2008年12月31日水曜日

1年間書き込んでみて

1/5スタートでどれぐらい続くのだろうかと思っていたが、今時点で615書き込んで、これが616番目の書き込み。最も多かったのは7月で73、少なかったのは9月で25。12月も既に45。1/12には既に「結構、はまってます」と書いている。結構思いの外、書くことが好きなのだろう。過去の記憶、日々気になること、好きな音楽、読んだ本、今年途中から習い始めたアルトサックスのこと・・・・・・・・、人生が結構後半に来たこともあるが、何か書き残したいということもあるのだろう。内心忸怩たることもたくさんあるのだろう。整理をつけずに来たこともたくさんある。
いずれにしても、こういうカタチで自分のこれまでと今の人生のバランスシートをつけるような感覚で記録を残している。そろそろ集約しなければならないのかもしれないが、結構書きすぎて集約するのも億劫なほどになっている。
しかし、感じたこと、過去に感じたことを、こういうカタチで書いてみることは重要だと思う。これからの人生を有意義に過ごすためにも。
今日、まだ書くかもしれないが、とりあえず1年の締めとして。

甲子園への遺言

この本はプロで30年にわたり打撃コーチを務め、最後は高校教師になった高畠導宏の生涯の話である。NHKのテレビドラマの最終回?だけを見て本を購入した。
まずはこんなすごい打撃コーチがいたのだ、という感想であり、その人が50代も半ばから高校教師になり、甲子園を目指そうとしてことへの驚きである。年令が行ってから学校の先生をやってみたいという気持ちになること自体は多くの人にあるかもしれないが、それを5年も掛けて資格を取り、教育実習を経て実際に現職を捨てて教師になり、さらに生徒や周囲の心を掴むまでになるとなると、聞いたこともない話である。それも「伝説の打撃コーチ」を捨ててまでも、である。
記憶に残った部分を書き記す。
・最後はハートの強さで決まる
・指導者は長所を伸ばすのが役目、欠点だけを直そうとしない
・観察の重要性:クセを見抜く・・・観察力とは天性のものか?普通の人間には少なくとも観察のポイントは教えられないと、「観察力」は獲得できない
・それぞれの選手にあった指導法
・コーチにとって重要なことは、選手の内面と技術をいかに尊重するか
・伸びる人の必須の共通点:1)素直、2)好奇心、3)忍耐力・あきらめないこと、4)準備を怠らない、5)几帳面、6)気配り、7)夢を持ち、目標を高く設定できること

2008年12月30日火曜日

森戸神社詣で




今日は冬にしては圧倒的に暖かい。森戸海岸往復、38.29K。腰の状態が良くない中、精一杯か?葉山港湾食堂ではじめて食べる。朝ごはんとも昼ごはんともつかない時間なので、他にお客さんはいない。アジフライ定食+〆サバ。森戸海岸は波は静かで今日は富士山は望めず、まあ、こんな感じの日がこの海岸には似合っているかもしれない。今日はウィンドサーファーもシーカヤックもヨットもボート釣りも海岸散歩もお天気からすると少ない。みんな年末大掃除中だろうか。森戸神社で交通安全の御守を買う。あまりこういうことはしないのだが、森戸神社だからいいだろう。


92.9.29 広州→九龍(香港)

広州からの帰りのチケットが残っている。広州10:15発、9号車の76番という座席。等級1、これは軟坐ということで、席はやわらかいシート。2等は硬坐でこちらの席は板張りということだった。
はじめての広州。海外経験豊かな会社の先輩N氏と後輩のT君との3人旅。そして広州では北京駐在の当社社員と現地社員と合流する。広州が消費社会になり始めたということで、香港のブランチ経由で広州に向かった。飛行機が取れずに結構苦労して電車で行ったが、香港側から川を越えて、長蛇の列を並んで中国側に入ったこと、列車の中での乗務員の女の子との筆談での買物、広州駅に降りて駅前広場に出たときのめまいがするような雑踏・・・今思えばいい経験をした。しかし、駅前にはいったいどれぐらいの人がいたのだろう。学校でも1000人はいたのだから、万単位であるのは間違いない。眩暈がしそうだった。彼らは何をしていたのだろう。しかし、その群衆を見るだけでなく、ホテルに向かうためのタクシーを捕まえるためには、この群衆をかきわけ、白タクを断り、荷物を運んでやろうという男を拒絶し・・・・ひたすら掻き分け、掻き分け行かなければならない。
翌日から広告会社の現地の社員の案内で視聴率調査の仕組みを教えられたり、郊外の家電街にいったり・・・、ここはびっくりであった。最新式のTVが中国の物価から考えるととんでもない値段でおいてある。おいてあるだけでなく、どんどん売れていく。豊富な品揃え、新型中心、お客の多さ・・・、広州の秋葉原のような場所だった。
そして、あちこちで皆ファミコンをしていた。仕事が暇だと一心不乱にやっている。そして1つのカセットにゲームが100とか500とか入っているゲームソフトが売られている。全くもってカオスのようだ。花王のビオレのにせものの「ピオレ」など、いろんなジャンルでフェイクがまかり通っている。
食事の記憶はこれだけだが、広告会社はどの国も同じなのか、現地の広告会社の接待は大変だった。広州は川沿いということで、リバーサイドの店に連れて行かれ、川の虫をたべ、ゲージに入った猫と蛇とどちらがいいかと問われ、仕方なく蛇をチョイスして食べた。何といって野菜がうまかった。紹興酒は乾杯の嵐である。結局果てて、しばらくホテルのロビーで気絶していた。よく物がなくならなかったものだ。
北京のブランチから来ていた女性社員は北京にはないといってCDを買い込んでいた。この頃の広州は、新しい街が作られようとしていた。ビルが建ちはじめていて、建設現場には裸足の男がたくさんいて、高層ビルにも拘らず足場は竹で組まれて、そこを裸足で器用に登っていた。転落して死ぬ人間もたくさんいたのだろうけど、これだけ人口がいれば関係ないかもしれない。
この頃の広告会社の上の方は共産党の人間が多いらしく、彼らは裕福で、車もフォルクスワーゲンに乗っていた。
街で記憶にあるのは百貨店のようなところでバーゲンのようなものをやっていたのだが、その一等賞が軽自動車であったことが記憶に新しい。まだまだ、車と自転車と歩く人が道路に同居しているという感じで、どんどん車が増えている今とはかなり違ったはずだ。

97.4.6 グッゲンハイム美術館

地下鉄に乗ってセントラルパークのエースと再度を北上して、高級住宅街の中にこの一風風変わりな美術館はあった。入場券が残っていた。高級住宅街のアパートは玄関にボーイがいるという感じ。講演の中は物騒だと聞いていたが、住んでみたくなるような素晴らしい場所であった。
美樹館は中央部が大きく吹き抜けになっていて、らせん状になった坂道に沿って作品が並べられていたように思う。一旦エレベーターで最上階まで上がり、下ってきながら見るという形式だった。一般的にも言われているように決して見学しやすいものではないが、コンセプトを実現しているところがすごい。正式にはソロモン・R・グッゲンハイム美術館という。グッゲンハイム財団により、各地にグッゲンハイム美術館は作り続けられているようだ。
表参道のスパイラルビルがその名の通り、一部にらせん状の様式を取り入れている。
グッゲンハイム美術館の帰りに地下鉄の駅のそばのCDショップ(タワーレコード?)で何か買ったように思う。


97.4.5 旧MOMA

まだマンハッタンのど真ん中にあった頃のMOMAにはじめて行った日の入場券。そのあとNYに行ったときはもう移転していた。
NYでの仕事の合間にあわただしく見学。短い時間だったがここは好きなものがたっぷり見学できる場所であった。
このときのNYは寒く、NYにつく前の日に雪は降った。
このときのNY滞在は仕事も結構あったが、ティファニー、ナイキタウン、ソーホー、チャイナタウン、セントラルパークの中のレストラン、オイスターバー、外人のモデレーターに連れて行かれた寿司屋とブルースの店、そしてMOMA、グッゲンハイムの2つの美術館と結構あちこち行っている。宿泊はセントラルパーク前のエセックスハウス。高級すぎて中のレストランでは食べられなかったが。

2008年12月29日月曜日

モクレンのつぼみが・・・

春咲く白のもくれんのつぼみがもう見られた。
今日がポカポカ陽気だったこととは関係ないと思うが、モクレンが咲くのは桜の前とはいえ3月後半、今からこのつぼみを厳寒の1~3月の3ヶ月も保つのであろうか?

今日は忘年会

レッスンをはじめて初の忘年会、@八重洲。
50人以上集まり盛会であった。思いのほかというか、若い人が多く、自己表現ということに飢えているのだろうか?自分を解放できるということなのだろうか?はたまた仲間とのつながりなのか、ストレス発散なのか?純粋に音楽が好きというだけでもないのかもしれない。いや、それでも素晴らしい。

「私は若者が嫌いだ」香山リカ

若者をバッシングする大人は嫌いだ。自分達がつくってきた世代を自己否定もせずに否定することに嫌悪感を感じるからだ。
若者を擁護してきた香山リカが否定する側に回るとはインパクトが大きい。
若者側に君たちはこう育ってきて、そこには大人の側の勘違いあって、間違った育て方をしてきた。申し訳なく思うと同時に、君たちは君たちで育てられてきたプロセスに問題があったことを自己認識して、お願いだから自分の認識やあり方をどうか修正して欲しい・・・・というメッセージを発するべきときなのではないだろうか。
・得体の知れない弱さ/精神的にもろい
・はけ口となるネット
・知識や技能を実生活で応用する力に乏しい
・世の中を柔軟に受け入れることが出来ない
・最高と最低の間がない
・誰かのせいにする
・子供や若者に一方的にサービスしてきたことが誤り
親の問題でもある

86.9.26 ザントフォールト

手元にCasini Zandvoortの86.9.26の名前入りの入場券のようなものが残っている。
ザントフォールトはアムステルダムから電車で30分ほどの北海に面したオランダのリゾートタウンにして、86年までオランダGPが開かれていたサーキットがある街。
このときはアムステルダム出張で、さらに得意先のメンバーと合宿ということでザントフォールトに行った。
チケットの日付にあるように夏が過ぎてハイシーズンが終わったあとのリゾート地の寂しい感じの中で僕たちはひたすら会議・ブレストをしていたように思う。“ベニスに死す”に出てくるリゾートの雰囲気と似ているなと感じたことだけ記憶にある。あとは見たもの食べたもの何一つ記憶にない。不思議なくらいだが。でも、このチケットが残っているということは、カジノには行ったわけだ。何も記憶にはないが。
ザントフォールトも一枚だけ絵葉書が残っている。リゾート地らしい絵柄のもの。
本当に”甦る記憶”という印象だ。

87.8.29 マーストリヒト

新シリーズ。一枚の切符などが残っているあの一日を思い返してみようと思います。
第一回はオランダの一番下=南の端の街、マーストリヒト。
行ったのは87.8.29。アムスからマーストリヒトまでの切符が残っている。片道33.50ギルダー。
土曜はホテルで必死で一日で片付けるべく仕事をして月曜のプレゼンに備え、千載一遇のチャンスの日曜日に片道3時間のマーストリヒトに日帰りで行った。あらかじめ時間を駅に行って調べ、途中では地図と通過する駅名を必死に見て、間違いなく列車がマーストリヒトに向かっているか確認しながらという旅だったので、のんびり車窓を楽しむことはできなかった。
日曜だったので、マーストリヒトに帰る人が多かった。駅に迎えに来ている人がたくさんいたことが記憶に残っている。こういう時、一人旅は寂しい。
マーストリヒトの街はオランダの端っこにあるので、どれだけ田舎の街なんだろうと想像していたが、思いのほか都会で、アムステルダムのような大きなビルはないけれど、街を歩いている人のファッションや街が醸し出す雰囲気的には大きくは違わない気がした。このあたりがヨーロッパの豊かさを感じさせた。しかし、街は古い建物が多く、道は狭く、車での生活は少なくとも市街地ではしにくそうだった。にぎやかな休日に一人でのレストランの昼食は寂しかった想い出がある。何を食べたのか記憶にないが、マース川沿いの町で川魚が有名なようなので、マスなどを食べたのかもしれない。あと、お城と大きな公園があったような・・・。家にはオランダ最古の教会のひとつといわれる教会(多分聖セントファールス教会)の絵葉書が一枚だけ額に入って掛けられてある。
その後91年、突如この小さな街がマーストリヒト条約という国際舞台として名前が出たのには驚いた。先見の明?

2008年12月27日土曜日

宮崎あおいさん

Wあおいでは、蒼井優派だが、この東京メトロのポスターは目に留まった。当たり役の篤姫で一躍国民的スターになった彼女の素顔かしらん。

ドラッカーの名言・至言集

これは、Wダイヤモンドのおまけの特集だが、一冊の本並みの重みがあった。ドラッカーはほとんど読んでいないが、洞察力は素晴らしく、マーケッターやビジネスマンはこういう本で勉強すべきだろう。心に残ったことばを箇条書きにしておく。
・これからの世界を左右する支配的な要因は人口構造の変化である
・機会を放って問題にかかりきりになる問題至上主義は企業が低迷する要因
・金銭という近視眼的な考えが、生活と人生を支配することがあってはならない
・マネジメントするには目標が必要である、社会貢献、自己実現
・知識労働で重要なことは仕事の目的である
・リーダーシップにはいささかの神秘性もない。それは平凡で退屈なものである
・知覚の力により、全体を全体として把握しなければならない
・操作によってではなく、真摯さによってリーダーになる
・明日がどのような種類になるかは組織に働く普通の人たちの知識・洞察・先見・能力にかかっている
・世のためひとのためという目線の高さが成果をあげるには重要
・支出配分の変化こそあらゆる情報の基本である

今週の外食

(水)昼:京橋の松輪のアジフライ、good!、(木)昼:乃木坂の魚真でばらちらし、夜:青山通りで広東麺(金)プルデンシャルタワーのフリッツの厚切りのロースカツ・・・、締めの3日は気合が入りました。

高音部D~Fの演奏

高音部D~Fは、かまない、高音は力を抜く、あごに力が入ると♯する。(重要!!)
空気は下向き
アクセント~終了は、ためて、まとめる感じで(?:次回聞く)
今日でレッスンも6ヶ月経過、順調に進んでいるのかどうか?
まあ、好きでやってるのでいいか。

2008年12月26日金曜日

あえて、飯島愛”ちゃん”か

覚悟の死のような、富士の樹海での死のような、どうして一人っきりで、一週間も発見されないような死に方を選んだのだろうか。そして、クリスマスイブでの発見。どうしても選んだように見えてしまう。
30代半ばではあるけれど、いろんなことを通過してきたから、もういいのよ、と言っている気もする。
もうここらで、と芸能界から今思えば身を引いたようにも思えるし、無理をするのを辞めたようにも思えるし、そんなことはなくて、あてもなく、ちょっと今いる状態は違うなということで、舞台から降りたようにも思えるし・・・・・・・・・・・・、点をいくつ打っても足りないように思えるほど、わからなくて、そして。切ない。
特段贔屓にしていたタレントさんではないけれども、どこか哀愁や諦観のようなものが身辺からあふれ出していたのが今になってみれば感じるところ。
”私はダメだと思えば、いつでも身を引く”というような潔い覚悟が彼女にはあったようにも思うけど、わかっていないことを承知で書くと、もっと自由に、渋谷の高級マンションなんかで孤独に生活するのはやめて、等身大で、本音で、住める環境をつくればよかったのだ。
でも、それが出来ない何かがあったのだと今は思いたいし,それが何なのかということは詮索しないでおきたいと思う。・・・・・・・・・・・合掌!

