2008年1月31日木曜日

マイフェイバリットソングス⑥坂井泉水

80年代は岡村孝子、90年代はZARD、坂井泉水。どういう存在だったのか正直に言えば、朝電車で通勤するときの同伴出勤する彼女とでもいうべき存在。そういう風に書くと冒涜しているように聞こえるかもしれないが、毎日勇気をもらって出勤していたというのが本当である。ZARDの曲はいっぱい好きな曲があるけど、とりあえずの3曲。
2007.5.27 とっても残念な日になりました。
Oh my love
前奏がとても好き。だけどこの曲は歌詞。
「ほら、加速度つけてあなたを好きになる」
“加速度つけて好きになる”、グッと来る歌詞です。
「一緒にいるときの自分が好き」
「あなたといるときの素直な自分が好き」
こんな風に考えることができる女の子を彼女にしたいと思うよね。
君がいない
こちらは曲がいい。編曲もいい。12弦ギター?中心のサウンド。そして、ブラス。
瞳そらさないで
DEENが歌ったのとは違ってギターだけのスローなバージョン。DEENの歌も過ぎだったが、また違った感じで気持ちに刺さる。
「いつもこの時間はうちにいたのに最近君は留守がちだね」
「今のままでは視野が狭くなるし・・・」
このフレーズも強く残っているフレーズ。切ないね。

2008年1月27日日曜日

マイフェイバリットソングス⑤荒井由実「ベルベットイースター」

ベルベット・イースター/小雨の朝/光るしずく 窓にいっぱい 
(省略)  
空がとってもひくい/天使が降りて来そうなほど/いちばん好きな季節/いつもとちがう日曜日なの

ベルベット・イースター/きのう買った/白い帽子 花でかざり
ベルベット・イースター/むかしママが好きだった/ブーツはいていこう
(以下省略)

大袈裟に言えば、日本の音楽を変えた一曲だと思います。
1973年11月に発売された記念すべきファーストアルバム「ひこうき雲」に収録されていた曲。それまでの日本の歌謡曲やフォークとは全く異なるものがここにはあった。この曲を含め、「ひこうき雲」に接したときの衝撃はその後ないほどの強いものだ。一番はじめは多分TBSラジオで聴いたのだと思うが、これだ!と直観した。大袈裟に言えば、日本が変わる予感がした。透明感、まぼろし、霧の朝、けだるさ、アンニュイ、孤独感・・・。少女だけが持つ幼さと大人の中間にある未熟なときにしかない感受性から生まれる表現。しかし、その当時のユーミン以外の同世代の少女たちが持っていたものとは全く異なこれまでの日本にない、新しくて、洗練されていて、魅惑的な感覚。
そして、今この詩を読み直してみると、映像にしてみたくなる。しかし、それはこの世界を冒涜することになるのだろうが・・・。
山下邦彦という人が書いた『甦れ、ユーミン!』(太田出版)によると、坂本龍一が「いちばん好きな曲」というのがこの「ベルベット・イースター」なのだそうです。

白鵬の鬼気迫る気迫

千秋楽朝青龍戦の白鵬の気迫は仕切りからすごかった。普段柔和で、相撲も比較的その気迫を前面に出ないタイプだと思っていたが、今日は二場所休んでいる横綱に負けるようでは情けないということで、絶対負けられない一番ということもあり、いつもと表情が違っていて、何かが乗り移っている感があった。・・・・・・いい相撲だった。本当の勇者同士の一番だった。久しぶりに仕切りから相撲が終わるまでまで緊張した。

今週の外食

(月)夜、Sと関内のいつもの「さんたて」。そば焼酎の蕎麦湯割が柔らかい味わいだった。(火)昼、渋谷の「小松庵」でまた蕎麦。ここの蕎麦もしっかりしていてうまい。蕎麦湯が濃厚で味わい深い。デザートのような感じもある。(木)昼、寒い日、会社のそばでパスタランチ。(金)昼、「ピエロ」のハンバーグ、夜新地。(土)昼、京都西大路七条の洋食屋さん「ぱらんて」でNとハンバーグとエビフライの定食。今週は、何といっても「ピエロ」。

有川浩「阪急電車」②

大学時代につきあってた女の子が通っていた大学がある門戸厄神。あこがれて、5回も受験して5回とも落ちた大学があり、また大学に入ったばかりの頃、ちょっと好きだったTさんが住んでた甲東園。甲東園にある大学の合格発表を見に行ってあえなく不合格となり、なぜか帰りに利用した隣の仁川。表から行って、裏から帰るという心境でしょうか?きっと僕のあとに合否を見に来る人に大学から甲東園までの道ですれ違って、どういう顔をしたらいいのかわからなかったからなんでしょうね。切ないなあ。仁川駅に下る川沿いの道、わびしかったなあ・・・。仁川は就職して、結婚して、子供が生まれて、幼稚園に入るとき、関西転勤になり、引越しの下見でこの駅の近くの幼稚園を見学に来たこともありました。結局、競馬場があるからやめたんじゃなかったかな?結局縁がなかった仁川、ということですね。そして、娘が結局受けなかった小学校がある小林。そして、西北。西宮北口はその頃そんな言い方はしなかったなあ、「北口」かな。でも余り思いがないのは不思議。
この本。自分にとってこんなにいろいろあれば、とりあえず買ってしまいます。

有川浩「阪急電車」①

「阪急電車」などというタイトルの小説が売れるのだろうか?この作家の並々ならぬ自信が伺える。僕は「阪急電車」というタイトルでなかったら、この本を手にとることはなかっただろう。阪急電車ファンだから、そして場面が今津線だから、手にとってしまった。なかなか面白い。今まで読んだ小説にない感じ。何といえばいいのか、「ドラマ仕立て」「シーンが見える」「絵のないマンガ」「そう、マンガっぽい」・・・・、普通の生活の中にある些細なことをドラマ仕立てにして見せてくれている。ドラマを作るのが上手。現実にはそんなドラマなんてないんだけどね。かわいい女も、怖い女も書ける人。グーグルで検索すると、「ベタ甘」の恋愛小説を書く人とあるが、確かにそうで、読んでうらやましくも、気恥ずかしい。

