2008年5月31日土曜日

今週の外食

(月)夜:さんたて、(火)夜:古母里、きんきの塩焼きとすき焼き絶品。久しぶりに本当にうまい肉を食べた感じ、(金)昼:鮨兆(バラちらし)、1500円、ここもうまい。しかし今週はすきやきか?

2008年5月29日木曜日

売れる予感

PRADAブランドで売りはじめたLGの広告。場所は表参道駅。やっとこういうものが出てきた。
LGブランドでは売れないので、PRADAだともいえるが、PRADA
ブランドの携帯は確実に話題になりそう。
表参道駅に大量のポスター掲出。久しぶりにわかりやすい戦略。

2008年5月27日火曜日

「チェッカーズ」

バンドのチェッカーズではなく、これは中華街にあったバーの話。
中華街の表通りではなく、少し脇にそれたところにある。古い佇まい、看板が歴史を物語る。
外からではバーボン一杯いくらなのか、わからないから今時とても入りにくい店。
入りにくさ、いかがわしさを好奇心が勝って思い木のドアを開ける。
予想通り・・・、客がいない。
ばあさんがチャージは○○だよ、それでいいかい、とまずこちらの懐が特段暖かそうでないことを読んだのか聞いてくれる。
店内は古い時代の横浜の写真などがあったように思う。ばあさんと話していると、昔は外国航路の船員さんがたくさん来てね・・・という話になる。そして、ヘーシンクの話だ。いかに店に来たヘーシンクが大きかったか・ヘーシンクが店に来たことは、ばあさんの一生の宝物なんだろう。
のそっとじいさんが顔を覗かせる。ばあさんの話だと調子がよくないらしい。
結局客は私ひとり。
こんな店はもう東京じゃやっていけない。1960年代のまま時間が止まっている店。ネットで調べてみると、店がなくなっているようだ。確かめに行かなくては。

日経新聞風言い回し

いずれも取材記事での言い回し。
・・・・・豪語する
・・・・した形だ
・・・・と、意気込む
・・・・する構えだ
いずれも少し大袈裟なのだろうか?
別に豪語というほどでも、意気込むというほどでもないところで使われている。
取材対象の話をことさらに大きく取り上げようとしているのだろうか?
ちょっと言い回しを少し考えないかなあ。

坂井泉水さんの一周忌

夜中の12時を過ぎたので、今日5月27日は坂井泉水さんの一周忌だ。
この1年、いくつか追悼本なども読んでみたが、やはり素顔はわからずじまいだ。
自殺でも、事故死でもどうでもいいじゃないか。素敵なサウンドを残してくれた。
最後の時間をお母さんと過ごせたことが良かった。

「心療内科を訪ねて」

心の痛みがこれほどまでに体の痛みをもたらすのかということを、自身の体験も含めて綿密に取材している。
精神科医orカウンセラーを主人公にした探偵小説なんてどうだろうか?

2008年5月25日日曜日

ジャン・ルノワール「河」

インドの繊維工場の工場長であるイギリス人の家族の物語である。とりたてて大きな事件が起こるわけでもないのだが、「河」があり、異国の風景があり、異質な色彩感覚がある中で、家族とひとりの若い男性をめぐるストーリーが展開する。
妙に見させる力のある作品で、何が心を捉えるのかよくわからないのだが、一気に見てしまった。

ルノワール+ルノワール

最終日に近い連休後半に行ったのでひどく混んでいた。映画監督のジャン・ルノワールの方に関心があり行ったのだが、父の絵を題材に映画を撮るという新しい手法にある意味で感心した。しかし、画家の父と映画監督の子を美術館のキューレーターの手で展示会を企画するというのはなかなか企画として面白いと思う。最近の美術館はこういった企画性にすぐれた展示会が多いように思う。今回のようなカテゴリークロスオーバーもいいし、期待したい。

「モディリアーニの恋人」


伝説のカップル、モディリアーニとジャンヌ。写真に見るジャンヌの瞳はとても強い。本の中の彼女でさえ、居抜かれそうである。そのジャンヌを描いたモディリアーニの絵には瞳がない。それは他の女達も同じなのだが。
ジャンヌを描いた絵は、写真のジャンヌとは全く違う女のようだが、神々しさにあふれている。
ジャンヌの絵もなかなか魅力的だ。モディリアーニ展が二人展でもよかったかもしれない。(もちろん画家としての格は全く違うが)

2008年5月24日土曜日

有楽町の朝

入社したときはじめて働いた場所が有楽町だからかもしれないが、今でも有楽町という街が好きだ。
そして、落ち着ける。
朝は有楽町経由で通い、帰りは渋谷経由で帰るというパターンが、概ね定着してきたが、朝の有楽町はすがすがしい。
特段何があるわけでもない。急ぎ足でオフィスに向かうサラリーマンが行き交うだけなのだが、その無駄のない感じとか、うつむき加減の人が少ない感じとか、・・・好きだ。
丸の内仲通りがあり、ペニンシュラ東京があり、有楽町で働き始めたときよりもグレードは上がっているのかもしれない。
しかしあの時代も電気ビルには外人記者クラブがあり、アメリカンファーマシーがあり、仲通り「には伊東屋があり、僕には充分にいい感じだった。