2008年12月25日木曜日

今日はばらちらし

今日の昼は乃木坂の「魚真」のばらちらし、800円。魚が何種類入っているだろうか、いくらも結構乗っているし、魚でだしをとっている?味噌汁もうまい。帰り道、途中で右折してミッドタウンに抜けてみる。思いの外近い。昨晩芝生に電気を敷いてライトアップしていた場所に行ってみたが、昼間はなんということもない。
帰りは青山一丁目の武蔵でラーメンを食べるつもりで歩いていったが、再開発?でなくなっていて、外苑前と表参道の間にあった麺飯坊で広東麺を食べる。当てもなく入ったけれど結構おいしい。この界隈は再開発が進んでいて、そばの川上庵もバーのラジオも場所が変わっている感じがした。大坊珈琲店がちゃんとあるので安心する。結局表参道まで歩いて結構疲れた。

何と、これが今年600回目の書き込み。月平均50。まあ、たいしたことは書いてなくて備忘録だったりもするのだけれど、1年間感じたこと、考えたこと、読んだ本について、聴いた音楽について、好きな曲について、気になったこと・・・・・・・・・、思いのほか継続できたことが収穫。結構書くことが好きであるということを再認識した。
来年はどうしましょうかね。もう少し深掘りして書くとか、文章を練るとか、厳選するとか・・・・高度化・深化したいけど、余り似合わないし、気負わないでとにかく書き続けることが大事かなと思う。一応書き込んだものについて読み返してみることにはしましょうかね。

松輪のアジフライ

昼に京橋の松輪にアジフライを食べに行きました。
開店15分前の段階で並んでいる人2名。寒かったので、INAXのブックショップで立ち読みをちょっとしてもどったら。+5,6名並んでいて、店の規模がわかっていなかったのであわてて並ぶ。
昼はうわさのアジフライのみ。わずか小鉢がある様子。アジフライはフライに向くというやや小ぶりなものが2匹。身はふわふわでおいしい。フライだけど、おろし大根とわさびで食べるのが合っている。うわさにたがわぬうまさ。自分で釣って絶品だったアジより、少し小ぶりなので、食感はよりふわふわとやさしい味という印象。素朴においしい。中骨に身がついた部分もカラリと揚がっていておいしい。加えて味噌汁もうまい。
12時前には食べ終わり、いつもの銀座のかばん屋をのぞき、山野楽器でアルトサックスのアドリブの教則本を買い、丸の内線で戻ってきました。

2008年12月21日日曜日

ティファニーで朝食を

「読んだ本」の100回目の書き込みということで、読みかけの本の中からこれを読了。窓からバスローブでやってきて、ベッドで子供のように眠り込んでしまう女の子の友達が一人ぐらいいてもいいようには思うけど、「魅了」まではされなかったなあ。
映画と小説は結構違うのを知った。どちらがどうというわけではないけど。

2008年12月20日土曜日

今週の外食

(月)昼:ピエロのハンバーグ定食、夜:鴨川ラーメン、(水)昼:南蛮風鳥のから揚げ(宮崎料理)、(木)夜:山の上ホテルでビール、オードブル、鴨のサラダ、牡蠣フライ・・・その後ワイン、(金)昼:野菜やきそば

2008年12月17日水曜日

フェスティバルホール

最後の”ありがとうコンサート”の案内だ。
僕が高校生のときは関西で一番クラシック音楽をいい音で聞けるホールだったと思う。
大学生のときフランス国立管弦楽団の来日公演のチケットが当たって聴きに行った(確かFM大阪からもらったと思う)。聴いた曲や内容は何も覚えていないが、その事実だけが記憶になっている。大学のN教授夫妻?が来られていて、他の来客と談笑されていた姿が記憶にある。こういう文化人と呼ばれる人たちが集まる場所なんだと妙に感心した。
転勤してこのビルにいた5年間には結局一度も聴きに行くことはなかった。

新朝日ビル地下街

もうこわすのだろう。テナントは地下には残ってない。このビルは昭和35年に第1回建築業協会賞を取った由緒あるビル。オフィス、ホテル、ショッピングゾーン、コンサートホールが一体になった確かにその当時は画期的なビルだったろうと思う。
今はその面影もない。
この地下街ではお茶も飲んだし、歌も歌ったし、小さな本屋だったけどいい本を集めた本屋さんがあった。守衛室には朝晩よく鍵をもらいに行った。

うつぼ公園

大阪で仕事前に散策。時間はお昼休み。お弁当を食べる人たち、散歩してる人たち。結構一人の人が多い。そんなにお金があるわけでなく、孤独で、だけどみんなそれぞれに精一杯頑張っている・・・。そんなことを感じた。
写真に写っているのはヤクルトおばさん。お弁当を食べる人に売ろうと考えているのだろうけれど、積極的に売りに行くわけでもなく、不器用に待ちの商売。
一つ一つぬれた容器をイチゴ柄のタオルで水をぬぐって丁寧に売っている感じだが、そんなに売れないんだろうなあ。陽だまりでお弁当を食べる姿も少しわびしい。

アヴァンギャルドチャイナ

中の島の国立国際美術館で見るつもりだったが、その火が月曜だということをすっかり忘れていた。
この展覧会は現代中国の美術を。鎖国状態から一気にメディアアート作品まで急展開する様を一挙展示したもの。館内も見たかっただけに残念。

バス車内のクリスマスイルミネーション

帰りに横浜市営バスに乗ったら車内の各窓にクリスマスイルミネーションが施されていてびっくり。赤字のバスにこんな無駄遣い・・・という声もあるだろうけど、各窓がしっかり飾られていて見事。イブとクリスマスの日は運転手さんもサンタの衣装を着るとかね・・・。

鉄道廃線跡の旅

この本を読んで自分が廃線跡には余り興味を感じないということがわかった。とはいえ、下津井電鉄の話は懐かしかった。1972年に茶屋町-児島間が廃止。行ったのは中学生の頃だったのだろうか?
著者の「私たちの方こそ捨てられたのではないか」というマニアならではのことばには感服した。
南大東島の砂糖鉄道だけには乗ってみたかった。

京阪電車の快速急行

久しぶりの電車ネタ。
中の島線に乗り入れる快速急行はデザインも一新。せっかくなので行きも帰りも乗るが、「快速急行」なので、ずいぶん停車し、時間はかかるということを実感した。中の島から出町柳まで所要時間は63分である。
椅子は2人席と1人席の横3席という変則。長距離客への配慮と急行ということで乗客の数が多いことを受けての工夫の作品か?今のところすいている。帰りも中の島に戻って乗車したが、座席が満員になったのは本線の天満橋駅だ。定期客などは切り替えも必要だし、混んでくるのはもう少しあとか?

2008年12月16日火曜日

桂大橋西詰

この坂の右手あたりの奥に生まれた頃は住んでいたのだ。表通りの手前右側の石積みだけが当時をしのばせてくれる。
桂離宮の裏塀、右カーブの道路、Kさんの家は古い家の趣を残している。お隣には下駄を作る職人さんが住んでいたように思う。
この場所で覚えているのは伊勢湾台風、国鉄の鉄橋を渡る特急電車、神社の庭に来ていた紙芝居、桂離宮から流れ出る小川でとったざりがに、・・・・、もう50年近く前の話。もう記憶も断片的にしかない。
33系統のバスで約30分掛けて京都駅に戻った。

桂川駅から桂大橋西詰へ


先月新しく開業した桂川駅に行った。駅前は結構立派なロータリーがあり、バス停は3つ、そしてタクシー乗り場。でも、それだけ。コンビにひとつあるわけではない。まだ開業1ヶ月。
タクシーの運転手の話では自衛隊の駐屯地もそのうちなくなるようだ。なくならなければ意味が薄い駅ではある。久世や洛西ニュータウンへの最寄り駅にはなるが。
戻っても友人Sに会うまでまだ時間があるので、タクシーに乗って生まれ育った桂大橋に西詰めまで行く。中村軒で3色団子他買う。このお店のお饅頭は幼稚園の頃の最も贅沢なおやつだったと思う。春の草餅、6月の水無月、おはぎ、3色団子・・・。おかみさんがやり手らしく、HPも充実している。

「乗る旅・読む旅」

「乗る旅」のパートはもう著者が70代になって、なくなる数年前ということもあるのか、行動がまず淡白になり、文章も淡白になったのだろうと感じた。しょうがないか。
編集者に頼った計画と行動は元気なときのこの人には似合わない。熱気とか細部へのこだわりとかが物足りない。仕方がないか。
それに比べると、「読む旅」のパートは面白い。「津軽」、種村さんの本、中村由信さん、「事故の鉄道史」など。ほとんどが短いものだが、さすがの目の付け所という感じだ。

リコーダーにはまっていた

母親に”最近アルトサックスにはまっている”という話をして、いくらか母親の理解のためのやりとりがあり、北村栄治のクラリネットでなくて、曲がっている渡辺貞夫が吹いているヤツというところでは母親は理解した。そこで、母親が言ったのは、
「昔も縦笛をよく吹いていた」
という話。忘れていたけど、確かにそうだ。小学校から中学にかけての頃か?指もよく動いていたかもしれない。”そうか、そんなところでつながっていたとは”と再認識させられた。
はまるべくしてはまっているということか?

「プレイザアルトサックス1」

・リガチャーを比較的下のほうに付けると、抵抗が増し、特に高い音がしっかり出る→家に帰って試してみると、確かにそんな気がする
・高いCより上の音・・・C:o、D:e、E&F:iに変化させ、リードに当たる唇の面積を少なくする(P23)/少し浅めに咥える
・高いE&F:パテントキーを使う
・下の音がひっくり返る人は、アムブシュアをもっとリラックスさせ、なるべく浅く咥えて腹で息を支える
・アクセント(2種類)
・ターン

2008年12月13日土曜日

鈴木亜紀「お尻に火をつけて」

自由な旅がうらやましい。アルゼンチンの歌手リリアナの話は感動的である。
CDで出会ったリリアナ・エレーロの歌を聴くためにニューヨークからさらにアルゼンチンまで12時間、更に北部の街フフイへ。そこから出会いがあり、日本への招聘まで。こういう「突き起こす何か」に出会うこと、そのとき行動に移すことは重要なことだが、なかなか出来ない。鈴木亜紀さんが比較的自由な立場というのはあるけれど・・・。
ここから、アルゼンチンのコンテンポラリー・フォルクローレという新しいアルゼンチンの音楽に触れた。欧州風味の効いた、アルゼンチンのフォルクローレ。洗練されていて、それでいてその国らしさのあるサウンド。ヨーロピアンジャズにも近く、日本でも好まれそうなサウンドである。

矢作俊彦「悲劇週間」

「大きな構想力」とは「大きな妄想」ということかもしれない。それほどこの本はすごい。ヒロインのフエセラのキャラクターづくりは素晴らしい。読ませる力、取材力?、ガッチリした文章、実に見事。
堀口大学が公使の息子として2年間その当時日本にとって親しい国であったメキシコに行っていたという事実、そしてその当時のメキシコ革命前期という時代背景、軟派な文化人でもあった大学、という3点から構想というか、妄想のようなもので練り上げられた見事な物語。いやはや、である。一気に週中に600ページを読んだ。

ミスチル桜井

水曜にSONGSをみた。あとから考えると新しいアルバムが発売された日で少しあざといが・・・。思ったキーワードは「バンド=同時代性」ということ。桜井は30代後半になっても、若さを保ちつつ、大人にも若者にも受け入れられる曲を作り、歌い。すごい。GIFTも、少年も・・・・すごい。また第3期?黄金時代か?

今週の授業

①低い音はやさしく、柔らかく
②62とJマイケルでデーブルキーのつくりが異なる?(来週確認)Jマイケルの方が低音部を弾きやすいのは何故?
③グレードテストがあるとのこと。受けてみるか。
④2冊目までもう少しだ

今週の外食

途中まで危なく外食ゼロになりそうで・・・、(木)夜:横浜駅の勝烈庵にて三元豚のロースカツ定食。普通の勝烈定食でも良かったかもしれない。値段差も知れているから驚くほどの味でもなかった。(金)昼:串揚げ。昼から丁寧な仕事

2008年12月9日火曜日

「チャーリーとの旅」

読みたい本が次から次へと出てくる。ここのところたくさん読んでる。「内こもり」か?
”どこかへ行きたい衝動は中年になると治る”らしい。また”ほとんど全ての人はさすらうことに飢えている”とのこと。”治らないし、飢えている”。私もそうだ。
しかし、旅は楽しいことばかりではない。特に年が行ってからはそうだ。寝心地の悪いベッド、おいしくない食事、悪天候、道に迷う、車の故障、相棒や自分の体の調子などなど、慣れ親しんだぬくぬくした生活から出ていくのだから、許せないこと、我慢できないこともも多い。年いけばなおさら。短気にもなっている。意地悪い見方をすれば、年いった成功した人間が旅する(勘違いの旅)と、それは安楽なフル装備の車をもってしても、乗り越えられないことはたくさん出てくるんだろう。
やはり、旅には、とりわけ長旅には出るべき年令があるのだと思う。何かを得ようとする徹底した態度、我慢、疲労・・・・そういうことが乗り越えられる年令というものはありそうだ。
それでも、年いっても旅にはやはり出たい。何か新しい経験がそこにはあるはずである。
この本でもうひとつ知ったこと。それは「テキサス」。”テキサスはひとつの国家である””テキサスの独自性””カウボーイの伝統””大地の力強さ、実直さ””テキサスはアメリカの秘密”・・・・。テキサスはアメリカそのものなのかもしれない。
さらにもうひとつ。黒人への偏見の克服の難しさを表していることば、「物事に対する感情を変えるのは難しい」。人は哀しい動物なのかもしれない。

2008年12月7日日曜日

相棒

5月にネットで購入した我がアルトサックス。こいつのおかげで新しい世界が拓けたわけだ。
made in chinaの高いものではないが、結構頑張ってくれている。マウスピースは先生の勧めでヤマハのものに取り替えたが、教室で使うヤマハの楽器と比べてむちゃくちゃ悪いと言うことはない。高音が少し吹きにくいとかはあるが、これはヤマハが吹きやすいのかもしれない。
早めにいい楽器=高い楽器に買い換えようと思っていたけど、もう少し頑張ってみようか。

大船観音

「根岸線」ブログのために本郷台周辺チェック→飯島→笠間大橋→大船駅→帰路で、25.03K。
かんのんさまはやはりびっくりする大きさだったが、優しいお顔でした。

宮脇俊三「時刻表昭和史」

戦時中19年の九州旅行。戦後すぐの20年秋にはもう東北旅行。すごいのひとこと。
終戦の8月15日も天皇の放送は米坂線の駅で父と聞いている。放送のあとも何事もなかったようにというか、走り続けることは誰も止めていないというか、列車は走り続けていた。
時刻表の話、鉄道の話を通じて歴史はこれほどまでもいきいきと語ることが出来るのだ。

2008年12月6日土曜日

今日の授業

①ベンドの使い方:使いすぎない、使いすぎると下品?、抑制して計算して使う
②Cより下の低音部の指使い:ローラーの使い方をマスターする。ひたすら練習か。
③false fingering:上のA→左手Aの指、右手3指追加で同じ音が半音程度上がり、変化が出る

今週の外食

(月)昼:麹町まで昼に散歩して、和定食(鳥の唐揚げ、サバのみそ煮他)、(木)夜;赤坂イングリッシュパブ、ソーセージ、チキン、フライドポテトなど、(金)昼:中華野菜炒め定食、上品であっさり、いつも混んでいてはじめて入れた店、夜:ブリしゃぶ、おさしみ(きんめ、たい、まぐろ、ぶり、いか)、たらの白子・・・・@恵比寿、絶品でした→ワインバーへ

快晴の土曜の朝

昨夜は1時過ぎまで飲んでいたにもかかわらず、8時前には目覚め、二度寝は出来ないようなので起きた。家族がまだ起きてこない中、木曜の「風のガーデン」の録画を見て、週刊ブックレビューを見て、いい休日の朝が始まった。「風のガーデン」は涙も出てくるし、一人で見たい作品。コーヒーはインスタントにしたが、充実した朝にはインスタントでも何の問題もない。週刊ブックレビューは川上弘美さんの新作が面白そう。本屋で覗いてみるかな。

