「キャンティ物語」の野地氏が赤坂の「津やま」のご主人に取材して文章にしたものだけに、板前が語る本といささか趣は異なるし、”取材して”というところが遠慮もあるかもということで、どう読めばいいかなあと思案しながら読み始めた。
気になった言葉をいくつか・・・。
・よその店の味を覚えるより本を読め、勉強しろ:大切なのは自分の頭で考えることができることができる人ということ
・料理はまず始めは考えることから
・沢煮椀、豚の角煮、鯛茶漬けの3つを覚えれば店を持てる
・筍は根っこのほうがうまい
・段取りがきちんとしている店が一流:これはどんな仕事でもそう
・アウトドアではごみが出ない料理を作る
・家庭で揚げ物をするなら天ぷらよりもフライか唐揚げ
・分厚いトンカツや大きなエビを揚げるには技術が必要、小さなものなら失敗が少ない
どんな世界でも一流の人には、技術と哲学がある。
2009年12月30日水曜日
乗り収め
朝8時半過ぎ出発で森戸神社まで。
朝食をいただこうとしていたあぶずり食堂も葉山港湾食堂も開いていなくて(あぶずり食堂は10時過ぎには開店していた)、森戸神社の先のデニーズでスクランブルエッグにソーセージ・ベーコン・厚切りトーストの朝食をいただく。海が目の前で少し寒くはあったが気持ちよく外でいただく。しかしーベーコンはすぐさめた。コーヒーのお代わりが身にしみる。
食事後、森戸神社で今年もお守りを買う。
「よくお参りでした」という若い神主さんのやさしい言葉が印象に残る。お正月の準備で忙しそう。
年末の森戸海岸は静かで穏やか。オフの海という感じ。
森戸海岸は、貸しボートも今日はお休み。ウィンドサーファーもまだ早いからかもしれないが少ないし、葉山は冬休みモード。
帰りに「VERDE」に立ち寄ってみると、表に”3月までお休み”の貼り紙。そうだよね。春を待ちましょう。今年はこのお店のおかげでずいぶん気持ちのいい時間をいただきました。
今日は38.72K。今月も200Kオーバー。5月以降ずっと、8月の176Kを除いて200Kオーバー。ずいぶん進歩したもの。
今年の合計は1944K。結構すごいかも。
2009年12月29日火曜日
「なんとなく、クリスタル」田中康夫
1月の菊池成孔さんの講演の参考資料ということで、本当に久しぶりに読んだわけだが、今更ながらこれはこれですごくあの時代においてクリエイティブなテキストであったと思う。とにかく早いし、こんな内容が世の中に求められていると考えたところがすごい。今の時代を完全に予見して先取りしているといえる。「ブランド」を日本で最初に提起したのは田中康夫だったということだ。
しかし、パイドパイパーハウスもオンサンデーズもこの本に出ている。自分で発見したと思っていた店が、こうやって紹介されていたかと思うとちょっと残念ではある。
しかし、パイドパイパーハウスもオンサンデーズもこの本に出ている。自分で発見したと思っていた店が、こうやって紹介されていたかと思うとちょっと残念ではある。
2009年12月28日月曜日
まぐろ→露天風呂→珈琲
まずは、もう昼だったので三崎港の「まるいち」に直行し、まぐろの三種盛り(大トロ、中トロ、赤身)+マグロの角煮+生ビール。メバルの煮つけは時間がかかるということであきらめた。生ビールですっかりほろ酔い気分になり、またバスに乗り城ケ島京急ホテルの露天風呂へ。お風呂から富士山が海越しに見える。素晴らしいロケーション、そして誰もいない。独り占め。
おなかは満腹、ビールでほろ酔い、体はぽかぽか、お肌はすべすべ。風は強いが日差しが暖かいので海岸に出てもさほど寒さを感じない。この上なし。
城ケ島から三崎口までのバスで熟睡。三崎口駅で「かんぼこ」(かまぼこの中にげその細かいのが入っていて、歯触りがいい)を食べる。230円。快特で一気に横浜へ。東横線に乗り換え白楽へ。「珈琲文明」で珈琲をいただく。カレーパンが面白い。珈琲もいつもの通りおいしい。わざわざここまで来た甲斐があろうというもの。今日の締めである。豆も買って帰る。
今日は一日菊池成孔の「アフロ・ディズニー」に付き合った。
「アフロ・ディズニー」菊池成孔
見ながら聴くことはどのくらい可能か
20世紀文化の幼児性、アメリカ化
かって文化には「社交」が含まれていた、社交の文化、きわめて大人っぽいもの
大人的な文化とは
オタク=幼児性?