三浦しをん「月魚」

古本屋の話だ。不思議な雰囲気のある話だ。「苔とあるく」は倉敷の若い古本屋さんの店主が書いた本だった。古本屋という存在が気になる時代なのだろうか?懐かしいということだけではなく、新刊よりも自分のお店の世界をつくれる古本屋という存在が意味を持ってきているのかもしれない。
蔵書を見て、未亡人に手元に残すべき本を伝えるところは見事だった。蔵書から意味を考える、その人となりは蔵書でずいぶんわかると思うが、観察の眼力の時代だ。

バーニャカウダ

オイルフォンデュのイタリア版、バーニャカウダ 簡単バージョン :(材料)3~4人分ニンニク…5片、オリーブオイル…80~100ccアンチョビ…1缶(30g):つくり方1)ニンニクを(すりおろすor細かく刻む)、アンチョビも細かく刻む2)フライパンに(1)とオリーブオイルを入れて中火で炒めて、出来上がり。※ニンニクを牛乳で煮るのは臭みをとるため。
野菜は温野菜でも生でも。バーニャカウダは暖めながら食べたい。

ゆば春巻き

鶏(ササミ)、アボガド、長ひじき(伊勢ひじきがお薦め)、にんじん(生)など(適宜)を湯葉で巻くだけ。ソースはマヨネーズ+わさび

チキンのバルサミコ酢煮

チキンの肉の種類は適宜。オリーブオイル、にんにくで色づくまで。スープ、ブイヨン、赤ワイン、バルサミコ酢、ハチミツ(砂糖)、ローリエなど、塩コショウ、で煮込む。煮詰める。

今週の外食

(月)昼:とんかつ、月曜から¥2100也の上ロース(ちょっと変わったロース)、(火)夜:マンジュ・ペシェ(バーニャカウダ、モッツァレラチーズ、アオヤギと筍の耳たぶのようなパスタ、ホウボウと野菜の蒸し物、これは240gだったが充分二人分。これは絶品、魚も立派!、(水)昼:赤べこ、(木)昼:マーボ、赤坂東急地下まで、。今週はバーニャカウダ(ちょっとしつこかったかも)とホウボウ。

2008年5月18日日曜日

中華街の裏通り

先週火曜日、中華街「大中華」に帰りに寄り、夕食&紹興酒2杯。
他の客はOL2人。会社のことに不満を言い合っている。
表通りから裏に入った安い中華料理屋でそう若くはないOLが二人で
グチを言い合っている絵は別に取り上げる必要もない平凡な光景だ。
中華街の裏通りはこんな普通のラクでない、陽の当たらない人たちの生活が見える空間だ。
お店の主人とその奥さんらしき人も、きっと楽な生活ではないだろう。
夕定食が880円。スープから最後は杏仁豆腐までついての値段だ。
2杯目の紹興酒を飲んであげたくなる。紹興酒は2杯で1000円。
ボトル一本5、600円だから儲かるはず。こちらで儲けてくれればいい。
裏通りのお店の人はそんなに日本語は堪能じゃない。味もジャパナイズされてなくて好ましい。
異国に来て、同胞は多い街だけど、彼らに不安とか不満とかはないのだろうか。

フジコ・ヘミングコンサート

静かで柔らかな音色。
フジコ・ヘミングの背中がよく見える席。背中は何を語っているのか?
独特のシュールなファッション。
難しい曲でなく、心にしみてくる。正確でなく、自由な演奏。
ピアノと対話しながら、弾く。
水面を光がきらめくような演奏。
光のような、波のような、そして風のような演奏。
ときにジャズっぽく。
さすがに「カンパネラ」はすごい!この一曲だけで来た甲斐があるというもの。
1932年生まれ。今年76歳とは思えない迫力。

アルトサックス初日

木曜に商品は届いたが、やっと土曜にさわる。
恐る恐る、添付のペーパーと教科書を見ながら組み立てて吹いてみる。
はじめは鳴らなかったが、空気の入れ方を変えていくうちに、そのうちに鳴るようになる。
結構感激である。姿勢や空気の放り込み方などで音が変わってくる。
生き物に接しているかのようである。ずいぶん人間臭い楽器だ。
そして、腹筋や肺活量が結構必要で、パワーがいる楽器だ。
まずは体を鍛えなければ。
教科書にある、”音に感情を乗せる”、まさにそんな楽器だ。