等持院


北野白梅町から嵐電で一駅。1341年、足利尊氏が天龍寺の無窓国師に頼んで衣笠山南麓に創建されたのが等持院。晴れているが雪が舞う中訪れた。寒いからか、ほとんど人のいない境内。広い庭、池、池の水の音、鳥の声、冷たい風のニオイ、それらがあいまって心洗う空間をつくりあげている。ここはライトアップなどない素朴な禅宗のお寺。京都の冷たい風が痛いほどなのだが、清々しく心地よい。また来たくなるお寺である。

肥後橋「ピエロ」のハンバーグ


15年ぶりに食べにきました。お店は12時前だというのに昔と同じお客さんの列。昔は11:25に来たものです。お店に入るとデミグラスソースのいい香りが漂ってくる。ガスコンロで鉄板を暖め、もやしとニラをバターで炒めたものとポテトフライを鉄板に乗せ、チーズを乗せたハンバーグはオーブンで焼かれて、鉄板へ。チーズがこんがり、チーズの焼け具合が最高です。そして最後にデミソースを掛けてお客さんに出す。手の掛かった昔と同じスタイル。すごい、ずっと続いてきたんだ。そして、値段は味噌汁と冷奴とご飯がついてまだ900円。うれしいです。ハンバーグの中にひと粒か、二粒入っている干しぶどうが味のアクセントになっていてにくい。昔と同じ味。文句なくうまい。来てよかった!昔おいしかったものが味が変わったり、舌が肥えるのか、おいしく感じなかったりすることがあるが、ここは期待を裏切らなかった。お店のマスターとおかあさんの掛け合いも昔のまま。いつまでも続いて欲しい店。

京都タワー


1/26夕方。等持院からの帰り。キレイだったので。

N700系


1/26、京都発21.11ののぞみは話題の新型700系。おまけにすれ違う新大阪行も700系ということで、シャツターを押したのが写真ですが、残念、シャッタースピードが遅く、新大阪行は何かわかりませんね。N700系は、車高が低いように思いましたが、そのせいもあってか乗っていて揺れが少ないように感じました。快適です。京都-新横浜1:59。とうとう2時間を切りました。

2008年1月23日水曜日

私の好きな本④西脇順三郎詩集


高校生のときにM先生に教えてもらった西脇の詩は一生の財産になっている。
詩集Ambarvaliaの、ギリシャ的抒情詩にある”カプリの牧人”という詩
春の朝でも/我がシシリヤのパイプは秋の音がする/幾千年の思いをたどり
この詩に始まっていくつかの詩が、ガリ版刷りで高校生の私たちに手渡された。そのときの記憶はないが、そのときのガリ版刷りがまだ大事に残っているのをみると、衝撃的だったのだろう。
詩集には74.2.20の日付がある。高3の冬、受験の真っ最中だ。
それからずっと自分の中で大きな存在感を持ってきた書物。
一昨年は小千谷の記念館に行った。新潟でAmbarvaliaを買った。田村隆一の紹介で更に好きになった。独特の言葉使いのセンスは西脇の前にも人はなく、跡を継ぐものもいない。誰にもまねのできないものだ。想像力をかきたてるというのか、これまでの日本の詩にはないものがあった。下世話でない、高踏的な、西洋かぶれともいえるが、その比喩の使い方は西洋世界に対する並々ならぬ博学ぶりをあらわしてなお、何か私たちを新しい世界に誘う。
西脇については尽きない想いがあるが、とりあえず。
写真は観音崎にある西脇の碑。西脇の「燈台へ行く道」が刻まれている。

2008年1月21日月曜日

マイフェイバリットソングス④宇徳敬子「Good-by morning」

92年11月のリリース。詩は庄野真代。バックの存在感のある男性の声は近藤房之助。この曲に何かの思い出がかぶさっているわけではなく、単にこの頃大阪でカラオケでよく歌った曲というだけだが、強く心に残っている。しかし彼女の曲で心に残っているのはこの一曲だけである。歌詞のどの部分がどうというわけでもないのだが、いまだに心に訴えかけてくるものがある。彼女のHPをみると大阪で時々ライブもしているようだが、記憶の中だけで住み続けるのがいいのかもしれない。

私の好きな本③片岡義男「アップルサーダーと彼女」

冒頭2つ目の短い文章「トーストにベーコン・アンド・エッグス、そして紅茶」は、僕の片岡義男が好きな感覚的なところを最も代表した作品だ。
”トーストにベーコン・アンド・エッグス、オレンジジュースと熱い紅茶、そして日本では普通クレソンと呼ばれている草をひとつかみ、こんな朝食も悪くない。”
こんな文章で始まる。「アップルサーダーと彼女」は79年11月初版発行。あの頃、入社してすぐの頃、片岡義男の作品はずいぶん読んだ。バイクには縁がなかったが、片岡義男の小説に出てくるようなライフスタイルをめざした。この頃、トーストは4~5枚切りの厚いものにしてた。クレソンも少し苦いと思いながら、その頃よく作っていたポテトサラダの付け合せによく買った。小金井の明治屋でキャンベルスープを買い、コーヒーは手動のミルで豆をひいた。食器はその頃青山にあったオレンジハウスによく行った。・・・という具合に、少々アレンジしながら、自分なりの心地よい時間の過ごし方を、片岡義男の小説をテキストにしながら、少しずつ作り上げていった。