2008年12月2日火曜日

「旅する力」沢木耕太郎

”私もこんな旅がしたかった”
「深夜特急」を読んだ読者の多くはこういう感想だろう。
”ローマまで来るのに7年掛かりました”
という若い歯科医の話は普通の人の限界を示している。
一方、”旅には適齢期がある”ということも間違いなくそうであろう。
沢木耕太郎本人でさえ、「深夜特急」の旅は今の年令では出来まい。
しかし、”旅は行くことが目的なのではない””大事なのは行く過程で何を感じるかである”ということはある程度年令には関係ないことだと思う。
”旅は旅する人が自分で作るもの”である。
このことばはいつまでも肝に銘じておきたい。
”旅を生きる”そうありたい。若い頃の北海道もそういう気持ちで旅していた。

2008年12月1日月曜日

弁慶橋から麹町界隈へ

昼休みに会社から弁慶橋を渡り、ニューオータニの脇の紀尾井町通りから清水谷坂を上り、諏訪坂から麹町大通り(新宿通り)へ。戻って紀尾井坂を上ってニューオータニの中を抜けて3Kくらいは歩いただろうか。ポカポカ陽気で汗をかいた。
ニューオータニの正面玄関に向かう紀尾井坂のいちょうは今が見ごろ、というより最後。いちょうの落ち葉の分だけ、クッションが効いていて歩きやすい。
写真はニューオータニに至る紀尾井坂の銀杏並木。

2008年11月30日日曜日

サイフィン日和

腰越経由柳島往復、52.7K。腰の調子はイマイチ。冬は近いが今日の辻堂西海岸はポカポカ陽気で波もまずまず、富士山もよく見えてサーフィン日和。
写真は江ノ島近くの江ノ島最中のお店の前から。電車の上に富士山があるのだが、電車の周りの露出が暗いので飛んでいる。残念。

2008年11月29日土曜日

父、宮脇俊三への旅

長女灯子さんが書いた父の思い出である。うまい文章ではない。普通の言い回し、凝ったところのないちゃんとした文章。丁寧なお礼状のような、良くも悪くも。
これだけ乗るために家を空けている宮脇俊三という人は家ではどういう夫であり、父だったのかを知りたいために求めた本であるが、そういう意味では娘から見た父は全く普通の父である。妻の目からはどうだろうか?しかし、妻が娘を見捨てている風はない。そうであれば娘の文章にその不満は表れるはずである。幸せそうな家族、父親への娘の愛情が感じられる本である。
この本で知ったのは戒名は自分でつけてもいいということ。名前から1字、性格を示す文字を1字入れることがルール。宮脇俊三さんはそういうことで、「鉄道院俊妙居士」とのこと。

草食系男子「お嬢マン」が日本を変える

イエ→外→新イエ/ムラ→個→新ムラ:らせん型回帰
かっこいいより、男子も“かわいい”へ
<家族環境>
両親の“アイドル”、親も“男女平等”、シラケ世代の親、箱入り息子、家が好き
<社会環境>
バブルを知らない、先行き不安
<コミュニケーション>
ネット・携帯、親と仲良し、反抗期なし?、ゆるいつながり
<恋愛>
気持ちを伝えない、男子が本気にならない、恋愛は疲れる
<消費>
手堅いが気分型消費、合理主義

2008年11月28日金曜日

今週の外食

(火)昼:えび、卵、ほうれん草の炒め物@神宮前、(木)昼:そば、夜:半チャーシューメン@神座

2008年11月27日木曜日

ハンマースホイ展

フェルメール展に向かう人に比べて圧倒的に西洋美術館に向かう人は少ない。こういう絵を混雑した中で見るのはいやなのでうれしい。 事前に日曜美術館で見ていたのでびっくり!はない。
「静かな詩情」というサブタイトルがついているが、単にそういうことではないと感じた。不思議さとか、奇妙さ(これは1枚の絵の中に2つの視点があるとか、影の向きが異なるとかいうことから感じるのかもしれない)とか、ある種のアブノーマルさや狂気などを感じる。これはテレビでは感じ得ないことで、やはり見に来ないとダメだ。
ハンマースホイはかなり限られた空間の中で生活して絵を描いている。“私は常にこの部屋のような美を思っていて・・・」とハンマースホイは言う。しかし、そもそもこの生活を愛していたのだろうかということさえ考えてしまう。
「後姿」「省略」(道を頻繁に走っているはずの車、ピアノの脚、ドアの金具の取ってなど)「人気のなさ」「笑顔のなさ」「静寂」「会話のなさ」「拡大した部分」「無音」「物音がしない空間」「大きめのキャンバスから切り取って出来ている完成部分」(この部分は絵の説明にあった)「生活感のなさ」・・・・。
これらは鑑賞して感じたキーワードだが、ここには自分の世界を作り上げるために「はぶく」という作業が全体的になされているように思う。
リルケがハンマースホイとつながっていた。さもありなんか。
最後に、「大きめのキャンバスから切り取って出来ている完成部分」と書いたが、望遠鏡で覗くような距離感という説明があったが、自分の写真の撮り方に通じる。何か対象に対する態度で共通する部分があるのだろうか。

2008年11月26日水曜日

朝9時半神宮外苑いちょう並木

朝、快晴だったので朝からみちくさで、新橋から銀座線に乗り青山一丁目下車。
はじめは246をはさんで絵葉書的ないちょう並木と撮影していたのだけれど、246を渡ってアングルを探していたら、こんなガウディのサグラダファミリアのような構図を見つけて撮影。
明日は天気は良くないみたいだが、いちょう並木はもう少し持ちそうなので、もう一度撮影に来たいところ。



2008年11月25日火曜日

時刻表2万キロ②

久しぶりに熱中して読み終えた。いやあ、久々すごい。何とも勤勉、何とも元気。日没後はNGという厳しいルールを誰も強制しないのに設定してやり遂げた。
確か私も1万キロ以上は乗っている。でも、乗りつぶしはありえない。できないし、やらない。しかしすごい。
”始末する””消化する””処理する”退治する”・・・乗りつぶすことを著者はいろいろな表現を用いている。ユーモアがあるというべきか、言葉どおりと見るべきか?
文章はユーモアがあり、観察と知性があり素晴らしい。ただの鉄道ファンではない。おぬし只者ではないな。
一度だけ出てくる奥様の「また行くの」という言葉が重い。
しかし昭和55年の国鉄路線図と今を比べると切ない。特に北海道と筑豊地区。
もう一度味読するか。

上のEの音

自分のmade in chinaのアルトサックスでは上のEの音が出しにくいのかと思い、試すために午後山野楽器へ行き、部屋と楽器を借りて試したが、やはり難しいということがわかった。楽器のせいではないということがわかったということが大切で、精進すべしということ。

「橋の下」

本日のみちくさパート2。赤坂のジャズの店。昼間はジャズ喫茶のようである。ピアノはあるが店のつくり(机や椅子など)はそっけないが、食べ物は結構あるし、朝8時から朝5時まで開いているというとんでもない店。但しコーヒーはお世辞にもおいしいとはいえない。

原宿心療内科

神宮外苑のいちょう並木を見たあと、原宿方面へ。以前にもこの医院の前を通って感じたことだけど、原宿で働いている人はファッション系や美容師など「才能」が成功を左右する職業が多く、しかし収入は決して多くなく、心療内科を必要とする人がかなり多いのではないかと思っていた。費用の高い心療内科にかかる収入があるかは別だけど。そこで原宿の心療内科の先生(やはり場所柄若めの女性の先生でしょうか?)を主人公に、クリエイティブな仕事を目指す人たちの心の悩みをベースにおいた小説が書けないものかしらんと思う次第です。ミステリーなのか、はたまた心の悩みがあるということで、不思議系の話なのか、何も考えてはいませんが・・・。

神宮外苑いちょう並木

今日は午前も午後も結構ヒマ、それでいて天気はとびっきりの快晴、神宮外苑のいちょう並木はそろそろ見頃ということで、それは当然行くでしょう。11時前には会社を出て、徒歩でいちょう並木まで。歩いていると今日はうっすら汗をかくぐらいの陽気。ちょっと早いかなと思っていたが、見事ないちょうの色づき。見物客も結構たくさん。いいカメラを持ってこなかったのが残念。携帯のカメラでまあとりあえず撮影する。さらにキラー通りを経て、昼は神宮前のいつもの定食屋。さらに原宿駅前のオシュマンズに立ち寄って、地下鉄で帰ってくる。気持ちのよい散歩でした。

2008年11月24日月曜日

時刻表2万キロ

宮脇俊三さんの歴史的な名著である。
実は今は読み始めたばかりであるが、このワクワク感は残しておくべきだろう。
”鉄道の「時刻表にも愛読者がいる”という文章から始まる本の冒頭のはじめは考えもしなかった2万キロ全線走破が次第に目標になっていくくだりにはワクワクする。
この人のこの本が後にJRの2万キロ走破キャンペーンになったり、目指す人がずいぶんいたり、社会的な話題になった。わずかな線を走破するために週末の休みを使う。自前の費用を掛けるのだ。酔狂としかいいようがない。なるべく効率的にまわるために考えつくす。これがまた楽しいのはよくわかる。
北陸からスタートしたが、読み進めるのが楽しみである。

2008年11月23日日曜日

アンドリューワイエス展

1974年に京都で見て以来久しぶりのアンドリューワイス。
東京に来て、西武美術館で美術に目覚める以前、唯一感動した絵、それがこの「海からの風」。残念ながら今回の展覧会には出品されていなかった。
窓から入る心地よい風を本当に感じるかのようなリアリティのある絵で、それは繊細な描き方にもよるのだろうが、本当にこの窓からの風の心地よさを知っている人が書いた絵だから感じられるものなのだろう。
全体的には画風は繊細だが、アメリカの大地の強さや堅実さを感じるのがワイエスの絵である。
流れていたビデオではワイエスは”想像力が刺激されたときは動かなくてはならない、91歳の今でも”というような発言があった。
それほど、想像力が刺激されるということは貴重なことであり、大切にして、刺激された声のほうへ向かうことが必要なのだと思う。
朝霞の丸沼芸術の森にワイエスの絵が結構あるようだ。

鈴木雅明展

この写真ではちょっとわかりにくいが、昔堺正章の歌に”街の灯り”というのがあった。
鈴木のこの作品は公園の街路灯の下で佇む青いコートを着た女性が描かれている。
他の作品も街路灯に照らされた人気のない通りや立てかけられたサーフボード、店の明かりが外に伸び、店の外の階段に腰を掛けている男性など、いずれもあかりが絵の中にある。
@文化村、まだ大学院生とのことだが、それなりの値段が絵にはついていて、スタイルも独特のものがある。近くで見るよりも少し離れてみる方がいい感じである。そういう効果を狙っているのだろうか?

2008年11月22日土曜日

天使の羽根掛け

11/20の「風のガーデン」の中でのガクくんのことば。
羽根掛けに天使の羽根が掛かっている素敵な感じが目に浮かびました。
天使は休息しているのでしょうか、お茶を飲んでいるのでしょうか?
天使が天使の休息を取っているときはどういう様子なのでしょうか?
「天使の羽根掛け」に反応した人のぶろぐからっ拾ったことば。これも素敵です。
”きっとこのエピソードに感じ入った人の数だけ羽根掛けの形はあるんだと思う” (「トカトントン」より)
ね、素敵でしょ。

森戸海岸からの富士山

富士山、冠雪、青い海と空、ヨット、岩場、森戸海岸から眺める富士山としては完璧なまでのパーツの揃い方でした。こんなことはめったにありません。

七里ガ浜のフリマ

釜利谷→森戸→長者ケ崎→逗子海岸→材木座→腰越。約50K。メーターの調子が悪く測定できず。
9時スタートで2時帰着。朝昼兼用は葉山あぶずり食堂にて、さわらの煮付け定食。
フリマで携帯ストラップとバッチを買う。
富士山がきれい。80%ぐらいの出来。逗子海岸、長者ケ崎、森戸海岸で撮影。稲村ヶ崎についた頃には頂上付近は雲に覆われていた。
腰の調子は今ひとつだが気持ちいいサイクリングだった。

BENDとSCOOP

BENDが総称。フィンガリングはそのままであごで音を曲げる。
BEND(U)はタンギングなしで打ち直す。あごで音程を曲げて、リズムを打ち出す。あごでは限界がある、のどを使う。
SCOOP(ナイキのスウォッシュのようなマーク)はしゃくりあげる。フィンガリングがその音になった瞬間にあごが落ちる。音量はそのまま一定。
いずれにしても「あごの柔軟性」がポイントらしい。あごの力は抜くこと。
いやあ、ジャズらしくなってきました。

「おそろし」宮部みゆき

サブタイトルは三島屋変調百物語事始とある。
江戸時代のこういった怖い話はエンターテイメントだったのだろうか?あるいは許されない愛、、殺人・・・など人の道に外れたことをすると怖い目に合うという話で、戒めて秩序を守るということが根底の目的としてあったのだろうか。
現代の私はエンターテイメントとして読みたいが、でも怖い。

何だろう?

昼に赤坂青野に赤坂もちを求めに行く。
その途中の赤坂通りで見かけた光景。場所はビルの壁。いたずらではなく、持ち主の意思。
地元赤坂についての記述と絵。2.26事件に始まり、昔はお屋敷町でから始まり、バブルで街の景色が変わり、そして、昔は子供を叱っていたと言うような絵柄と色調にも拘らずの懐古トーン。こんなものを描いても怒られないのは穏健な住宅地とは違うところ。楳図かずおもこういうところに家を建てるべきだったのだろうが、住宅地に立てたところが立派。こういう場所でしかこういう個性的?とっぴなことができないところが日本のつまんないところ。お昼は六本木のいつもの男の台所でコロッケ定食。魚ものの定食以上にヘビーでした。

なぜ、資本主義は暴走するのか

久々に経済書。
90年代末までに「市場」は事実上の支配者となった。
そして「株主価値」という言葉が全てを支配することになった。
企業は本来は長い時間をかけて企業価値を高めていくべき存在であるが、今や目先の『株価』のみが目標になってしまった。すべては『株価』のために、である。企業は四半期ごとの利益ありきになり、利益は年々増えていくのが当然と考えられ、そこには当然のように無理が生じてくる。
『株価』至上主義は会計の偽装・利益操作を産む温床になり、企業・事業の買収・売却を進め、ストックオプション制度を肥大化やCEOのすさまじいまでの高い報酬というように、矛盾を膨張させ、様々な問題やひずみを生み出した。
規制緩和もそのためのものだったともいえる。インターネットバブルも背景としては大きい。
そして、ここには反対できない言葉が背後に存在する。それは、「自由な市場」「自己責任」「株主価値」「規制緩和」「利益は拡大するもの」。それぞれにわかには反対できない言葉である。そこに落とし穴があるということだろうか。
401Kは「市場」を活性化させることが目的のインチキな政策ではなかったか?自己責任という言葉のもとで、庶民の年金は失われた。責任は誰にあるというのだろうか?「市場」に魂を売り渡してはいけない。何のための「市場」なのか考えるべきである。人間は暴走するもの。多様な利害の折り合いをつけていく知恵が重要なのだ。
エンロン事件と9.11はほぼ同時期に起こったアメリカへの大きなしっぺ返しともいえる。ハインリッヒの法則でいえば、ひとつの大事故の背後には300の小さな兆しがあるという。多くの小さな兆しを見逃してきた結果なのだろう。

今週の外食

(火)昼:生姜焼き定食@松阪、(木)昼:野菜天ぷらそば、夜:春菊そば、この日はそばの一日、(金)昼:コロッケ定食(牛肉&クリーム)、特筆なし、六本木の定食屋は既に三度目