2008年5月17日土曜日

熱海の朝の海

熱海の静かな海。
絶好の釣り日和か?それともなぎでダメか?
釣り船も漁船も出てない。
しかし、やはり海の景色での起床はいい。

今週の外食

(月)昼:ねぼけ、かつおうまい!エビの入ったコロッケもgood!(火)昼:とろろ定食、とろろも、ごはんも、おつけものもおいしい(やげんぼり)、夜:中華街「大中華」、(水)昼:塩カルビ丼?そんな感じ、夜:成都酒店、(木)昼:モティのカレー、夜:新蒲苑(先輩T氏送別会)、(金)夜:熱海、(土)昼:伊豆多賀でうなぎ。・・・今週はよく食べた。カツオもとろろもカレーも、鰻もおいしかった。外食的には大満足の一週間でした。
(追伸、日)昼:トマトソース、モッツアレラチーズ、スウィートバジリコのスパゲティ

戦う気品「アウン・サン・スーチー」

“誰かが行かなければならない”が口癖だったラングーンで銃弾に倒れた長井健司記者。
“いつの日かビルマに帰らなければならない”ことを知っていた、アウン・サン・スーチーさん。
そして、サイクロンに襲われつつも、国際社会の援助を拒否するミャンマーの軍事政権。
ミャンマーはどこへ行くのか?

2008年5月15日木曜日

5/8のおさんぽご飯

表参道の裏通りの洋食屋さん。
古いつくりで階段も危なっかしいが、いい感じ。
この日は手作りハンバーグをいただく。
表参道交差点近くなのに良心的なお店。

2008年5月13日火曜日

尾小屋の街

古語や鉄道が廃止するときに訪れた街。
写真の感じよりはもう少し集落があったように思う。尾小屋鉄道が廃止されて町が没落したのであろうか。
あのときは、尾小屋鉄道しか興味がなかったから、町については何も記憶がないのであろうか?
本当に町がたくあん臭いというほかは、町に対して何の記憶もない。
それほど、平凡な、エッジがない街だったと思う。

トドワラ

「野付半島」は海流によって運ばれてきた砂が堆積してできた延長28kmにも及ぶ砂嘴(さし)。「トドワラ」はトドマツが立ち枯れ、白骨化したようになった奇観。風化が進行しており、近いうちに”トドワラ跡”になってしまうとか。
本当に昔の面影はない。ほとんど「跡」だ。
自然の変化と自然の厳しさを感じる場所。

原爆ドーム

原爆ドームにはじめていった時。
もう、原爆が投下されてから50年近くたっているにも関わらず、僕の眼には原爆ドームはなまなましかった。
地面にはドームのコンクリートの破片が散らばっている。前の川はこの水を飲んでずいぶんたくさんの人が亡くなった川だ。
悲鳴やうめき、怒号が聞こえてくるかのようだった。
破片の散らばりは人骨の散らばりに見え、川は赤く血で染まっているようにも見えた。
この街で被災し、ずっと住んできた人はどういう思いで住み続けてきたのだろうと思うとき、痛ましいと思うと同時に、人間の逞しさを感じる。



冬の糸魚川

高校生の正月、友人達と雪を見に夜行で北陸に行った。
何と酔狂なことだろう。
立山3号で朝7時過ぎ糸魚川到着。とりあえずすることもないので、海岸の防波堤まで行く。
防波堤の上に登り、冬の海からの厳しい寒さの風を頬に受ける。北陸の厳しい冬を感じた瞬間だ。これを味わうために来たのだ。睡眠不足の頬に心地よい冷たさ。
冬を感じるために来たのだから、目的は達成したことになる。
あの時の糸魚川の防波堤の印象がまだ残っている。
でも、このときは糸魚川にも雪はほとんどなく、このあと立山方面まで行くことになる。
写真は親不知。

2008年5月12日月曜日

法善寺横町

石畳が続く古い路地で、織田作之助の小説「夫婦善哉」の舞台としても有名。商売繁盛や恋愛成就を祈願した人がかけた水で、全身が苔むした水掛け不動がある。
狭い横丁、小さな名店が並ぶ、ほろ酔いのサラリーマン、夜の世界の危ない人は余りいない平和な空間?

鴨川

大阪から阪急特急で河原町に帰ってくる。
地下の駅から階段を上がると、そこは四条大橋。昼間だと、北を向いた景色はこんな感じ。
ホッとする瞬間。何か心落ち着く瞬間。冬なら冷たい風を頬に感じ、寝て帰ってくることが多かったから目覚めるときでもある。

2008年5月11日日曜日

No34.カザルス「鳥の歌」

カタロニア民謡。3分ほどの小曲だが、心の奥底まで染み入るチェロの音。
時に入るカザルスの吐息のような、うめきのような・・・・・・。
1971年10月24日の世界国際平和デーにて国連本部でのアンコール演奏にも現れ、世界的に放送された。
ピカソ、ミロ、ダリ、を生み、ガウディを生み、モンポウを生んだカタロニア。
この曲にカタロニアの豊かな部分の秘密があるのか?

