人でもあった大学、という3点から構想というか、妄想のようなもので練り上げられた見事な物語。いやはや、である。一気に週中に600ページを読んだ。
堀口大学が公使の息子として2年間その当時日本にとって親しい国であったメキシコに行っていたという事実、そしてその当時のメキシコ革命前期という時代背景、軟派な文化人でもあった大学、という3点から構想というか、妄想のようなもので練り上げられた見事な物語。いやはや、である。一気に週中に600ページを読んだ。
2008年12月9日火曜日
「チャーリーとの旅」
読みたい本が次から次へと出てくる。ここのところたくさん読んでる。「内こもり」か?
”どこかへ行きたい衝動は中年になると治る”らしい。また”ほとんど全ての人はさすらうことに飢えている”とのこと。”治らないし、飢えている”。私もそうだ。
しかし、旅は楽しいことばかりではない。特に年が行ってからはそうだ。寝心地の悪いベッド、おいしくない食事、悪天候、道に迷う、車の故障、相棒や自分の体の調子などなど、慣れ親しんだぬくぬくした生活から出ていくのだから、許せないこと、我慢できないこともも多い。年いけばなおさら。短気にもなっている。意地悪い見方をすれば、年いった成功した人間が旅する(勘違いの旅)と、それは安楽なフル装備の車をもってしても、乗り越えられないことはたくさん出てくるんだろう。
やはり、旅には、とりわけ長旅には出るべき年令があるのだと思う。何かを得ようとする徹底した態度、我慢、疲労・・・・そういうことが乗り越えられる年令というものはありそうだ。
それでも、年いっても旅にはやはり出たい。何か新しい経験がそこにはあるはずである。
この本でもうひとつ知ったこと。それは「テキサス」。”テキサスはひとつの国家である””テキサスの独自性””カウボーイの伝統””大地の力強さ、実直さ””テキサスはアメリカの秘密”・・・・。テキサスはアメリカそのものなのかもしれない。
さらにもうひとつ。黒人への偏見の克服の難しさを表していることば、「物事に対する感情を変えるのは難しい」。人は哀しい動物なのかもしれない。
”どこかへ行きたい衝動は中年になると治る”らしい。また”ほとんど全ての人はさすらうことに飢えている”とのこと。”治らないし、飢えている”。私もそうだ。
しかし、旅は楽しいことばかりではない。特に年が行ってからはそうだ。寝心地の悪いベッド、おいしくない食事、悪天候、道に迷う、車の故障、相棒や自分の体の調子などなど、慣れ親しんだぬくぬくした生活から出ていくのだから、許せないこと、我慢できないこともも多い。年いけばなおさら。短気にもなっている。意地悪い見方をすれば、年いった成功した人間が旅する(勘違いの旅)と、それは安楽なフル装備の車をもってしても、乗り越えられないことはたくさん出てくるんだろう。
やはり、旅には、とりわけ長旅には出るべき年令があるのだと思う。何かを得ようとする徹底した態度、我慢、疲労・・・・そういうことが乗り越えられる年令というものはありそうだ。
それでも、年いっても旅にはやはり出たい。何か新しい経験がそこにはあるはずである。
この本でもうひとつ知ったこと。それは「テキサス」。”テキサスはひとつの国家である””テキサスの独自性””カウボーイの伝統””大地の力強さ、実直さ””テキサスはアメリカの秘密”・・・・。テキサスはアメリカそのものなのかもしれない。
さらにもうひとつ。黒人への偏見の克服の難しさを表していることば、「物事に対する感情を変えるのは難しい」。人は哀しい動物なのかもしれない。
2008年12月7日日曜日
宮脇俊三「時刻表昭和史」
戦時中19年の九州旅行。戦後すぐの20年秋にはもう東北旅行。すごいのひとこと。
終戦の8月15日も天皇の放送は米坂線の駅で父と聞いている。放送のあとも何事もなかったようにというか、走り続けることは誰も止めていないというか、列車は走り続けていた。
時刻表の話、鉄道の話を通じて歴史はこれほどまでもいきいきと語ることが出来るのだ。
終戦の8月15日も天皇の放送は米坂線の駅で父と聞いている。放送のあとも何事もなかったようにというか、走り続けることは誰も止めていないというか、列車は走り続けていた。
時刻表の話、鉄道の話を通じて歴史はこれほどまでもいきいきと語ることが出来るのだ。
2008年12月6日土曜日
2008年12月2日火曜日
「旅する力」沢木耕太郎
”私もこんな旅がしたかった”
「深夜特急」を読んだ読者の多くはこういう感想だろう。
”ローマまで来るのに7年掛かりました”
という若い歯科医の話は普通の人の限界を示している。
一方、”旅には適齢期がある”ということも間違いなくそうであろう。
沢木耕太郎本人でさえ、「深夜特急」の旅は今の年令では出来まい。
しかし、”旅は行くことが目的なのではない””大事なのは行く過程で何を感じるかである”ということはある程度年令には関係ないことだと思う。
”旅は旅する人が自分で作るもの”である。
このことばはいつまでも肝に銘じておきたい。
”旅を生きる”そうありたい。若い頃の北海道もそういう気持ちで旅していた。
「深夜特急」を読んだ読者の多くはこういう感想だろう。
”ローマまで来るのに7年掛かりました”
という若い歯科医の話は普通の人の限界を示している。
一方、”旅には適齢期がある”ということも間違いなくそうであろう。
沢木耕太郎本人でさえ、「深夜特急」の旅は今の年令では出来まい。
しかし、”旅は行くことが目的なのではない””大事なのは行く過程で何を感じるかである”ということはある程度年令には関係ないことだと思う。
”旅は旅する人が自分で作るもの”である。
このことばはいつまでも肝に銘じておきたい。
”旅を生きる”そうありたい。若い頃の北海道もそういう気持ちで旅していた。
2008年12月1日月曜日
弁慶橋から麹町界隈へ
2008年11月30日日曜日
2008年11月29日土曜日
父、宮脇俊三への旅
長女灯子さんが書いた父の思い出である。うまい文章ではない。普通の言い回し、凝ったところのないちゃんとした文章。丁寧なお礼状のような、良くも悪くも。
これだけ乗るために家を空けている宮脇俊三という人は家ではどういう夫であり、父だったのかを知りたいために求めた本であるが、そういう意味では娘から見た父は全く普通の父である。妻の目からはどうだろうか?しかし、妻が娘を見捨てている風はない。そうであれば娘の文章にその不満は表れるはずである。幸せそうな家族、父親への娘の愛情が感じられる本である。
この本で知ったのは戒名は自分でつけてもいいということ。名前から1字、性格を示す文字を1字入れることがルール。宮脇俊三さんはそういうことで、「鉄道院俊妙居士」とのこと。
これだけ乗るために家を空けている宮脇俊三という人は家ではどういう夫であり、父だったのかを知りたいために求めた本であるが、そういう意味では娘から見た父は全く普通の父である。妻の目からはどうだろうか?しかし、妻が娘を見捨てている風はない。そうであれば娘の文章にその不満は表れるはずである。幸せそうな家族、父親への娘の愛情が感じられる本である。
この本で知ったのは戒名は自分でつけてもいいということ。名前から1字、性格を示す文字を1字入れることがルール。宮脇俊三さんはそういうことで、「鉄道院俊妙居士」とのこと。
草食系男子「お嬢マン」が日本を変える
イエ→外→新イエ/ムラ→個→新ムラ:らせん型回帰
かっこいいより、男子も“かわいい”へ
<家族環境>
両親の“アイドル”、親も“男女平等”、シラケ世代の親、箱入り息子、家が好き
<社会環境>
バブルを知らない、先行き不安
<コミュニケーション>
ネット・携帯、親と仲良し、反抗期なし?、ゆるいつながり
<恋愛>
気持ちを伝えない、男子が本気にならない、恋愛は疲れる
<消費>
手堅いが気分型消費、合理主義
かっこいいより、男子も“かわいい”へ
<家族環境>
両親の“アイドル”、親も“男女平等”、シラケ世代の親、箱入り息子、家が好き
<社会環境>
バブルを知らない、先行き不安
<コミュニケーション>
ネット・携帯、親と仲良し、反抗期なし?、ゆるいつながり
<恋愛>
気持ちを伝えない、男子が本気にならない、恋愛は疲れる
<消費>
手堅いが気分型消費、合理主義
2008年11月28日金曜日
2008年11月27日木曜日
ハンマースホイ展
フェルメール展に向かう人に比べて圧倒的に西洋美術館に向かう人は少ない。こういう絵を混雑した中で見るのはいやなのでうれしい。 事前に日曜美術館で見ていたのでびっくり!はない。
「静かな詩情」というサブタイトルがついているが、単にそういうことではないと感じた。不思議さとか、奇妙さ(これは1枚の絵の中に2つの視点があるとか、影の向きが異なるとかいうことから感じるのかもしれない)とか、ある種のアブノーマルさや狂気などを感じる。これはテレビでは感じ得ないことで、やはり見に来ないとダメだ。
ハンマースホイはかなり限られた空間の中で生活して絵を描いている。“私は常にこの部屋のような美を思っていて・・・」とハンマースホイは言う。しかし、そもそもこの生活を愛していたのだろうかということさえ考えてしまう。
「後姿」「省略」(道を頻繁に走っているはずの車、ピアノの脚、ドアの金具の取ってなど)「人気のなさ」「笑顔のなさ」「静寂」「会話のなさ」「拡大した部分」「無音」「物音がしない空間」「大きめのキャンバスから切り取って出来ている完成部分」(この部分は絵の説明にあった)「生活感のなさ」・・・・。
これらは鑑賞して感じたキーワードだが、ここには自分の世界を作り上げるために「はぶく」という作業が全体的になされているように思う。
リルケがハンマースホイとつながっていた。さもありなんか。
最後に、「大きめのキャンバスから切り取って出来ている完成部分」と書いたが、望遠鏡で覗くような距離感という説明があったが、自分の写真の撮り方に通じる。何か対象に対する態度で共通する部分があるのだろうか。
「静かな詩情」というサブタイトルがついているが、単にそういうことではないと感じた。不思議さとか、奇妙さ(これは1枚の絵の中に2つの視点があるとか、影の向きが異なるとかいうことから感じるのかもしれない)とか、ある種のアブノーマルさや狂気などを感じる。これはテレビでは感じ得ないことで、やはり見に来ないとダメだ。
ハンマースホイはかなり限られた空間の中で生活して絵を描いている。“私は常にこの部屋のような美を思っていて・・・」とハンマースホイは言う。しかし、そもそもこの生活を愛していたのだろうかということさえ考えてしまう。
「後姿」「省略」(道を頻繁に走っているはずの車、ピアノの脚、ドアの金具の取ってなど)「人気のなさ」「笑顔のなさ」「静寂」「会話のなさ」「拡大した部分」「無音」「物音がしない空間」「大きめのキャンバスから切り取って出来ている完成部分」(この部分は絵の説明にあった)「生活感のなさ」・・・・。
これらは鑑賞して感じたキーワードだが、ここには自分の世界を作り上げるために「はぶく」という作業が全体的になされているように思う。
リルケがハンマースホイとつながっていた。さもありなんか。
最後に、「大きめのキャンバスから切り取って出来ている完成部分」と書いたが、望遠鏡で覗くような距離感という説明があったが、自分の写真の撮り方に通じる。何か対象に対する態度で共通する部分があるのだろうか。
2008年11月26日水曜日
朝9時半神宮外苑いちょう並木
2008年11月25日火曜日
時刻表2万キロ②
久しぶりに熱中して読み終えた。いやあ、久々すごい。何とも勤勉、何とも元気。日没後はNGという厳しいルールを誰も強制しないのに設定してやり遂げた。
確か私も1万キロ以上は乗っている。でも、乗りつぶしはありえない。できないし、やらない。しかしすごい。
”始末する””消化する””処理する”退治する”・・・乗りつぶすことを著者はいろいろな表現を用いている。ユーモアがあるというべきか、言葉どおりと見るべきか?
文章はユーモアがあり、観察と知性があり素晴らしい。ただの鉄道ファンではない。おぬし只者ではないな。
一度だけ出てくる奥様の「また行くの」という言葉が重い。
しかし昭和55年の国鉄路線図と今を比べると切ない。特に北海道と筑豊地区。
もう一度味読するか。
確か私も1万キロ以上は乗っている。でも、乗りつぶしはありえない。できないし、やらない。しかしすごい。
”始末する””消化する””処理する”退治する”・・・乗りつぶすことを著者はいろいろな表現を用いている。ユーモアがあるというべきか、言葉どおりと見るべきか?