2008年1月20日日曜日

徳山の「again」


寝台特急富士の「乗りおさめ?」の項でも少し登場した「again」だが、もう少し記憶にとどめるために書き足しておく。寝台特急に乗るまで少し時間が空いて、街をぶらぶらしていたときに見つけたジャズのお店。できて11年とのこと。ピアノもあったので、時々はライブもやっているようだった。マスターはサラリーマン退職後にお店を始めたような感じの品のいい初老の男性。TVで野球を流していて、ラクに仕事の後の時間を軽めのジャズとともに過ごせる心地よいお店。二度と来ることはないのだろうが、「富士」の乗り収めの前の貴重な時間を2杯のハーパーとともに楽しませてもらった。地方でこういうジャズのお店を見つけるのはうれしい。稚内や釧路でもはるか昔にこういう経験をしたが、まだ残っているのだろうか。写真は徳山駅前のクリスマスイルミネーション。夜8時に既に駅前の人通りは少ないが、イルミネーションが楽しい。

新訳ブーム

村上春樹のいくつかの新訳、カラマーゾフの兄弟、赤と黒・・・・、新訳ブームである。背景はいくつかある。①旧訳は日本語として旧くなった、読みにくい。②古典に親しんだ世代(=団塊)が高齢化して時間ができ、新訳なら読み直してみようという気持ちにさせた。昔の感動の再確認か?初心に帰るということか?活字が大きくなったことも大きい。③古典を乗り越える新刊が少ない。④旧訳があっての新訳なので、新訳はいいものに仕上がっている。⑤軽い文学中心の現代に対して、それでいいのかという反省が若い世代にもある。
若い頃読んだから、もう読まないということでなく、もう一度読み直してみよう。それがもしかしたら自己確認になるのではないかという思い。あるいは読まなかったのだけど、時間もできたし読んでみようという、読まなかったことで今の自分に何か欠落があるのではないかという思いのある上の世代にフィットしたのではないか?
とはいえ、カラマーゾフの兄弟はこの軽い時代に慣れている、身を持ち崩しているというべきか、そんな自分には重い主題であり、なかなか読み進まない。我慢して読むべきなのか?何か拓けるのか?

京急の新型車両?


東急車輛の横浜製作所で発見。新型?もう少し中に入ってみようと思ったが、守衛さんがいて、撮影禁止の文字。ということで、塀越しの写真。

いつかはウィンドサーフィン?


今日はいつもの八景島コース。23K弱。防寒手袋を買ったので、これなら大丈夫。先週は冷えて肩こりになったので購入。途中海の公園でウィンドサーフィンを預かってくれるところを発見。いちいち車で運ぶのは大変だけれど、これなら簡単?自転車で来れる。

福田首相のキャラ

小泉首相のときの官房長官としては、官邸の広報官としていいキャラが前面に出ていて、ウィットに富んだコメントやはぐらかしも憎めないものがあったが、やはり首相としてはイマイチの感は否めない。それなりに誠実で正確であろうとしたり、官僚の冷静な意見をきちんと聞いてしまうから、どうも政治家としては一手遅れる。C型肝炎問題もそうだ。政治家はリスクを負ってでも、限られた情報の中で自己の責任の下に判断して、先に球を投げなければいけないときがあるのだが、それはしない。できない。舛添や麻生のあやしさや、安倍のあやうさもない代わりに、決断が遅れる。物足りなさがある。周囲の目がある中で判断していく、なかなか難しいことではあるが、首相にはそれが求められている。

しらすのピザ

イタリアを紹介するTV番組を見ていてしらすのピザに目がとまった。面白い!大発見!と思って、ネットで調べてみたら逗子のお店を始め、結構、しらすのピザを出すお店があるらしいので残念。釜揚げシラスとたっぷりのバジリコとにんにくを使わないトマトソースのピザを考えていたのに残念。でもそのうちつくってみましょう。

タヒチワイン


「朝だ!生です旅サラダ」で紹介されていた。南の楽園でのワインには驚いた。本来、ブドウ畑に適するのは寒暖の差が激しい石灰質のやせた土地とされているから、苦労は大変なものなのだろう。番組でもうひとつ驚いたのはさんご礁が味に関係しているということ。テレビだからどこまで信用していいのかわからないが、本当ならタヒチワインにとって素晴らしい”物語”だ。

「戦争と罪責」④実行者の責任

命令だから当然のこと、あの時代は、仕方なかった、やむをえなかった・・・、自分達が中国でして来たことを合理化・自己弁明しているだけではないか?他国に侵入して何をしてきたのか?作戦ではなく、侵略・略奪ではないか?命じられたことでも、それでいいのか?少なくとも、その当時生きていくため、非国民にならないため、家族を悲しませないためにはやむをえなかったことかも知れないが、戦後になってもまだ、自己を正当化するのか?個人だけではない(個人として発言してきた人はいるが、多くは沈黙しているが)、国としても非人道的行為を自覚・反省してこなかった国がこの国である。口をつぐむには余りにもひどいことがこの国の人間によって中国において行われていた。
人体実験的なことについて、また血液製剤をめぐる問題についての医師の団体である医師会の反省への発言もなければ(ベルリンの医師会は1988年になってやっと戦争への関与についての反省の声明を出したとのこと)、学者も政治家も誰も反省・総括しない。親も戦後の苦しい生活は語っても侵略・略奪の歴史に対しては口をつぐんできた。発言してきた人に攻撃さえ加えてきた。「日本の文化には罪を感じる力は乏しい」という記述があった。これは、一国民としてかなりショックな自己認識である。日本語における“やむをえない”“しかたない”という言葉はとても便利な免責の言葉である。
この本は自分にとって大変ショックな本であった。そして、戦争に関わった世代が残っている間に、日本人が共有すべきテーマであると思う、残された時間はそう多くない。もう歴史のかなたになってしまう。
そして、日々日常の中で我々は、“やむをえない”“しかたない”という便利な言葉で、現実の問題や企業の中での問題を処理してないか、企業犯罪にもこうやって加担していないか?自戒の念をこめて。もっともっとこの本で知ったこと、学んだことを記しておきたいが、とりあえず。