2008年11月17日月曜日

秋の平日

腰の様子があまりよくなく休んだ平日。
少し散歩をして秋の気配を感じる。
ボーッとしている間にすっかり秋。

2008年11月16日日曜日

ハンマースホイ

なかなか見に行けないのだが、日曜美術館で長い時間紹介された。1900年頃作品を残したデンマーク、コペンハーゲンの画家。シベリウスを思わせる静けさや“浄化”、澄み切った透明感を感じさせる。
発展に向けて盛り上がっていた近代化が進むその時代のコペンハーゲンに背を向けるように、室内にこもり、夫婦二人の生活空間を描いた。それも、妻の顔は描かず、後姿を描き、表情の表現を避けた。それは安易な解釈を拒んでいるようにも見える。
ドアにノブや蝶番がなかったり、後ろ足のないピアノ、陰の向きなど、見たものをそのまま忠実に表現しているのでは必ずしもなく、非現実的な部分が画面をすっきりさせる効果をもたらしている。
街を描いても、建物は立派に描くものとされていた時代に背くように簡素、あるときは寂しく、人気をなくして描いた。騒々しい世界に関わることを避けたいと気持ちなのか?
このあたりが今の時代に共感できる要素があるのかもしれない。
我々の住む世界は騒々しさに充ちている。音がないと落ち着かないようにもなってきている。静かに生きたいという気持ちは、できるかどうかはわからないが、憧れの向こうにある。
自分だけの小さな世界、この画家は絵がさして売れることもなく生きていけたのだから、豊かな家に生まれたと思う。生まれ育った環境である“小さく静かな豊かさ”を愛し、その中で生きていたと感じる。
この、“小さく静かな豊かさ”はほぼ同時代のパリやNYの街、そしてそこで描かれた絵画とは異なる感覚だ。
そして、番組の中のコメントの中で、“人間はとかく動くものに目が行くようになっていて、動くものを追うことで見失うものがある”というものがあった。
まわりの変化ばかりを追うことが、今の生活の中心だが、自分か周りに対して感じ、自分の中に生まれてくるものものはおそらく小さな思いだろうが、それを見失わないようにしなくてはいけないと感ずる。

休業中

先週まで放送されていた日テレ系ドラマ「波乗りレストラン」でのキーワード。毎年もらえる休暇はとても「休業中」と呼べるものではない。失業(定年も含め)するか、働き続けるかの選択でなく、休業中という選択が欲しいなあ、と思うこの頃。

フェイク

フェイクはフェイクファーのフェイクだが、ここではくずして吹くこと。
音楽用語。原曲のメロディを、即興的に変えて歌ったり演奏すること。
①リズムを崩す、②半音下から吹く
まずは②の勉強をする

2008年11月15日土曜日

インドビジネス

インド成長の秘密を探りたいと思って買って読んだ本だが、はずれ。
91年以降で外貨保有高が150倍にもなっている。ラオ首相になって以降の成長だ。海外で勉強した人間を抜擢したことが要因のひとつだということはわかるが、具体的なことが見えない。
インド人の性格的なことや、成長につながる要因はわかるが、それではこの短期間の成長は説明できない。やや上から目線なのも気になる。

秋の八景島コース

風邪をひいたり、土日が雨だったりして、約一月ぶり。いつもの八景島のコース。このコースは秋は銀杏並木が美しい。でも、早くも終わろうとしている。今から箱根とか行っても遅いのか?今日は28.5K。

ダークマター

宇宙にはたくさんの星や銀河がある。ところが私たちが見ることのできるこれらの物質は、全体のごく一部でしかない。宇宙にある物質のほとんどが、“見えない”物質「ダークマター」だという。光を発することもなく反射もしない

“くつがえす”ということ

「(覆された)宝石のやうな朝」は西脇順三郎。
何かを覆して、変化があるということはいいこと。継続も価値であるが、継続・連続・持続に価値を置きすぎるのは良くない。”くつがえす”エネルギーはすごい。

たたずまいのいい少年

朝からテレビドラマ「風のガーデン」の録画を見る。たたずまいのいい少年は神木隆之介君。

今週の外食

(月)昼:銀座煉瓦亭のオムライス、卵とご飯をあらかじめ混ぜて焼いた独特のもの、少しボリュームは物足りない、(水)昼:栄林の焼きそば、夜:新橋カムイン、(木)昼;塩つゆそばと海鮮あんかけご飯、テラスでのお気持ちいい食事、ビールが飲みたいピクニック陽気

2008年11月9日日曜日

海の音

「海の音で眠りにつき、海の音で目が覚める。」
テレビドラマ”波乗りレストラン”でのセリフ。
むかし、まさにそういう環境の下にいた頃があったなあ。遠い懐かしい日々。

風の歌を聴け

久しぶりに読んでみた。
さりげない会話や状況描写そして空気感は、はじめから村上春樹は村上春樹であったことを感じさせる。
状況説明がないことで入り込みにくかったり、場面の切り替えが早かったり、翻訳小説調であったり、知らない洋楽の名前がたくさん出てくることでなじめなかったりもする。わかりにくいところとわかりやすいところをが同居しているとも言えるし、わかる人だけわかればいいという理解の仕方もあるだろう。また、わからないなりに何かを感じることはできるはずだ。わからないところに何故だ、と言うことでこだわるとつまらなくなる。おそらく、わかるとかわからないということをロジカルなベースでないところで納得するかどうかだろう。

大きな物語

「大きな物語が失われた時代」だそうだ。目標喪失の時代といえるかもしれない。
しかし、大きな目標とは何なのか?ひとつのステージが成長しきって成熟すると、そのステージでの目標は確かに失われるかもしれない。しかし、次のステージはないのだろうか?
あるいは、人間が生きる上において、「大きな物語」は不可欠なのか?「小さな物語」では人は生きていけないのか?あるいははそうであってはいけないのか?
「大きな物語」があることは、ある意味その目標に向かって走ればいい、単純で生きやすい、寄りかかればいい、安易な時代とも言えるかもしれない。
個人個人が「小さな物語」を作っていく今の時代の方が、人はクリエイティブに生きられるのかも、生きなければならないのかもしれない。

東京倶楽部

11/7はアルトサックスの古谷享子さんとピアノの山田メイ(皐月とかいてメイと呼ばせているらしい)さん。ハッピーアワーから行ったので、少し安くワンステージ楽しむ。アルトサックスの勉強のつもりもあったが、圧倒される。しかし、大いに刺激にはなる。とはいえ、相手は音大サックス科卒、かなうはずもありませんが。「The good life」いい曲でした。楽譜を探してみましょう。

今週の外食

(火)昼:金目鯛の開き定食@六本木、1200円。さばに続けてきんめもgood!、(水)昼:串揚げ、(木)昼:hamaのハンバーグ、さすが!鉄板で目の前で焼いてくれるところがうれしい、(金)東京倶楽部&七志ラーメン。今週はきんめもhamaのハンバーグもgood!

2008年11月6日木曜日

六本木らしくないお店

ミッドタウンの前にあるお店。
はじめて入ってばかでかいサバの開きにびっくり。二回目は金目鯛のこれも立派な開きにびっくり。こちらは1200円。
コロッケもあるので、次はこちらか。
六本木のど真ん中で頑張っているお店。
先週と今週、立て続けて行って見ました。

ティファニー

ティファニー銀座本店リニューアルに際して、銀座駅はかなりな程度ジャックされていた。
これは、柱に巻かれたもの。色でブランドが主張できることは非常に強い。コピーは平凡であるが、ブランドとしての存在感を強く主張できている。

2008年11月2日日曜日

今週の外食

(月)昼:六本木、さば開き定食、ばかでかい!、夜:焼き鳥屋、(水)昼:渋谷、秋刀魚開き定食、ひもの屋に期待するもNG、(木)夜:そば屋、ここはうまい!、(金)昼:久しぶりに銀座の天龍。

2008年10月30日木曜日

No.48 「シェルブールの雨傘」

30年前の愛川欽也のパックインミュージックで流れていた曲。深夜、この曲の切なさは何ともいえなかった。青春の一曲ともいえる曲。
映画は結構最近になってみた。色とりどりの開いた雨傘のシーンが個人的にはとても印象的な映画だった。

No.47 「砂に消えた恋」

<歌詞冒頭>
青い月の光を浴びながら 私は砂の中に
愛の形見をみんなうずめて 泣いたの 一人きりで
あああ、あなたが私にくれた 愛の手紙 恋の日記
それの一つ一つのものが 偽りのプレゼント
(続く)

竹内まりやのベストアルバムを借り、その中の60年代のポップスを聴いて、以前発売されたポップスのアルバムを借りてきてはまったのがこの曲。1964年の曲。イタリアのミーナが歌ってヒットした。
曲もいいけど、歌詞も切ない。
で、ユーチューブで見つけたのが麻丘めぐみが歌う「砂に消えた恋」。これはキュンとします。請け合いです。弘田三枝子の歌は違う気がする。

2008年10月28日火曜日

ミッドタウンの裏庭

行ったのは昨日。ミッドタウンの奥、少し風は強いけれど、まだ外のベンチで日差しを楽しめる昼休み。たまにはこんな時間もいい。贅沢な昼休み。一人でベンチを占領していたが、昼休みになり、OLの皆さんが陽気に誘われてお弁当を買って外へ。だから、半分席をお譲りすることにする。
OLさんたちはわずかな昼休みを無料のベンチでささやかに楽しんでいるのだけれど、ミッドタウンのお店には心地いい時間を心ゆくまで楽しんでいる贅沢な人がたくさんいる。
たまにはこんな時間を過ごさなくちゃ。

2008年10月26日日曜日

来年に向けて

来年発表会に出演するなら、「all of me」か「バードランドの子守唄」か、今の時点ではどちらかである。テンポの遅い曲は難しいので、好きだしノリのいい曲を選びたい。「all of me」ではもの足りなっているというのが目標だが・・・。

竹内まりやさん

竹内まりやのベストアルバム「Expressinos」を借りてきました。付属の小冊子の中では30年の人生の中で、どういう意味を持ってそれぞれの曲が作られたのかが語られており、それを読み返すためだけにアルバムを買ってもいいような気がした。
竹内まりやの30年分がまとめて聞ける素晴らしいアルバム。

バリトンサックス

発表会で若い小柄な女性が演奏していた。奇妙なとも、魅力的なカーブをしているよもいえる管をもつ大きな楽器で、音は超低音でそういうところに魅せられたんだろうと思う。小柄な女性だったので、ちょっと格闘しているようなそんな感じにもさせられたが、何故彼女がバリトンサックスに魅せられたのか、気になる。小川洋子さんの世界を感じさせた。

今週の外食

(水)昼:豚肉とたけのこの細切り炒めかけご飯@栄林、夜:坦々麺(金)夜:豚肉のにんにく焼き。風邪ひきの一週間にて食事もさえない。久々の栄林、上品でおいしい。少し高いけど。

2008年10月24日金曜日

平原綾香「ノクターン」

緒方拳の遺作となった「風のガーデン」の主題歌。ショパンの「ノクターン」をモチーフに、英語の歌詞をつけて作った曲とのことだが、見事なできである。平原の歌も素晴らしい。11/12発売とのことだが、ずいぶん溜めてのリリースだ。
このドラマは第3回を見ただけだが、緒方拳が収録直後に亡くなったということもあるが、「死の気配」に支配されたドラマのように感じる。映像も素晴らしい。

2008年10月18日土曜日

大事なことはみ~んな猫に教わった

好奇心に富むこと/過去にあんまりこだわらないこと/新しいことをやってみる/本能に従え/はだしで歩け/日当たりのいい場所を全て知っておくべし/挑戦を恐れるな/気が変わってどこが悪いのさ/耳をすませ/夢を見るべし

豚肉ともやしの炊き込みご飯

<材料>(4人分)*米 2合・豚バラ肉(薄切り) 150g/豆もやし 200g/しょうが 1かけ(せん切り)【A】・にんにく(すりおろす) (小)1かけ分/みりん・しょうゆ 各大さじ1/ごま油 小さじ1
【韓国風たれ】・しょうゆ 大さじ2/ごま油・白ごま 各小さじ2/にんにく(すりおろす) 少々/コチュジャン 小さじ1/2~1/塩 少々
<調理法>
豚肉は3cm幅に切り、Aをからめる。豆もやしはひげ根を取る/炊飯器の内釜の底に豚肉を広げて敷き、米を入れて水を2合の目盛りまで注ぐ。塩をふり、しょうがと豆もやしを散らし、普通に炊く。

10/17のレッスン

・midC→D、左手が遅れない
・midC:上の歯と左手親指で支える
・チューニングメーターで音をチェック(特にmidC:♭する、上のC:♯する)
・高音部:あごの力を抜く

村松友視「アブサン物語」

アブサンは21年生きた。我が家は犬だけど今13才。21年だと思えばまだだいぶあるが、普通は15年ぐらいが寿命なので、あと2年ぐらいしかないことになる。
老いは隠せない。よく寝る。よく横になっている。トイレが近くなった。段差が2段あるとうまく上がれないことがある。上がれなくて情けない鳴き声をあげている。以前より寂しがりやになったように思う。でも、まだ食欲はたっぷりある。気に入らないことにはしっかり吼える。
「21才ですから」がアブサンの主治医のタテオカ先生のセリフ。それぐらいまで頑張って欲しいもの。

今週の外食

(火)昼:草月流会館、ハッシュドビーフ、メンチカツ乗せ+ビール+珈琲、(水)昼:カレーライス、夜;もどり鰹、ごぼうのから揚げ、・・・・、最後はづけの握り(木)昼:珊瑚礁のカレー+ビール

2008年10月14日火曜日

No.35 ウェザー・リポート「birdland」②

1979年(私が会社に入社した年!)リリースのアルバム「8:30」の中の一曲。作曲はジョー・ザヴィヌル。フュージョンの全盛期のアルバム。
ウェザー・リポートはアルトサックスのウェイン・ショーターとピアノのジョー・ザヴィヌルの二人が中心的存在。ドラムス、ベース、パーカッションのメンバー交代は激しい。
「birdland」は、冒頭のエレキギターとシャカシャカというパーカッションによるリズムが「予感」を感じさせる。そして続くブラスの軽快な音。
こういう曲が「グルーブ感」のある曲というのだろう。ブラスが入って派手めのかっこいいサウンドになっている。疾走感、急降下・急上昇を繰り返すジェットコースターのようなサウンド、1979年がもうこういう音楽が受け入れることが出来た時代だったのだと思うと驚きでもある。

2008年10月13日月曜日

10/10のレッスン

・左手の薬指が遅い。あるいは右手が早い(C→D)。左手を先に押す。
・サブトーンができると楽しくなる?
・エーデルワイス:ビロードのような厚い花、アタマの音をあてに行かない

No.46 本田美奈子「つばさ」

「アメイジンググレイス」ももちろんいいが、個人的に好きなのは「つばさ」。
亡くなったのは、2005.11.6.もう少しでもう3年になる。
”悲壮感のある声”と言ったのは服部克久。亡くなったからというのでなく、ギリギリのところで歌っていて、すごみがある感じだった。少し幼い可憐な声、アイドルでのスタート、ずいぶんのどを鍛えたのだろうと思う。歌に捧げた人生だった。

三崎「有魚亭」の三色丼

づけとネギトロと地魚の三色丼。この日の地魚はかんぱちとだつ。写真ではよくわかりませんが・・・。
なかなか、味は素晴らしい。丁寧な仕事。
でも、出てくるのはとても遅い。どんぶりは早い、と思ってはダメ。注文してから丁寧につっくているのかもしれない。とにかく一人で作っているから遅い。
値段は1680円。これなら二色丼でもいいかとも思わせる。

No.45 竹内まりや「不思議なピーチパイ」

ユーチューブでその当時の映像が見れるのは本当に素敵だ。
慶応の学生であの当時留学経験があって、美人で歌手で、コンサバにおしゃれで、・・・・、近くにこんな人がいたらどうすればいいのだろうか?眩しくて手も出ないんでしょうね。
声が低めなのもそれはそれでいいのだ。本格っぽいのかもしれない。
でもあとから聞けば、本人はアイドル路線がいやだったという話。でもあの頃の竹内まりやは眩しくて素敵におしゃれで格好よくて、手が届きそうもない存在でした。
ユーチューブの「不思議なピーチパイ」の竹内まりやにはぞくぞくっとしますよ。保障します。是非ごらんあれ。

ゴールデンルート

六浦経由逗子、10:30いつものあぶずり食堂で朝定食+アジの干物をいただく。いい朝食。アジはいうまでもなく、卵焼きもひじきも味噌汁もうまい。カサゴの煮付けもよさそうだったなあ。
腹ごしらえを済ませ、葉山森戸海岸、長者ケ崎へ。夕日の長者ケ崎は三浦○景らしい。今日は天気は絶好の上、風もいいので、遠くにウィンドサーファーが多い。そこから海沿いに森戸海岸、渚橋、逗子海岸、滑川、七里ガ浜、江ノ島水族館、その先は鵠沼から柳島まで海沿いの道。この道はいつ走っても気持ちがいい。自転車と歩行者専用道なので、音楽を聴きながら走れるのがいい。でも、音楽を聴くと、寄せる波の音は聞けないから帰りはウォークマンをはずしてゆっくり走る。柳島のいつもお気に入りの平坦な岩場?で休憩して帰り道。9:40スタートで帰宅は3時。72.9K。気持ちのよい秋の快晴の空と海に誘われて結構走りました。心地よい疲労。
そう、長者ケ崎から茅ヶ崎の終点柳島までのルートは僕にとっての海を満喫することができるゴールデンルートなんだ。

シーカヤックしか行けない場所

城ヶ島公園の手前を入っていった小道から見ることができた光景。
降りていくのが困難と思われる浜にシーカヤックが数艇。こういうこともシーカヤックの醍醐味なんだろう。
油壺の浜にも数艇いたが、こちらも休憩している様子だった。シーカヤックへの挑戦は、アルトサックスよりも険しいか?とはいえ、森戸海岸にはスクールがある。しかし、そもそも泳ぎが上手でない?