文章はユーモアがあり、観察と知性があり素晴らしい。ただの鉄道ファンではない。おぬし只者ではないな。
一度だけ出てくる奥様の「また行くの」という言葉が重い。
しかし昭和55年の国鉄路線図と今を比べると切ない。特に北海道と筑豊地区。
もう一度味読するか。
原宿心療内科
神宮外苑のいちょう並木を見たあと、原宿方面へ。以前にもこの医院の前を通って感じたことだけど、原宿で働いている人はファッション系や美容師など「才能」が成功を左右する職業が多く、しかし収入は決して多くなく、心療内科を必要とする人がかなり多いのではないかと思っていた。費用の高い心療内科にかかる収入があるかは別だけど。そこで原宿の心療内科の先生(やはり場所柄若めの女性の先生でしょうか?)を主人公に、クリエイティブな仕事を目指す人たちの心の悩みをベースにおいた小説が書けないものかしらんと思う次第です。ミステリーなのか、はたまた心の悩みがあるということで、不思議系の話なのか、何も考えてはいませんが・・・。
神宮外苑いちょう並木
2008年11月24日月曜日
時刻表2万キロ
宮脇俊三さんの歴史的な名著である。
実は今は読み始めたばかりであるが、このワクワク感は残しておくべきだろう。
”鉄道の「時刻表にも愛読者がいる”という文章から始まる本の冒頭のはじめは考えもしなかった2万キロ全線走破が次第に目標になっていくくだりにはワクワクする。
この人のこの本が後にJRの2万キロ走破キャンペーンになったり、目指す人がずいぶんいたり、社会的な話題になった。わずかな線を走破するために週末の休みを使う。自前の費用を掛けるのだ。酔狂としかいいようがない。なるべく効率的にまわるために考えつくす。これがまた楽しいのはよくわかる。
北陸からスタートしたが、読み進めるのが楽しみである。
実は今は読み始めたばかりであるが、このワクワク感は残しておくべきだろう。
”鉄道の「時刻表にも愛読者がいる”という文章から始まる本の冒頭のはじめは考えもしなかった2万キロ全線走破が次第に目標になっていくくだりにはワクワクする。
この人のこの本が後にJRの2万キロ走破キャンペーンになったり、目指す人がずいぶんいたり、社会的な話題になった。わずかな線を走破するために週末の休みを使う。自前の費用を掛けるのだ。酔狂としかいいようがない。なるべく効率的にまわるために考えつくす。これがまた楽しいのはよくわかる。
北陸からスタートしたが、読み進めるのが楽しみである。
2008年11月23日日曜日
アンドリューワイエス展
1974年に京都で見て以来久しぶりのアンドリューワイス。
東京に来て、西武美術館で美術に目覚める以前、唯一感動した絵、それがこの「海からの風」。残念ながら今回の展覧会には出品されていなかった。
窓から入る心地よい風を本当に感じるかのようなリアリティのある絵で、それは繊細な描き方にもよるのだろうが、本当にこの窓からの風の心地よさを知っている人が書いた絵だから感じられるものなのだろう。
全体的には画風は繊細だが、アメリカの大地の強さや堅実さを感じるのがワイエスの絵である。
流れていたビデオではワイエスは”想像力が刺激されたときは動かなくてはならない、91歳の今でも”というような発言があった。
それほど、想像力が刺激されるということは貴重なことであり、大切にして、刺激された声のほうへ向かうことが必要なのだと思う。
朝霞の丸沼芸術の森にワイエスの絵が結構あるようだ。
東京に来て、西武美術館で美術に目覚める以前、唯一感動した絵、それがこの「海からの風」。残念ながら今回の展覧会には出品されていなかった。
窓から入る心地よい風を本当に感じるかのようなリアリティのある絵で、それは繊細な描き方にもよるのだろうが、本当にこの窓からの風の心地よさを知っている人が書いた絵だから感じられるものなのだろう。
全体的には画風は繊細だが、アメリカの大地の強さや堅実さを感じるのがワイエスの絵である。
流れていたビデオではワイエスは”想像力が刺激されたときは動かなくてはならない、91歳の今でも”というような発言があった。
それほど、想像力が刺激されるということは貴重なことであり、大切にして、刺激された声のほうへ向かうことが必要なのだと思う。
朝霞の丸沼芸術の森にワイエスの絵が結構あるようだ。
2008年11月22日土曜日
BENDとSCOOP
BENDが総称。フィンガリングはそのままであごで音を曲げる。
BEND(U)はタンギングなしで打ち直す。あごで音程を曲げて、リズムを打ち出す。あごでは限界がある、のどを使う。
SCOOP(ナイキのスウォッシュのようなマーク)はしゃくりあげる。フィンガリングがその音になった瞬間にあごが落ちる。音量はそのまま一定。
いずれにしても「あごの柔軟性」がポイントらしい。あごの力は抜くこと。
いやあ、ジャズらしくなってきました。
BEND(U)はタンギングなしで打ち直す。あごで音程を曲げて、リズムを打ち出す。あごでは限界がある、のどを使う。
SCOOP(ナイキのスウォッシュのようなマーク)はしゃくりあげる。フィンガリングがその音になった瞬間にあごが落ちる。音量はそのまま一定。
いずれにしても「あごの柔軟性」がポイントらしい。あごの力は抜くこと。
いやあ、ジャズらしくなってきました。
「おそろし」宮部みゆき
サブタイトルは三島屋変調百物語事始とある。
江戸時代のこういった怖い話はエンターテイメントだったのだろうか?あるいは許されない愛、、殺人・・・など人の道に外れたことをすると怖い目に合うという話で、戒めて秩序を守るということが根底の目的としてあったのだろうか。
現代の私はエンターテイメントとして読みたいが、でも怖い。
江戸時代のこういった怖い話はエンターテイメントだったのだろうか?あるいは許されない愛、、殺人・・・など人の道に外れたことをすると怖い目に合うという話で、戒めて秩序を守るということが根底の目的としてあったのだろうか。
現代の私はエンターテイメントとして読みたいが、でも怖い。
何だろう?
昼に赤坂青野に赤坂もちを求めに行く。
その途中の赤坂通りで見かけた光景。場所はビルの壁。いたずらではなく、持ち主の意思。
地元赤坂についての記述と絵。2.26事件に始まり、昔はお屋敷町でから始まり、バブルで街の景色が変わり、そして、昔は子供を叱っていたと言うような絵柄と色調にも拘らずの懐古トーン。こんなものを描いても怒られないのは穏健な住宅地とは違うところ。楳図かずおもこういうところに家を建てるべきだったのだろうが、住宅地に立てたところが立派。こういう場所でしかこういう個性的?とっぴなことができないところが日本のつまんないところ。お昼は六本木のいつもの男の台所でコロッケ定食。魚ものの定食以上にヘビーでした。
その途中の赤坂通りで見かけた光景。場所はビルの壁。いたずらではなく、持ち主の意思。
地元赤坂についての記述と絵。2.26事件に始まり、昔はお屋敷町でから始まり、バブルで街の景色が変わり、そして、昔は子供を叱っていたと言うような絵柄と色調にも拘らずの懐古トーン。こんなものを描いても怒られないのは穏健な住宅地とは違うところ。楳図かずおもこういうところに家を建てるべきだったのだろうが、住宅地に立てたところが立派。こういう場所でしかこういう個性的?とっぴなことができないところが日本のつまんないところ。お昼は六本木のいつもの男の台所でコロッケ定食。魚ものの定食以上にヘビーでした。
なぜ、資本主義は暴走するのか
久々に経済書。
90年代末までに「市場」は事実上の支配者となった。
そして「株主価値」という言葉が全てを支配することになった。
企業は本来は長い時間をかけて企業価値を高めていくべき存在であるが、今や目先の『株価』のみが目標になってしまった。すべては『株価』のために、である。企業は四半期ごとの利益ありきになり、利益は年々増えていくのが当然と考えられ、そこには当然のように無理が生じてくる。
『株価』至上主義は会計の偽装・利益操作を産む温床になり、企業・事業の買収・売却を進め、ストックオプション制度を肥大化やCEOのすさまじいまでの高い報酬というように、矛盾を膨張させ、様々な問題やひずみを生み出した。
規制緩和もそのためのものだったともいえる。インターネットバブルも背景としては大きい。
そして、ここには反対できない言葉が背後に存在する。それは、「自由な市場」「自己責任」「株主価値」「規制緩和」「利益は拡大するもの」。それぞれにわかには反対できない言葉である。そこに落とし穴があるということだろうか。
401Kは「市場」を活性化させることが目的のインチキな政策ではなかったか?自己責任という言葉のもとで、庶民の年金は失われた。責任は誰にあるというのだろうか?「市場」に魂を売り渡してはいけない。何のための「市場」なのか考えるべきである。人間は暴走するもの。多様な利害の折り合いをつけていく知恵が重要なのだ。
エンロン事件と9.11はほぼ同時期に起こったアメリカへの大きなしっぺ返しともいえる。ハインリッヒの法則でいえば、ひとつの大事故の背後には300の小さな兆しがあるという。多くの小さな兆しを見逃してきた結果なのだろう。
90年代末までに「市場」は事実上の支配者となった。
そして「株主価値」という言葉が全てを支配することになった。
企業は本来は長い時間をかけて企業価値を高めていくべき存在であるが、今や目先の『株価』のみが目標になってしまった。すべては『株価』のために、である。企業は四半期ごとの利益ありきになり、利益は年々増えていくのが当然と考えられ、そこには当然のように無理が生じてくる。
『株価』至上主義は会計の偽装・利益操作を産む温床になり、企業・事業の買収・売却を進め、ストックオプション制度を肥大化やCEOのすさまじいまでの高い報酬というように、矛盾を膨張させ、様々な問題やひずみを生み出した。
規制緩和もそのためのものだったともいえる。インターネットバブルも背景としては大きい。
そして、ここには反対できない言葉が背後に存在する。それは、「自由な市場」「自己責任」「株主価値」「規制緩和」「利益は拡大するもの」。それぞれにわかには反対できない言葉である。そこに落とし穴があるということだろうか。
401Kは「市場」を活性化させることが目的のインチキな政策ではなかったか?自己責任という言葉のもとで、庶民の年金は失われた。責任は誰にあるというのだろうか?「市場」に魂を売り渡してはいけない。何のための「市場」なのか考えるべきである。人間は暴走するもの。多様な利害の折り合いをつけていく知恵が重要なのだ。
エンロン事件と9.11はほぼ同時期に起こったアメリカへの大きなしっぺ返しともいえる。ハインリッヒの法則でいえば、ひとつの大事故の背後には300の小さな兆しがあるという。多くの小さな兆しを見逃してきた結果なのだろう。
2008年11月17日月曜日
2008年11月16日日曜日
ハンマースホイ
なかなか見に行けないのだが、日曜美術館で長い時間紹介された。1900年頃作品を残したデンマーク、コペンハーゲンの画家。シベリウスを思わせる静けさや“浄化”、澄み切った透明感を感じさせる。
発展に向けて盛り上がっていた近代化が進むその時代のコペンハーゲンに背を向けるように、室内にこもり、夫婦二人の生活空間を描いた。それも、妻の顔は描かず、後姿を描き、表情の表現を避けた。それは安易な解釈を拒んでいるようにも見える。
ドアにノブや蝶番がなかったり、後ろ足のないピアノ、陰の向きなど、見たものをそのまま忠実に表現しているのでは必ずしもなく、非現実的な部分が画面をすっきりさせる効果をもたらしている。
街を描いても、建物は立派に描くものとされていた時代に背くように簡素、あるときは寂しく、人気をなくして描いた。騒々しい世界に関わることを避けたいと気持ちなのか?
このあたりが今の時代に共感できる要素があるのかもしれない。
我々の住む世界は騒々しさに充ちている。音がないと落ち着かないようにもなってきている。静かに生きたいという気持ちは、できるかどうかはわからないが、憧れの向こうにある。
自分だけの小さな世界、この画家は絵がさして売れることもなく生きていけたのだから、豊かな家に生まれたと思う。生まれ育った環境である“小さく静かな豊かさ”を愛し、その中で生きていたと感じる。
この、“小さく静かな豊かさ”はほぼ同時代のパリやNYの街、そしてそこで描かれた絵画とは異なる感覚だ。
そして、番組の中のコメントの中で、“人間はとかく動くものに目が行くようになっていて、動くものを追うことで見失うものがある”というものがあった。
まわりの変化ばかりを追うことが、今の生活の中心だが、自分か周りに対して感じ、自分の中に生まれてくるものものはおそらく小さな思いだろうが、それを見失わないようにしなくてはいけないと感ずる。
発展に向けて盛り上がっていた近代化が進むその時代のコペンハーゲンに背を向けるように、室内にこもり、夫婦二人の生活空間を描いた。それも、妻の顔は描かず、後姿を描き、表情の表現を避けた。それは安易な解釈を拒んでいるようにも見える。
ドアにノブや蝶番がなかったり、後ろ足のないピアノ、陰の向きなど、見たものをそのまま忠実に表現しているのでは必ずしもなく、非現実的な部分が画面をすっきりさせる効果をもたらしている。
街を描いても、建物は立派に描くものとされていた時代に背くように簡素、あるときは寂しく、人気をなくして描いた。騒々しい世界に関わることを避けたいと気持ちなのか?
このあたりが今の時代に共感できる要素があるのかもしれない。
我々の住む世界は騒々しさに充ちている。音がないと落ち着かないようにもなってきている。静かに生きたいという気持ちは、できるかどうかはわからないが、憧れの向こうにある。
自分だけの小さな世界、この画家は絵がさして売れることもなく生きていけたのだから、豊かな家に生まれたと思う。生まれ育った環境である“小さく静かな豊かさ”を愛し、その中で生きていたと感じる。
この、“小さく静かな豊かさ”はほぼ同時代のパリやNYの街、そしてそこで描かれた絵画とは異なる感覚だ。
そして、番組の中のコメントの中で、“人間はとかく動くものに目が行くようになっていて、動くものを追うことで見失うものがある”というものがあった。
まわりの変化ばかりを追うことが、今の生活の中心だが、自分か周りに対して感じ、自分の中に生まれてくるものものはおそらく小さな思いだろうが、それを見失わないようにしなくてはいけないと感ずる。
2008年11月15日土曜日
“くつがえす”ということ
「(覆された)宝石のやうな朝」は西脇順三郎。
何かを覆して、変化があるということはいいこと。継続も価値であるが、継続・連続・持続に価値を置きすぎるのは良くない。”くつがえす”エネルギーはすごい。
何かを覆して、変化があるということはいいこと。継続も価値であるが、継続・連続・持続に価値を置きすぎるのは良くない。”くつがえす”エネルギーはすごい。
2008年11月9日日曜日
風の歌を聴け
久しぶりに読んでみた。
さりげない会話や状況描写そして空気感は、はじめから村上春樹は村上春樹であったことを感じさせる。
状況説明がないことで入り込みにくかったり、場面の切り替えが早かったり、翻訳小説調であったり、知らない洋楽の名前がたくさん出てくることでなじめなかったりもする。わかりにくいところとわかりやすいところをが同居しているとも言えるし、わかる人だけわかればいいという理解の仕方もあるだろう。また、わからないなりに何かを感じることはできるはずだ。わからないところに何故だ、と言うことでこだわるとつまらなくなる。おそらく、わかるとかわからないということをロジカルなベースでないところで納得するかどうかだろう。
さりげない会話や状況描写そして空気感は、はじめから村上春樹は村上春樹であったことを感じさせる。
状況説明がないことで入り込みにくかったり、場面の切り替えが早かったり、翻訳小説調であったり、知らない洋楽の名前がたくさん出てくることでなじめなかったりもする。わかりにくいところとわかりやすいところをが同居しているとも言えるし、わかる人だけわかればいいという理解の仕方もあるだろう。また、わからないなりに何かを感じることはできるはずだ。わからないところに何故だ、と言うことでこだわるとつまらなくなる。おそらく、わかるとかわからないということをロジカルなベースでないところで納得するかどうかだろう。
大きな物語
「大きな物語が失われた時代」だそうだ。目標喪失の時代といえるかもしれない。
しかし、大きな目標とは何なのか?ひとつのステージが成長しきって成熟すると、そのステージでの目標は確かに失われるかもしれない。しかし、次のステージはないのだろうか?
あるいは、人間が生きる上において、「大きな物語」は不可欠なのか?「小さな物語」では人は生きていけないのか?あるいははそうであってはいけないのか?