2008年1月19日土曜日

日本のアニメ・マンガのグローバル化

木曜に日本のアニメとマンガのグローバル化についての講演会に行ってきた。明快な答えは得られなかったが、なぜ日本のアニメとマンガがグローバル化しているのかは面白いテーマである。映画は×。小説は村上春樹や吉本ばななは欧米でも人気があるが作家が限られている。音楽はジャニーズ系をはじめ、アジアへの進出は目覚しいが、欧米へはほぼ×。その中でのマンガ・アニメの欧米への進出ぶりは何なのだろう。エモーショナルなところで何か届くものがあるのだろうという仮説だが、どうか。根拠は村上春樹のエモーショナルなところでグローバル性があると指摘されていることなのだが・・・。日本企業も海外市場も取り込んではじめて利益が確保できる状況。その秘密を探りたいところ。何かヒントがあるかもしれないが、かなり研究が必要そうである。

私の好きな本②田村隆一「詩人のノート」

1978年6月に三宮のkobeブックスで買った本。30年たっても旧くならず、いまだ大切な本。ずいぶん手に取っているから、ノートのビニールがぼろぼろだ。西脇順三郎の詩が取り上げられていたことが、僕を田村隆一に近づけた。田村の西脇信者ぶりもすごい。
この本は田村隆一そのものといってもいい本だ。西脇や自分をはじめとした詩や様々な詩人について(田村にとっての詩は生活そのものといっていい)、旅行のこと(意外にも結構行っている)、鎌倉の話(銭洗弁天や谷戸の話はここで知った)、そして何より酒の話(酔って機嫌のいい田村の顔が浮かぶよう)・・・、いろいろな話がここには詰まっている。。田村隆一は詩人だが、僕はこういうユーモアがあり、詩的センスがあり、おおらかな散文の方が好きで、肩に力の入ってない自然な文体が好きだ。詩では「青いライオンと金色のウイスキー」という詩があるが、この雄々しい感じが田村そのもののように思う。
1998年の8月に亡くなっているから、10周忌だ。

ブログのきっかけ

何気なく、気負いもなく、新年からブログを書き始めた。二度目のチャレンジ。あっという間に、これが35回目の投稿。自覚的にそう思ってはじめたわけではないのだが、きっと日々感じたことを残しておきたいという本能のようなものが突き動かしたのだろう。自分の感性が年令とともに次第に鈍くなりつつある中で、数少ない自分の感性が反応したことがらを大事に残しておこうということなのだろう。
これまでに書いていることは全く脈絡ないが、いくつかのカテゴリーには分けられるようだ。これを数ヶ月ためてみると、きっと自分の精神世界のようなものが俯瞰できるのではないかと思うと楽しみである。それを楽しみにしばらく、毎日感じたことをいとおしみながら、書いてみることにする。

マジックアワー

江国香織さんの「つめたいよるに」の解説を書いている川本三郎さんの文章で、この言葉を知りました。以下文章を引用します。
「太陽が沈んだ後、数分間だけ、まだ光が残る。その短い時間は、光がもっともきれいなときで、この時間に撮影すると信じられないような美しい映像が得られるという。・・・・奇跡のような瞬間」
勤めている会社のビルからも、夕方、空が一面不思議な色に変わるときがあります。真っ暗闇になる前のほんの短い時間。それは人工的に作り出せるものではない、毎回異なる空というキャンバスに描かれた自然という天才の所業。そうなんだ、ああいう時間をマジックアワーというんだ。ネットで検索したら、マジックアワーの魅力についていろんな人が語っていました。これだけでも、毎日デジカメを持って会社に行く意味があるかも。でも、仕事に没頭していては気付きません。ほんの短いドラマですから。

今週の外食

今週は寒かったですね。昼食で外に出るのも寒かった。今夜は気の合う仲間での夕食でしたが、帰りの駅から自宅までの寒いこと、寒いこと。帰ってすぐ風呂に入ったら、歯まで冷えてました。ホント!
で、火曜は鳥の唐揚げか悩んで、焼き魚定食(シャケ)、水曜は社食のオムハヤシ、木曜はこの日は寒かった。昼は坦々麺、夜はホームワークスのサンドイッチ、後ラーメン。そして今日は、余りに寒いので、昼は社食、夜は六本木テレ朝通りの香港家庭料理の店「揚記」で中華。はじめて行った店だが、値段が手頃にもかかわらず、味は素晴らしかった。また、行きたい店です。前菜のピータン、チャーシュー、そしてエビ、中華ハンバーグのようなもの、麺、デザートすべて言うことなし。満足でした。追記。土曜は、昼は渋谷ロゴスキー、夜は勝烈庵と手堅い流れ。今週は「揚記」ですね。