2008年10月12日日曜日

岸部シロー「いまさらシロー」

土曜日朝の週刊ブックレビューで紹介されていて、即座にアマゾンで注文。今日の夕方届いた。たいしたものである。
とにかく、切ないなあ、切ないなあ、そして若いおくさんをなくしたはじめての冬はもっと切ない。レストランでバイトして生計を支えた妻。写真が切ない。
”もしこのブログが本になったら、女房の墓を立てたい”うそだろ~、といいたくなる。

油壺

往復とも自転車は三崎口駅まで京急で運び、今日は気楽な現地散策。
写真は油壺湾。秘密基地めいているが静かな素晴らしい海。
油壺の名前の由来は三浦氏が北条早雲に攻撃され、死人の血で湾が染められたところから名づけられたとのこと。しかし、そんなことは想像ができない静かな湾。
反対側の砂浜にも下りてみたが、こちらも静かな浜でシーカヤックツアーの人たちの立ち寄り場所になっているようだ。
今日の行程:三崎口駅→油壺→三崎港→城ヶ島公園→三崎口(27.5K)
昼ごはんは三崎港の「有魚亭」で三色丼(づけ、ネギトロ、地魚、この日はかんぱちとだつ)。出てくるのは遅かったけど、づけもネギトロもさすがでした。ちょうど三崎のお店は秋のイベントをしていたので、有名店はどこも長蛇の列。

2008年10月11日土曜日

のうてんきに、のほほんと生きる

緒方拳さんが亡くなった。
このセリフは、NHKのドラマ「帽子」の中で緒方拳が田中裕子に若いときに、励ます意味合いでいった言葉。”ぼちぼち”とはニュワンスが違うか?それより、このドラマでは田中裕子は「胎内被爆」という設定だから言葉が重い。
緒方拳は晩年は宇野重吉の再来を思わせた。若い頃にはなかった諦観あるいは潔さがあり、にも拘らずどこか保たれているコミカルな味わい。本当の意味で惜しい人を亡くした。
最後まで病名を伏せて、最後の最後までドラマで出続けたことも敬服である。

今週の外食

(月)夜:まぐろ尽くしwithW、(火)昼:肉野菜炒めat鷺沼、(金)夜:こぼんしゃん、さえない一週間でした

2008年10月10日金曜日

No.44 竹内まりや「元気を出して」

引き続き、ここのところはまっている竹内まりや。
”人生はあなたが思うほど悪くない、早く元気を出してあの笑顔見せて”
普通のことばだけで作られた詩なのだが、”人生はあなたが思うほど悪くない”という詩は、もしかしたら、いいことよりも良くないことの方が多い人生を勇気づけてくれる。
普通の言葉、素直な言葉、自然な言葉。

2008年10月9日木曜日

No43.竹内まりや「純愛ラプソディ」

94年5月リリース。この曲は山下達郎としては、まりやのベスト1らしい。
「Souvenir」のラストのオルゴールのような演奏もいいが、「インプレッションズ」で聴く「純愛ラプソディ」は心揺さぶられるものがある。これは何なのだろうか?何度でも聴ける。飽きない。
歌詞、楽曲・・・。
“人をこんなに好きになり、やさしさと強さを知ったわ・・・”というストレートな歌詞にグッと来る部分もあるが、全体的にはそんなに才気が感じられる歌詞ではない。竹内まりやの歌詞は普通な感じがよくて、ここで心揺さぶられているわけではない。
また、全体的にも竹内まりやはアーティストという言い方はふさわしくないように思う。 特別なアーティストという存在ではなくて、気負ったところのない、普通でいたいという感覚。
楽曲がすばらしいのは言うまでもないが、大きいのは編曲かと思う。個人的にはベース。ベースランニングの音が心地よく、低いベースラインが心を押す気がする。
編曲は初期のものは山下達郎の色が強い。シンプルな曲を大きくお化粧してポップスに仕立て上げている。それに比較すると最近の楽曲はまりやらしいシンプルな、まさに“デニム”な手触りの作品が目立つ。
こうやって落ち着いた感じの成熟した大人の竹内まりやだが、ユーチューブで若い頃の歌っている姿を見ると、本当に眩しい存在。

2008年10月8日水曜日

買うなら

62でよさそう。プロも使うとのこと。
レンタルもいいが、途中でグレードアップにはレンタル費用は廻せないとのこと。
先生が4、5台の中から選んでくれるとのこと。これはいい。
高音部の音質が今のアルトサックスでは得られない気がする。もう少しやってみて結論を出すことにする。

「サックスの基礎」より

「サックスと格闘しない」「音楽的に演奏する」「音に感情を乗せる」
「体の余分な力を抜く」
音色を決める4つの要素」「フィンガリング」「アンブシャー」「タンギング」「ブレスコントロール」
特に、「ブレス」と「フィンガリング」のタイミング
・フィンガリング:「指先から力を抜く」「管を空気が通る前に押されている」「遅れない」
・アンブシャー:「口の周りの肉を鍛える」「ダイナミックな音が欲しければ、ソフトにくわえる」
・ブレスコントロール:「腹式呼吸」「呼吸は口から」「瞬時にたくさん吸う」
リードは強くかみすぎない。ズーズーとノイズが出る。アンブシャーに力を入れすぎない
・高音部:強く噛んで吹くと音がこもる。強く噛むことで音は出やすくなるので、自然と下あごに力が入る。それによりこもる。音質が悪くなる。しゃくって吹かない。

2008年10月4日土曜日

今週のレッスン

①ブレスの位置:長い音符のところ、小節の区切りとは限らない
②ルート/サード/フィフス、ルートがコード記号
③のどの後ろを開放する 。これはもっと練習せねば。
④(再)舌を噛みすぎない
⑤おへその下あたりに力を入れる
今日のレッスンの後半は先生の演奏の音を拾って弾く練習。結構大変で必死。次回はアドリブに挑戦する?とのこと。まだまだ運指もまだまだだというのに、どうなるのか?

今週の外食

(火)夜:冷やし白ゴマ坦々麺、9月最後の日、お店としても”冷やし”の最後の日ということ、夏はパーフェクトに終わった、うまさをかみしめた一皿。(水)昼:ミックスフライ、(木)昼:じゃんがら、引っ越した新しい店、いつものこぼんしゃんに角肉・卵のせ+めんたいご飯・・・食べすぎか?ちょっと前の店に比べると店が狭い。(金)夜:家では食べられない家庭の味、肉じゃが、なんきん、しめさば、きんぴらごぼう・・・・・。最後は高菜チャーハン。

500回目の書き込み

どれくらい続くかなと思ったが、9ヶ月を経過して、500回目の書き込みに到達。よく続いたもの。
タイトル別では、読んだ本(81)、MFS(44)、素敵なもの(40)がベストスリー。次いで、雑感(39)、今週の外食(38)、マイセルフ(37)と続く。その他では、サイクリング(22)、レシピ(19)、アルトサックス(18)。
こうやって感じたこと、思いついたことを書きためていって、あとで見返すと、たぶん自分の考えていること、自分自身を見つめなおすことになるのではないかと思う。特に”マイセルフ”は読み返してみるべきか?

2008年10月1日水曜日

「日本人が知らない松坂メジャー革命」

熱狂的なレッドソックスファンであり、大学院で日本社会史を勉強し、バーバード大学教授になり、妻は日本人である親日家のアメリカ人が松坂大輔の大リーグ1年目の挑戦をつぶさに記録した本である。
ここで彼が言いたいことのひとつは、“大リーグへの挑戦で大事なことは、大リーグでのプレイスタイルに対するちょっとした適応力”ということである。
1年目の松坂は15勝12敗だった。日本人にとっては物足りない数字だった。しかし、そこに筆者は大変な松坂と周囲の努力があって1年目の結果になったということを伝えたいのだ。野茂が、イチローが、いかにもたやすく1年目から結果を出したように見えるから、松坂ならもっとやれるはずという期待が日本人にはあったと思う。個人的には野茂はフォークボール、イチローは世界でも屈指のバットコントロールという飛び向けたものを持っていた。それと比較すると松坂はちょっと違う。これまで日本で通用していたものを大リーグで通用するようにアジャストすることが必要なタイプのピッチャーだと思う。そこに松坂と周囲の努力があった。
しかし、2年目の松坂はすごい。18勝3敗だ。3つしか負けていない。三振は減ったが、防御率は昨年の4.40から2.90へ飛躍的に向上。それでいて試合数は32試合から29試合とほぼ同じ。しかし一方、投球回数は200回オーバーから167回ほどにグッとダウン。ベンチも含めいろいろ工夫を重ねたことの結果が、今年の素晴らしい成果になったと思われる。1試合あたりの投球回数が少ないのは来年への課題だ。そして、今年の松坂を著者はどのように書いてくれるのだろうか。
おまけだが、岡島の今年もすごい。昨年とほぼ同じ64試合を投げ、失点もほぼ同じ18点で防御率は2.61だ。レッドソックスが上手に日本の二投手を使っていることがわかる。
最後に私より3つ年上の筆者が愛するレッドソックスは、筆者が子供の頃は常勝のヤンキースに対して、万年下位のチームだったそうだ。負け犬をずっと応援し続けなければならないと思っていたのが解放されたのが15歳のとき。この年優勝。私が応援していた阪急もまた万年下位球団だった。歓喜は75年。私が20才のとき。マウンドには山田久志がいた。西宮に一人で見に行ったなあ。今阪急はなく、筆者はうらやましい。

2008年9月29日月曜日

ジュンパ・ラヒリ「見知らぬ場所」

翻訳家の小川高義氏の訳によるところも多いが、冒頭からいつものラヒリの好ましい世界のニオイを充分感じさせる文体だ。
中篇集という体裁だが、全体を通して思うのは縦軸としての「家族・擬似家族」と横軸としての「カルチャー」の中で、様々な事件が起こっていくということだ。
「家族・擬似家族」で扱われるのは、新しい母と娘、子供が独立した夫婦、ルームメイトとその恋人の男性、叔父と家族の同居、週末の子供をおいての夫婦だけの旅行、世話になった家族との同居、娘と父と父の恋人など・・・。両親と子供というある意味“完全な”関係から「欠け」が生じたり、「思わぬこぶのような同居人」が出来たり、ルームメイトという「偶然の同居人」との生活など、「家族」や「擬似家族」「拡大家族」などの現代における様々な家族のカタチが引き起こす問題がここではテーマだ。あくまでカタチが問題なのではなく、カタチのもつ脆弱性が問題を引き起こすのだが。
もうひとつの横軸で扱われるのはアメリカ居住のインド人のインドカルチャーの問題だ。インドからアメリカに移った第1世代は、毎年インドに帰るなどインドとの関係は密である。しかし親を通してインドとつながっていても、一方でわずらわしいとも感じていた第2世代、ほとんど祖国との関係が薄くなり、ほとんど精神的にはアメリカ人である第3世代は、年齢の差とインドカルチャーの“濃度”の二つの意味合いで第1世代と大きなカルチャーの違いが存在する。
これらの縦軸、横軸で構成される人間関係はかなり脆弱なものである。この小説の中でも、大きな契機、小さな契機などさまざまなきっかけ、ちょっとした“食い違い”が破綻を生む。“父の恋人への手紙の発見”“母の写真”“酒”“浮気”“病気”“昔の女友達のこと”・・・、こういった“小さな”契機が“衝動”“爆発”“瓦解”を引き起こす。少し大げさだけど。都市生活における人間関係は脆弱なもので、そこが生き易かったりするわけだが、そこにさらにインドカルチャーの世代による濃度問題が絡まり、心情の表現は絡まりを表現する細やかなものが必要とされ、そこでもラヒリの手腕は見事である。

2008年9月28日日曜日

ひやじる(簡易版)

①すり鉢にみそ+即席だし+豆腐+水・氷
②お米はさましておく
③薬味はゴマ、きゅーり、大葉、みょうがなど
ちょっと本式から比較すると比べられないほど簡単なレシピ
by鈴木杏樹

月間新記録!

先月を1.4K上回り、、183.6Kで月間新記録。先週の1日でほぼ100Kが貢献。
今日は六浦→山越えして逗子駅→鎌倉下馬→七里ガ浜、ここまでノンストップ→腰越・手広・大船経由で40.2K。2時間40分。途中、七里ガ浜のファーストキッチンでハンバーガーとコーヒー。そのときの写真がこれ。
9月の、そして15:25という時間にもかかわらず、このどんよりした空模様。心地よい海岸でお茶にふさわしい微風、サーフィンにもウィンドにもダメだけど、外でのんびりするにはいい感じ。海と、空と、遠くの陸地の色が同じというはっきりしない天気。これもまた湘南。からっとした夏空だけが湘南じゃない。
雨も降りそうなので、急いで帰路につく。

2008年9月27日土曜日

今日の授業での指摘

①冷たい息(焦点が小さい)vs暖かい息
②音が細くならない(P18,FT⑦)
③♯でもbisキーを使う

今週の外食

(水)夜:希須林の冷やし坦々麺。冷やしは今年の夏の最後でしょうか。(木)昼:イカ墨のパエリア、(金)牛タン(虎ノ門)

2008年9月21日日曜日

温泉卵

1)卵は常温に戻しておく、2)厚手の鍋に水200CC、沸騰した湯1500CCの順に入れ、卵(4個)を入れる、3)20分後、氷水のにとる

No42 井上陽水「チエちゃん」「帰れない二人」

名アルバム「氷の世界」、個人的にはこの二曲。
表題作の「氷の世界」のほか、「白い一日」「心もよう」「FUN」「小春おばさん」・・・と、今見ても名作ぞろいのすごい一枚。
「チエちゃん」は大学1年のときの同級生に「ちえちゃん」がいて、明るい、人なつっこい性格で男の子達には人気があった。友人とよくギターで歌った曲。今はどうしているんだろう。先生になったのなら、いい先生になっていると思う。
「帰れない二人」は、“思ったよりも夜露は冷たく”ではじまるせつない名曲。さびのところの“もう夢は急がされている 帰れない二人を残して」という部分が歌うととてもせつなく、ぐっとくる。今歌詞を読んでも心に残っている。
もう一曲「FUN」も好きで、“きまぐれいたずらまちぼうけ”で始まるコミカルな歌詞と曲、これも名曲。
「氷の世界」というアルバムは陽水の二面性が出ているようなアルバムで、僕が好きなのは片面だけだと思う。

新記録!