「大きな物語」があることは、ある意味その目標に向かって走ればいい、単純で生きやすい、寄りかかればいい、安易な時代とも言えるかもしれない。
個人個人が「小さな物語」を作っていく今の時代の方が、人はクリエイティブに生きられるのかも、生きなければならないのかもしれない。
しかし、大きな目標とは何なのか?ひとつのステージが成長しきって成熟すると、そのステージでの目標は確かに失われるかもしれない。しかし、次のステージはないのだろうか?
あるいは、人間が生きる上において、「大きな物語」は不可欠なのか?「小さな物語」では人は生きていけないのか?あるいははそうであってはいけないのか?
「大きな物語」があることは、ある意味その目標に向かって走ればいい、単純で生きやすい、寄りかかればいい、安易な時代とも言えるかもしれない。
個人個人が「小さな物語」を作っていく今の時代の方が、人はクリエイティブに生きられるのかも、生きなければならないのかもしれない。
2008年11月6日木曜日
六本木らしくないお店
2008年11月2日日曜日
2008年10月30日木曜日
No.48 「シェルブールの雨傘」
30年前の愛川欽也のパックインミュージックで流れていた曲。深夜、この曲の切なさは何ともいえなかった。青春の一曲ともいえる曲。
映画は結構最近になってみた。色とりどりの開いた雨傘のシーンが個人的にはとても印象的な映画だった。
映画は結構最近になってみた。色とりどりの開いた雨傘のシーンが個人的にはとても印象的な映画だった。
No.47 「砂に消えた恋」
<歌詞冒頭>
青い月の光を浴びながら 私は砂の中に
愛の形見をみんなうずめて 泣いたの 一人きりで
あああ、あなたが私にくれた 愛の手紙 恋の日記
それの一つ一つのものが 偽りのプレゼント
(続く)
竹内まりやのベストアルバムを借り、その中の60年代のポップスを聴いて、以前発売されたポップスのアルバムを借りてきてはまったのがこの曲。1964年の曲。イタリアのミーナが歌ってヒットした。
曲もいいけど、歌詞も切ない。
で、ユーチューブで見つけたのが麻丘めぐみが歌う「砂に消えた恋」。これはキュンとします。請け合いです。弘田三枝子の歌は違う気がする。
青い月の光を浴びながら 私は砂の中に
愛の形見をみんなうずめて 泣いたの 一人きりで
あああ、あなたが私にくれた 愛の手紙 恋の日記
それの一つ一つのものが 偽りのプレゼント
(続く)
竹内まりやのベストアルバムを借り、その中の60年代のポップスを聴いて、以前発売されたポップスのアルバムを借りてきてはまったのがこの曲。1964年の曲。イタリアのミーナが歌ってヒットした。
曲もいいけど、歌詞も切ない。
で、ユーチューブで見つけたのが麻丘めぐみが歌う「砂に消えた恋」。これはキュンとします。請け合いです。弘田三枝子の歌は違う気がする。
2008年10月28日火曜日
2008年10月26日日曜日
2008年10月24日金曜日
平原綾香「ノクターン」
緒方拳の遺作となった「風のガーデン」の主題歌。ショパンの「ノクターン」をモチーフに、英語の歌詞をつけて作った曲とのことだが、見事なできである。平原の歌も素晴らしい。11/12発売とのことだが、ずいぶん溜めてのリリースだ。
このドラマは第3回を見ただけだが、緒方拳が収録直後に亡くなったということもあるが、「死の気配」に支配されたドラマのように感じる。映像も素晴らしい。
このドラマは第3回を見ただけだが、緒方拳が収録直後に亡くなったということもあるが、「死の気配」に支配されたドラマのように感じる。映像も素晴らしい。
2008年10月18日土曜日
大事なことはみ~んな猫に教わった
好奇心に富むこと/過去にあんまりこだわらないこと/新しいことをやってみる/本能に従え/はだしで歩け/日当たりのいい場所を全て知っておくべし/挑戦を恐れるな/気が変わってどこが悪いのさ/耳をすませ/夢を見るべし
豚肉ともやしの炊き込みご飯
<材料>(4人分)*米 2合・豚バラ肉(薄切り) 150g/豆もやし 200g/しょうが 1かけ(せん切り)【A】・にんにく(すりおろす) (小)1かけ分/みりん・しょうゆ 各大さじ1/ごま油 小さじ1
【韓国風たれ】・しょうゆ 大さじ2/ごま油・白ごま 各小さじ2/にんにく(すりおろす) 少々/コチュジャン 小さじ1/2~1/塩 少々
<調理法>
豚肉は3cm幅に切り、Aをからめる。豆もやしはひげ根を取る/炊飯器の内釜の底に豚肉を広げて敷き、米を入れて水を2合の目盛りまで注ぐ。塩をふり、しょうがと豆もやしを散らし、普通に炊く。
【韓国風たれ】・しょうゆ 大さじ2/ごま油・白ごま 各小さじ2/にんにく(すりおろす) 少々/コチュジャン 小さじ1/2~1/塩 少々
<調理法>
豚肉は3cm幅に切り、Aをからめる。豆もやしはひげ根を取る/炊飯器の内釜の底に豚肉を広げて敷き、米を入れて水を2合の目盛りまで注ぐ。塩をふり、しょうがと豆もやしを散らし、普通に炊く。
村松友視「アブサン物語」
アブサンは21年生きた。我が家は犬だけど今13才。21年だと思えばまだだいぶあるが、普通は15年ぐらいが寿命なので、あと2年ぐらいしかないことになる。
老いは隠せない。よく寝る。よく横になっている。トイレが近くなった。段差が2段あるとうまく上がれないことがある。上がれなくて情けない鳴き声をあげている。以前より寂しがりやになったように思う。でも、まだ食欲はたっぷりある。気に入らないことにはしっかり吼える。
「21才ですから」がアブサンの主治医のタテオカ先生のセリフ。それぐらいまで頑張って欲しいもの。
老いは隠せない。よく寝る。よく横になっている。トイレが近くなった。段差が2段あるとうまく上がれないことがある。上がれなくて情けない鳴き声をあげている。以前より寂しがりやになったように思う。でも、まだ食欲はたっぷりある。気に入らないことにはしっかり吼える。
「21才ですから」がアブサンの主治医のタテオカ先生のセリフ。それぐらいまで頑張って欲しいもの。
2008年10月14日火曜日
No.35 ウェザー・リポート「birdland」②
1979年(私が会社に入社した年!)リリースのアルバム「8:30」の中の一曲。作曲はジョー・ザヴィヌル。フュージョンの全盛期のアルバム。
ウェザー・リポートはアルトサックスのウェイン・ショーターとピアノのジョー・ザヴィヌルの二人が中心的存在。ドラムス、ベース、パーカッションのメンバー交代は激しい。
「birdland」は、冒頭のエレキギターとシャカシャカというパーカッションによるリズムが「予感」を感じさせる。そして続くブラスの軽快な音。
こういう曲が「グルーブ感」のある曲というのだろう。ブラスが入って派手めのかっこいいサウンドになっている。疾走感、急降下・急上昇を繰り返すジェットコースターのようなサウンド、1979年がもうこういう音楽が受け入れることが出来た時代だったのだと思うと驚きでもある。
ウェザー・リポートはアルトサックスのウェイン・ショーターとピアノのジョー・ザヴィヌルの二人が中心的存在。ドラムス、ベース、パーカッションのメンバー交代は激しい。
「birdland」は、冒頭のエレキギターとシャカシャカというパーカッションによるリズムが「予感」を感じさせる。そして続くブラスの軽快な音。
こういう曲が「グルーブ感」のある曲というのだろう。ブラスが入って派手めのかっこいいサウンドになっている。疾走感、急降下・急上昇を繰り返すジェットコースターのようなサウンド、1979年がもうこういう音楽が受け入れることが出来た時代だったのだと思うと驚きでもある。
2008年10月13日月曜日
No.46 本田美奈子「つばさ」
「アメイジンググレイス」ももちろんいいが、個人的に好きなのは「つばさ」。
亡くなったのは、2005.11.6.もう少しでもう3年になる。
”悲壮感のある声”と言ったのは服部克久。亡くなったからというのでなく、ギリギリのところで歌っていて、すごみがある感じだった。少し幼い可憐な声、アイドルでのスタート、ずいぶんのどを鍛えたのだろうと思う。歌に捧げた人生だった。
亡くなったのは、2005.11.6.もう少しでもう3年になる。
”悲壮感のある声”と言ったのは服部克久。亡くなったからというのでなく、ギリギリのところで歌っていて、すごみがある感じだった。少し幼い可憐な声、アイドルでのスタート、ずいぶんのどを鍛えたのだろうと思う。歌に捧げた人生だった。
三崎「有魚亭」の三色丼
No.45 竹内まりや「不思議なピーチパイ」
ユーチューブでその当時の映像が見れるのは本当に素敵だ。
慶応の学生であの当時留学経験があって、美人で歌手で、コンサバにおしゃれで、・・・・、近くにこんな人がいたらどうすればいいのだろうか?眩しくて手も出ないんでしょうね。
声が低めなのもそれはそれでいいのだ。本格っぽいのかもしれない。
でもあとから聞けば、本人はアイドル路線がいやだったという話。でもあの頃の竹内まりやは眩しくて素敵におしゃれで格好よくて、手が届きそうもない存在でした。
ユーチューブの「不思議なピーチパイ」の竹内まりやにはぞくぞくっとしますよ。保障します。是非ごらんあれ。
慶応の学生であの当時留学経験があって、美人で歌手で、コンサバにおしゃれで、・・・・、近くにこんな人がいたらどうすればいいのだろうか?眩しくて手も出ないんでしょうね。
声が低めなのもそれはそれでいいのだ。本格っぽいのかもしれない。
でもあとから聞けば、本人はアイドル路線がいやだったという話。でもあの頃の竹内まりやは眩しくて素敵におしゃれで格好よくて、手が届きそうもない存在でした。
ユーチューブの「不思議なピーチパイ」の竹内まりやにはぞくぞくっとしますよ。保障します。是非ごらんあれ。
ゴールデンルート
六浦経由逗子、10:30いつものあぶずり食堂で朝定食+アジの干物をいただく。いい朝食。アジはいうまでもなく、卵焼きもひじきも味噌汁もうまい。カサゴの煮付けもよさそうだったなあ。
腹ごしらえを済ませ、葉山森戸海岸、長者ケ崎へ。夕日の長者ケ崎は三浦○景らしい。今日は天気は絶好の上、風もいいので、遠くにウィンドサーファーが多い。そこから海沿いに森戸海岸、渚橋、逗子海岸、滑川、七里ガ浜、江ノ島水族館、その先は鵠沼から柳島まで海沿いの道。この道はいつ走っても気持ちがいい。自転車と歩行者専用道なので、音楽を聴きながら走れるのがいい。でも、音楽を聴くと、寄せる波の音は聞けないから帰りはウォークマンをはずしてゆっくり走る。柳島のいつもお気に入りの平坦な岩場?で休憩して帰り道。9:40スタートで帰宅は3時。72.9K。気持ちのよい秋の快晴の空と海に誘われて結構走りました。心地よい疲労。
そう、長者ケ崎から茅ヶ崎の終点柳島までのルートは僕にとっての海を満喫することができるゴールデンルートなんだ。
腹ごしらえを済ませ、葉山森戸海岸、長者ケ崎へ。夕日の長者ケ崎は三浦○景らしい。今日は天気は絶好の上、風もいいので、遠くにウィンドサーファーが多い。そこから海沿いに森戸海岸、渚橋、逗子海岸、滑川、七里ガ浜、江ノ島水族館、その先は鵠沼から柳島まで海沿いの道。この道はいつ走っても気持ちがいい。自転車と歩行者専用道なので、音楽を聴きながら走れるのがいい。でも、音楽を聴くと、寄せる波の音は聞けないから帰りはウォークマンをはずしてゆっくり走る。柳島のいつもお気に入りの平坦な岩場?で休憩して帰り道。9:40スタートで帰宅は3時。72.9K。気持ちのよい秋の快晴の空と海に誘われて結構走りました。心地よい疲労。
そう、長者ケ崎から茅ヶ崎の終点柳島までのルートは僕にとっての海を満喫することができるゴールデンルートなんだ。
シーカヤックしか行けない場所
2008年10月12日日曜日
岸部シロー「いまさらシロー」
土曜日朝の週刊ブックレビューで紹介されていて、即座にアマゾンで注文。今日の夕方届いた。たいしたものである。
とにかく、切ないなあ、切ないなあ、そして若いおくさんをなくしたはじめての冬はもっと切ない。レストランでバイトして生計を支えた妻。写真が切ない。
”もしこのブログが本になったら、女房の墓を立てたい”うそだろ~、といいたくなる。
とにかく、切ないなあ、切ないなあ、そして若いおくさんをなくしたはじめての冬はもっと切ない。レストランでバイトして生計を支えた妻。写真が切ない。
”もしこのブログが本になったら、女房の墓を立てたい”うそだろ~、といいたくなる。
油壺
往復とも自転車は三崎口駅まで京急で運び、今日は気楽な現地散策。
写真は油壺湾。秘密基地めいているが静かな素晴らしい海。
油壺の名前の由来は三浦氏が北条早雲に攻撃され、死人の血で湾が染められたところから名づけられたとのこと。しかし、そんなことは想像ができない静かな湾。
反対側の砂浜にも下りてみたが、こちらも静かな浜でシーカヤックツアーの人たちの立ち寄り場所になっているようだ。
今日の行程:三崎口駅→油壺→三崎港→城ヶ島公園→三崎口(27.5K)
昼ごはんは三崎港の「有魚亭」で三色丼(づけ、ネギトロ、地魚、この日はかんぱちとだつ)。出てくるのは遅かったけど、づけもネギトロもさすがでした。ちょうど三崎のお店は秋のイベントをしていたので、有名店はどこも長蛇の列。
写真は油壺湾。秘密基地めいているが静かな素晴らしい海。
油壺の名前の由来は三浦氏が北条早雲に攻撃され、死人の血で湾が染められたところから名づけられたとのこと。しかし、そんなことは想像ができない静かな湾。
反対側の砂浜にも下りてみたが、こちらも静かな浜でシーカヤックツアーの人たちの立ち寄り場所になっているようだ。
今日の行程:三崎口駅→油壺→三崎港→城ヶ島公園→三崎口(27.5K)
昼ごはんは三崎港の「有魚亭」で三色丼(づけ、ネギトロ、地魚、この日はかんぱちとだつ)。出てくるのは遅かったけど、づけもネギトロもさすがでした。ちょうど三崎のお店は秋のイベントをしていたので、有名店はどこも長蛇の列。
2008年10月11日土曜日
のうてんきに、のほほんと生きる
緒方拳さんが亡くなった。
このセリフは、NHKのドラマ「帽子」の中で緒方拳が田中裕子に若いときに、励ます意味合いでいった言葉。”ぼちぼち”とはニュワンスが違うか?それより、このドラマでは田中裕子は「胎内被爆」という設定だから言葉が重い。
緒方拳は晩年は宇野重吉の再来を思わせた。若い頃にはなかった諦観あるいは潔さがあり、にも拘らずどこか保たれているコミカルな味わい。本当の意味で惜しい人を亡くした。
最後まで病名を伏せて、最後の最後までドラマで出続けたことも敬服である。
このセリフは、NHKのドラマ「帽子」の中で緒方拳が田中裕子に若いときに、励ます意味合いでいった言葉。”ぼちぼち”とはニュワンスが違うか?それより、このドラマでは田中裕子は「胎内被爆」という設定だから言葉が重い。
緒方拳は晩年は宇野重吉の再来を思わせた。若い頃にはなかった諦観あるいは潔さがあり、にも拘らずどこか保たれているコミカルな味わい。本当の意味で惜しい人を亡くした。