20世紀は発達の世紀であるがゆえに幼児的である
視聴覚の分離と再統合
欧米には大人を消費者対象とした子供の文化というものが原則存在しない
欧米は大人であることに疲れている
大人がそのまま子供である日本のオタク文化に憧憬を持ち始めている
アニメ声優の高い声
青年・青春
今の大人って子供みたいだと思わない?
デスクにおもちゃを置きすぎ
子供であるほうが楽
大人の嗜み
20世紀文化の幼児性、アメリカ化
かって文化には「社交」が含まれていた、社交の文化、きわめて大人っぽいもの
大人的な文化とは
オタク=幼児性?
20世紀は発達の世紀であるがゆえに幼児的である
視聴覚の分離と再統合
欧米には大人を消費者対象とした子供の文化というものが原則存在しない
欧米は大人であることに疲れている
大人がそのまま子供である日本のオタク文化に憧憬を持ち始めている
アニメ声優の高い声
青年・青春
今の大人って子供みたいだと思わない?
デスクにおもちゃを置きすぎ
子供であるほうが楽
大人の嗜み
2009年12月26日土曜日
東京大学のアルバート・アイラー②
■『十二音平均律→バークリー・メソッド→MIDIを経由する近現代商業音楽史』
・十二音平均律(1722年)
・バークリー・メソッド(1950年代):音楽の記号化、コード・シンボル、解釈の幅の広さ、象徴的に書き込む、柔構造、個性を盛り込む
・MIDI(1983年)ヤマハDX7
ジャズという音楽の歴史と構造
バークリー・メソッド=商業音楽を制作するためのメソッド
エキゾティシズムの追求の仕方:実地に現場に行く/個人的な妄想にふける
アメリカの郊外生活を彩るツール、ゴージャス感
量産性、スリル、即興性に関してモダンジャズは突出していた
ビッグバンドから4,5人の腕ききによるアブストラクション&バトルの方向へ
サックスはあらゆるアコースティック楽器の中でずば抜けてノイズ・マシーンとしての性能が高い、「歪み」の感覚
60年代はアーティスティックでポピュラリティの低い音楽が発生する=フリージャズ
マイルスがいなくなり、ジャズ界は、軽く、楽しく、気持ちのよい方向へ
クロスオーバー:商業価値の方向に戻す、リラクシンな、
モダンジャズ:アドリブに最大限の価値を置く
・十二音平均律(1722年)
・バークリー・メソッド(1950年代):音楽の記号化、コード・シンボル、解釈の幅の広さ、象徴的に書き込む、柔構造、個性を盛り込む
・MIDI(1983年)ヤマハDX7
ジャズという音楽の歴史と構造
バークリー・メソッド=商業音楽を制作するためのメソッド
エキゾティシズムの追求の仕方:実地に現場に行く/個人的な妄想にふける
アメリカの郊外生活を彩るツール、ゴージャス感
量産性、スリル、即興性に関してモダンジャズは突出していた
ビッグバンドから4,5人の腕ききによるアブストラクション&バトルの方向へ
サックスはあらゆるアコースティック楽器の中でずば抜けてノイズ・マシーンとしての性能が高い、「歪み」の感覚
60年代はアーティスティックでポピュラリティの低い音楽が発生する=フリージャズ
マイルスがいなくなり、ジャズ界は、軽く、楽しく、気持ちのよい方向へ
クロスオーバー:商業価値の方向に戻す、リラクシンな、
モダンジャズ:アドリブに最大限の価値を置く
2009年12月23日水曜日
サックス上達100の裏ワザ
・基礎練習が自由度を広げ、サックスを楽しむために重要
・音が揺れた不安定な演奏にならない
・遠くに向かって吹け
・音の出やすい息の入れ方を覚えていく
・一番下の「ド」の音を安定させて吹く
・フラジオの最初はソ、ソ♯、ラまで
てな感じ、
・音が揺れた不安定な演奏にならない
・遠くに向かって吹け
・音の出やすい息の入れ方を覚えていく
・一番下の「ド」の音を安定させて吹く
・フラジオの最初はソ、ソ♯、ラまで
てな感じ、
マイルス・デイビス青の時代
例によって中山康樹の本。
発見は、
・ヴィブラートをつけずにストレートに吹く(トランペッターに)
・マイルスの演奏は空間を生かしたものが多く、その「間」は時には怖くなるほど長い場合もある
発見は、
・ヴィブラートをつけずにストレートに吹く(トランペッターに)
・マイルスの演奏は空間を生かしたものが多く、その「間」は時には怖くなるほど長い場合もある
2009年12月20日日曜日
六角橋
