2011年2月26日土曜日

今週の外食

(月)夜:渋谷@唐そばでつけめん、チャーシュー追加はtoo much、(水)夜:横浜駅地下でつけめん、(木)夜:横浜駅地下の勝烈庵で定食+カキフライ、久しぶりの勝烈定食、いつもながらおいしい。このお店のとんかつは独身時代から食べ続けているが、とんかつも、しじみのみそしるも、ソースもキャベツも味が落ちたという感じは全くない。

2011年2月24日木曜日

「短歌の友人」穂村弘

短歌もまた詩であり、そしてまたコピーライティングにも通じるものがあると思わせる。
いくつか気になった短歌。
・カップ焼きそばにてお湯を切るときにへこむ流しのかなしきしらべ
*”へこむ流し”→実感があるなあ
・たくさんのおんなのひとがいるなかで/わたしをみつけてくれてありがとう(今橋愛)
*何て素直なんだろう
・夢らしきものの手前の現実をずっと過ごしているわけだけども(脇川飛鳥)
★ポイント2つ
①言葉を軽く握る:言葉を詰め込みすぎない
②言葉のカテゴリーの越境
しかし、俵万智さんはすごい。万智さん以前、以後という概念があると思わされる。
・「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ(俵万智)
短歌は俳句より自由な表現であるように思う。

八ヶ岳倶楽部Ⅱ

俳優の柳生博さんがこういうもう一つの顔をもっていることをはじめて知った。
きっかけはNHKのテレビ。そしてこの本をアマゾンで買った。
森を知り、花を知り、鳥を知る、土地の気候を知る。
こういう生活はたぶん自分にはできないが、もう一つの自分があることが素晴らしい。
そして80歳を過ぎてまだこういう活動ができていることが素敵だ。

春の気配





自宅のある地域の周辺も少しずつ春が近づいている気配。
一番春が早い梅は満開、続く花たちもつぼみを膨らませ始めている。
撮影したいものが少ないこの地区にも自然は平等だ。

柳生家の家訓

2/20放送の「私が子供だった頃」、出演は柳生博さん。
柳生家の家訓は、「男の子は13才になったら一人旅に出る」というもの。
柳生少年が向かったのは八ヶ岳。無人駅で寝泊まりしながら1カ月を山野を歩いて過ごす。
戦後満州から引き揚げてきて八ヶ岳の林野を開拓する青年のところに留まり開拓体験をする。
そして原生林での不思議な体験をする。
そして、これはのちに柳生さんの「八ヶ岳倶楽部」につながっていく。
1937年生まれの柳生さんが13才といえば、1950年。まだ少年が一人旅をするような時代でもない頃の話。ちゃんと生きて帰れるかもしれない旅。うならされる。
「野良仕事」とは「野を良くする仕事」。印象に残る言葉。

2011年2月22日火曜日

南寄りの風

不思議にも
気持ちの揺れを見透かすかのように
南寄りの風が吹く

はじまり

深い森の奥のような、
夜の暗闇の中から、
ほのかに浮かび上がったように芽吹いてきたものは、
本物だろうか?
そして、そのときに咲いていたものは花びらを落とすのだろうか。
久々に巡ってきた季節の行方は知れない。
まだ、池の底から湧き上がってきた小さな泡のようなものなのだが、
自然のままに、心の中で育つのを待とう。

2011年2月19日土曜日

カメラは詩的な遊びなのだ

かねがね感じていたことを書いてくれている本。
・写真を詩的な存在にまで高める方法
・日常生活を少しでも詩的に見なす遊び
・カメラがなければ何気なく素通りする一瞬をすくい取る
・詩的カメラ生活
・生活というのはずるい奴だから、我々を少しずつむしばんでいく
・生活からある程度の距離をもって、見下ろす
・非日常的な中に身を置くことでいい写真が撮れるわけではない

今週の外食

(火)昼:カキフライ、(水)夜:渋谷「唐そば」のつけめん、(木)夜:「高はし」のつけめん、久しぶりに行く、ちょっと醤油がきつく、チャーシューも多い、ラーメン+醤油卵で充分か、この日は暖かかったので、ラーメンでなくつけ麺にしてしまった、(金)夜:「スクニッツォ」

2011年2月16日水曜日

野茂英雄

1995年、そう、アメリカに野茂がデビューした年。いち早く野茂の試合をNHKが朝の早い時間帯にリアルタイムで放送し、ストレートやフォークでの三振奪取にわくわくしながら、一方でボールの多さにどきどきしながら見たものだった。そう、野茂からはじまったのだ。イチローも松井も野茂のおかげだ。
球界と日本人を敵に回してもアメリカに敢然と挑戦をしに行った野茂は正しかったのだ。それは歴史が証明している。
・野茂以前野茂以後
・みんな野茂に感謝すべきだ
・トルネードという異型・個性、自分に責任を持つということ
・日米の野球を変えた男
・日本人のイメージをアメリカにおいて変えた男