最後まで病名を伏せて、最後の最後までドラマで出続けたことも敬服である。
2008年10月10日金曜日
No.44 竹内まりや「元気を出して」
引き続き、ここのところはまっている竹内まりや。
”人生はあなたが思うほど悪くない、早く元気を出してあの笑顔見せて”
普通のことばだけで作られた詩なのだが、”人生はあなたが思うほど悪くない”という詩は、もしかしたら、いいことよりも良くないことの方が多い人生を勇気づけてくれる。
普通の言葉、素直な言葉、自然な言葉。
”人生はあなたが思うほど悪くない、早く元気を出してあの笑顔見せて”
普通のことばだけで作られた詩なのだが、”人生はあなたが思うほど悪くない”という詩は、もしかしたら、いいことよりも良くないことの方が多い人生を勇気づけてくれる。
普通の言葉、素直な言葉、自然な言葉。
2008年10月9日木曜日
No43.竹内まりや「純愛ラプソディ」
94年5月リリース。この曲は山下達郎としては、まりやのベスト1らしい。
「Souvenir」のラストのオルゴールのような演奏もいいが、「インプレッションズ」で聴く「純愛ラプソディ」は心揺さぶられるものがある。これは何なのだろうか?何度でも聴ける。飽きない。
歌詞、楽曲・・・。
“人をこんなに好きになり、やさしさと強さを知ったわ・・・”というストレートな歌詞にグッと来る部分もあるが、全体的にはそんなに才気が感じられる歌詞ではない。竹内まりやの歌詞は普通な感じがよくて、ここで心揺さぶられているわけではない。
また、全体的にも竹内まりやはアーティストという言い方はふさわしくないように思う。 特別なアーティストという存在ではなくて、気負ったところのない、普通でいたいという感覚。
楽曲がすばらしいのは言うまでもないが、大きいのは編曲かと思う。個人的にはベース。ベースランニングの音が心地よく、低いベースラインが心を押す気がする。
編曲は初期のものは山下達郎の色が強い。シンプルな曲を大きくお化粧してポップスに仕立て上げている。それに比較すると最近の楽曲はまりやらしいシンプルな、まさに“デニム”な手触りの作品が目立つ。
こうやって落ち着いた感じの成熟した大人の竹内まりやだが、ユーチューブで若い頃の歌っている姿を見ると、本当に眩しい存在。
「Souvenir」のラストのオルゴールのような演奏もいいが、「インプレッションズ」で聴く「純愛ラプソディ」は心揺さぶられるものがある。これは何なのだろうか?何度でも聴ける。飽きない。
歌詞、楽曲・・・。
“人をこんなに好きになり、やさしさと強さを知ったわ・・・”というストレートな歌詞にグッと来る部分もあるが、全体的にはそんなに才気が感じられる歌詞ではない。竹内まりやの歌詞は普通な感じがよくて、ここで心揺さぶられているわけではない。
また、全体的にも竹内まりやはアーティストという言い方はふさわしくないように思う。 特別なアーティストという存在ではなくて、気負ったところのない、普通でいたいという感覚。
楽曲がすばらしいのは言うまでもないが、大きいのは編曲かと思う。個人的にはベース。ベースランニングの音が心地よく、低いベースラインが心を押す気がする。
編曲は初期のものは山下達郎の色が強い。シンプルな曲を大きくお化粧してポップスに仕立て上げている。それに比較すると最近の楽曲はまりやらしいシンプルな、まさに“デニム”な手触りの作品が目立つ。
こうやって落ち着いた感じの成熟した大人の竹内まりやだが、ユーチューブで若い頃の歌っている姿を見ると、本当に眩しい存在。
2008年10月8日水曜日
「サックスの基礎」より
「サックスと格闘しない」「音楽的に演奏する」「音に感情を乗せる」
「体の余分な力を抜く」
音色を決める4つの要素」「フィンガリング」「アンブシャー」「タンギング」「ブレスコントロール」
特に、「ブレス」と「フィンガリング」のタイミング
・フィンガリング:「指先から力を抜く」「管を空気が通る前に押されている」「遅れない」
・アンブシャー:「口の周りの肉を鍛える」「ダイナミックな音が欲しければ、ソフトにくわえる」
・ブレスコントロール:「腹式呼吸」「呼吸は口から」「瞬時にたくさん吸う」
リードは強くかみすぎない。ズーズーとノイズが出る。アンブシャーに力を入れすぎない
・高音部:強く噛んで吹くと音がこもる。強く噛むことで音は出やすくなるので、自然と下あごに力が入る。それによりこもる。音質が悪くなる。しゃくって吹かない。
「体の余分な力を抜く」
音色を決める4つの要素」「フィンガリング」「アンブシャー」「タンギング」「ブレスコントロール」
特に、「ブレス」と「フィンガリング」のタイミング
・フィンガリング:「指先から力を抜く」「管を空気が通る前に押されている」「遅れない」
・アンブシャー:「口の周りの肉を鍛える」「ダイナミックな音が欲しければ、ソフトにくわえる」
・ブレスコントロール:「腹式呼吸」「呼吸は口から」「瞬時にたくさん吸う」
リードは強くかみすぎない。ズーズーとノイズが出る。アンブシャーに力を入れすぎない
・高音部:強く噛んで吹くと音がこもる。強く噛むことで音は出やすくなるので、自然と下あごに力が入る。それによりこもる。音質が悪くなる。しゃくって吹かない。
2008年10月4日土曜日
500回目の書き込み
どれくらい続くかなと思ったが、9ヶ月を経過して、500回目の書き込みに到達。よく続いたもの。
タイトル別では、読んだ本(81)、MFS(44)、素敵なもの(40)がベストスリー。次いで、雑感(39)、今週の外食(38)、マイセルフ(37)と続く。その他では、サイクリング(22)、レシピ(19)、アルトサックス(18)。
こうやって感じたこと、思いついたことを書きためていって、あとで見返すと、たぶん自分の考えていること、自分自身を見つめなおすことになるのではないかと思う。特に”マイセルフ”は読み返してみるべきか?
タイトル別では、読んだ本(81)、MFS(44)、素敵なもの(40)がベストスリー。次いで、雑感(39)、今週の外食(38)、マイセルフ(37)と続く。その他では、サイクリング(22)、レシピ(19)、アルトサックス(18)。
こうやって感じたこと、思いついたことを書きためていって、あとで見返すと、たぶん自分の考えていること、自分自身を見つめなおすことになるのではないかと思う。特に”マイセルフ”は読み返してみるべきか?
2008年10月1日水曜日
「日本人が知らない松坂メジャー革命」
熱狂的なレッドソックスファンであり、大学院で日本社会史を勉強し、バーバード大学教授になり、妻は日本人である親日家のアメリカ人が松坂大輔の大リーグ1年目の挑戦をつぶさに記録した本である。
ここで彼が言いたいことのひとつは、“大リーグへの挑戦で大事なことは、大リーグでのプレイスタイルに対するちょっとした適応力”ということである。
1年目の松坂は15勝12敗だった。日本人にとっては物足りない数字だった。しかし、そこに筆者は大変な松坂と周囲の努力があって1年目の結果になったということを伝えたいのだ。野茂が、イチローが、いかにもたやすく1年目から結果を出したように見えるから、松坂ならもっとやれるはずという期待が日本人にはあったと思う。個人的には野茂はフォークボール、イチローは世界でも屈指のバットコントロールという飛び向けたものを持っていた。それと比較すると松坂はちょっと違う。これまで日本で通用していたものを大リーグで通用するようにアジャストすることが必要なタイプのピッチャーだと思う。そこに松坂と周囲の努力があった。
しかし、2年目の松坂はすごい。18勝3敗だ。3つしか負けていない。三振は減ったが、防御率は昨年の4.40から2.90へ飛躍的に向上。それでいて試合数は32試合から29試合とほぼ同じ。しかし一方、投球回数は200回オーバーから167回ほどにグッとダウン。ベンチも含めいろいろ工夫を重ねたことの結果が、今年の素晴らしい成果になったと思われる。1試合あたりの投球回数が少ないのは来年への課題だ。そして、今年の松坂を著者はどのように書いてくれるのだろうか。
おまけだが、岡島の今年もすごい。昨年とほぼ同じ64試合を投げ、失点もほぼ同じ18点で防御率は2.61だ。レッドソックスが上手に日本の二投手を使っていることがわかる。
最後に私より3つ年上の筆者が愛するレッドソックスは、筆者が子供の頃は常勝のヤンキースに対して、万年下位のチームだったそうだ。負け犬をずっと応援し続けなければならないと思っていたのが解放されたのが15歳のとき。この年優勝。私が応援していた阪急もまた万年下位球団だった。歓喜は75年。私が20才のとき。マウンドには山田久志がいた。西宮に一人で見に行ったなあ。今阪急はなく、筆者はうらやましい。
ここで彼が言いたいことのひとつは、“大リーグへの挑戦で大事なことは、大リーグでのプレイスタイルに対するちょっとした適応力”ということである。
1年目の松坂は15勝12敗だった。日本人にとっては物足りない数字だった。しかし、そこに筆者は大変な松坂と周囲の努力があって1年目の結果になったということを伝えたいのだ。野茂が、イチローが、いかにもたやすく1年目から結果を出したように見えるから、松坂ならもっとやれるはずという期待が日本人にはあったと思う。個人的には野茂はフォークボール、イチローは世界でも屈指のバットコントロールという飛び向けたものを持っていた。それと比較すると松坂はちょっと違う。これまで日本で通用していたものを大リーグで通用するようにアジャストすることが必要なタイプのピッチャーだと思う。そこに松坂と周囲の努力があった。
しかし、2年目の松坂はすごい。18勝3敗だ。3つしか負けていない。三振は減ったが、防御率は昨年の4.40から2.90へ飛躍的に向上。それでいて試合数は32試合から29試合とほぼ同じ。しかし一方、投球回数は200回オーバーから167回ほどにグッとダウン。ベンチも含めいろいろ工夫を重ねたことの結果が、今年の素晴らしい成果になったと思われる。1試合あたりの投球回数が少ないのは来年への課題だ。そして、今年の松坂を著者はどのように書いてくれるのだろうか。
おまけだが、岡島の今年もすごい。昨年とほぼ同じ64試合を投げ、失点もほぼ同じ18点で防御率は2.61だ。レッドソックスが上手に日本の二投手を使っていることがわかる。
最後に私より3つ年上の筆者が愛するレッドソックスは、筆者が子供の頃は常勝のヤンキースに対して、万年下位のチームだったそうだ。負け犬をずっと応援し続けなければならないと思っていたのが解放されたのが15歳のとき。この年優勝。私が応援していた阪急もまた万年下位球団だった。歓喜は75年。私が20才のとき。マウンドには山田久志がいた。西宮に一人で見に行ったなあ。今阪急はなく、筆者はうらやましい。
2008年9月29日月曜日
ジュンパ・ラヒリ「見知らぬ場所」
翻訳家の小川高義氏の訳によるところも多いが、冒頭からいつものラヒリの好ましい世界のニオイを充分感じさせる文体だ。
中篇集という体裁だが、全体を通して思うのは縦軸としての「家族・擬似家族」と横軸としての「カルチャー」の中で、様々な事件が起こっていくということだ。
「家族・擬似家族」で扱われるのは、新しい母と娘、子供が独立した夫婦、ルームメイトとその恋人の男性、叔父と家族の同居、週末の子供をおいての夫婦だけの旅行、世話になった家族との同居、娘と父と父の恋人など・・・。両親と子供というある意味“完全な”関係から「欠け」が生じたり、「思わぬこぶのような同居人」が出来たり、ルームメイトという「偶然の同居人」との生活など、「家族」や「擬似家族」「拡大家族」などの現代における様々な家族のカタチが引き起こす問題がここではテーマだ。あくまでカタチが問題なのではなく、カタチのもつ脆弱性が問題を引き起こすのだが。
もうひとつの横軸で扱われるのはアメリカ居住のインド人のインドカルチャーの問題だ。インドからアメリカに移った第1世代は、毎年インドに帰るなどインドとの関係は密である。しかし親を通してインドとつながっていても、一方でわずらわしいとも感じていた第2世代、ほとんど祖国との関係が薄くなり、ほとんど精神的にはアメリカ人である第3世代は、年齢の差とインドカルチャーの“濃度”の二つの意味合いで第1世代と大きなカルチャーの違いが存在する。
これらの縦軸、横軸で構成される人間関係はかなり脆弱なものである。この小説の中でも、大きな契機、小さな契機などさまざまなきっかけ、ちょっとした“食い違い”が破綻を生む。“父の恋人への手紙の発見”“母の写真”“酒”“浮気”“病気”“昔の女友達のこと”・・・、こういった“小さな”契機が“衝動”“爆発”“瓦解”を引き起こす。少し大げさだけど。都市生活における人間関係は脆弱なもので、そこが生き易かったりするわけだが、そこにさらにインドカルチャーの世代による濃度問題が絡まり、心情の表現は絡まりを表現する細やかなものが必要とされ、そこでもラヒリの手腕は見事である。
中篇集という体裁だが、全体を通して思うのは縦軸としての「家族・擬似家族」と横軸としての「カルチャー」の中で、様々な事件が起こっていくということだ。
「家族・擬似家族」で扱われるのは、新しい母と娘、子供が独立した夫婦、ルームメイトとその恋人の男性、叔父と家族の同居、週末の子供をおいての夫婦だけの旅行、世話になった家族との同居、娘と父と父の恋人など・・・。両親と子供というある意味“完全な”関係から「欠け」が生じたり、「思わぬこぶのような同居人」が出来たり、ルームメイトという「偶然の同居人」との生活など、「家族」や「擬似家族」「拡大家族」などの現代における様々な家族のカタチが引き起こす問題がここではテーマだ。あくまでカタチが問題なのではなく、カタチのもつ脆弱性が問題を引き起こすのだが。
もうひとつの横軸で扱われるのはアメリカ居住のインド人のインドカルチャーの問題だ。インドからアメリカに移った第1世代は、毎年インドに帰るなどインドとの関係は密である。しかし親を通してインドとつながっていても、一方でわずらわしいとも感じていた第2世代、ほとんど祖国との関係が薄くなり、ほとんど精神的にはアメリカ人である第3世代は、年齢の差とインドカルチャーの“濃度”の二つの意味合いで第1世代と大きなカルチャーの違いが存在する。
これらの縦軸、横軸で構成される人間関係はかなり脆弱なものである。この小説の中でも、大きな契機、小さな契機などさまざまなきっかけ、ちょっとした“食い違い”が破綻を生む。“父の恋人への手紙の発見”“母の写真”“酒”“浮気”“病気”“昔の女友達のこと”・・・、こういった“小さな”契機が“衝動”“爆発”“瓦解”を引き起こす。少し大げさだけど。都市生活における人間関係は脆弱なもので、そこが生き易かったりするわけだが、そこにさらにインドカルチャーの世代による濃度問題が絡まり、心情の表現は絡まりを表現する細やかなものが必要とされ、そこでもラヒリの手腕は見事である。
2008年9月28日日曜日
月間新記録!