六角橋の鉄道模型店「だるまや」まで走る。往復31.84K。
桜木町から先は大きな通りを車を縫って走らなければならないので走りにくい。
「だるまや」はかなりマニアックな店。さすが六角橋のそれも裏通りの商店街にあるだけに品ぞろえも豊富でない割に木曽森林や尾小屋などがあり、ローカル志向にもこたえてくれる。結構お客がいるから不思議。
先日行った「珈琲文明」は似たようなサイクリストがいたりして何となく入るのをやめる。この街はサイクリストとカップルでも女の子は「森系」がめだつ。模型店を覗き込んでいる女の子がいる街というのも珍しい。
「新世界」というぎょうざと焼き鳥とたこ焼きというB級3品をまとめて売っているお店でたいやきを買って食べる。126円と普通の値段で期待以上においしい。なかなか侮れない街。休日は結構人が多いが、似たような人種が多いのは当然か。いわゆるギャルは生息せず。
なお、今日も洋光台からの富士山は見事。これで二日連続の絶景富士。
2009年12月19日土曜日
富士山に向かって走る
今週の外食
(月)昼:肥後橋「ピエロ」のハンバーグ、ご主人もおばちゃんも健在、お店も満員、味もいつもの味、1年に1回の訪問、夜:新地でおでん、(火)昼:なかがわ」のちりめん山椒ごはん(京都駅の駅弁)、夜:イタリアン、忘年会、(水)夜:野毛の「洋食のキムラ」のポークカツ定食、(木)昼:銀座「山ざき」の角煮定食、(金)夜:恵比寿の「ゆめの庵」、今週は久々に素晴らしい週。甲乙つけがたいが、あえてお昼の1000円定食というところに敬意を表して「山ざき」が今週のベストワン。しかし、普通なら今週の第1位がごろごろの一週間でした。
2009年12月18日金曜日
2009年12月12日土曜日
2009年12月9日水曜日
佐藤渉&粟生田直樹デュオリサイタル
かなり普段聴きなれない現代的な曲が並んだ。とかく聴きにくく、飽きる現代曲だが、二管の魅力をたっぷり味わえた。最後のガーシュウィンもよかった。アルトサックスのいろいろな演奏技術を見せていただいたが、キーのパタンパタンという音がリズムセクションのようで、先日のサンボーンでも聴けたが、面白かった。
ホールは小ホールだったが、これぐらいの大きさのホールは一体感がいい。また座りやすく快適。
行きは赤坂→大手町→錦糸町で、さすがに錦糸町は遠い。
しかし帰りは、総武・横須賀線で一直線。グリーンでもあったので快適で早い。
ホールは小ホールだったが、これぐらいの大きさのホールは一体感がいい。また座りやすく快適。
行きは赤坂→大手町→錦糸町で、さすがに錦糸町は遠い。
しかし帰りは、総武・横須賀線で一直線。グリーンでもあったので快適で早い。
2009年12月7日月曜日
「安奈さん」
日曜のファーストジャパニーズで紹介された女性。モロッコでほとんど存在しない花屋さんを経験もないのにスタートさせた女性。少し耳が不自由であることもあり通信社をやめ、失意の中で立ち寄ったモロッコのエッサウィラという海岸沿いの小さな町に移り住んだ。
移り住んだきっかけは、旅で立ち寄ったこの町の雑貨屋の主人の「どこでも働けるし、何を仕事にしてもいいんだよ」という何にもとらわれない自由な言葉を聞いたことから。自分で仕事を作る、なんて想像もしていなかったところから、仕事はスタートする。
しかし、実際は大変。花は遠くの町から送ってもらうので痛むし、そもそも花を贈る習慣がない。花の代わりにたくさんあるミントをブーケに使ったり、小さなブーケで子供の心を掴んだり、その働き振りには工夫がいっぱい。
働くことの原点を教えられるようだ。番組にもドラマがいくつか仕込まれていて、番組としてもいい番組。このシリーズはいつも結構いい。いい生き方をしている人は結構いるものだ。
移り住んだきっかけは、旅で立ち寄ったこの町の雑貨屋の主人の「どこでも働けるし、何を仕事にしてもいいんだよ」という何にもとらわれない自由な言葉を聞いたことから。自分で仕事を作る、なんて想像もしていなかったところから、仕事はスタートする。
しかし、実際は大変。花は遠くの町から送ってもらうので痛むし、そもそも花を贈る習慣がない。花の代わりにたくさんあるミントをブーケに使ったり、小さなブーケで子供の心を掴んだり、その働き振りには工夫がいっぱい。
働くことの原点を教えられるようだ。番組にもドラマがいくつか仕込まれていて、番組としてもいい番組。このシリーズはいつも結構いい。いい生き方をしている人は結構いるものだ。