2008年1月18日金曜日

私の好きな本①江国香織「デューク」

江国香織さんの本の中では、初期の頃の童話のような話や、姉妹をめぐる静かな話が好きだ。
その中でもお気に入りの、江国さんの初期の小説「デューク」について少し書いてみる。
大好きだった犬のデュークが死んで、私はそれでも仕方なくバイトに行くために乗っている電車の中ても泣き続けている。デュークはそんな私の元に1日だけ少年になって現れる。少年は人気のないプールに私を誘ってくれて一緒に泳ぐ。思いがけず私は気持ちよくなって、逆に少年を美術館に誘い、そしてなぜかデュークが好きだった落語に誘う。最後に少年は私にキスをする。私はそのキスがデュークがいつもしてくれたキスに似ていることに気づく。デュークが別れを告げに来てくれたのだ。そして、少年は「お元気で」といって駆けて行き、消え、私は立ち尽くす。そんな文庫本でさえ6ページの短い小説。
割合最近、「私」の役を優香ちゃんがやってドラマになった。結構良かったからビデオにも録画してある。キスのシーンは小説とちょっと違ってた。
「右斜め後ろからやってくる不意のキス、そしてその後に続く長く甘いキス」
ドラマチックだし、犬がご主人様にするキスとしてもわからないことはないが、ちょっとあざといかなとも思う? でも、少し大袈裟なのがTV。とにかく小説も、ドラマも良かった。

2008年1月17日木曜日

マイフェイバリットソングス③「雪の華」

マイフェイバリットソングスで3番目に登場するのがこの曲だとは、自分でも意外ですけど、大好きであることには違いないし、まあ冬ということもあり、・・・ということで。
中島美嘉さんの2003年のヒット曲。曲ももちろんいいけど、詩がとてもいい。
出だしの、「のびた人陰(かげ)を舗道にならべ 夕闇のなかを君と歩いてる 手をつないでいつまでもずっと そばにいれたなら 泣けちゃうくらい」
そして、「風が冷たくなって 冬の匂いがした」というフレーズ。
「今年、最初の雪の華を ふたり寄り添って 眺めているこの瞬間(とき)に 幸せがあふれだす」
「誰かのためになにかを したいと思えるのが 愛ということを知った」
「ただ、君とずっと このまま一緒にいたい 素直にそう思える」
ただただ、好きということが痛いほど、切なく伝わってくる。こんな風に感じてくれる女の子と冬の寒い時期に恋愛できたら、どんなに素敵だろう。切ない恋をしている人、哀しい失恋をした人は涙なしでは聴けませんね。

2008年1月15日火曜日

「戦争と罪責」③戦争神経症

仕事で心を病む現代は人間が弱いのか、それともあの時代の苛烈な環境にも匹敵するのか?
戦争で心を病んでいた時代、があった。軍隊の厳しい環境、上司の理不尽な命令、死への恐怖、戦地での人殺しや非人道的行為への激しい嫌悪とそれでも手を下さなければならなかったことへの葛藤・・・。人間を極限まで追い詰めれば神経症は必然。発狂や発狂寸前で不名誉なカタチで亡くなった人も多いはず。単に心の病への知識がなかっただけなのだ。

2008年1月14日月曜日

「戦争と罪責」②生体解剖

生体解剖は何のために行われていたのか、それは戦地で傷ついた日本兵の命を救うための技術習得のために、中国人を練習台に行われたことであった。まさに必然として行われたことが本当に、本当に、恐ろしい。ベースに中国人に対する蔑視があったわけだが、自分の行為が狂っているということに、高学歴の医師達も気付いていない。そんな時代だったということでは許されない。

勤務医の「医師会」

今日の新聞によると、今年夏に病院の勤務医を中心とした医師会が誕生するそうです。そこではじめて知ったのは、日本医師会は開業医中心であること。開業医のための団体だったんだ。病院の勤務医は発言権すらなかったんだ、ということ。そうだったんだ。だから、ああいう行動をしてきたわけなんだ。・・・・・ああ、世の中で重大なことで知らないことが多い。情けない。
日本医師会は健康保険制度の下、医療と金儲けを最大関心事にしてきた・・・ということが、「戦争と罪責」の中でも書かれている。勤務医中心の医師会がいいカウンターパワーになればいいのだが。

戦争と罪責①反戦運動の基盤

米原万里さんの「打ちのめされるようなすごい本」に紹介されていた、野田正彰著「戦争と罪責」を読みはじめているが、久しぶりに本当にずっしりと重い本。
いきなり、「戦後日本の反戦平和の運動は、基本的に被害者意識の上に組み立てられた」というすごいけれど、当たり前の記述に立ちすくむ。そうなのだ、広島・長崎の被爆体験に日本の戦後の反戦平和運動はその基盤を置いている。そうなのだ、侵略戦争は何一つ、反戦平和運動の基盤となっていない。仕方なかったでは済まされないはずなのに、広島・長崎の前にこうべをたれる存在があることを忘れたがっている。これでいいはずもない。

合コンの社会学

光文社新書の新刊。まず金曜9時は合コンタイムとのこと。合コン経験なしの年代の私としては、とにかく目うろこの一冊。著者の二人の年若い社会学者は”社会学と銘打つには勇気が要る”とあとがきに書いているが、合コンはもはや立派に社会学的事象である。
学生時代や職場での出会いを除いて、現代の男女が知り合う場として考えると、ネット、結婚情報サービスより合コンははるかにすぐれた制度である。お互い身元が知れているという低リスク性もある。しかし、この本によれば、合コン参加のお作法がいくつもあるらしく、”よく似たタイプを集める””がっつかない、和を保つ””核心(仕事・学歴・年収)に触れない””合コンより飲み会(ただの飲み会を装う)”などなど・・・。若者はお気楽に楽しく合コンやっていると思ったら、結構大変なんだ。
しかし、こんなに作法が多いところでちゃんと振舞う自信はないなあ。・・・というより、もはや資格がない・・・・・・か。とはいえ、前半は面白く読んだが、後半にもなると食傷気味にもなる。年のせいか?