先月を1.4K上回り、、183.6Kで月間新記録。先週の1日でほぼ100Kが貢献。
今日は六浦→山越えして逗子駅→鎌倉下馬→七里ガ浜、ここまでノンストップ→腰越・手広・大船経由で40.2K。2時間40分。途中、七里ガ浜のファーストキッチンでハンバーガーとコーヒー。そのときの写真がこれ。
9月の、そして15:25という時間にもかかわらず、このどんよりした空模様。心地よい海岸でお茶にふさわしい微風、サーフィンにもウィンドにもダメだけど、外でのんびりするにはいい感じ。海と、空と、遠くの陸地の色が同じというはっきりしない天気。これもまた湘南。からっとした夏空だけが湘南じゃない。
雨も降りそうなので、急いで帰路につく。
今日は六浦→山越えして逗子駅→鎌倉下馬→七里ガ浜、ここまでノンストップ→腰越・手広・大船経由で40.2K。2時間40分。途中、七里ガ浜のファーストキッチンでハンバーガーとコーヒー。そのときの写真がこれ。
9月の、そして15:25という時間にもかかわらず、このどんよりした空模様。心地よい海岸でお茶にふさわしい微風、サーフィンにもウィンドにもダメだけど、外でのんびりするにはいい感じ。海と、空と、遠くの陸地の色が同じというはっきりしない天気。これもまた湘南。からっとした夏空だけが湘南じゃない。
雨も降りそうなので、急いで帰路につく。
2008年9月27日土曜日
2008年9月21日日曜日
No42 井上陽水「チエちゃん」「帰れない二人」
名アルバム「氷の世界」、個人的にはこの二曲。
表題作の「氷の世界」のほか、「白い一日」「心もよう」「FUN」「小春おばさん」・・・と、今見ても名作ぞろいのすごい一枚。
「チエちゃん」は大学1年のときの同級生に「ちえちゃん」がいて、明るい、人なつっこい性格で男の子達には人気があった。友人とよくギターで歌った曲。今はどうしているんだろう。先生になったのなら、いい先生になっていると思う。
「帰れない二人」は、“思ったよりも夜露は冷たく”ではじまるせつない名曲。さびのところの“もう夢は急がされている 帰れない二人を残して」という部分が歌うととてもせつなく、ぐっとくる。今歌詞を読んでも心に残っている。
もう一曲「FUN」も好きで、“きまぐれいたずらまちぼうけ”で始まるコミカルな歌詞と曲、これも名曲。
「氷の世界」というアルバムは陽水の二面性が出ているようなアルバムで、僕が好きなのは片面だけだと思う。
表題作の「氷の世界」のほか、「白い一日」「心もよう」「FUN」「小春おばさん」・・・と、今見ても名作ぞろいのすごい一枚。
「チエちゃん」は大学1年のときの同級生に「ちえちゃん」がいて、明るい、人なつっこい性格で男の子達には人気があった。友人とよくギターで歌った曲。今はどうしているんだろう。先生になったのなら、いい先生になっていると思う。
「帰れない二人」は、“思ったよりも夜露は冷たく”ではじまるせつない名曲。さびのところの“もう夢は急がされている 帰れない二人を残して」という部分が歌うととてもせつなく、ぐっとくる。今歌詞を読んでも心に残っている。
もう一曲「FUN」も好きで、“きまぐれいたずらまちぼうけ”で始まるコミカルな歌詞と曲、これも名曲。
「氷の世界」というアルバムは陽水の二面性が出ているようなアルバムで、僕が好きなのは片面だけだと思う。
新記録!
横須賀→野比海岸→剣崎→三崎港→城ヶ島→三浦海岸→横須賀→洋光台で95.7K。記録をつけてからでは新記録。城ヶ島往復は2度目。はじめてのときは往路は相模湾沿いでアップダウンと交通量で疲れ、帰りの東京湾沿いの北上は大変だったが、今回はいつでも折りたたんで電車に乗れるよう準備もしていたこともあり、思いがけず往復してしまった。
とはいえ、膝や腰には違和感はあるし、疲れたし、やはり無理はいけないですね。
昼は、予定していた三浦海岸の「松の鮨」に今ひとつ乗らず、松輪の漁協のお店は台風でお休みということで、とうとう三崎へ。三崎港の寿司屋「紀の代」でお任せをいただく。はじめてメトイカを食べた。マグロ4種もおいしかった。さすがに鉄火巻もおいしかった。
写真は三浦の風力発電用の風車。
野比海岸、宮川湾、城ヶ島大橋、城ヶ島の落雁・・・、いい景色がたくさん楽しめたサイクリングでした。次回は三崎口まで電車で自転車を持ってきて、城ヶ島と油壺を集中して攻めてみようと思います。
あと、久里浜港からフェリーで金谷へ渡り、総武・横須賀線で帰ってくるコースもいつか。
とはいえ、膝や腰には違和感はあるし、疲れたし、やはり無理はいけないですね。
昼は、予定していた三浦海岸の「松の鮨」に今ひとつ乗らず、松輪の漁協のお店は台風でお休みということで、とうとう三崎へ。三崎港の寿司屋「紀の代」でお任せをいただく。はじめてメトイカを食べた。マグロ4種もおいしかった。さすがに鉄火巻もおいしかった。
写真は三浦の風力発電用の風車。
野比海岸、宮川湾、城ヶ島大橋、城ヶ島の落雁・・・、いい景色がたくさん楽しめたサイクリングでした。次回は三崎口まで電車で自転車を持ってきて、城ヶ島と油壺を集中して攻めてみようと思います。
あと、久里浜港からフェリーで金谷へ渡り、総武・横須賀線で帰ってくるコースもいつか。
三浦半島八景「城ヶ島の落雁」
2008年9月20日土曜日
2008年9月18日木曜日
リービ英雄「千々にくだけて」
著者はアメリカ人でありながら日本語で小説を書く。アメリカに戻る途中のバンクーバーで9.11に遭遇し、足止めを食う。それは、アメリカに戻ることを拒否されているようでもある象徴的な出来事だ。
文章は事件のすさまじさにただ呆然と佇んでいるかのように奇妙に静かで、叙事詩のようだ。著者の筆致は怒りというより祈りのようでもある。
中でも象徴的なのは、著者がバンクーバーで足止めを食ったときの機長の”sometimes"で始まる機内アナウンスである。そう、機長はアナウンスで"sometimes"なんていう表現を使うことはないのだ。事務的な表現にこの言葉は似合わない。機長の想いがこの一言に込められている。
そして、もうひとつの印象的なエピソードは、NYでビルが倒壊して、そのあと降ってきた紙の切れ端に記されていた”Please discuss it with Miss Kato at Fuji Bank"という文字。これは本当の話なのだろうか?あまりにも痛い話である。
何よりも不気味なほどの静けさを文章に感じた。
文章は事件のすさまじさにただ呆然と佇んでいるかのように奇妙に静かで、叙事詩のようだ。著者の筆致は怒りというより祈りのようでもある。
中でも象徴的なのは、著者がバンクーバーで足止めを食ったときの機長の”sometimes"で始まる機内アナウンスである。そう、機長はアナウンスで"sometimes"なんていう表現を使うことはないのだ。事務的な表現にこの言葉は似合わない。機長の想いがこの一言に込められている。
そして、もうひとつの印象的なエピソードは、NYでビルが倒壊して、そのあと降ってきた紙の切れ端に記されていた”Please discuss it with Miss Kato at Fuji Bank"という文字。これは本当の話なのだろうか?あまりにも痛い話である。
何よりも不気味なほどの静けさを文章に感じた。
No41.「オリビアを聴きながら」
1978年の曲。杏里のデビュー曲。作曲は尾崎亜美。オリビアはオリビア・ニュートンジョンのこと。最もたくさん歌った&現在形の曲のひとつ。杏里がすごく好きというわけでもなく、とにかくこの曲である。
サビの部分、“出会った頃は こんな日が 来るとは思わずにいた”
2番の、“夜更けの電話 あなたでしょう 話すことなど何もない”
歌っていて、グッと来るのはこの部分。切なくて、歌ってて入り込んでしまう。
別段この曲に思い出とかあるわけではないのだけれど。
ずっと、ずっと大好きな曲。
サビの部分、“出会った頃は こんな日が 来るとは思わずにいた”
2番の、“夜更けの電話 あなたでしょう 話すことなど何もない”
歌っていて、グッと来るのはこの部分。切なくて、歌ってて入り込んでしまう。
別段この曲に思い出とかあるわけではないのだけれど。
ずっと、ずっと大好きな曲。
No.40 沢田研二
ザ・タイガース1967年デビュー。68年リリースの「花の首飾り」「青い鳥」「廃墟の鳩」は当時ギターを弾き初めだったこともあり、よく歌った。個人的には「廃墟の鳩」の加橋かつみノハイトーンボイスが好きだった。
ソロになってからは、71年「君をのせて」、75年「時の過ぎ行くままに」、76年「コバルトの季節の中で」あたりがお気に入りだった。「君をのせて」「時の過ぎ行くままに」はカラオケボックス以前に結構歌っていたように思う。
こうやってみていくと、沢田の派手なキャラは個人的には好みではないはずだが、好きな曲は結構多い。どこか切なく、孤高なところがあるからか?このあたりは田中裕子も似ているか?
現在は少し太ったし、踊りも結構無理があるけど、声は頑張っている。派手さも頑張っている。田中裕子はどんどん枯れた感じになっていっているのに、田中裕子の養分を吸っているかのように”派手”を続けている。きっと田中裕子がスポンサーになって、後押ししているのだと思う。年末のドームコンサートも2部構成で4時間半も頑張るらしい。年をとって枯れていくより、ますますアグレッシブにやるのはいいよね。人生前のめりというより、年がいなく、無理を重ねて・・・・いいんじゃないの。
ソロになってからは、71年「君をのせて」、75年「時の過ぎ行くままに」、76年「コバルトの季節の中で」あたりがお気に入りだった。「君をのせて」「時の過ぎ行くままに」はカラオケボックス以前に結構歌っていたように思う。
こうやってみていくと、沢田の派手なキャラは個人的には好みではないはずだが、好きな曲は結構多い。どこか切なく、孤高なところがあるからか?このあたりは田中裕子も似ているか?