2011年2月13日日曜日

お通夜

今夜は会社の先輩のお通夜だった。
厳しい人でもあったが、もう一面の優しそうな表情の遺影。いい遺影だ。
お父さんそっくりの娘さん。聡明そうで、やさしそうで、父を失った悲しみの涙が頬を伝っている。
まだ、逝くのは少し早かったですね、と思う。
でも、素敵なお嬢さんを残せて満足されている部分もあるのかなと思う。合掌。

2011年2月11日金曜日

ひたむきに生きる

今日は珍しくテレビで素敵な発見がいくつもあった
・平原綾香:母校の洗足のミュージカルコース他の学生との共演、歌、ダンス、ブラスも良かった、音楽のたのしさ、感動
・植村花菜:いきものががりといい若い人が大人を泣かせる
・毎日かあさん:西原理恵子と鴨志田穣の話、小泉&永瀬で映画化。小泉も永瀬も姿勢がいい。
・雨宮塔子:あの時思い切ってアナウンサーをやめて、何のつてもないパリに行って人生が変わった。「フランでではバランスがいい人より、一つのことに突き抜けている人が成功する」=プロでないと成功しない社会ということか。
みんな、大切なものにひたむきに生きているということかもしれない。

今週の外食

(月)夕:つけめん、(火):夜:ふぐ@目黒、(水)夜:また、つけめん@同じ赤坂通りのお店、肥満系のお客さんが多いのが気になる、お店の人も含め、(木)おそ昼:「武蔵」豚しゃぶ、思いの外満腹。キャベツが刻んであるのが意外とスープの味も絡みいい、満員で1時半なのに店を追い出される

2011年2月6日日曜日

ノルウェイの森(文庫))下

・君に会ったおかげでこの世界に少しなじんだような気がする
・ねじを巻かない朝
・フォークナーの「八月の光」
・彼女が僕の心の中に引き起こす感情の震え
直子が死んで、長いあてのない旅に出た。そしてレイコさんとたくさんの歌を歌った。それが僕なりの直子の葬式だったのかもしれない。

サイクリング日和




2月としては寒さが緩み、日差しが出て風もなく、この季節としては数少ないサイクリング日和。1/10以来久しぶりのサイクリング。
途中から手も体も汗ばみはじめ、グローブイを外しヤッケの前も少しあけて風を通した。
秋谷の海は今日は見事に凪いでいてカヌーも出ている。真冬の花の水仙はかなり色あせ始めて春の近さを感じさせる。
10:10自宅発、海の美術館到着12:40、所要2時間半で40K、休憩1回。(帰りは13:50発で17:00、所要3時間10分で45K弱、休憩2回)
海の美術館は他にお客さんは小さな子供二人を連れた家族のみ。緩いジャズの穏やかな冬の午後。ぬるく、ゆるく、どっぷりこの場所に浸っていたいところだが、遅ければ遅いほどめんどうになる。いただいたのは今日もナシゴレン。ここのヤギは果物の皮をしっかり食べる。まだ2歳とのこと。
秋谷経由荒井浜まで、往復84.88K。1,2月の厳冬期のエネルギーを寒さに奪われる時期としては最長距離。

2011年2月5日土曜日

今週の外食

(月)昼:「五鉄」の親子丼(親子丼の鶏は薩摩しゃも)、(火)昼:ブイヤベース風パスタ、(水)夜:「天香回味」で火鍋、2種類のだし、大量のきのこ、だんだんだしの味にコクがでてきてうまい!、(金)昼:赤坂二丁目「舟水」のぶりハラス丼、ぶりは2切れでさみしいが悪くない。

2011年2月2日水曜日

2月厳冬

花火とか、海の家の喧騒が懐かしい厳冬2月。

2011年2月1日火曜日

「きことわ」

読んでいて、ゆったりとした、懐かしい時間の流れを感じられる本。
時々、意識的にであろう挿入されているやや古めかしい言葉が文章を引き締めている。
しかし、いったいどんな環境の中でこの文章は書かれたのだろうか?公園通りのスターバックスの片隅でパソコンをたたいて書かれたのではないことだけは確かだ。
上質の、日本風の、抑制の効いた文章は心地よい。
記憶でしかない過去と現実の距離の近さと、一方で果てしなくも感じられる距離感、不思議な感覚。
*雲量、ぼうとみていた、間怠くなる、秋もたけた、生を歴てきた、要事、いきすだま、石目をくくむ、溶明溶暗、からがる、手繰る、墨書看板、ひだるい、疾く過ぎる、鱈鍋、擦過する、春風駘蕩(たいとう)、半夏生、霑酔の末、瀟瀟とつづく、凍雨、雪が垂(しず)れる、平(なら)した・・・・・
こういった少し古い言い回しが品位を醸し出しているように思う。
しかし、こういう部品をどこで拾い集めてきたのだろうか。
「雨の日の白湯はやっぱり甘い」

「にょっ記」穂村弘

奇妙な本である。
・同じ時期に夜空を見つめていた誰かと一つの星を分け合うのも素敵だ
・小学校の運動会・・・・僕の未来
・カラスは人間の気を読む
・ハイジの部屋に住みたい
ロマンチストなのか、変なのか?