横須賀→野比海岸→剣崎→三崎港→城ヶ島→三浦海岸→横須賀→洋光台で95.7K。記録をつけてからでは新記録。城ヶ島往復は2度目。はじめてのときは往路は相模湾沿いでアップダウンと交通量で疲れ、帰りの東京湾沿いの北上は大変だったが、今回はいつでも折りたたんで電車に乗れるよう準備もしていたこともあり、思いがけず往復してしまった。
とはいえ、膝や腰には違和感はあるし、疲れたし、やはり無理はいけないですね。
昼は、予定していた三浦海岸の「松の鮨」に今ひとつ乗らず、松輪の漁協のお店は台風でお休みということで、とうとう三崎へ。三崎港の寿司屋「紀の代」でお任せをいただく。はじめてメトイカを食べた。マグロ4種もおいしかった。さすがに鉄火巻もおいしかった。
写真は三浦の風力発電用の風車。
野比海岸、宮川湾、城ヶ島大橋、城ヶ島の落雁・・・、いい景色がたくさん楽しめたサイクリングでした。次回は三崎口まで電車で自転車を持ってきて、城ヶ島と油壺を集中して攻めてみようと思います。
あと、久里浜港からフェリーで金谷へ渡り、総武・横須賀線で帰ってくるコースもいつか。

三浦半島八景「城ヶ島の落雁」

城ヶ島までサイクリングして立ち寄ったところ。
崖の並びとその先端の岩礁で、『雁』の頭のように見え、その頭が、海に飛び込む様に見立てて、『落雁』のように見える、という景観でした。
この先では10月以降ウミウが飛来するとのことなので、また行ってみる価値がありそうです。

2008年9月20日土曜日

今週の外食

(火)昼:しょうが焼き定食、(水)夜:さんたて、(木)昼:焼肉、(金)夜:オムライス&サイコロステーキ、今週は水曜以外は地味な外食でした。さんたてでは八海山の冷酒が旨かった。

2008年9月18日木曜日

リービ英雄「千々にくだけて」

著者はアメリカ人でありながら日本語で小説を書く。アメリカに戻る途中のバンクーバーで9.11に遭遇し、足止めを食う。それは、アメリカに戻ることを拒否されているようでもある象徴的な出来事だ。
文章は事件のすさまじさにただ呆然と佇んでいるかのように奇妙に静かで、叙事詩のようだ。著者の筆致は怒りというより祈りのようでもある。
中でも象徴的なのは、著者がバンクーバーで足止めを食ったときの機長の”sometimes"で始まる機内アナウンスである。そう、機長はアナウンスで"sometimes"なんていう表現を使うことはないのだ。事務的な表現にこの言葉は似合わない。機長の想いがこの一言に込められている。
そして、もうひとつの印象的なエピソードは、NYでビルが倒壊して、そのあと降ってきた紙の切れ端に記されていた”Please discuss it with Miss Kato at Fuji Bank"という文字。これは本当の話なのだろうか?あまりにも痛い話である。
何よりも不気味なほどの静けさを文章に感じた。

No41.「オリビアを聴きながら」

1978年の曲。杏里のデビュー曲。作曲は尾崎亜美。オリビアはオリビア・ニュートンジョンのこと。最もたくさん歌った&現在形の曲のひとつ。杏里がすごく好きというわけでもなく、とにかくこの曲である。
サビの部分、“出会った頃は こんな日が 来るとは思わずにいた”
2番の、“夜更けの電話 あなたでしょう 話すことなど何もない”
歌っていて、グッと来るのはこの部分。切なくて、歌ってて入り込んでしまう。
別段この曲に思い出とかあるわけではないのだけれど。
ずっと、ずっと大好きな曲。

No.40 沢田研二

ザ・タイガース1967年デビュー。68年リリースの「花の首飾り」「青い鳥」「廃墟の鳩」は当時ギターを弾き初めだったこともあり、よく歌った。個人的には「廃墟の鳩」の加橋かつみノハイトーンボイスが好きだった。
ソロになってからは、71年「君をのせて」、75年「時の過ぎ行くままに」、76年「コバルトの季節の中で」あたりがお気に入りだった。「君をのせて」「時の過ぎ行くままに」はカラオケボックス以前に結構歌っていたように思う。
こうやってみていくと、沢田の派手なキャラは個人的には好みではないはずだが、好きな曲は結構多い。どこか切なく、孤高なところがあるからか?このあたりは田中裕子も似ているか?
現在は少し太ったし、踊りも結構無理があるけど、声は頑張っている。派手さも頑張っている。田中裕子はどんどん枯れた感じになっていっているのに、田中裕子の養分を吸っているかのように”派手”を続けている。きっと田中裕子がスポンサーになって、後押ししているのだと思う。年末のドームコンサートも2部構成で4時間半も頑張るらしい。年をとって枯れていくより、ますますアグレッシブにやるのはいいよね。人生前のめりというより、年がいなく、無理を重ねて・・・・いいんじゃないの。

2008年9月16日火曜日

e-Sax

サックスの練習場は悩ましいところだが、この練習用ミュートは素晴らしい。やや手の動きが不自由だが、これぐらい音が見事に消えてくれると夜中でも練習可能だ。
運指は練習あるのみだが、これで格段に練習できる。5万円の価値がある。

2008年9月15日月曜日

発見!

ここのところのマイブームは先にも書いた「フランス語」「自転車」「アルトサックス」だけど、これって、気分が能動的になっているということだろうか?「本を読む」「音楽を聴く」「絵を見る」・・・と受動的なもの(=人がつくったものを受けとめるという意味での”受動的”)が自分の時間の過ごし方として多かったのが、変わってきているのだろうか、”DO”的な時間の過ごし方になっている。あがき?

大学の4年間

翻訳家の岸本佐知子さんが、「芝生の復讐」のあとがきで、”大学の4年間の記憶は惨憺たるもので、4年間あわせても4日ぐらいにしかならない”と書いているが、私の大学の4年間もそこまでひどくはないが、人様に褒めてもらえるようなこととか、自慢できるようなことは一つもない。行き当たりばったりだったり、時間つぶしだったり、計画的と思えることや努力などということは無縁の生活だったように思う。
さて、4年間の記憶ベスト10だ。
1.塩屋で4年間眺め続けた海
2.たくさんの時間を過ごした喫茶店の数々:二五、とんぼ、さりげなく、木馬、レガース、紅茶文庫、ろくでなし、しあんくれーる・・・・
3.北海道への旅行
4.社会学研究室:信州への合宿、研究室でのバイト、社会学の仲間、夜景
5.神戸大丸でのバイト
6.ドイツ文学:ヘッセ、マン、ゲーテ、リルケ・・・
7.ジャズ
8.107ソングブック
9.本屋:コーベブックス、流水書房、旭屋書店、紀伊国屋書店、京都書院・・・
10.コピーライターという職業の発見

大学4年間で何かをやったという自慢できるものは何ひとつないのだが、今の自分を構成するパーツは概ねこの時期に仕入れられていると思う。
日々は概ね本屋と喫茶店と音楽と海を眺めることで構成されていた。要素はとても少なくシンプルな生活だった。忙しくは全くなく、かといって暇をもてあますことはなかった。海を眺めているだけで、何時間も平気で過ごせた。特に夜は船が沖を通過し、飽きることはなかった。
友達は少なかったけど、寂しいということはなかった。同級生と専攻の先輩、アルバイトバイト先の仲間と適度にいたし、それ以上の友人を欲しいと思うこともなかった。

No.39 五番街のマリーへ

五番街へ行ったならば マリーの家へ行き
どんな暮ししているのか 見て来てほしい
五番街は古い街で 昔からの人が
きっと住んでいると思う たずねて欲しい
マリーという娘と 遠い昔に暮らし悲しい思いをさせた 
それだけが気がかり
五番街でうわさを聞いて もしも嫁に行って
今がとても幸せなら 寄らずにほしい
五番街へ行ったならば マリーの家へ行き
どんな暮ししているのか 見て来てほしい
五番街で住んだ頃は 長い髪をしてた
かわいマリー今はどうか 知らせてほしい
マリーという娘と 遠い昔に暮らし
悲しい思いをさせた それだけが気がかり
五番街は近いけれど とても遠いところ
悪いけれどそんな思い 察してほしい

NHKのソングスで久しぶりに高橋真梨子の歌を聞いた。
一番歌った歌かもしれない。
高橋真梨子がソングスでは自由に歌っていた。
歌手は自由に歌ってはいけないと思っていたみたいだが、この日は自由に、自由な歌い方の高橋真梨子で新鮮だった。
「どんな暮らししてるのか見て来てほしい」
こんな風に思える女性は何人もいない。
だからこそ、この歌を歌うときによぎるものがある。
MFSのかなりあとになぅたけれど、いまだにヒリヒリする曲である。

結婚するなら猫好きオトコ

この本をきっかけに世の中の猫ブックスに興味を持って調べてみたら、あるある。「吾輩は猫である」を筆頭に、世の中に猫好きといわれる作家の多いこと、もしかしたら猫好きよりも多いかもしれないのと、医務より猫の方が主人公になりやすいのかもしれない。人間の言うことを聞かず、自由で、気まぐれで、・・・といったあたりは小説向きかもしれない。
さて、この本。なぜ結婚するなら猫好きオトコかといえば、犬好きは命令好きで、猫好きは自由にさせてくれ、そして、まめだったりする。自由好きな女には都合がいいということ?作者の小手鞠るいさんの好み?ともいえるが、まあいいか。猫好きオトコはクール、エレガント、おしゃれ、孤高の一匹狼ということらしい、・・・自分が当てはまるかどうかわからないけど、家では犬を飼ってるが、もしかしたら猫好きなのかも。「時代屋の女房」好きだしなあ。
現在、アマゾンで猫ブックを3冊取り寄せ中だが、なかなか届かず。マイブームが終わっちゃうよ。

最近の注意事項まとめ

トライアルで1回、授業は1回休んでいるので8回経過だが、ずいぶん進歩しているように思う。いい先生に習うということはこういうことなのだなと思う。
最近の注意事項。
「のどの後ろを開放する」「かみすぎない」「16分音符を感じる」「息継ぎは長い音符のあと」

今週の外食

(月)昼:表参道で和食、(火)昼:酢豚、夜:薬膳鍋、(水)昼:フォー+エビと野菜の炒め物、夜:小エビのかき揚げ丼、(木)スタミナハンバーグ(新橋)、久しぶり、(金)昼:かき揚げ+いくつか、夜:坐来(関アジの酢の物?、関サバ、いさき・・・・のお刺身、豊後牛。。。どれもおいしかったですね。
今週は充実の一週間。表参道のお店はまた夜行ってみたい店。

2008年9月7日日曜日

大仏越え

大船→手広→大仏→鎌倉→逗子マリーナ→(山越え)逗子→森戸海岸→六浦→釜利谷。森戸海岸まで一息。夏休みから1週間だけど、森戸海岸も静かで、もう秋の気配。43.4K。逗子マリーナまではラクなコースだが、そのあとは逗子の山越え、六浦への山越え、釜利谷街道の登り・・、後半は結構きつい。

海に生きる父、浜を守る娘

午前2時に漁から戻る父を迎え、父のとってきた魚を少しでも高く売りさばこうとする小柄な25才の娘。彼女は夕方6時には寝て、午前2時の父の船の帰港に備える。友人とケーキを食べる姿は普通の女の子だが、時差のある生活だからこんなことは月に1回ぐらいしかできない。高校生の頃、働く父の背中を見て、手伝うことを決心したとのこと。3日余りの漁に出かける父に大きなお弁当と眠気覚ましの飴・・・、を渡し、午前2時の出航を励まして、見送る姿は素敵だ。

大衆音楽史

ビッグバンドジャズ、スイングジャズから即興性の高いジャズへの変化の舞台はハーレム。「ミントンズ・プレイハウス」であらかじめ決められた演奏から自由な演奏へ、ジャズの新しい世界が開かれた。このとき世に出てきたのが、チャーリー・パーカー、セロニアス・モンク、ケニークラークら。時に1941年、初期のモダンジャズ「バップ」の誕生である。

2008年9月6日土曜日

「夏から夏へ」

北京オリンピックで銅メダルを取った男子100m×4のリレー選手達の昨年の大阪国際陸上の話。
ちょっと食い込みが足りない気がする。4人もいるからだろうか。もうちょっと迫って欲しかったように思う。一番目立たないが高平慎士が気になる。また、4人が粒ちがいなのがいい感じだ。やんちゃな塚原、若いのに老成した高平、いい意味で背負っている末続、老成しているようで一番あがいているのかもしれない朝原。

今週の外食

(月)昼:バラちらし、(火)昼:油そば、ここだけの味、(水)夜:角煮丼(大中華)、この店はいつもしけてる、客が入っているなあと思ったら、ひとつのテーブルは店のおやじ、もうひとつの机では息子らしき中学生くらい?が勉強中、まあいいけど。(木)昼:Kワンプレート、夜:とろ肉刀削麺、(金)昼:冷やし中華

2008年8月31日日曜日

金曜の授業

「のどをひびかせる」「舌のポジションをあげる」「あごの力を抜かないと高い音がならない「しぶい音にならない」。
少しいい音の要領が見えてきたか?しかし舌はかみすぎ。高音部がずれる。「息のスピード」が大事。

やっと雨が上がり・・・

今日はいつもに増して自転車が多かった。少し涼しくもなったし、ここの所ずっと雨だったこともあるだろう。
今日のコースは北鎌倉→鎌倉→逗子マリーナ→材木座→辻堂西海岸→腰越→大船経由、50.2K。
入道雲もそろそろ見納め。烏帽子岩、雲間からこぼれる太陽。ところどころ陽が水面をきらめかせる。夏が名残惜しそうなサーファー、今年の夏の最後のバーベキュー、もうこれでしまってしまうひと夏お世話になった水着、解体作業をはじめた海の家、今年は8月後半は商売にならなかったかもしれない。
風がひんやりとしている。皆このあたりで遊んでいる若者は夏の終りだからきれいに日焼けしている。ひと夏サーフィンするとどれくらい上手になれるのだろう?
7月に入ったばかりの週末から付き合い始めた女の子と、今年何度目の海だろう。回数券を買ったほうがいいほど新宿から江ノ島に通い、ずっと二人でサーフィンを練習した。8/31、8月のほんとの最後の日曜は、そこそこいい波があってラッキー。今年の夏の記憶をひとつひとつ想い返しながら波に乗った。
・・・なんて夏を一度過ごしたかったなあ。松下奈緒の曲がいいBGM。写真は逗子マリーナ裏。

今週の外食

(火)昼:酸味のきいたゴマ味の暖かい肉うどん、(水)夜:サラダ、クラムチャウダー、ビール、(木)昼:ベーコンとたまねぎのつけめん(中華)、(金)昼:K(ワンプレートランチ、チキン、チャンプルー、ナスのマリネ。jack cafe2週連続。