きんめの煮付け


新春はじめての葉山森戸海岸までのサイクリング。今日は最高気温が10℃に届かず、かなり寒い。手足の指は凍えて、もう少し武装が必要か?といっても、2月に入ると花粉症で自転車に乗れなくなるのが例年。昨年も2/4に乗って、次の輪行は5/4。

今日は往復36.76K。11時過ぎに自宅を出て、昼は葉山あぶずり食堂できんめの煮付け定食、850円也。おかしらの部分でラッキーでした。濃い甘めの煮つけで好みの味。森戸海岸では、こんな日でもウィンドサーファーは結構出ている。

夢の中に出てきた名前

突然、不思議なことだが夢の中に出てきた名前、「やまがたすみこ」。記憶の遠いかなたには存在するが、ずっと忘れていた名前。余りにも不思議なことあのでウィキペディアで検索してみる。
★やまがた すみこ (旧本名 : 山県寿美子、1956年10月31日 - ) は、フォーク歌謡曲等のシンガーソングライターである。東京都北区出身。作詞作曲者としての名義は山県すみ子。夫は井上鑑。井上鑑の奥さんなんだ。
1973年2月に自作曲を歌ったファーストシングル「風に吹かれていこう/あの人が好きなのに」でコロムビアレコードよりデビューした。高音を生かしかつ暖かい歌い口が持ち味で、ビブラートを抑えた素直な歌唱にはファンが多かった。この曲はすごくよく覚えています。結婚後は表舞台にたたなくなったが、2004年にはCDも出しているとのこと。

春の気配

自宅近くの団地のモクレンのつぼみ。まだ冬本番だが、ここまで芽吹いている。この団地の中は春本番になると、このモクレンの白い花が美しい。

2008年1月13日日曜日

ホットワイン

この冬の夜の飲み物のマイブームはホットワイン。今夜は、最近飲んでる2Lのボックスタイプのボルドーの赤を暖めて、シナモンスティックを浮かべて楽しんでいる。シナモンの香りが混ざり合うことで、甘みを感じたりします。いろんな味を楽しめます。
日本ではホットワインと呼ばれるが、これは和製英語である(正しくはMulled wine)。フランスではヴァン・ショーvin chaud(熱いワイン)と呼ばれる。一般的には、赤ワインにオレンジピールシナモンクローブなどの香辛料、砂糖シロップを加えて火にかけ、温めます。
夜遅い時間は、冬はワインもホットがいい感じです。

リヨンの光の祭典


最近ご贔屓の日テレの「世界弾丸トラベラー」、今週はさくらが行く、フランスリヨン光の祭典。12/8に街が光と幻想の芸術都市になる。
この祭典は、ペストがアルプス以北の欧州で1348年から1353年に流行した際、リヨンのひとびとがフルヴィエールの丘にあるノートルダム聖堂のマリア像に祈りを捧げたところ、流行が治まったことに由来するという。
この日の夜はリヨン市内の家々の窓際(感謝の捧げ物としてのロウソクなので、本来はフルヴィエールの丘に面した窓のみ。現在はそれにこだわらない)はろうそくの灯りで彩られ、建物や道路はイルミネーションで飾られる。

2008年1月12日土曜日

結構はまっています

1/5にこのブログを書きはじめて、これではや20番目の投稿。結構、文章を書くのが好きだということなんでしょうね。あと、趣味や好きなことが散らばっているので、いろいろ書くことがあるし、その日その日で気付いたこと、感じたことを書きためて、あとで読んでみるのも楽しいでしょね。19番目の白ずいきのように、投稿するために調べたりするのも意外にいい感じです。まあ、しばらく続くと思います。

「こなから」の白ずいき

「こなから」のおでんでは白ずいきが楽しめた。練り物、大根、たまご、ちくわぶなどやわらかい材料がほとんどのおでんだが、しゃきしゃき感のある白ずいき(赤ずいきはやわらかい)は、その触感がおでんの中では冴えていて楽しい。
というわけで、以下は白ずいきのお勉強。
「ずいき」とはサトイモの茎(正確には葉柄)の部分を食用にしたもので、ビタミンやミネラル、食物繊維が豊富なヘルシーな食材です。このずいきにもその茎の色の違いによって「白ずいき」と「紅ずいき」の二通りのものがあるのですが、「紅ずいき」の多くは京都に出荷されているようです。
白芋茎(白ずいき=白ダツ)は、葉柄(ようへい)に紙を巻き、軟白栽培をして白く育てたものを白ずいき(白ダツ=ダツとは脱色の意味)というらしいです。
そうなんです。わざわざ手間掛けて白くしたものなんですね。勉強になりました。

マイフェイバリットソングス②「秋の気配」

これも、「幸せになるため」同様、80年ごろTが歌っていた曲。
77年のオフコースの曲。
公園は横浜港の見える丘公園。
「ぼくのせいいっぱいのやさしさを あなたは受けとめる筈もない」
というフレーズが何度聴いても痛い。
港の見える丘にある公園は神戸にも、函館にもあるね。
<歌詞抜粋>
あれがあなたの好きな場所 港が見下ろせるこだかい公園/・・・
こんなことは今までなかった ぼくがあなたから離れてゆく ぼくがあなたから離れてゆく/・・・
ぼくのせいいっぱいのやさしさを あなたは受けとめる筈もない/
こんなことは今までなかった ぼくがあなたから離れてゆく

2008年1月11日金曜日

「幸せになるため」追伸

あの人も仕事を終えて、今頃家路をたどっているだろう/迎えに行こう、幸せになるため/離れているけど、同じ愛みつめ」
何ということもないのだが、歌詞が心に痛い。山本潤子の声がまた、しみる。

今週の外食

今週は会社が始まって新年1週目。1/7(月)秋葉原の「ジロー」のスタミナ定食。この店のスタミナ焼きはずっと大好物。スタミナ焼きだけ食べるのははじめて。1/8(火)渋谷魚山亭の「鳥南蛮定食」。昼にこの店に来るのははじめて。お味噌汁がおいしい。1/9(水)昼は蝦夷鹿のパスタ。夜は「こなから」。1/11(金)は会社近くの定食屋さんの「しょうが焼き定食」。