アムステルダムヒルトンのカジノ

アムスに出張でよく行っていた頃、営業部長に同伴して探検。ずいぶん広かった記憶がある。
今ネットでチェックすると、ヒルトンの中ではなく、向かいにあるとのことだが、店の中に入ると台ごとにレートが異なり、レートの高い台は怪しいばあさんがいたり、なにやら独特の雰囲気があり、とても参加できる雰囲気にはなかった。その前に行ったインターラーケンの観光客相手のカジノとは大違い。

上七軒

最近京都に行くたび、時々立ち寄る。
といっても、お茶屋に行くわけもなく、ぶらぶらするだけで、うどんを食べたり、ケーキを食べたりぐらいなのだが、なかなか風情のある街なのである。
室町時代に北野天満宮が再建されたときに7軒の茶店ができたのが、名前の由来とのこと。
京都最古の花街であるが、現在のお茶屋さんは10軒。
上七軒には洋食の「萬春」(まんはる)がある。何度かチャレンジしようとしているが、時間が合わずまだ、このお店の「ビーフシチューの壺煮」を食べることができていない。次こそ!

ピーピングトム

紳士の国イギリス、ロンドンに新宿のようなピンク街があるとは思いもしなかった。そこで見かけた店の名前(?)が「ピーピングトム」だった。今思えば、覗きができると看板だったのかもしれない。
紳士の国イギリスの裏の部分を見たような気がしたのを覚えている。
「気」をテーマにして書いているのに、怪しい「気」ばかりが続いてしまった・これでちょっと打ち止め。

アムステルダム「飾り窓」

怪しい流れで、次はアムステルダムの「飾り窓」。
各店の窓にはいろんなタイプの女性がいて、日本人好みの小柄な女の子もいて、同行していたたっちゃんは興味津々。
しかし、時代は80年代後半、世界で一番エイズが危ないといわれていたアムステルダムの「飾り窓」。皆怖くて見学のみ・・・だったはず。
しかし、しつこい客引きがいるわけでもなく、観光名所として見に行っただけだったけど、得がたい経験でした。最近のニュースによると、かなり閉鎖になったらしい。
記憶では、ここは飛田に比べると危ない感じはなく、猥雑だけど、観光地化していた印象。
懐かしい記憶。写真を探すのに苦労しました。

飛田新地


このシリーズは基本的に写真つきで行きましょう。
大阪に転勤して、何といっても飛田新地には、ガーンと頭を殴られたような異文化感に襲われた。途中の通天閣や新世界の雰囲気にもやられそうだったが、ここは異次元空間だった。
まだ、こういう場所が残っているんだということと、その猥雑で魅惑的で、寄せつけない感じ。今までに感じたことのない雰囲気を感じた。
黒岩重吾の「飛田ホテル」という小説は飛田の怪しい雰囲気を紹介している数少ない小説である。
ここで掲載した写真は鯛よし百番の内部の写真だが、この橋を渡った記憶がある。この店に行ったのであろうか?確かすき焼きを食べに行ったはず。

ユトレヒトの教会


ユトレヒトの旧市街にあって一番有名なドム教会の内部。
オランダによく行っていた頃、数少ない休みの日にユトレヒトに行った記憶がある。この教会に行ったかどうかは忘れたが、荘厳な内部の雰囲気にキリスト教徒ではないにもかかわらず、敬虔な気持ちになった。教会の木の椅子に座り、落ち着きのある静かな時間を過ごした。
日曜などに教会ではパイプオルガンのコンサートがあったりする。これはこういう天井が高い教会で聴くと音楽のシャワーが頭上から降ってくるような感覚になる。ああ、これにやられるんだろうなあ。宗教の装置という感じもしたが・・・。
そういえば、昔三鷹のICUのキャンパスの教会で日曜に開かれていたパイプオルガンのコンサートに何度か行った記憶がある。

新シリーズ「気の風景」高野山


「気」を感じる場所がある。
「気」というと、東洋的、日本的に聞こえるが、ここではある種独特の雰囲気が漂う場所ということで取り上げたい。
雰囲気のある場所、atomosphere scape(landscapeのscapeである)=”アトモスケイプ”といってもいいかもしれない。
第1回は高野山。
いかにも日本的であるが、「気」を感じた場所としてはまず高野山をはずすわけには行かない。密教の持つ雰囲気なのだろうか?神秘的、すがすがしさ、、心が洗われる感じ・・・、うまく言い表せないが。

加島祥造“求めない”とビジネスで必要な「欲」は共存するか?