2008年8月28日木曜日

「悩む力」

悩みや苦悩は意味のないことなのか?という問いからスタートする。
「個人の自由をベースとした個別に引き離された自我は肥大化をもたらす」
「自我が確立するほど自己と他者の折り合いがつけにくくなる」
“自我”がモンスターになるということか?
いびつに肥大化した自我がモンスターをつくる
「一人一宗教」「自分が教祖」
「何かを信じるのではなく、自分を信じる」「確信するまで悩む」
“何様”は現代では正しい姿なのか?

wednesday

はじめての長いポエジイ。・・・・・では、

柔らかい女性ジャズボーカルが店の隅々まで届く空間
外はてんとう虫柄のテーブルクロスの机
その向こうを午後8時過ぎであることに関係なく、自転車で疾走する男
そして、机の脚もとには、お店の看板猫
交差点は信号が待ちきれない車が、
大桟橋帰りの人たちが、そそくさと通る
樹皮が街灯に照らされて存在感を示す樹齢深い木々
メニューを見ては通り過ぎる男女
何かこのお店のメニューに不満があるのだろうか
選びにくいのか、too muchなのか

曲が変わり、
これから大桟橋に向かう男女
初秋の大桟橋で愛でも語ろうというのか
そんなことは遥か昔、嫉妬と妬みとジェラシー・・・同じことか
まだ、8月だけど、空気と風は、もう夏の匂いを失っている

僕はきっと何かを取り戻したいんだろうと思う
今日一日を何かに捧げてきたから、なくしたものを取り戻したいのだと思う
思うまま食べて、そしてビールを飲んだ、ビールをガラスのボトルからそのまま飲むのはスローライフっぽくていいね
いつものラッキーストライクをふかせ、読み始めたばかりの小説の縦組みの活字に目を滑らせる
外の気配と流れる音楽に包まれた時間
静かな音楽と空調の音
この場所では時間はゆっくり、ゆっくりと流れ行く

僕はこの場所で誰かを待っているのかもしれない
そうでないなら,別れた誰かとの記憶を洗い流すためにここにいたいのかもしれない
右折する車の動きが、美しいと思うことはないだろうか
何かに逆らって動いているようにも思う
こういう時間にはポエジイが書ける

時々交差点を行きすぎる車のヘッドライトが眩しいのだが、
それはそれで心地よかったりする
眠くなってきたし、アルコールも回ってきて、だるく、
もう今日は終りだね
こういう過ごし方をしていると、Wednesdayが好きになりそう

もう書くのはやめようと思っていたけど、
今、目の前を通り過ぎたのは何というタイプの自転車なのだろう。
こんな時間に、寝そべって漕ぐ自転車で走る奴がいる
一日の仕事を終えて、大好きな自転車にまたがっているのか?
この辺は浮世離れした奴が住んでいるんだなと思う

こうやって外で、自分の好きな空間を作って、自分だけの時間が過ごせるのは素敵だ
でも、お客さんが来ないから、帰れないなあ
そうしたら、外に出ていたらしいお店の猫が戻ってきた
「もう、帰る時間だろ、帰んなよ」とでもいうように
黒猫も店の奥から、顔を覗かせていた

2008年8月26日火曜日

加島祥造「老子と暮らす」

老子は私たちに、「もう少し自由に生きたらどうか」と言っている。
■『歩く速度』ということ
海岸沿いの道をゆっくりと自転車で走ることで、空気に溶け込めるのを感じた。
時速でいえば、18Kくらいだろうか?
早く走ると走ることに集中する。だから見逃すことも多くなる。
ゆっくり走ることで、周りの人や、海の音や風の音・・・を感じることができる。
鵠沼から柳島への自転車道、鎌倉から七里ガ浜への広めの歩道などはそういう空気感が感じられる場所だ。
■風を見る
広い緑の稲穂が風に大きく流れ、さらさらと穂同士が摺りあう音が聞こえる。
森全体を揺らす風。
しなやかな竹を大きくゆする風。
そういったとき、風が見えるような気がするね。

・自分の心の中の声に従う
・感情の中にこそ、常識(理性)よりもっと高い知性がある
・僕がひとりでいたがるのは、そうするとトータルになれるから

2008年8月25日月曜日

オリンピック⑫秘策

女子ソフトボールで奇跡とも言えるアメリカ戦の勝利の裏には2つの秘策があった。アメリカの絶対的エースのオスターマンの投球のクセを盗んでいたこと。そして上野が隠していたシュート。
やはり、上野の頑張りと、球に食らいついていく根性だけでなく、そういう研究や戦術があって勝てたわけで、更にすごい勝利だったことがわかった。

2008年8月24日日曜日

佐藤玲さん

写真をキャンバスに焼き付け、そこに見えないものを彼女は見て書き加えるという手法にまず脱帽。
何気ない風景に彼女は何かを見つけて写真を撮り、アトリエに帰ってから書き加える。見えないものを見る力、こんなものがあったらいいなが見える力。
日常の風景にはいつも何かが足りないことが多いから、彼女の手法は有効だ。
ここではマンガのような絵が似合っているのは何故なんだろう。そういえば、彼女の顔も○。
純真な世界。彼女は自然児のよう。




オリンピック⑪浜口京子の銅

女子レスリングの最強といわれる4人の中でも、この人だけはいつも心配させられる。
父親が強く、目立ちすぎるから、いつまでもひとり立ちできてないかのようにも見えがち。
今回も準決勝でフォールで余りにも鮮やかに負けて、3位決定戦に引きずるのではないかと心配だったが、見違えるような試合で銅メダルを獲得した。
本人も試合後に最高の試合でしたということを語っていたけど、本当に最後にいい試合で勝ててよかったよね。こんなやさしい、かわいい人が、よくこんな格闘技のモチベーションを保ち続けられているなと感心する。

オリンピック⑩伊調千春の銀メダル

前回銀、今回も銀だったけど、素晴らしい銀だった。
結構苦戦続きで準決勝は最後の最後で逆転勝ちだった。
決勝は準決勝で力尽きたのか、いいところなく負けたけど、
表彰台での顔は清々しいものだった。
”メダルの色で差はついたけど、私のレスリング人生は最高だった”
”妹の馨と二人で歩いてきた道は最高の道だった”と言い切っている姿
はやりつくした満足感に充ちていた。
銀メダルで残念という論調もあるが、銀メダルはすごいとまずいってあげなくちゃね。

オリンピック⑨男子400mリレー

幸運もあったけど、素晴らしい銅メダル。
朝原は4回も出てるんだから、幸運も1回ぐらいあっていいはず。
現代っ子の塚原はいいムードメーカー。走る前のパフォーマンス、いいじゃないの。負けていたらいろいろ言われていたかもしれないけど、それは日本の体質が問題なだけ。そして若いけど、朝原に心酔しているようにも見える老成した感じもある高平、彼にはまだまだこの先がある。抑え目の末続のレースのコメントはよかった。そして、朝原。本当に有終の美という言葉はこういう場面のために用意されていた言葉だと思う。36才にしてあの走り。素晴らしかった。メダルに結実してよかった。
一回だけオリンピックに出た奥さんの奥野史子さんにやっと追いつけた。
やっと追いつけたんじゃなくて、メダルを取ることが大変な世界で戦っていたんだから、16年もの歳月が必要だったんだと思う。
4人の結束で取れたメダルだろ思うけど、4人が色味の違う4人であることがいいよね。年令も違うし、キャラクターも違う。こういうチームが力を発揮することがいいね。

オリンピック⑧心中する相手

星野はダルビッシュと心中すべきではなかったか。
調子のいい選手をとっかえひっかえ使うという采配はオリンピックのような舞台では向かないのではないのかな。
日本のエースはダルビッシュのはず。調子が悪くともダルビッシュと心中して欲しかった。
選手より自分の采配を信じたところに間違いがあったのかもしれない。

オリンピック⑦女子サッカーチームの4位

澤を中心としたいいチーム。アメリカやドイツにはかなわなかったけれど、東京オリンピックの男子の銅メダルに次ぐ4位は素晴らしい結果だった。メダルをあげたかった。
澤選手を中心に素晴らしいまとまりのチーム。よく走り、決めるところは決め、よく守り、最後はパワーでやられたけれど、女子のソフトボールと同じく、「チーム」の素晴らしさを見せてくれた。
普段は陽の当たらないところにいるのは女子ソフトボールと同じ。そんなハングリーさと、大舞台に立てる喜びが素晴らしい結果につながったのであろうか?
澤選手は確か10代の頃から長くチームの中心選手として活躍してきている。他の選手も長くやってきている選手が多いと思う。そんな長い間やってきた思いとか、汗とか涙とか友情とか・・・・、たくさんのものがメダルには手が届かなかったけど、素晴らしい結果に結実したのだと思う。

2008年8月23日土曜日

オリンピック⑥女子ソフトボール

一致団結とか、根性とか、余り好きではないけど、これほどひたむきさが表に出て、結果に結びついたことも余りないだろう。今回のオリンピックの金メダルの中で文句なく最高の金メダルだろう。
投手の上野以外は戦争で言えば、竹やりのような選手が日本は中心。体格的にも全くかないそうもないアメリカ戦でよく勝った。体を投げ出すようなバント、食らいつくような打ち方、アメリカ戦9回の三塁手のツーアウト目のサードライナー、最後のサードゴロ、どちらも見事な守備、ホームランは読みが素晴らしかった。。。。こういうことが結果に結びついてよかった。上野は驚異的。竹やりばかりの日本で、上野は別格。男気のようなものも感じた。ほんとにすごい!26才の上野には次回のオリンピックがないのはかわいそう。何かもっと舞台を作ってあげたい気がする。

加島祥造「伊那谷の老子」②

”六時半になってもまだ空は薄紅色を交えている。涼しいベランダの椅子に座ってお茶を飲みながら見上げている。空はしだいに紫に、紺色になり、すると十三夜の白い月が輪郭を見せはじめた。”
似た体験を昔、函館山の山頂でした。あの時も少なくとも2,3時間はあの場所にいたと思う。昼間から夕方に、そして夜に向かう空と海の色の変化は見事で見入ってしまった。いか釣り船も見えたように思う。たぶんそのあと、函館港から青森にフェリーに渡り、夜行で上野まで帰ったんだろうけれども、忘れられない時間だ。

加島祥造「伊那谷の老子」①

読むのは2回目。
”ごくゆっくり歩くことで。都会的なせわしない自分から抜け出した自分をみつける”
”「閑」は東洋ではいちばん大事な哲学的・詩的境地のひとつ。「閑」は門に木(横棒)をかけて、その中で自分を世間から取り戻して「自分の時間」の中にいること”
しばらく、加島祥造が紹介する老子の世界に身を置いてみることにする。

今週の外食

(火)昼:鳥唐揚げ、山芋、(水)夜:ハンバーグ、アボガドサラダ、ビール、ウイスキーダブル、(金)昼:ハンバーグ(溜池)。jack cafeなかなかです。

2008年8月21日木曜日

@JACK CAFE

cat under the chair,テーブルはてんとう虫
前脚で顔をぬぐい、
お店の若い女性の撫でる手にいつものように?思い切り甘える。
まだ暑さの残る夕べ
やさしいテンポのジャズが流れる中で、
ここにしかないゆったりした時間が流れる。
僕はビールとアボガドサラダとイタリアンハンバーグの夕食、
そして食後にウィスキーのダブル。
週末金曜のような時間。でもまだ水曜の贅沢な時間。

2008年8月19日火曜日

「子規365日」②

俳句とは映像美・感動を季語と五七五のリズムを持った言葉によってメディア変換を行う芸術である。・・・・なんて、難しく定義してみたが、この本を読んで気づいたことばは、「映像美」「映像喚起力」「カメラワーク」「映像化」などのことばだ。
”大雨の中に四五人田植えかな”子規
は、この短い言葉で見事な映像が喚起されている。ここに俳句の本質のひとつがあると感じた。
最近、写真に俳句をつけた本を見かけたが、こういうことだったのだ。
しかし、俳句の映像は具象画なのであろう。抽象画ではありえないのだろうか。

「インドの衝撃」②

(1)頭脳パワー
とことん突き詰めて、かつ論理的に考える。
論理的に、しかも独創的な思考方法で、かつ美しく。
テクノロジーのあと、マネジメントを学ぶ。
(2)インド経済は本物か?
消費パワー、中間層の拡大、女性の社会進出
ショッピングモール、レトルトカレー、ワイン、マンション、車
最もホットなのは「小売」
モノがヒトを変えつつある、消費中毒、ガンジー精神は消えていないようだが・・・。
(3)政治大国
筋論、強制への強い嫌悪、頑なさ

インドの強さは向上心、人口の多さ、英語、精神性。
冷房の効いた快適なオフィスで働く社員。一歩外に出ると、インドのまだまだ貧しい現実。インドの発展のために貢献したいと思う人たち。こういう気持ちはもはや日本には失われている。
中国13億、インド11億。下流から中流へ這い上がろうとする人たちのエネルギーが国の成長を支えている。まだ、このレベルの国が結構たくさんあることに今更ながら驚く。このエネルギーにはかなわないと思う。

2008年8月17日日曜日

ラタトゥイユ

冷蔵庫になすとトマトときゅうりが残っていたので、久しぶりにラタトゥイユをつくる。
普通はきゅうりではなく、ズッキーニを使うのだが、ずっと安いきゅうりの方がおいしいと思う。
オリーブオリルでにんにくの香りを引き出し、なす、きゅうり、とまと、にんじん、エリンギ、たまねぎなどを適当に放り込み、月桂樹の葉っぱを2枚、そして適当にワインを注ぎ込んで、約20分煮込む。
冷ましている間に味がよくなじむので、早めに作るのがコツ。
「夏野菜の魔法の味」

オリンピック⑤光と影

オリンピックは光もあるが、また影も多い。
柔道の鈴木桂治、マラソンの土佐礼子、男子のサッカー・・・、枚挙のいとまがない。
4年間のつらい訓練の最後に無残なまでの結果が待ち受けることもある。大舞台だからこそ、期待との落差はより大きなものになる。
精一杯やぅても空回りすることもある、さめた気持ちでのぞんで結果が伴わないことははっきりしているが、一途に思いつめているだけに無残だ。
しかし、結果は伴わなくても、積み重ねてきたものが確実にある。それを頼りに次をめざして欲しいもの。

「入門歳時記」

夏井いつきさんの「子規365日」を読んでいたら、季語が気になった。
以前から季語は素敵な言葉が多く、気になっていたのだが、いいきっかけだったので、はじめて今日季語が紹介されている本を買ったのがこれ。
う~む、俳句をつくろうとは思わないが、素敵な日本語の宝庫である。
例えば・・・、「夜の秋」:夜だけに秋めいた感じのすること。昼間は全くの夏の盛りだけど、夜にふと混じる秋の気配のことをさす。・・・なかなかいい言葉である。

クールダウン

夏休み最後の日。
クールダウンには、
小雨交じりの曇天でよかったかもしれない。
きっと、夏の日差しに誘われて、また遠出していただろうし。

夏井いつき「子規365日」

この本は子規よりも著者に興味を持って買った本。
同年代で元学校の先生で、地方在住の俳人。ここまでは普通。
しかし、俳句集団「いつき組」組長という肩書き、写真の感じに何か普通にイメージする「俳句」との快い違和感があった。
活躍は全国的に活躍されされているようだし、読みはじめてみると、レイチャールズを聴きながら・・・というような記述も出てくる。人としてのパワーがあり、魅力的な人のように見受けられる。
とりあえず、俳句をかじる入り口にはなったようだ。

「十五少年漂流記」への旅

椎名誠が幼い時感動した「十五少年漂流記」の舞台となる島と探して、パタゴニアとニュージーランドの孤島を旅する。この人の書籍をずいぶん読んだのは20年以上までだと思うが、まだ続けていることに敬服。
”僕が一番ものを考えられる状態になるのは、不自由な生活を強いられるキャンプなどの野営生活のときが多い”といのは判る気がする。きっと普段の生活では雑音が多すぎるのだ。