現在は少し太ったし、踊りも結構無理があるけど、声は頑張っている。派手さも頑張っている。田中裕子はどんどん枯れた感じになっていっているのに、田中裕子の養分を吸っているかのように”派手”を続けている。きっと田中裕子がスポンサーになって、後押ししているのだと思う。年末のドームコンサートも2部構成で4時間半も頑張るらしい。年をとって枯れていくより、ますますアグレッシブにやるのはいいよね。人生前のめりというより、年がいなく、無理を重ねて・・・・いいんじゃないの。
2008年9月16日火曜日
2008年9月15日月曜日
大学の4年間
翻訳家の岸本佐知子さんが、「芝生の復讐」のあとがきで、”大学の4年間の記憶は惨憺たるもので、4年間あわせても4日ぐらいにしかならない”と書いているが、私の大学の4年間もそこまでひどくはないが、人様に褒めてもらえるようなこととか、自慢できるようなことは一つもない。行き当たりばったりだったり、時間つぶしだったり、計画的と思えることや努力などということは無縁の生活だったように思う。
さて、4年間の記憶ベスト10だ。
1.塩屋で4年間眺め続けた海
2.たくさんの時間を過ごした喫茶店の数々:二五、とんぼ、さりげなく、木馬、レガース、紅茶文庫、ろくでなし、しあんくれーる・・・・
3.北海道への旅行
4.社会学研究室:信州への合宿、研究室でのバイト、社会学の仲間、夜景
5.神戸大丸でのバイト
6.ドイツ文学:ヘッセ、マン、ゲーテ、リルケ・・・
7.ジャズ
8.107ソングブック
9.本屋:コーベブックス、流水書房、旭屋書店、紀伊国屋書店、京都書院・・・
10.コピーライターという職業の発見
大学4年間で何かをやったという自慢できるものは何ひとつないのだが、今の自分を構成するパーツは概ねこの時期に仕入れられていると思う。
日々は概ね本屋と喫茶店と音楽と海を眺めることで構成されていた。要素はとても少なくシンプルな生活だった。忙しくは全くなく、かといって暇をもてあますことはなかった。海を眺めているだけで、何時間も平気で過ごせた。特に夜は船が沖を通過し、飽きることはなかった。
友達は少なかったけど、寂しいということはなかった。同級生と専攻の先輩、アルバイトバイト先の仲間と適度にいたし、それ以上の友人を欲しいと思うこともなかった。
さて、4年間の記憶ベスト10だ。
1.塩屋で4年間眺め続けた海
2.たくさんの時間を過ごした喫茶店の数々:二五、とんぼ、さりげなく、木馬、レガース、紅茶文庫、ろくでなし、しあんくれーる・・・・
3.北海道への旅行
4.社会学研究室:信州への合宿、研究室でのバイト、社会学の仲間、夜景
5.神戸大丸でのバイト
6.ドイツ文学:ヘッセ、マン、ゲーテ、リルケ・・・
7.ジャズ
8.107ソングブック
9.本屋:コーベブックス、流水書房、旭屋書店、紀伊国屋書店、京都書院・・・
10.コピーライターという職業の発見
大学4年間で何かをやったという自慢できるものは何ひとつないのだが、今の自分を構成するパーツは概ねこの時期に仕入れられていると思う。
日々は概ね本屋と喫茶店と音楽と海を眺めることで構成されていた。要素はとても少なくシンプルな生活だった。忙しくは全くなく、かといって暇をもてあますことはなかった。海を眺めているだけで、何時間も平気で過ごせた。特に夜は船が沖を通過し、飽きることはなかった。
友達は少なかったけど、寂しいということはなかった。同級生と専攻の先輩、アルバイトバイト先の仲間と適度にいたし、それ以上の友人を欲しいと思うこともなかった。
No.39 五番街のマリーへ
五番街へ行ったならば マリーの家へ行き
どんな暮ししているのか 見て来てほしい
五番街は古い街で 昔からの人が
きっと住んでいると思う たずねて欲しい
マリーという娘と 遠い昔に暮らし悲しい思いをさせた
それだけが気がかり
五番街でうわさを聞いて もしも嫁に行って
今がとても幸せなら 寄らずにほしい
五番街へ行ったならば マリーの家へ行き
どんな暮ししているのか 見て来てほしい
五番街で住んだ頃は 長い髪をしてた
かわいマリー今はどうか 知らせてほしい
マリーという娘と 遠い昔に暮らし
悲しい思いをさせた それだけが気がかり
五番街は近いけれど とても遠いところ
悪いけれどそんな思い 察してほしい
NHKのソングスで久しぶりに高橋真梨子の歌を聞いた。
一番歌った歌かもしれない。
高橋真梨子がソングスでは自由に歌っていた。
歌手は自由に歌ってはいけないと思っていたみたいだが、この日は自由に、自由な歌い方の高橋真梨子で新鮮だった。
「どんな暮らししてるのか見て来てほしい」
こんな風に思える女性は何人もいない。
だからこそ、この歌を歌うときによぎるものがある。
MFSのかなりあとになぅたけれど、いまだにヒリヒリする曲である。
どんな暮ししているのか 見て来てほしい
五番街は古い街で 昔からの人が
きっと住んでいると思う たずねて欲しい
マリーという娘と 遠い昔に暮らし悲しい思いをさせた
それだけが気がかり
五番街でうわさを聞いて もしも嫁に行って
今がとても幸せなら 寄らずにほしい
五番街へ行ったならば マリーの家へ行き
どんな暮ししているのか 見て来てほしい
五番街で住んだ頃は 長い髪をしてた
かわいマリー今はどうか 知らせてほしい
マリーという娘と 遠い昔に暮らし
悲しい思いをさせた それだけが気がかり
五番街は近いけれど とても遠いところ
悪いけれどそんな思い 察してほしい
NHKのソングスで久しぶりに高橋真梨子の歌を聞いた。
一番歌った歌かもしれない。
高橋真梨子がソングスでは自由に歌っていた。
歌手は自由に歌ってはいけないと思っていたみたいだが、この日は自由に、自由な歌い方の高橋真梨子で新鮮だった。
「どんな暮らししてるのか見て来てほしい」
こんな風に思える女性は何人もいない。
だからこそ、この歌を歌うときによぎるものがある。
MFSのかなりあとになぅたけれど、いまだにヒリヒリする曲である。
結婚するなら猫好きオトコ
この本をきっかけに世の中の猫ブックスに興味を持って調べてみたら、あるある。「吾輩は猫である」を筆頭に、世の中に猫好きといわれる作家の多いこと、もしかしたら猫好きよりも多いかもしれないのと、医務より猫の方が主人公になりやすいのかもしれない。人間の言うことを聞かず、自由で、気まぐれで、・・・といったあたりは小説向きかもしれない。
さて、この本。なぜ結婚するなら猫好きオトコかといえば、犬好きは命令好きで、猫好きは自由にさせてくれ、そして、まめだったりする。自由好きな女には都合がいいということ?作者の小手鞠るいさんの好み?ともいえるが、まあいいか。猫好きオトコはクール、エレガント、おしゃれ、孤高の一匹狼ということらしい、・・・自分が当てはまるかどうかわからないけど、家では犬を飼ってるが、もしかしたら猫好きなのかも。「時代屋の女房」好きだしなあ。
現在、アマゾンで猫ブックを3冊取り寄せ中だが、なかなか届かず。マイブームが終わっちゃうよ。
さて、この本。なぜ結婚するなら猫好きオトコかといえば、犬好きは命令好きで、猫好きは自由にさせてくれ、そして、まめだったりする。自由好きな女には都合がいいということ?作者の小手鞠るいさんの好み?ともいえるが、まあいいか。猫好きオトコはクール、エレガント、おしゃれ、孤高の一匹狼ということらしい、・・・自分が当てはまるかどうかわからないけど、家では犬を飼ってるが、もしかしたら猫好きなのかも。「時代屋の女房」好きだしなあ。
現在、アマゾンで猫ブックを3冊取り寄せ中だが、なかなか届かず。マイブームが終わっちゃうよ。
最近の注意事項まとめ
トライアルで1回、授業は1回休んでいるので8回経過だが、ずいぶん進歩しているように思う。いい先生に習うということはこういうことなのだなと思う。
最近の注意事項。
「のどの後ろを開放する」「かみすぎない」「16分音符を感じる」「息継ぎは長い音符のあと」
最近の注意事項。
「のどの後ろを開放する」「かみすぎない」「16分音符を感じる」「息継ぎは長い音符のあと」
2008年9月7日日曜日
海に生きる父、浜を守る娘
午前2時に漁から戻る父を迎え、父のとってきた魚を少しでも高く売りさばこうとする小柄な25才の娘。彼女は夕方6時には寝て、午前2時の父の船の帰港に備える。友人とケーキを食べる姿は普通の女の子だが、時差のある生活だからこんなことは月に1回ぐらいしかできない。高校生の頃、働く父の背中を見て、手伝うことを決心したとのこと。3日余りの漁に出かける父に大きなお弁当と眠気覚ましの飴・・・、を渡し、午前2時の出航を励まして、見送る姿は素敵だ。
2008年9月6日土曜日
2008年8月31日日曜日
やっと雨が上がり・・・
今日はいつもに増して自転車が多かった。少し涼しくもなったし、ここの所ずっと雨だったこともあるだろう。
今日のコースは北鎌倉→鎌倉→逗子マリーナ→材木座→辻堂西海岸→腰越→大船経由、50.2K。
入道雲もそろそろ見納め。烏帽子岩、雲間からこぼれる太陽。ところどころ陽が水面をきらめかせる。夏が名残惜しそうなサーファー、今年の夏の最後のバーベキュー、もうこれでしまってしまうひと夏お世話になった水着、解体作業をはじめた海の家、今年は8月後半は商売にならなかったかもしれない。
風がひんやりとしている。皆このあたりで遊んでいる若者は夏の終りだからきれいに日焼けしている。ひと夏サーフィンするとどれくらい上手になれるのだろう?
7月に入ったばかりの週末から付き合い始めた女の子と、今年何度目の海だろう。回数券を買ったほうがいいほど新宿から江ノ島に通い、ずっと二人でサーフィンを練習した。8/31、8月のほんとの最後の日曜は、そこそこいい波があってラッキー。今年の夏の記憶をひとつひとつ想い返しながら波に乗った。
・・・なんて夏を一度過ごしたかったなあ。松下奈緒の曲がいいBGM。写真は逗子マリーナ裏。
今日のコースは北鎌倉→鎌倉→逗子マリーナ→材木座→辻堂西海岸→腰越→大船経由、50.2K。
入道雲もそろそろ見納め。烏帽子岩、雲間からこぼれる太陽。ところどころ陽が水面をきらめかせる。夏が名残惜しそうなサーファー、今年の夏の最後のバーベキュー、もうこれでしまってしまうひと夏お世話になった水着、解体作業をはじめた海の家、今年は8月後半は商売にならなかったかもしれない。
風がひんやりとしている。皆このあたりで遊んでいる若者は夏の終りだからきれいに日焼けしている。ひと夏サーフィンするとどれくらい上手になれるのだろう?
7月に入ったばかりの週末から付き合い始めた女の子と、今年何度目の海だろう。回数券を買ったほうがいいほど新宿から江ノ島に通い、ずっと二人でサーフィンを練習した。8/31、8月のほんとの最後の日曜は、そこそこいい波があってラッキー。今年の夏の記憶をひとつひとつ想い返しながら波に乗った。
・・・なんて夏を一度過ごしたかったなあ。松下奈緒の曲がいいBGM。写真は逗子マリーナ裏。
2008年8月28日木曜日
wednesday
はじめての長いポエジイ。・・・・・では、
柔らかい女性ジャズボーカルが店の隅々まで届く空間
外はてんとう虫柄のテーブルクロスの机
その向こうを午後8時過ぎであることに関係なく、自転車で疾走する男
そして、机の脚もとには、お店の看板猫
交差点は信号が待ちきれない車が、
大桟橋帰りの人たちが、そそくさと通る
樹皮が街灯に照らされて存在感を示す樹齢深い木々
メニューを見ては通り過ぎる男女
何かこのお店のメニューに不満があるのだろうか
選びにくいのか、too muchなのか
曲が変わり、
これから大桟橋に向かう男女
初秋の大桟橋で愛でも語ろうというのか
そんなことは遥か昔、嫉妬と妬みとジェラシー・・・同じことか
まだ、8月だけど、空気と風は、もう夏の匂いを失っている
僕はきっと何かを取り戻したいんだろうと思う
今日一日を何かに捧げてきたから、なくしたものを取り戻したいのだと思う
思うまま食べて、そしてビールを飲んだ、ビールをガラスのボトルからそのまま飲むのはスローライフっぽくていいね
いつものラッキーストライクをふかせ、読み始めたばかりの小説の縦組みの活字に目を滑らせる
外の気配と流れる音楽に包まれた時間
静かな音楽と空調の音
この場所では時間はゆっくり、ゆっくりと流れ行く
僕はこの場所で誰かを待っているのかもしれない
そうでないなら,別れた誰かとの記憶を洗い流すためにここにいたいのかもしれない
右折する車の動きが、美しいと思うことはないだろうか
何かに逆らって動いているようにも思う
こういう時間にはポエジイが書ける
時々交差点を行きすぎる車のヘッドライトが眩しいのだが、
それはそれで心地よかったりする
眠くなってきたし、アルコールも回ってきて、だるく、
もう今日は終りだね
こういう過ごし方をしていると、Wednesdayが好きになりそう
もう書くのはやめようと思っていたけど、
今、目の前を通り過ぎたのは何というタイプの自転車なのだろう。
こんな時間に、寝そべって漕ぐ自転車で走る奴がいる
一日の仕事を終えて、大好きな自転車にまたがっているのか?
この辺は浮世離れした奴が住んでいるんだなと思う
こうやって外で、自分の好きな空間を作って、自分だけの時間が過ごせるのは素敵だ
でも、お客さんが来ないから、帰れないなあ
そうしたら、外に出ていたらしいお店の猫が戻ってきた
「もう、帰る時間だろ、帰んなよ」とでもいうように
黒猫も店の奥から、顔を覗かせていた
柔らかい女性ジャズボーカルが店の隅々まで届く空間
外はてんとう虫柄のテーブルクロスの机
その向こうを午後8時過ぎであることに関係なく、自転車で疾走する男
そして、机の脚もとには、お店の看板猫
交差点は信号が待ちきれない車が、
大桟橋帰りの人たちが、そそくさと通る
樹皮が街灯に照らされて存在感を示す樹齢深い木々
メニューを見ては通り過ぎる男女
何かこのお店のメニューに不満があるのだろうか
選びにくいのか、too muchなのか
曲が変わり、
これから大桟橋に向かう男女
初秋の大桟橋で愛でも語ろうというのか
そんなことは遥か昔、嫉妬と妬みとジェラシー・・・同じことか
まだ、8月だけど、空気と風は、もう夏の匂いを失っている
僕はきっと何かを取り戻したいんだろうと思う
今日一日を何かに捧げてきたから、なくしたものを取り戻したいのだと思う
思うまま食べて、そしてビールを飲んだ、ビールをガラスのボトルからそのまま飲むのはスローライフっぽくていいね
いつものラッキーストライクをふかせ、読み始めたばかりの小説の縦組みの活字に目を滑らせる
外の気配と流れる音楽に包まれた時間
静かな音楽と空調の音
この場所では時間はゆっくり、ゆっくりと流れ行く
僕はこの場所で誰かを待っているのかもしれない
そうでないなら,別れた誰かとの記憶を洗い流すためにここにいたいのかもしれない
右折する車の動きが、美しいと思うことはないだろうか
何かに逆らって動いているようにも思う
こういう時間にはポエジイが書ける
時々交差点を行きすぎる車のヘッドライトが眩しいのだが、
それはそれで心地よかったりする
眠くなってきたし、アルコールも回ってきて、だるく、
もう今日は終りだね
こういう過ごし方をしていると、Wednesdayが好きになりそう
もう書くのはやめようと思っていたけど、
今、目の前を通り過ぎたのは何というタイプの自転車なのだろう。
こんな時間に、寝そべって漕ぐ自転車で走る奴がいる
一日の仕事を終えて、大好きな自転車にまたがっているのか?
この辺は浮世離れした奴が住んでいるんだなと思う
こうやって外で、自分の好きな空間を作って、自分だけの時間が過ごせるのは素敵だ
でも、お客さんが来ないから、帰れないなあ
そうしたら、外に出ていたらしいお店の猫が戻ってきた
「もう、帰る時間だろ、帰んなよ」とでもいうように
黒猫も店の奥から、顔を覗かせていた
2008年8月26日火曜日
加島祥造「老子と暮らす」
老子は私たちに、「もう少し自由に生きたらどうか」と言っている。
■『歩く速度』ということ
海岸沿いの道をゆっくりと自転車で走ることで、空気に溶け込めるのを感じた。
時速でいえば、18Kくらいだろうか?
早く走ると走ることに集中する。だから見逃すことも多くなる。
ゆっくり走ることで、周りの人や、海の音や風の音・・・を感じることができる。
鵠沼から柳島への自転車道、鎌倉から七里ガ浜への広めの歩道などはそういう空気感が感じられる場所だ。
■風を見る
広い緑の稲穂が風に大きく流れ、さらさらと穂同士が摺りあう音が聞こえる。
森全体を揺らす風。
しなやかな竹を大きくゆする風。
そういったとき、風が見えるような気がするね。
・自分の心の中の声に従う
・感情の中にこそ、常識(理性)よりもっと高い知性がある
・僕がひとりでいたがるのは、そうするとトータルになれるから
■『歩く速度』ということ
海岸沿いの道をゆっくりと自転車で走ることで、空気に溶け込めるのを感じた。
時速でいえば、18Kくらいだろうか?