“求めない”が売れている。反省なのか?読者はだれなのか?普通に想像すれば、中高年の男性なのだろう。
しかし、ビジネスで今求められているのは個人の「欲」である。言い換えれば、自分が発想したものを世の中で実現したいという達成欲のようなものであり、自然に経済的にも報われるということだ。加島祥造もTVで欧米では“求めない”という概念は理解されないと話していたし、また日本もここに来て、若手のビジネスマンを中心に、ビジネスのスタイルが組織型から個人の想いに移って来ているようにも思う。・・・とすると、正反対とも思われる概念の並存は世代の差異とも考えられる。
求めても達成の困難が予想される未来の中で、世代全体を覆うあきらめ風潮を肯定する思想として受け入れられているのでなければよいが。
“欲しがりません、勝つまでは”的な流れとは異なるものと信じたいが・・・。

2008年5月10日土曜日

北海道に何を探したのか?

<印象に残ってること>
釧路湿原をやっとの思いで見た鉄塔の上、流氷のブルー、野付半島の朽ちかけたトドワラ、知床での釣り、カムイワッカの滝、乙女の涙、岬まで歩いた落石岬、ワイン城のある池田、樹氷が映えた美幌峠から屈斜路湖へ下るスキーヤー、オホーツク海岸の景色(浜頓別~北見枝幸~雄武~紋別~サロマ~常呂~網走)、浜頓別ユースの自転車レース&ノルディックスキー、焼尻島・天売島(天売島は“羊をめぐる冒険”の舞台かと思った)、石油の浮く豊富温泉、ひたすら寒かった羽幌ユース、寂しい羽幌線(今はなき)、札幌のナイタージャンプ、まだ床が板張りだった30年前の小樽北一ガラス、函館山からの夜景、トラピスト修道院までの駅からの道、クリフサイドクリフ・・・・、共通点はあるのか、孤独を相棒にした旅。釧路が琴線に触れたのは何故なのか?何を探していたのか?涼しければよったということではない。ひとつは今までに感じたことのない自然のスケール感・・・だが。

今週の外食

(土・祝)夜:横浜A、(月・祝)夜:天ぷら+釜飯、(火・休)朝・昼兼用:かんぱち煮付け、(木)昼:表参道にてハンバーグ定食。
以前から見つけていた表参道駅近くのブラッセリーにやっと行った。気持ちのいい5月の風も心地よかった。お店は古いけど好感の持てるあったかいお店。

パリのカフェ


東急百貨店のパリのカフェ展に行ってきた。
写真はドゥ・マゴ。
パリはカフェで、カフェもまたパリである。
今この時期、5月にパリのカフェにいられると、どんなにか素敵な時間が過ごせるだろう。
煙草は吸えなくなったし、ユーロも高いし、何もせずとも、いるだけで楽しいはず。

池端慎之介の越路吹雪

駅で見た「越路吹雪物語」のポスター。
う~ん、似てる!綺麗。はまり役だと思う。

箭内道彦

”考えることは、人に会うこと”
材料は自分の外にあると思うとラクだし、可能性は無限大に出てくる。

2008年5月8日木曜日

「ガウディの伝言」外尾悦郎

サグラダ・ファミリアは1882年から建設開始。2020年完成をめざしているとのこと。
“石の中に入って彫っている”というサグラダ・ファミリアの彫刻担当を30年続けている外尾さんはまさにサグラダ・ファミリアとガウディにとりつかれた男だ。
想像力を働かせ、考え、解釈する。外尾さんのこの書物は、ガウディとスペイン、とりわけカタルーニャ、そしてキリスト教に対する深い敬愛と洞察を買い綴った書物である。
サグラダ・ファミリアは完成を急がない。“神はお急ぎにはなりません”という思想のもと、構想の実現を未来に託したガウディ。人は生存中に名声を求める。賞賛を未来にゆだね、プロセスへの妥協のなさ、何よりも自分だけでは手が届かないぐらいの構想の大きさに我々は頭をたれるべきである。
サグラダ・ファミリアは建築・彫刻・光・音の総合芸術。サグラダ・ファミリアを楽器にするという壮大な構想。幸せとは未来にどれだけの希望を持っているかどうかだと言っていたガウディらしい壮大な夢であった。
また、ガウディは自然を教科書とした。建物を自然に還す、自然の秩序を乱さない、自然の偶然性に倣う、いずれも重要なガウディの自然に向かう態度だ。自然の前に謙虚に学ぼうとした。
ガウディは図面についてこう語る。
“図面を重要視しすぎると、ものを作る人間の想像力を奪ってしまうことがある”と。“規定”するのでなく、“触発”する図面が理想だったのだろう。
あらゆる人間の英知とアートをこの建築物に結集させた。
しかし、アートではピカソ・ダリ・ミロ、音楽ではモンポウ・カザルスなど才能あふれた人物が、ガウディのカタルーニャには偏在している。”人と違うことはいいことだ”という風土がカタルーニャにはあるそうだが、それだけでこんなにも才能が偏在するのか?考え方自体は大阪の”差をつけてナンボ”の大阪と同じなのだが。