2008年8月16日土曜日

街路樹

八景の一之瀬丸がある前の通りの街路樹。
並木になっていて美しい。名前はなんと言うのだろう。

夏の雲

今日は夕方八景島方面を一周。23K。
この一週間で130Kほど。やや多いか?
しかし、今日もはじめは膝が笑っていたが、後半はバテもせずゆったり。
夏の雲が心地よかった。

オリンピック④国のため、自分のため

国民の期待、世話してもらった皆のためと思うとプレッシャーになる。
しかし、自分のためにと思えば力にもなる。子供のためが全面に出て勝った柔道選手もいた。
自分にとっての一世一代の勝負だという意識だけでいいのだ。
国民の期待で苦しんだ柔道、男子サッカー、男子バレーはしんどかったろう。野球もそう。オグシオもそうだったろう。

オリンピック③メダルの有無

メダルとメダルなしの差は果てしなく大きい。
とにかく、周りに惑わせられることなく、自分の中で納得のいくオリンピックであって欲しい。

オリンピック②開会式

開会式は誰のためのものなのだろう。国家の士気高揚のためのものなのか?
参加している選手は全く関係かのようにも思えた。
中国がやっているからかもしれないが、エンターテイメントにも見えず、余りにもそうだいで一糸乱れぬアトラクションには興ざめすら感じた。

オリンピック①「ぎらぎら」と「ひょうひょう」

「ぎらぎら」と「ひょうひょう」。
水泳の北島、柔道の石井は邪悪なまでに「ぎらぎら」。特に眼力。 「ひょうひょう」は体操の内村。
女子サッカーは「結束力」。固定メンバーの良さが男子サッカーチームにないものとして感じた。普段は陽が当たらない中で、ずっとこれまで一緒にやってきたメンバーの強さを感じた。
そして全てに共通するのが「集中力」。

インドの衝撃

インドは沢木耕太郎の”深夜特急”のインド、バックパッカー・放浪者の聖地から急速に変わろうとしている。なぜ変わってきたのか手軽に新書あたりで読もうと思ったが、不思議にもない。・・・ということで手にしたのがこの本。もともとはNHKのTVの取材だが、TVは見てない。冒頭に”インドが今までのインドでなくなってきていることに世界中が衝撃を受けている”という記述があるが、まさにそうだ。知的興味を掻き立てられる一冊。まずは教育の話からスタート。

3つのこと

自転車、アルトサックス、フランス語。
今熱中しているもの3つ。何か共通項があるのでしょうか。

外向きの日々

気持ちが内向きになるとき、外向きになるときが交互にあるように思う。
内向きになるときは、自分の過去の足跡を思い返してみたり、あるいはマイフェイバリットは何か挙げてみて、自分のことを考えてみる。
そういう意味では今は少し外向きなのかなと思う。
外に出かけて何かを吸収する、自転車で走るのも何かを見つけるため。

⑫十五少年漂流記

椎名誠が「十五少年漂流記」について週刊ブックレビューで語っていて、その魅力について「工夫」というキーワードを出した。一般的には知恵とか勇気とか友情とかで語られる本だけど、”ひざぽん”もののキーワードでした。
自分の中の少年時代の重要な本といえば、この「十五少年漂流記」と「家なき娘」だけど、共通する部分は何だろうとずっと思っていたけど、「工夫」がまさにぴったりのキーワードだと思う。
人生の中でも”自分なりの工夫”ということが少しはあったのかなと振り返ってみても思う。

今週の外食

(日)朝:あぶずり食堂の朝定食+アジの干物、(火)昼:ハンバーグ(@プルデンシャルタワー)、(水)昼:横須賀美術館のランチ、(木)昼:火の鳥の壺焼き、ボルシチ、ピロシキ、(金)夜;鳥の水炊き。今週はバラエティに富んだ一週間でした。どれもよかったですね。

2008年8月14日木曜日

野比海岸

久しぶりの「気の風景」。
野比海岸はアメリカ合衆国に続いている気がする。
房総半島と三浦半島の間の隙間から、海はアメリカ合衆国まで続いている感じがする。
東京湾ではこうはいかない。
ここに住んでいる人たちはこの景色に見せられた人なのだろうと思う。

ライオネル・ファイニンガー

雑誌の挿絵や風刺画を描いた後、油彩を描き正統派画家として評価を得た。油彩、水彩、版画、素描、木工作品(玩具)など作品は多彩。
色が鮮やか私好みなのかもしれない。
始まったばかりなので、もう一度訪れたい作家。日本での本格的な公開ははじめてのこととのこと。



野比海岸「火の鳥」からの眺め

この店からの眺めは格別である。
夕方にこの店に来て、夕暮れを楽しみたいものである。野比海岸の駅から徒歩6,7分だからそれほど大変でもない。
しかし、こんなに寂しい場所でやっていけているのだろうか?



潜水艦

横須賀港に停泊中の潜水艦。
潜水艦の上に人が見えたから現役のものらしい。
それにしてもそっけないカタチである。
こんなものが静かに海底深く航行しているのは不気味だ。

横須賀美術館

昨年?オープンした素晴らしい美術館。
レストランがまた絶景の場所にある。
前は広い芝生の庭で、その向こうは東京湾。
東京湾は大きな船や小さな漁船、ヨットなどいろいろな船が航行して、見ていて飽きない。
夏は暑いが、外のテラスが特等席。
星降る夜のディナーをここでいただくのもいいかも。
行ったのは昨日です。

野比海岸

野比海岸まで一気に走り「火の鳥」で昼ごはん。
ビール、ボルシチ、ピロシキ、つぼやき(パンがおいしい、具はきのこと白身魚)。窓から海が素晴らしい。いつか夕方来たいもの。お店の窓からは、右は三浦半島の先端、左は千葉の突端の間の狭い水道が見れる場所。
今日は風が強い。
風がつくる白い波、ウィンドサーファー、流れる雲、海岸に打ち寄せる波・・・・。強い日差しに照らされて、海岸の砂浜の砂が陽にきらめくうつくしい瞬間をここでは心行くまで楽しめる。
今日はサイクリングは往路のみ。帰りはYRP野比海岸駅から京急で。・・・ということで35K。たいした距離ではありません。でも、今日は風が特に強かったので、へとへと。

横須賀美術館

8/13.横須賀美術館でランチをして。8/2からはじまったライオネル・ファイニンガー展を見て、自宅まで走る。雨が降りそうでもあったので一気に戻る。26.6K。

2008年8月10日日曜日

No.38 ZARD「気楽に行こう」

坂井泉水さんの曲で最も好きな曲のひとつ。
今日自転車で走りながら聴いていて気になった。
歌詞は恋愛の曲。そうでよかった。人生を「気楽に行こう」という歌詞でなくて・・・。
もしそうだったら悲しすぎる。
”追いかけたい気持ちにブレーキかけて”・・・誰を想っての歌詞だったんだろう。
”気楽に行こう、今は目の前にある、それぞれの夢を、ひとつずつ積み上げていこう・・・・”

森戸海岸のOASIS

釜利谷→六浦(山越)→逗子→森戸海岸→六浦→八景島。47.4K
今日はそれほど暑くなかったので、疲労困憊ということはなく帰宅。休憩もほとんどなし。
途中、葉山のげんべいでサンダルを見るも、やはりこれは洋光台では履けない。葉山ファッションである。
早めの日ご飯はいつものようにあぶずり食堂。今日は朝f定食+焼き魚(アジの干物)。なかなかよろしい。
写真は森戸海岸のOASIS。

2008年8月9日土曜日

トーマス・マン「魔の山」

大学生以来で、読みはじめた。
ハンス・カストルプという主人公の名前はよく自分の中に記憶されている。
この本は最後まで読んだと記憶しているが、だから主人公の名前がよく記憶されているのかもしれない。
活字が大きくなって読みやすくなったと知り、また読んでみたくなった。
しかし、巻頭の一文は上下巻おそらく1400ページあるこの小説を読み通すのをためらわせるものである。
いわく、「作者はこの物語を手短かに話し終えるわけには行かない。いちばんいいのは、どれほど地上の時間が経過するか予定を立てないことである。まさか七年とはかかるまい」
いやはや、とんでもない小説である。とんでもない覚悟を求めている。
時間観念が異なる時代の小説を現代読む、現代読んでも掛かる時間は同じなのだが、読み通す意味はどのように考えればいいのだろうか?

ヤマハのオンライントレーニング

オンライントレーニングのサックスのコースに入会。
このWEBのプログラムはよくできています。
会員だからだけど、525円はとても安い。
予習、復習が完璧にできます。

タンギングは通過

7/18以来、一回行けなかったりして久しぶりの授業。
<今日の指摘>
・あごに力が入りすぎている
・安定した音出しができない(音が割れる?もれる?)
・息の圧力をかけ続ける
・2分の2拍子はテンポ感が重要
次回にでも楽器を持って行って見てもらうことに。

今週の外食

(月)昼:コウベステーキのステーキランチ(三宮)、(火)昼:ハンバーグ&カレー(新地のステーキハウス)、(水)昼:豚肉の細切りとのナスを炒めて丼にしたもの、(木)昼:銀だら煮付け定食、夜:パーコー冷坦々麺(希須林)。今週は毎日昼は充実です。

2008年8月8日金曜日

塩屋百人百景

元町の海文堂さんに送ってもらった。懐かしい本。
光る海、異人館。
路地、坂、迫る山、階段
防波堤、テトラポット、海岸、砂浜
山陽電鉄と国道2号線とJR
海に注ぐ川、高架下
商店街、昔ながらの露店、買い物客
淡路島、ボート、漁船、海苔の養殖
狭い街にせせこましく詰め込まれている街、塩屋。
住んだのは75年6月ごろから79年3月の4年弱。

2008年8月7日木曜日

深夜特急6②

イスタンブールからギリシア、イタリア・・・のヨーロッパは、沢木にとって香港・マカオ・インドで感じた強い刺激に比べて物足りない旅であったかもしれない。そして、マカオのリベンジを狙ったモナコも門前払い。そこから、何かを求めるかのような急ぎの旅の果てに到着したのが、ポルトガルのサグレス。きっとそこへは旅を安楽死させるために来たのだ。
熱を持ったカラダを冷やすにはふさわしい場所と時間が必要だ。
そのあとのパリ、ロンドンは、先進国に完全に復帰するためのリハビリの旅といってもいいかもしれない。
自分自身の北海道からの帰りも夜行を好んだ。時に釧路から二晩連続しての夜行で東京に戻った。たぶん夜行で、旅で覚えた歌を口ずさみ、暗い窓の外にわずかにみえる風景を眺めながら、熱を冷ましていたのだろう。

深夜特急6

いよいよ最終巻。
イタリアの長靴型の国土の踵の部分に当たる街ブリンディジから、ローマ、フィレンツェ、モナコ、マルセイユ、マドリッド、リスボンを経て、イベリア半島の果ての岬サグレスへ。そのあとはパリ、ロンドン。
ヨーロッパは駆け足だ。街や人との付き合い方も当然先進国スタイルだ。アジアの旅を続けてきた沢木には物足りなかったのかもしれない。ヨーロッパは別の機会に来るべきだったのかもしれない。旅のスタイルが違う気がする。
・ローマの人は着こなし上手。女性は個性的で、特に色使いが垢抜けている。・・・こんな昔の話なのに、すでに”垢抜けている”ローマの女性。
・パリは寒いが寂しくなかった。パリが本当の都会だからだ。・・・これは判る気がする。
・黄金色のサグレスの海を眺め、”ここに来るために旅をしてきた”と感じ、”ここで旅を終えよう”と心に決める。・・・旅の終え方を求めてヨーロッパの最西端まで来たかのようだ。

2008年8月6日水曜日

ちょっとだけ、少しだけ見えてきた?

アンブシャーと腹式呼吸が少し理屈ではなく、身についてきたような気がする。
今週末レッスンだがどうですかね。
だんだん小さな音でも吹けるようになったので、夜でもそれほど迷惑ではないかもしれない。

深夜特急5②

”旅の終り”についてもう少し。
旅の辛さと楽しさのネガポジが逆転し始めると帰り時なのだろう。
そこまで、旅でつらい思いをしたことはないのだけれど。
”旅の終り”といえば、北海道のYHで流行っていた曲があった。
”こんなつらい旅なんか、もういやだ、旅を終わろう、汽車に乗ろう”
きっとこの汽車は札幌行きの夜行だったり、函館行きの電車だったりするのだろう。
北海道を回っていたときも札幌に戻ってくると終りを感じた。
ずっと辺地をめぐって、最後に周遊券の期限を気にしながら札幌に仕方なく戻ってくる。
もうあとは帰るだけ。
やっぱり街に帰ってきたときは旅の終着駅なのだ。
79年3月の旅を記す。3/10大沼、3/11札幌、3/12羽幌(寒かった)、3/13豊富(石油のかすが浮いた風呂)、3/14,15浜頓別(ノルディックスキー)、3/16.17紋別、3/18浜小清水、3/19標津、3/20-22釧路。3/23,24札幌、全15泊。確かこのときは早くに風邪を引き、ずっと咳き込んでの旅立ったと記憶している。写真を見てもひどく薄着。
なんか、深夜特急に全く関係ない話になりました。

2008年8月5日火曜日

熊野神社前YAMATOYA

オーソドックスなジャズを流す。昼間は珈琲、夜はアルコールを出すオーセンティックな昔ながらの店。バーというよりも喫茶店に印象は近い。
この店に通いはじめてどれくらいになるだろう。まだ10年ぐらいか?
いつまでこの店は持つのか?京大の近くながらこの店で京大生らしき人間を見かけたことはないように思う。
でも、おかげで、私はいつでもこの店でゆったりできる。
この店でジャズを聴いて、本を読んで、煙草を吸い、アルコールをちびちび飲み、一人で気ままな時間を過ごす。
いい時間だ。そんなことをする人はもう京都にさえ、生息しないのか?
横浜の491も店を閉めたという。僕らが生息する場所は確実に減っている。

淀川大橋

淀川に掛かる阪急の三本の橋梁は真ん中を走る宝塚線が少し低い位置にあるので、京都線から見ると、神戸線まできれいに見える。
17時ジャスト梅田発は、京都線・神戸線が特急、宝塚線が急行と各線の優等列車がきれいに並んで橋を渡る。なかなか圧巻である。
しかし、写真はどこから撮るのだ。
京都線の特急に乗る前に、十三で久しぶりに天ぷらそばを食べた。大学生の頃よく食べたものだ。

「プガジャ」の時代

元町海文堂ですごい本発見。
「ぷがじゃ」なんていう名前、久しぶりに見ました。
71年創刊(87年まであったらしいが)。プガジャの全盛期に関西で大学生でいて、時には読んでいたにも拘らず、全くといっていいほど影響を受けていないことに、この本を読んでみて驚く。
映画中心、大阪の匂い、アンダーグラウンドなテイストについていけないものを感じていたのだろう。
しかし、B6という特赦なサイズで、「ぴあ」の前にこんな情報誌があったことは関西文化として誇っていい。

六甲2008.8.4


暑い中、レガースを探して汗だくになる。震災の後、来た記憶があるので、10数年ぶりだろうか?アイスカフェオレ¥550を頼む。店は同じ、中もだいたい同じだが、スツールに飛び上がっていた猫は当然いるわけもなく、あの頃いた美人姉妹の一人が今のママさんなんだろうか?お客も夏休みではあるが、ずいぶん年齢層が上がったもんだなと思う。

そのあと、六甲の街をぶらぶらする。石積みの壁が多いのは六甲の特徴だ。
もちろん紅茶文庫はないが、喫茶シュガー発見。この近くに名前は忘れたが1ドル珈琲の店があった。だけど発見はそれくらいか?いやあ、このあたりは高級住宅街です。文学部の校舎はずいぶん新しくなったようです。