早く走ると走ることに集中する。だから見逃すことも多くなる。
ゆっくり走ることで、周りの人や、海の音や風の音・・・を感じることができる。
鵠沼から柳島への自転車道、鎌倉から七里ガ浜への広めの歩道などはそういう空気感が感じられる場所だ。
■風を見る
広い緑の稲穂が風に大きく流れ、さらさらと穂同士が摺りあう音が聞こえる。
森全体を揺らす風。
しなやかな竹を大きくゆする風。
そういったとき、風が見えるような気がするね。
・自分の心の中の声に従う
・感情の中にこそ、常識(理性)よりもっと高い知性がある
・僕がひとりでいたがるのは、そうするとトータルになれるから
2008年8月25日月曜日
2008年8月24日日曜日
オリンピック⑪浜口京子の銅
女子レスリングの最強といわれる4人の中でも、この人だけはいつも心配させられる。
父親が強く、目立ちすぎるから、いつまでもひとり立ちできてないかのようにも見えがち。
今回も準決勝でフォールで余りにも鮮やかに負けて、3位決定戦に引きずるのではないかと心配だったが、見違えるような試合で銅メダルを獲得した。
本人も試合後に最高の試合でしたということを語っていたけど、本当に最後にいい試合で勝ててよかったよね。こんなやさしい、かわいい人が、よくこんな格闘技のモチベーションを保ち続けられているなと感心する。
父親が強く、目立ちすぎるから、いつまでもひとり立ちできてないかのようにも見えがち。
今回も準決勝でフォールで余りにも鮮やかに負けて、3位決定戦に引きずるのではないかと心配だったが、見違えるような試合で銅メダルを獲得した。
本人も試合後に最高の試合でしたということを語っていたけど、本当に最後にいい試合で勝ててよかったよね。こんなやさしい、かわいい人が、よくこんな格闘技のモチベーションを保ち続けられているなと感心する。
オリンピック⑩伊調千春の銀メダル
前回銀、今回も銀だったけど、素晴らしい銀だった。
結構苦戦続きで準決勝は最後の最後で逆転勝ちだった。
決勝は準決勝で力尽きたのか、いいところなく負けたけど、
表彰台での顔は清々しいものだった。
”メダルの色で差はついたけど、私のレスリング人生は最高だった”
”妹の馨と二人で歩いてきた道は最高の道だった”と言い切っている姿
はやりつくした満足感に充ちていた。
銀メダルで残念という論調もあるが、銀メダルはすごいとまずいってあげなくちゃね。
結構苦戦続きで準決勝は最後の最後で逆転勝ちだった。
決勝は準決勝で力尽きたのか、いいところなく負けたけど、
表彰台での顔は清々しいものだった。
”メダルの色で差はついたけど、私のレスリング人生は最高だった”
”妹の馨と二人で歩いてきた道は最高の道だった”と言い切っている姿
はやりつくした満足感に充ちていた。
銀メダルで残念という論調もあるが、銀メダルはすごいとまずいってあげなくちゃね。
オリンピック⑨男子400mリレー
幸運もあったけど、素晴らしい銅メダル。
朝原は4回も出てるんだから、幸運も1回ぐらいあっていいはず。
現代っ子の塚原はいいムードメーカー。走る前のパフォーマンス、いいじゃないの。負けていたらいろいろ言われていたかもしれないけど、それは日本の体質が問題なだけ。そして若いけど、朝原に心酔しているようにも見える老成した感じもある高平、彼にはまだまだこの先がある。抑え目の末続のレースのコメントはよかった。そして、朝原。本当に有終の美という言葉はこういう場面のために用意されていた言葉だと思う。36才にしてあの走り。素晴らしかった。メダルに結実してよかった。
一回だけオリンピックに出た奥さんの奥野史子さんにやっと追いつけた。
やっと追いつけたんじゃなくて、メダルを取ることが大変な世界で戦っていたんだから、16年もの歳月が必要だったんだと思う。
4人の結束で取れたメダルだろ思うけど、4人が色味の違う4人であることがいいよね。年令も違うし、キャラクターも違う。こういうチームが力を発揮することがいいね。
朝原は4回も出てるんだから、幸運も1回ぐらいあっていいはず。
現代っ子の塚原はいいムードメーカー。走る前のパフォーマンス、いいじゃないの。負けていたらいろいろ言われていたかもしれないけど、それは日本の体質が問題なだけ。そして若いけど、朝原に心酔しているようにも見える老成した感じもある高平、彼にはまだまだこの先がある。抑え目の末続のレースのコメントはよかった。そして、朝原。本当に有終の美という言葉はこういう場面のために用意されていた言葉だと思う。36才にしてあの走り。素晴らしかった。メダルに結実してよかった。
一回だけオリンピックに出た奥さんの奥野史子さんにやっと追いつけた。
やっと追いつけたんじゃなくて、メダルを取ることが大変な世界で戦っていたんだから、16年もの歳月が必要だったんだと思う。
4人の結束で取れたメダルだろ思うけど、4人が色味の違う4人であることがいいよね。年令も違うし、キャラクターも違う。こういうチームが力を発揮することがいいね。
オリンピック⑧心中する相手
星野はダルビッシュと心中すべきではなかったか。
調子のいい選手をとっかえひっかえ使うという采配はオリンピックのような舞台では向かないのではないのかな。
日本のエースはダルビッシュのはず。調子が悪くともダルビッシュと心中して欲しかった。
選手より自分の采配を信じたところに間違いがあったのかもしれない。
調子のいい選手をとっかえひっかえ使うという采配はオリンピックのような舞台では向かないのではないのかな。
日本のエースはダルビッシュのはず。調子が悪くともダルビッシュと心中して欲しかった。
選手より自分の采配を信じたところに間違いがあったのかもしれない。
オリンピック⑦女子サッカーチームの4位
澤を中心としたいいチーム。アメリカやドイツにはかなわなかったけれど、東京オリンピックの男子の銅メダルに次ぐ4位は素晴らしい結果だった。メダルをあげたかった。
澤選手を中心に素晴らしいまとまりのチーム。よく走り、決めるところは決め、よく守り、最後はパワーでやられたけれど、女子のソフトボールと同じく、「チーム」の素晴らしさを見せてくれた。
普段は陽の当たらないところにいるのは女子ソフトボールと同じ。そんなハングリーさと、大舞台に立てる喜びが素晴らしい結果につながったのであろうか?
澤選手は確か10代の頃から長くチームの中心選手として活躍してきている。他の選手も長くやってきている選手が多いと思う。そんな長い間やってきた思いとか、汗とか涙とか友情とか・・・・、たくさんのものがメダルには手が届かなかったけど、素晴らしい結果に結実したのだと思う。
澤選手を中心に素晴らしいまとまりのチーム。よく走り、決めるところは決め、よく守り、最後はパワーでやられたけれど、女子のソフトボールと同じく、「チーム」の素晴らしさを見せてくれた。
普段は陽の当たらないところにいるのは女子ソフトボールと同じ。そんなハングリーさと、大舞台に立てる喜びが素晴らしい結果につながったのであろうか?
澤選手は確か10代の頃から長くチームの中心選手として活躍してきている。他の選手も長くやってきている選手が多いと思う。そんな長い間やってきた思いとか、汗とか涙とか友情とか・・・・、たくさんのものがメダルには手が届かなかったけど、素晴らしい結果に結実したのだと思う。
2008年8月23日土曜日
オリンピック⑥女子ソフトボール
一致団結とか、根性とか、余り好きではないけど、これほどひたむきさが表に出て、結果に結びついたことも余りないだろう。今回のオリンピックの金メダルの中で文句なく最高の金メダルだろう。
投手の上野以外は戦争で言えば、竹やりのような選手が日本は中心。体格的にも全くかないそうもないアメリカ戦でよく勝った。体を投げ出すようなバント、食らいつくような打ち方、アメリカ戦9回の三塁手のツーアウト目のサードライナー、最後のサードゴロ、どちらも見事な守備、ホームランは読みが素晴らしかった。。。。こういうことが結果に結びついてよかった。上野は驚異的。竹やりばかりの日本で、上野は別格。男気のようなものも感じた。ほんとにすごい!26才の上野には次回のオリンピックがないのはかわいそう。何かもっと舞台を作ってあげたい気がする。
投手の上野以外は戦争で言えば、竹やりのような選手が日本は中心。体格的にも全くかないそうもないアメリカ戦でよく勝った。体を投げ出すようなバント、食らいつくような打ち方、アメリカ戦9回の三塁手のツーアウト目のサードライナー、最後のサードゴロ、どちらも見事な守備、ホームランは読みが素晴らしかった。。。。こういうことが結果に結びついてよかった。上野は驚異的。竹やりばかりの日本で、上野は別格。男気のようなものも感じた。ほんとにすごい!26才の上野には次回のオリンピックがないのはかわいそう。何かもっと舞台を作ってあげたい気がする。
加島祥造「伊那谷の老子」②
”六時半になってもまだ空は薄紅色を交えている。涼しいベランダの椅子に座ってお茶を飲みながら見上げている。空はしだいに紫に、紺色になり、すると十三夜の白い月が輪郭を見せはじめた。”
似た体験を昔、函館山の山頂でした。あの時も少なくとも2,3時間はあの場所にいたと思う。昼間から夕方に、そして夜に向かう空と海の色の変化は見事で見入ってしまった。いか釣り船も見えたように思う。たぶんそのあと、函館港から青森にフェリーに渡り、夜行で上野まで帰ったんだろうけれども、忘れられない時間だ。
似た体験を昔、函館山の山頂でした。あの時も少なくとも2,3時間はあの場所にいたと思う。昼間から夕方に、そして夜に向かう空と海の色の変化は見事で見入ってしまった。いか釣り船も見えたように思う。たぶんそのあと、函館港から青森にフェリーに渡り、夜行で上野まで帰ったんだろうけれども、忘れられない時間だ。
加島祥造「伊那谷の老子」①
読むのは2回目。
”ごくゆっくり歩くことで。都会的なせわしない自分から抜け出した自分をみつける”
”「閑」は東洋ではいちばん大事な哲学的・詩的境地のひとつ。「閑」は門に木(横棒)をかけて、その中で自分を世間から取り戻して「自分の時間」の中にいること”
しばらく、加島祥造が紹介する老子の世界に身を置いてみることにする。
”ごくゆっくり歩くことで。都会的なせわしない自分から抜け出した自分をみつける”
”「閑」は東洋ではいちばん大事な哲学的・詩的境地のひとつ。「閑」は門に木(横棒)をかけて、その中で自分を世間から取り戻して「自分の時間」の中にいること”
しばらく、加島祥造が紹介する老子の世界に身を置いてみることにする。
2008年8月21日木曜日
@JACK CAFE
cat under the chair,テーブルはてんとう虫
前脚で顔をぬぐい、
お店の若い女性の撫でる手にいつものように?思い切り甘える。
まだ暑さの残る夕べ
やさしいテンポのジャズが流れる中で、
ここにしかないゆったりした時間が流れる。
僕はビールとアボガドサラダとイタリアンハンバーグの夕食、
そして食後にウィスキーのダブル。
週末金曜のような時間。でもまだ水曜の贅沢な時間。
前脚で顔をぬぐい、
お店の若い女性の撫でる手にいつものように?思い切り甘える。
まだ暑さの残る夕べ
やさしいテンポのジャズが流れる中で、
ここにしかないゆったりした時間が流れる。
僕はビールとアボガドサラダとイタリアンハンバーグの夕食、
そして食後にウィスキーのダブル。
週末金曜のような時間。でもまだ水曜の贅沢な時間。
2008年8月19日火曜日
「インドの衝撃」②
(1)頭脳パワー
とことん突き詰めて、かつ論理的に考える。
論理的に、しかも独創的な思考方法で、かつ美しく。
テクノロジーのあと、マネジメントを学ぶ。
(2)インド経済は本物か?
消費パワー、中間層の拡大、女性の社会進出
ショッピングモール、レトルトカレー、ワイン、マンション、車
最もホットなのは「小売」
モノがヒトを変えつつある、消費中毒、ガンジー精神は消えていないようだが・・・。
(3)政治大国
筋論、強制への強い嫌悪、頑なさ
インドの強さは向上心、人口の多さ、英語、精神性。
冷房の効いた快適なオフィスで働く社員。一歩外に出ると、インドのまだまだ貧しい現実。インドの発展のために貢献したいと思う人たち。こういう気持ちはもはや日本には失われている。
中国13億、インド11億。下流から中流へ這い上がろうとする人たちのエネルギーが国の成長を支えている。まだ、このレベルの国が結構たくさんあることに今更ながら驚く。このエネルギーにはかなわないと思う。
とことん突き詰めて、かつ論理的に考える。
論理的に、しかも独創的な思考方法で、かつ美しく。
テクノロジーのあと、マネジメントを学ぶ。
(2)インド経済は本物か?