おひるにおさんぽ

すがすがしい5月の表参道。
会社から近くてうれしい。

2008年5月7日水曜日

アニマルス・オンデュラ

5/7(水)の日テレの21時からのザ・世界仰天ニュースでみた。
アニマルス・オンデュラとは歩く風車。アーティストの作品。風の力を風車で歩く力に変えたもの。これは仰天モノ。キーワード検索では出てこない。茂木健一郎の”地球は風の惑星”というコメントも印象深かった。

2008年5月6日火曜日

謎の会社、世界を変える。

バイマ、プレスログ、フィルモ、いずれも知らなかったけど、素晴らしいサービス。チャレンジ精神が素晴らしい。しかし、そこには泥臭い作業が山のようにあり、試行錯誤だらけ。そんなに世の中スマートにかっこよくはいかない。世の中を変えるために、たじろぐことのない強い精神力で、勝負に出て、ものにしている。
・個人の力をインターネットで増幅する
・”こうしたら魅力的に見えるよね”という感性を、論理的に説明する

海岸めぐり


六浦から逗子へ山越え、森戸海岸→逗子海岸→材木座海岸→腰越まで、久しぶりに天候も素晴らしく気持ちよかった。46K。
あぶずり食堂でかんぱちの煮付け定食。

2008年5月5日月曜日

蒼井優

最近では何といっても蒼井優、あえて、ちゃん、まずいか?、ならば、さん。
とにかく当たりは”ハチクロ”・・・・・・。”フラガール”もよかった。思いがけず踊りが良かった。
”クワイエットルームにようこそ”は少し期待はずれ。色が出てないように思いました。
何が、いいんでしょう?よくわかりませんが、彼女の空気がいいんです。
こんな雰囲気を持った役者さんは若手の女性では彼女の他いません。ある意味では男をたぶらかす悪い女なのかもしれません。彼女が意図するかどうかは別として。
生まれいずる時から男ををたぶらかすことができる女は、それはそれですばらしい。
他人にない才能があることは素晴らしい。
その才能が何であるか言い当ててあげることは今の段階ではできない。
とにかく、蒼井優です。

北海道冬、恐らく82年3月?

4連休をとり、はじめて往復飛行機で行く。
流氷の具合を斜里の民宿に問い合わせ、はじめて往復飛行機で行く。
流氷は風の気まぐれで沖合いに流されていたように思う。
北見からバスに乗ったはずだ。屈斜路湖、阿寒湖、そして釧路までのバスに乗ったと思う。北海道の冬の五白、樹氷、白鳥、たんちょう、流氷、そして雪祭りか?このバスで前3つが見れたはず。
最後は釧路の東急イン?
北海道一人旅はこれが最後。
だんだん人との接点がなくなっていっている。

北海道80年・81年夏

会社に入ってからの北海道行き。北海道が好きというのと、仕事からの逃避という旅だったのだろう。
★80年夏:9・7、8紋別、9/9,10?、9/11,12釧路マキバ、9/13知床(以上ユースの宿泊記録)
80年のエレキ丸の写真が残っているので、9・9,10は斜里の民宿に泊まったのだろう。面白い豪快なおばちゃんがいた。民宿の車でカムイワッカの滝に行き、滝を登って温泉に入り、漁船に乗って海から知床観光をした。その頃はまだ遊覧船もなかったから珍しい経験をしたと思う。魚を釣り、釣った魚を空中に放り投げ、海鳥が空中でキャッチする。今でも記憶にある大切な想い出。
★81年夏:7/18羽幌、7/22オンネトー
羽幌からオンネトーまでの記憶がない。
しかし、オンネトーらしき写真が残っている。知床峠を越え、羅臼でトド肉を食べたのはこの時か。キタキツネの写真がある。
サロマ湖の国民宿舎に泊まり、腹を壊し、また尾岱沼のトドワラに行ったのもこのときか?トドワラはこのとき既に終わりかけていた。今はどうか?
あと、81年は函館山の山頂で夕暮れを体験している。夕暮れから日が沈むまでを楽しんだ。素晴らしかった、もう一度行ってみたい街。そして、坂の上のクリフサイドクリフ、こんな店にいつも来ていたい店。函館はこの時ですらさびれた感じはあったが、ぜひもう一度行ってみたい街。トラピスト修道院、トラピスチーヌ女子修道院。函館市電。函館の坂のある町。立待岬。
80年、特に81年はユースに泊まることが減り、孤独な旅になっていたのだろう。ユースに泊まって行き当たりばったりのんびりするほど、もう時間はなかったのだ。無届で行ってKに怒られたのはこの年か?
このときは、おそらく往路は寝台特急、帰路はダブル夜行。まだ若かった。月曜朝東京に着いて、シャワーを浴びに部屋に帰って、会社に行ったっけ。釧路で夜行に乗る前に風呂屋に行ったのはどちらの年か?