マイフェイバリットソングス①「幸せになるため」

1976年、ハイファイセットの曲。
Tが歌ってくれて知った曲。そして①がこの曲とはね。
有名な曲ではないんだけど。あの頃が昨日のことのように甦ってくる曲。

「幸せになるため」
作詞 荒井由美、作曲 村井邦彦、唄 ハイ・ファイ・セット
夕焼けが燃えて落ちてゆくよ山並みのむこうへと馳せる想い
あの人がくらす町もやがて薔薇色の輝きに染まるころ
あの人も仕事を終えて 今頃家路をたどっているだろう
離れてるけど同じ愛見つめ
生きていてひどく淋しい時よみがえる横顔がゆれている
川面に広がる黄昏 もう一度二人で歩いてみたい
迎えにゆこう幸せになるため 離れてるけど同じ愛見つめ

Panasonicに統一

「松下」を捨て、「ナショナル」を捨て、「Panasonic」一本で勝負するとのこと。遅すぎたかもしれない。「Panasonic」はもう長い間伸び悩んでいる。
「ナショナル」を捨てるというよりは、「ナショナル」ともども、「松下」を消したかったんだろうと思う。マスコミでいろいろ記事に取り上げられても、「松下電器の」で取り上げられて、「Panasonic]の」で取り上げられない。そんなことも要因だろう。
しかし、商品がヒットしなくてはブランドイメージは上がらない。デジカメがNo1ブランドになり、ブルーレイがヒットしている今は、社名・ブランド名を変えるチャンスだろう。

2008年1月10日木曜日

僕等の時代

オフコース1980年の曲。作詞作曲小田和正。「時に愛は」のB面。最高位35位。
そうか、そんなには売れなかったんだ。
歌詞は、
・・・・・・・
あの頃に戻って、やり直したいこと
誰でもそれぞれ、心の中に
時は移り行くもの、明日を見つめて
あの頃は時々、振り向くだけにして

まだ若い頃の小田和正のハイトーンボイスは、今もハイトーンボイスだけど、
やはり若い危険さに充ちた、あの時代の若い女性を虜にしただけのことはある
素晴らしい声だ。
自分もまだ20代半ば。その頃のことは時々振り向くだけにしたいけど、
最近はしばしば振り向きたくなる。いかんなあ、
でも、このあと、何曲か振り向いて見ましょうか。

2008年1月8日火曜日

渋谷のブックファーストがない!

久しぶりに渋谷へ行ったら、ブックファーストがなくなっていた。個人的には、青山ブックセンターと並んで現在東京にある、最も大切な書店がなくなったといっても過言ではない。渋谷駅を降りて、昔、旭屋書店があったところが、ブックファーストに変わっていることは気づいたが、そんなに広い場所でもないので、店が増えたんだろうぐらいにしか思わず、東急本店への通りを上がって行くも、ない!10/14で惜しまれつつ閉店したらしい。
渋谷のブックファーストは海外の小説をほぼフルカバーしているし、周辺が若い人が多いせいか、今若い人に売れている本をウォッチするにもよかった。なにより、本の量が多く、洋書もあるし、雑誌も多いし、いわばワンストップで本が探せる店だった。あと、時々発行の「アメリカンブックジャム」を置いている知っている中では唯一のお店だった。
本当に貴重なお店がなくなった。ボー然、残念、ううう・・・。移転した駅前の店では規模も違うし、全く代替しない。新宿に新旗艦店ができるらしいが、新宿にできてもね・・・・。あ~あ!

中川翔子×フィゲラス

タイトルの2つの言葉を掛けてGoogleで検索すると、何と!我が「半島的生活Ⅱ」のブログがしょこたんブログに次いで、3番目に登場するではありませんか!ビックリです。・・・といっても、中川翔子×フィゲラスでgoogleで検索する人などいないから、このブログも発見されないですね。でも、なんかうれしい感じです。

中川翔子のバルセロナ・フィゲラス


土曜日の日テレの「世界弾丸トラベラー」という深夜の番組で中川翔子の1泊3日「スペインでダリの世界を究めたい」を視た。松下奈緒主演の映画「未来予想図」を京都で見て以来マイブームになっているバルセロナ、そしてバルセロナのガイドブックを眺めて気になっていたダリの生誕の地フィゲラスを中川翔子が訪れた。
1日目は成田→パリ経由バルセロナ着。夜のサグラダ・ファミリアを楽しんでホテル泊。翌日は早朝にホテルをたち、片道2時間半でフィゲラスへ。食事後ダリ美術館で1時間半楽しんで、また電車でバルセロナへ戻り、パリ経由で成田着は翌日の夜。
ああ、うらやましいね。

2008年1月7日月曜日

ジュンパ・ラヒリ

須賀さんが私にとってのここ数年の中での最大の発見だとしたら、第2位はこの人だ。2000年に翻訳が出た「停電の夜に」が日本初お目見え。「停電の夜に」は短編集だったので、標題の作品などいくつかはわたしでも英語で読むことができた。英語もわかりやすい。
年末に日本では二作目になる「その名にちなんで」の映画を見た。インド人男性との結婚でアメリカに来たアシマのエトランゼとしての孤独感が印象的だが、これはインド人だからという孤独感・不安というのではなく、より普遍的な現在人の孤独感・不安感を表現しているように思われた。
460ページある小説は何日かかかって読んだ。それに対して映画は2時間強。作品を味わうのに要する時間の差はいたしかたないのだが、「静かに過ごす時間」が重要なテーマであるこの作品には映画というメディアは本質的に難しいのかもしれない。

須賀敦子文庫版全集、やっと完結!