消費パワー、中間層の拡大、女性の社会進出
ショッピングモール、レトルトカレー、ワイン、マンション、車
最もホットなのは「小売」
モノがヒトを変えつつある、消費中毒、ガンジー精神は消えていないようだが・・・。
(3)政治大国
筋論、強制への強い嫌悪、頑なさ
インドの強さは向上心、人口の多さ、英語、精神性。
冷房の効いた快適なオフィスで働く社員。一歩外に出ると、インドのまだまだ貧しい現実。インドの発展のために貢献したいと思う人たち。こういう気持ちはもはや日本には失われている。
中国13億、インド11億。下流から中流へ這い上がろうとする人たちのエネルギーが国の成長を支えている。まだ、このレベルの国が結構たくさんあることに今更ながら驚く。このエネルギーにはかなわないと思う。
2008年8月17日日曜日
オリンピック⑤光と影
オリンピックは光もあるが、また影も多い。
柔道の鈴木桂治、マラソンの土佐礼子、男子のサッカー・・・、枚挙のいとまがない。
4年間のつらい訓練の最後に無残なまでの結果が待ち受けることもある。大舞台だからこそ、期待との落差はより大きなものになる。
精一杯やぅても空回りすることもある、さめた気持ちでのぞんで結果が伴わないことははっきりしているが、一途に思いつめているだけに無残だ。
しかし、結果は伴わなくても、積み重ねてきたものが確実にある。それを頼りに次をめざして欲しいもの。
柔道の鈴木桂治、マラソンの土佐礼子、男子のサッカー・・・、枚挙のいとまがない。
4年間のつらい訓練の最後に無残なまでの結果が待ち受けることもある。大舞台だからこそ、期待との落差はより大きなものになる。
精一杯やぅても空回りすることもある、さめた気持ちでのぞんで結果が伴わないことははっきりしているが、一途に思いつめているだけに無残だ。
しかし、結果は伴わなくても、積み重ねてきたものが確実にある。それを頼りに次をめざして欲しいもの。
夏井いつき「子規365日」
この本は子規よりも著者に興味を持って買った本。
同年代で元学校の先生で、地方在住の俳人。ここまでは普通。
しかし、俳句集団「いつき組」組長という肩書き、写真の感じに何か普通にイメージする「俳句」との快い違和感があった。
活躍は全国的に活躍されされているようだし、読みはじめてみると、レイチャールズを聴きながら・・・というような記述も出てくる。人としてのパワーがあり、魅力的な人のように見受けられる。
とりあえず、俳句をかじる入り口にはなったようだ。
同年代で元学校の先生で、地方在住の俳人。ここまでは普通。
しかし、俳句集団「いつき組」組長という肩書き、写真の感じに何か普通にイメージする「俳句」との快い違和感があった。
活躍は全国的に活躍されされているようだし、読みはじめてみると、レイチャールズを聴きながら・・・というような記述も出てくる。人としてのパワーがあり、魅力的な人のように見受けられる。
とりあえず、俳句をかじる入り口にはなったようだ。
「十五少年漂流記」への旅
椎名誠が幼い時感動した「十五少年漂流記」の舞台となる島と探して、パタゴニアとニュージーランドの孤島を旅する。この人の書籍をずいぶん読んだのは20年以上までだと思うが、まだ続けていることに敬服。
”僕が一番ものを考えられる状態になるのは、不自由な生活を強いられるキャンプなどの野営生活のときが多い”といのは判る気がする。きっと普段の生活では雑音が多すぎるのだ。
”僕が一番ものを考えられる状態になるのは、不自由な生活を強いられるキャンプなどの野営生活のときが多い”といのは判る気がする。きっと普段の生活では雑音が多すぎるのだ。
2008年8月16日土曜日
オリンピック④国のため、自分のため
国民の期待、世話してもらった皆のためと思うとプレッシャーになる。
しかし、自分のためにと思えば力にもなる。子供のためが全面に出て勝った柔道選手もいた。
自分にとっての一世一代の勝負だという意識だけでいいのだ。
国民の期待で苦しんだ柔道、男子サッカー、男子バレーはしんどかったろう。野球もそう。オグシオもそうだったろう。
しかし、自分のためにと思えば力にもなる。子供のためが全面に出て勝った柔道選手もいた。
自分にとっての一世一代の勝負だという意識だけでいいのだ。
国民の期待で苦しんだ柔道、男子サッカー、男子バレーはしんどかったろう。野球もそう。オグシオもそうだったろう。
オリンピック②開会式
開会式は誰のためのものなのだろう。国家の士気高揚のためのものなのか?
参加している選手は全く関係かのようにも思えた。
中国がやっているからかもしれないが、エンターテイメントにも見えず、余りにもそうだいで一糸乱れぬアトラクションには興ざめすら感じた。
参加している選手は全く関係かのようにも思えた。
中国がやっているからかもしれないが、エンターテイメントにも見えず、余りにもそうだいで一糸乱れぬアトラクションには興ざめすら感じた。
オリンピック①「ぎらぎら」と「ひょうひょう」
「ぎらぎら」と「ひょうひょう」。
水泳の北島、柔道の石井は邪悪なまでに「ぎらぎら」。特に眼力。 「ひょうひょう」は体操の内村。
女子サッカーは「結束力」。固定メンバーの良さが男子サッカーチームにないものとして感じた。普段は陽が当たらない中で、ずっとこれまで一緒にやってきたメンバーの強さを感じた。
そして全てに共通するのが「集中力」。
水泳の北島、柔道の石井は邪悪なまでに「ぎらぎら」。特に眼力。 「ひょうひょう」は体操の内村。
女子サッカーは「結束力」。固定メンバーの良さが男子サッカーチームにないものとして感じた。普段は陽が当たらない中で、ずっとこれまで一緒にやってきたメンバーの強さを感じた。
そして全てに共通するのが「集中力」。
2008年8月14日木曜日
ライオネル・ファイニンガー
野比海岸
2008年8月10日日曜日
No.38 ZARD「気楽に行こう」
坂井泉水さんの曲で最も好きな曲のひとつ。
今日自転車で走りながら聴いていて気になった。
歌詞は恋愛の曲。そうでよかった。人生を「気楽に行こう」という歌詞でなくて・・・。
もしそうだったら悲しすぎる。
”追いかけたい気持ちにブレーキかけて”・・・誰を想っての歌詞だったんだろう。
”気楽に行こう、今は目の前にある、それぞれの夢を、ひとつずつ積み上げていこう・・・・”
今日自転車で走りながら聴いていて気になった。
歌詞は恋愛の曲。そうでよかった。人生を「気楽に行こう」という歌詞でなくて・・・。
もしそうだったら悲しすぎる。
”追いかけたい気持ちにブレーキかけて”・・・誰を想っての歌詞だったんだろう。
”気楽に行こう、今は目の前にある、それぞれの夢を、ひとつずつ積み上げていこう・・・・”
森戸海岸のOASIS
2008年8月9日土曜日
トーマス・マン「魔の山」
大学生以来で、読みはじめた。
ハンス・カストルプという主人公の名前はよく自分の中に記憶されている。
この本は最後まで読んだと記憶しているが、だから主人公の名前がよく記憶されているのかもしれない。
活字が大きくなって読みやすくなったと知り、また読んでみたくなった。
しかし、巻頭の一文は上下巻おそらく1400ページあるこの小説を読み通すのをためらわせるものである。
いわく、「作者はこの物語を手短かに話し終えるわけには行かない。いちばんいいのは、どれほど地上の時間が経過するか予定を立てないことである。まさか七年とはかかるまい」
いやはや、とんでもない小説である。とんでもない覚悟を求めている。
時間観念が異なる時代の小説を現代読む、現代読んでも掛かる時間は同じなのだが、読み通す意味はどのように考えればいいのだろうか?
ハンス・カストルプという主人公の名前はよく自分の中に記憶されている。
この本は最後まで読んだと記憶しているが、だから主人公の名前がよく記憶されているのかもしれない。
活字が大きくなって読みやすくなったと知り、また読んでみたくなった。
しかし、巻頭の一文は上下巻おそらく1400ページあるこの小説を読み通すのをためらわせるものである。
いわく、「作者はこの物語を手短かに話し終えるわけには行かない。いちばんいいのは、どれほど地上の時間が経過するか予定を立てないことである。まさか七年とはかかるまい」
いやはや、とんでもない小説である。とんでもない覚悟を求めている。
時間観念が異なる時代の小説を現代読む、現代読んでも掛かる時間は同じなのだが、読み通す意味はどのように考えればいいのだろうか?
2008年8月8日金曜日
2008年8月7日木曜日
深夜特急6②
イスタンブールからギリシア、イタリア・・・のヨーロッパは、沢木にとって香港・マカオ・インドで感じた強い刺激に比べて物足りない旅であったかもしれない。そして、マカオのリベンジを狙ったモナコも門前払い。そこから、何かを求めるかのような急ぎの旅の果てに到着したのが、ポルトガルのサグレス。きっとそこへは旅を安楽死させるために来たのだ。
熱を持ったカラダを冷やすにはふさわしい場所と時間が必要だ。
そのあとのパリ、ロンドンは、先進国に完全に復帰するためのリハビリの旅といってもいいかもしれない。
自分自身の北海道からの帰りも夜行を好んだ。時に釧路から二晩連続しての夜行で東京に戻った。たぶん夜行で、旅で覚えた歌を口ずさみ、暗い窓の外にわずかにみえる風景を眺めながら、熱を冷ましていたのだろう。
熱を持ったカラダを冷やすにはふさわしい場所と時間が必要だ。
そのあとのパリ、ロンドンは、先進国に完全に復帰するためのリハビリの旅といってもいいかもしれない。
自分自身の北海道からの帰りも夜行を好んだ。時に釧路から二晩連続しての夜行で東京に戻った。たぶん夜行で、旅で覚えた歌を口ずさみ、暗い窓の外にわずかにみえる風景を眺めながら、熱を冷ましていたのだろう。
深夜特急6
いよいよ最終巻。
イタリアの長靴型の国土の踵の部分に当たる街ブリンディジから、ローマ、フィレンツェ、モナコ、マルセイユ、マドリッド、リスボンを経て、イベリア半島の果ての岬サグレスへ。そのあとはパリ、ロンドン。
ヨーロッパは駆け足だ。街や人との付き合い方も当然先進国スタイルだ。アジアの旅を続けてきた沢木には物足りなかったのかもしれない。ヨーロッパは別の機会に来るべきだったのかもしれない。旅のスタイルが違う気がする。
・ローマの人は着こなし上手。女性は個性的で、特に色使いが垢抜けている。・・・こんな昔の話なのに、すでに”垢抜けている”ローマの女性。
・パリは寒いが寂しくなかった。パリが本当の都会だからだ。・・・これは判る気がする。
・黄金色のサグレスの海を眺め、”ここに来るために旅をしてきた”と感じ、”ここで旅を終えよう”と心に決める。・・・旅の終え方を求めてヨーロッパの最西端まで来たかのようだ。
イタリアの長靴型の国土の踵の部分に当たる街ブリンディジから、ローマ、フィレンツェ、モナコ、マルセイユ、マドリッド、リスボンを経て、イベリア半島の果ての岬サグレスへ。そのあとはパリ、ロンドン。
ヨーロッパは駆け足だ。街や人との付き合い方も当然先進国スタイルだ。アジアの旅を続けてきた沢木には物足りなかったのかもしれない。ヨーロッパは別の機会に来るべきだったのかもしれない。旅のスタイルが違う気がする。
・ローマの人は着こなし上手。女性は個性的で、特に色使いが垢抜けている。・・・こんな昔の話なのに、すでに”垢抜けている”ローマの女性。
・パリは寒いが寂しくなかった。パリが本当の都会だからだ。・・・これは判る気がする。
・黄金色のサグレスの海を眺め、”ここに来るために旅をしてきた”と感じ、”ここで旅を終えよう”と心に決める。・・・旅の終え方を求めてヨーロッパの最西端まで来たかのようだ。
2008年8月6日水曜日
ちょっとだけ、少しだけ見えてきた?
アンブシャーと腹式呼吸が少し理屈ではなく、身についてきたような気がする。
今週末レッスンだがどうですかね。
だんだん小さな音でも吹けるようになったので、夜でもそれほど迷惑ではないかもしれない。
今週末レッスンだがどうですかね。
だんだん小さな音でも吹けるようになったので、夜でもそれほど迷惑ではないかもしれない。
深夜特急5②
”旅の終り”についてもう少し。
旅の辛さと楽しさのネガポジが逆転し始めると帰り時なのだろう。
そこまで、旅でつらい思いをしたことはないのだけれど。
”旅の終り”といえば、北海道のYHで流行っていた曲があった。
”こんなつらい旅なんか、もういやだ、旅を終わろう、汽車に乗ろう”
きっとこの汽車は札幌行きの夜行だったり、函館行きの電車だったりするのだろう。
北海道を回っていたときも札幌に戻ってくると終りを感じた。
ずっと辺地をめぐって、最後に周遊券の期限を気にしながら札幌に仕方なく戻ってくる。
もうあとは帰るだけ。
やっぱり街に帰ってきたときは旅の終着駅なのだ。
79年3月の旅を記す。3/10大沼、3/11札幌、3/12羽幌(寒かった)、3/13豊富(石油のかすが浮いた風呂)、3/14,15浜頓別(ノルディックスキー)、3/16.17紋別、3/18浜小清水、3/19標津、3/20-22釧路。3/23,24札幌、全15泊。確かこのときは早くに風邪を引き、ずっと咳き込んでの旅立ったと記憶している。写真を見てもひどく薄着。
なんか、深夜特急に全く関係ない話になりました。
旅の辛さと楽しさのネガポジが逆転し始めると帰り時なのだろう。
そこまで、旅でつらい思いをしたことはないのだけれど。
”旅の終り”といえば、北海道のYHで流行っていた曲があった。
”こんなつらい旅なんか、もういやだ、旅を終わろう、汽車に乗ろう”
きっとこの汽車は札幌行きの夜行だったり、函館行きの電車だったりするのだろう。
北海道を回っていたときも札幌に戻ってくると終りを感じた。
ずっと辺地をめぐって、最後に周遊券の期限を気にしながら札幌に仕方なく戻ってくる。
もうあとは帰るだけ。
やっぱり街に帰ってきたときは旅の終着駅なのだ。
79年3月の旅を記す。3/10大沼、3/11札幌、3/12羽幌(寒かった)、3/13豊富(石油のかすが浮いた風呂)、3/14,15浜頓別(ノルディックスキー)、3/16.17紋別、3/18浜小清水、3/19標津、3/20-22釧路。3/23,24札幌、全15泊。確かこのときは早くに風邪を引き、ずっと咳き込んでの旅立ったと記憶している。写真を見てもひどく薄着。
なんか、深夜特急に全く関係ない話になりました。
2008年8月5日火曜日
熊野神社前YAMATOYA
オーソドックスなジャズを流す。昼間は珈琲、夜はアルコールを出すオーセンティックな昔ながらの店。バーというよりも喫茶店に印象は近い。
この店に通いはじめてどれくらいになるだろう。まだ10年ぐらいか?
いつまでこの店は持つのか?京大の近くながらこの店で京大生らしき人間を見かけたことはないように思う。
でも、おかげで、私はいつでもこの店でゆったりできる。
この店でジャズを聴いて、本を読んで、煙草を吸い、アルコールをちびちび飲み、一人で気ままな時間を過ごす。
いい時間だ。そんなことをする人はもう京都にさえ、生息しないのか?
横浜の491も店を閉めたという。僕らが生息する場所は確実に減っている。
この店に通いはじめてどれくらいになるだろう。まだ10年ぐらいか?
いつまでこの店は持つのか?京大の近くながらこの店で京大生らしき人間を見かけたことはないように思う。
でも、おかげで、私はいつでもこの店でゆったりできる。
この店でジャズを聴いて、本を読んで、煙草を吸い、アルコールをちびちび飲み、一人で気ままな時間を過ごす。
いい時間だ。そんなことをする人はもう京都にさえ、生息しないのか?
横浜の491も店を閉めたという。僕らが生息する場所は確実に減っている。
六甲2008.8.4
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