北海道79年冬

卒業前に行く。
3/9,10大沼、トラピスト修道院に行った。雪の中を歩いた。既にここで風邪をひく。今写真を見ると無謀な薄着。3/11札幌、3/12羽幌、ここはひどく寒かった。このときはじめて札幌から日本海まわりというコースを選択する。冬が厳しいコースだ。はぼろYHは小学校を改造しただだっ広いYH。毛布を何枚も重ねても寒かった。マイナス20度の記憶はここ。3/13豊富。温泉だが石油が出るので、石油臭い温泉で頭が痛くなりそうになる。石油のカスも浮いている珍しい温泉。小さなスキー場があった。3/14,15また浜頓別。ここでノルディックスキーを経験する。ジーンズでもぬれない粉雪。1日目は11:14、.二日目は9:29と記録が伸びている。林間コースを初心者なりに滑り、すごく楽しかった記憶がある。
3/16,17はオホーツク海岸を下って紋別。流氷を楽しむ。オホーツク海側を下る旅は素晴らしい。今はこのラインにJRはほとんどないのが残念。流氷の青さ・・・・。何にも代えがたい体験。流氷でウイスキーをオンザロックで飲んだのもこのときか?3/18小清水。ここも流氷の名所。3/19標津。3/20~22釧路マキバ。ここでYと写った写真が残っている。そしてこのときのラストは3/23,24札幌。ナイタージャンプを二日続けて見て卒業式に出ないことを選択した。
このときは確か函館で既に風邪を引いて、風邪をこじらせた記憶がある。
しかし、自分の人生の中では最も大切な旅だったと、今の時点ではいえる。

北海道77年夏

はじめて北海道に行ったのは77年の夏。大学3年の夏。もう30年も前の話。
7月一杯大丸でバイトして貯めた金を全てつぎ込んではじめて北海道を訪れた。
そこにはそれまで見た世界とは違う世界があぅた。
ユースホステルの旅。8.24、25函館北星荘、8.26札幌ハウス、8.27,28浜頓別。ウェットが嫌いで避けてきた僕に過剰なウェットを教えてくれた。Y同行?。おそらく29日は札幌の叔父宅に泊まったのだろう。8.30帯広。六花亭に行ったはず。8.31釧路マキバ。ここはこのあともずいぶんお世話になった。9.1,2浜中、9.3,4標津、9.5,6、また釧路マキバ。湿原を見に行った。釧網線の塘路駅で降り、歩き、山を登り、鉄塔に登ってはじめて見える湿原に感動したのだろう。
何が僕を北海道に誘い、何がこんなにものめりこませたのだろうか?
学生のときに卒業間際にもう一度。社会人になって80.81年の夏。そして、82年の3月?合計5回も行っているわけだ。

「なぜ、社員はやる気をなくしているのか」

・「考える」ことが以前よりもずっと求められる時代になっているのに、実際は職場から対話が少なくなっている。職場が乾いている。孤立化している。
・効率的にすることで、大局観が育っていないのではないか?

片岡義男に教えられて

自分にとって心地よいものを選び取って生活するということにこだわるというのは片岡義男に教えられたこと。
パンの厚さにこだわった。5枚切り。これぐらいの厚さだとトーストしても中はふんわりしている。たっぷりバターを塗って、時にはマーマレードを塗って・・・。
バスタオルの手触り。手触りのいいものは高いから手が届かないけど。
こんな風に生活の隅々のパーツ一つ一つにこだわりを持って、丁寧に集めたものに囲まれて生活することが大切であることを彼は教えてくれた。

マイフェイバリットソングスNo33 ジョージハリスン「マイ・スウィートロード」

1970.11発売。日本では71.1.
歌詞はその当時彼が傾倒していたヒンズー教の神への信仰心を歌ったものとのこと。今になってはじめて知ったこと。
そして、更に盗作問題があったこともはじめて知った。後に@損害賠償に応じているのは認めたといわれても仕方がないかもしれない。今で言えば、ちゃんとカバーするなりのカタチをとれば良かったのだろうけれど・・・。埋もれている曲を発掘して世の中に出すのもいい仕事なのだから。
というわけで、いろいろあるけれど、それがこの曲の価値を下げることにはならない。

マイフェイバリットソングスNo32 チャットモンチー「シャングリラ」

ボーカルで作曲を担当する橋本絵莉子に、そのまま順当に行っていれば学校の先生になっていたであろう、ベースの福岡晃子とドラムスの高橋久美子の二人が、橋本の情熱にほだされて大学卒業後に本格的に組んだバンドに見える。
確かに橋本の歌と演奏は何かに取り付かれている爆発力があり、あるいは音楽の神に仕える巫女の感があり、ふだんのおとなしいだけに余計にそう感じさせる。橋本に福岡・高橋の二人がいいサポートをして、大きくなって欲しい。

