2008年11月22日土曜日

なぜ、資本主義は暴走するのか

久々に経済書。
90年代末までに「市場」は事実上の支配者となった。
そして「株主価値」という言葉が全てを支配することになった。
企業は本来は長い時間をかけて企業価値を高めていくべき存在であるが、今や目先の『株価』のみが目標になってしまった。すべては『株価』のために、である。企業は四半期ごとの利益ありきになり、利益は年々増えていくのが当然と考えられ、そこには当然のように無理が生じてくる。
『株価』至上主義は会計の偽装・利益操作を産む温床になり、企業・事業の買収・売却を進め、ストックオプション制度を肥大化やCEOのすさまじいまでの高い報酬というように、矛盾を膨張させ、様々な問題やひずみを生み出した。
規制緩和もそのためのものだったともいえる。インターネットバブルも背景としては大きい。
そして、ここには反対できない言葉が背後に存在する。それは、「自由な市場」「自己責任」「株主価値」「規制緩和」「利益は拡大するもの」。それぞれにわかには反対できない言葉である。そこに落とし穴があるということだろうか。
401Kは「市場」を活性化させることが目的のインチキな政策ではなかったか?自己責任という言葉のもとで、庶民の年金は失われた。責任は誰にあるというのだろうか?「市場」に魂を売り渡してはいけない。何のための「市場」なのか考えるべきである。人間は暴走するもの。多様な利害の折り合いをつけていく知恵が重要なのだ。
エンロン事件と9.11はほぼ同時期に起こったアメリカへの大きなしっぺ返しともいえる。ハインリッヒの法則でいえば、ひとつの大事故の背後には300の小さな兆しがあるという。多くの小さな兆しを見逃してきた結果なのだろう。

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