ここ数年の個人的な最大の発見であった須賀敦子さんの文庫版の全集の発行がやっと完結した。
途中から発刊が随分まばらになり、2006年から3年をまたいでの発行となった。ラストの第5巻はイタ
リアの詩が中心。須賀さんの匂いたつような、端正で、選び抜かれた言葉で紡がれた文体(詩でも”文体”という言葉でいいのか?)は、詩でも小説と同じだ。もしかしたら、その研ぎ澄まされた文体は、詩により似合っているかもしれない。じっくり味読すべき一冊。
今年は須賀さんの没後10年。何かしらイベントなどが催されるのだろうか。いずれにしても、本人が亡くなられていては、もう新しい文章をかいていただけないので、残念で仕方ない。数少ない著作と須賀さんが紹介している作家たちは私にとっては宝物である。かえすがえすも、もう亡くなられた存在であることが残念である。

2008年1月6日日曜日

旅の終り

「旅の終り」は、30年ぐらい前、北海道を気ままに旅していた頃、ユースホステルでよく歌った歌です。「こんなつらい旅なんかもうイヤだ、旅を終わろう汽車に乗ろう」というフレーズが、ずいぶん思い入れを込めてその当時歌っていたのか、今でも大きな存在感をもって記憶の中の残像を残しています。

【作詞・作曲】舟橋俊久 【編曲】石川たいめい
1)夢のような旅だった 遠い北の国の
ボクは旅の喜びと  旅のつらさを知った
北の国の少女たちと すごした夢のせつな
今日は君も他の街へ ボクも他の街へ
こんなつらい旅なんか  もうイヤだ旅を終わろう  汽車に乗ろう

2)共に山に登ったね  君と手をとりあって
共に海を見ていたね 水は青く澄んで
君の心 清く澄んで ボクの心がとりもどす 海の青さ

3)人と人との出会いなんて  いつも別れで終わる
ボクは君のくれた夢を  明日も 持ち続けよう
こんなつらい旅なんか もうイヤだ 旅を終わろう  

汽車に乗ろうこんなつらい旅なんか  
もうイヤだ 旅を終わろう  汽車に乗ろう

エビちゃん

1/6のおしゃれ関係SP(?)で、エビちゃんと呼ばれてきたアイドル像のナマの姿にはじめて触れた。宮崎県佐土原町出身、九州産業大学デザイン学科卒。双子の妹は看護士。意外なほど素朴な生まれ故郷。意外なほど優等生で、スポーツ万能で、でも、芸能人ぽくないキャラ。たくさんのいい友達、家族、先生。これまではチャラチャラした女の子ぐらいにしか思っていなかったけど、意外なほど素直な、普通っぽい素顔。かなり好きになりました。

28年ぶりの白みそのお雑煮

社会人1年目の28年前、大学の友人達と奈良の大和山荘で食べて以来の白みそのお雑煮を元旦に作った。ほぼ再現できていたように思うが・・・。何食か食べ続けると飽きるが、一杯目は白みそのお雑煮もおいしいものです。お正月の特筆すべき、らしい料理はこれだけ。
2日は外食。サバティーニ横浜で、生ハムなどオードブル盛り合わせ、モッツァレラチーズとトマトのカプレーゼ、ポルチーニ茸と生クリームのフェットチーネ、ミラノ風カツレツなど、いただく。どれもいうことのないお味だけど、もう少しこなれたお値段だとありがたい。まあ、このお店にそれを求めるわけには行かないけど。3日はポトフ、6日は餃子、いずれも自宅にて。その他、昼にトマトソースのスパゲッティ、オムライス。この休暇もずいぶんつくりました。

徳永英明の「まちぶせ」

話題の徳永のカヴァーシリーズだが、石川ひとみの「まちぶせ」は余りにも暗い。「まちぶせ」ということば、それ自身がそもそも暗いのだが、徳永の歌はそれを増幅するかのように暗い。30年近く前付き合っていた女性が石川ひとみにとても似ていたことを思い出した。人間、かわいいだけでは関係が続かない、そのことを感じさせてくれた女性だった。

乗りおさめ?


12/18福岡出張の帰りに、新幹線で先回りした徳山のジャズの店「again」でウイスキーを楽しんだ後、寝台特急富士/はやぶさに乗車。約12時間の旅を楽しんだ。久々、列車に乗る前のワクワクした気持ちを感じられた。乗ったB個室は普通のB寝台の二段寝台と同じ料金で個室というお徳な切符。座席としても充分使えるし、着替えるのにも不自由ないスペース、煙草も吸える、ということのない空間。徳山駅前のローソンで買ったサントリーの「角」を飲みながら文庫本を読むという古典的な時間を堪能した。広島あたりで寝てしまい、途中大阪-京都間だけ目が覚めたが、あとは朝までぐっすり。夜行列車を満喫するというには寝すぎてしまったが、福岡出張という千載一遇のチャンスをいかして、「乗りおさめ?」かもしれない、東京-九州の寝台特急を楽しんだ。

2008年1月5日土曜日

初詣


1月4日。鶴岡八幡宮へ初詣。
昨日よりも更に暖かい初詣日和。
4日なので、そんなに混雑せず初詣。
お昼は竹の家まで足を伸ばして天ぷらせいろをいただく。腰のあるおそばとかつおのきいたつゆ。いいお昼でした。

富士山に向かって走る


1月3日、快晴。自宅近くの公園から富士山がきれいに見えることを確認して、新年サイクリング第一走は茅ヶ崎方面に決定。富士山がきれいに見える場所を求めて、結局茅ヶ崎の柳島まで走る。撮影は湘南大橋たもと。柳島往復+江ノ島、鎌倉山(サンルイ島にてコーヒーとケーキをいただく)に寄り道して、最近では2番目の距離56.88Kを快調に走破。暖かく、風もなく、冬としては素晴らしいサイクリング日和。