フランクザッパ・ストリート

まずタイトルに惹かれて買ったわけだけど、冒頭の映写技師で映画監督志望のハル君と水曜が週に一度のお休みのウェイトレスのミミちゃんのお話はたのしく、しみじみとします。
お休みの水曜の朝、「ああ、今日は何をして過ごそうかな?」と思いめぐらすときにとりわけ幸せを感じるミミ。自分はこんな新鮮に休日を迎えられているかなと思う。
そして、毎日朝から晩までウェイトレスとして身を粉にして働いているので、週に一度のお休みの日に、ハルに朝ごはんを用意してもらうのを、なによりも楽しみにしているミミ。こういう小さな幸せを大事にできているかな?これも反省。
そんな人たちが住むフランクザッパ・ストリート。でもここはなぜ、”フランクザツパ”なのかは最後までわからず、動物が人格化してたくさん登場するのは少し受け付けなかったことも正直に告白しておきましょう。こういったファンタジーにのめりこめない自分にも危惧を感じつつ・・・。
とりあえず、フランク・ザッパのアルバムを借りてきました。

2008年5月4日日曜日

常夜鍋

<材料 4人分 >
ほうれんそう大1束(400g)/豚ロース肉(しゃぶしゃぶ用)400g/酒カップ2
薬味:だいこん1/6本(150g)/一味とうがらし少々/ねぎ1本(100g)
ぽん酢じょうゆ:ゆずの汁大さじ3/しょうゆ大さじ3
<作り方>
(1) ほうれんそうは根元を切り落とし、半分に切ります。
(2) だいこんはおろしてとうがらしを混ぜ、ねぎは小口切りにし、水にさらします。ゆずの汁としょうゆを混ぜます。
(3) 土鍋で酒を1~2分煮立てて、鍋の7分目まで水を加え、沸とうしたら(1)と肉を入れ、アクをとりながら煮て(2)で食べます。

横浜A

イベリコ豚のパテ/やまゆりポークとフェンネルの自家製ソーセージ/水牛のモッツアレラチーズとトマトのサラダ/スイートバジルのパスタ/ポルチーニ茸のリゾット(以上シェア)/メバルのアクアパッツア
スプマンテ、ワイン赤・白・・・今日は食べすぎ。満足でした。

2008年5月2日金曜日

伊達公子さん

37才で快進撃!という文字がニュースに躍る。あの伊達公子さんがもう37才?
頑張りに脱帽。しかし、国内3位で大会第1シードの選手が負ける現状はどうなんだろう。
負けた選手も大きなプレッシャーの中で戦ったからしんどかっただろう。
しかし、がっかりしなくてもいい。テニスにいないだけなのだ。オグシオも、宮里藍もいるのだ。
伊達公子さんに子供ができていたらこうはならなかっただろうとも思うが、それは立派であることとは関係ない。
・・・・、ああ、でも全盛期の動きとは素人目にも違うのに勝てないのか・・・。

カレイの煮付け

切り身の場合。熱湯をかけ、水で洗う。これで魚の皮がしっかりする。
酒1カップ、しょうゆ・砂糖を大さじ各5。魚を入れ、ごぼうなどを入れて強火で5分ほど。卵を持っている場合はあと3分。
途中でしょうが、みりん大さじ11/2

今週の外食

(月)昼:ゴマだれの冷やしうどん、夜:刀削麺、(水)昼:K(ポークは素晴らしい)、(木)昼:牛鍋、もう少し熱いまま出してくれていれば・・・、(金)中華弁当。
今週は刀削麺がスペシャル。

マイフェイバリットソングスNo31 エリッククラプトン「Believe in life」

2001年に発売された「Reptile」の中の曲。このアルバムはサウンドスタイル的には様々なスタイルで展開され、横串になっているのは深みとゆとりのあるサウンド。いろんな音楽をやってきたものだけが持つ成熟を感じさせてくれる。オールドタイミーなブルースがあり、インストゥルメンタルがあり、軽めのロックがあり、時々とまどわさせてくれる一枚だが、これこそがクラプトンの足跡なのだろう。大人の一枚というべき一枚。
「Believe in life」は歌詞で何を伝えているのかわからないが、人生を確実に生きてきた男の自信を感じさせる曲。

すずき

S社担当の頃よくお昼を食べに行った「すずき」を探して見付の街のわき道をうろうろ。わき道で、平屋のカウンター中心のお店だったが、それと思しき場所は新しい店になっていた。もうかなり古いお店だったから仕方ないかもしれない。不景気なのかも入れない。お店のチラシを配る人が多く、金曜の夜にもかかわらず、客もそう入っている様子もない。

原宿

昨日は原宿経由。近い!
オシュマンズで靴とかばんをみる。
めぼしいものはなく、早々に帰路へ。
恵比寿から湘南新宿ライナー。恵比寿でホームを換えるのが面倒だけど、時間が合えば早い。本数も多いし。