2009年12月6日日曜日
今日も海辺生活は素敵
六浦から山を越えて逗子につき、少し逗子海岸裏の住宅街の中を走った。ここは素晴らしい住宅地。味わい深い家が並んでいる。ちょっと今度はおうちの見学に来よう。洋風、和風、手入れもきちんとされていて、道路が入り組んでいるので、海外沿いを除いては大規模開発には向かない。
住宅地を抜けて海岸に出たら、今日も日差しがいいので、海岸線を走りたくなり、逗子海岸を走り、材木座を抜け、江ノ島まで海岸線を走った。
かって逗子海岸の一番材木座よりのところにバスがあり、そこでホットドッグなどが売られていたが、い店か何かになりそう。公園ならいいのだけれど。
六浦→逗子→材木座→江ノ島→(戻って)腰越、44.16K。写真は逗子海岸。
12月第一日曜、夕方、晩秋いや初冬にしては暖かくおだやかな午後。冬はまだ迎えたくない人たち、心地よい日曜を終えたくない人たちが海岸に集まっている。人々は日没まであと1,2時間をいうこの限られた時間をいつくしむように、思い思いにのんびり走り、散歩し、釣りをし、サーフィンをして楽しむ。
デビッド・サンボーン
雨の中を表参道のブルーノート東京まで出かける。毎日通っている表参道だが、休日に来るのは久しぶり。会場の時間に入ったにもかかわらず。もう沢山の人。しかし、指定席扱いのシートなので待たずに入れる。デビッド・サンボーンまでの距離、約10m。息遣いや、癖までわかる席。
音楽のイメージから甘い感じでプレイボーイそうな印象を持っていたが、渋く、静かで、少し神経質そうな印象を持った。調子が良くなかったのかもしれない。64歳にしては少し元気がなかったかもしれない。フラジオなどは無理をしないようにしていたかもしれない。その分、バックバンドは頑張っていたように思う。
紀伊国屋がビルになり、クリスマスイルミネーションが美しい。
2009年11月28日土曜日
2009年11月27日金曜日
妖精が舞い下りる夜
小川洋子さんの若い頃のエッセイ。小川さんの作品からは想像しにくい意外な一面が垣間見える。山田詠美さんの小説に衝撃を受けた話、「死んだしゃこが食えるか」という妙に威勢のいい感じ、阪神タイガースファンであること、スポーツへの感動、佐野元春への傾倒・・・・、これはたぶん私の小川洋子さんの印象が極めて静的な印象が強いということによるものと思う。
「翻訳者に惹かれて外国の小説を読む」の翻訳者は村上春樹だが、このあたりは私と同じ、「午後の最後の芝生」が好きというところなども共通点。大学時代は武蔵小金井の学生寮にいたとのこと。ほぼ同時期に武蔵小金井の駅のホームにいたかもしれない。ずいぶん昔のまだ高架になっていなかった頃の武蔵小金井。
「翻訳者に惹かれて外国の小説を読む」の翻訳者は村上春樹だが、このあたりは私と同じ、「午後の最後の芝生」が好きというところなども共通点。大学時代は武蔵小金井の学生寮にいたとのこと。ほぼ同時期に武蔵小金井の駅のホームにいたかもしれない。ずいぶん昔のまだ高架になっていなかった頃の武蔵小金井。
2009年11月25日水曜日
千代大海をつりあげる朝青龍
カド番7敗の千代大海を高々と釣り上げ、「君はもう退場なんだよ」、とでも言わんばかりに滞空時間の長い釣りで、また朝青龍には珍しく、投げ捨てるのではなく、そっと、土俵の外に置いた。
その動きには千代大海に対する強いメッセージが込められているように思われた。
千代大海に余裕で押させて、土俵際で軽く受け止めて一気に逆転する。
まさに横綱相撲。
その動きには千代大海に対する強いメッセージが込められているように思われた。
千代大海に余裕で押させて、土俵際で軽く受け止めて一気に逆転する。
まさに横綱相撲。
アンジェリーナ
まだ小川洋子が若かったときの作品だから、物足りないところがあるのは仕方がない。
しかし、小川洋子と佐野元春というのがどうしても結びつかない。少し粘着質なところが共通点なのか?
「アンジェリーナ」はトゥシューズをめぐる話だが、少し食い足りない。もう少し話が続いてもいい。「バルセロナの夜」はペーパーウェイトの中から伝わってくるもので小説を書くというアイデアが面白いが、これもまだ書けそう。「彼女はデリケート」はレンタルファミリー派遣会社というのがアイデア。これも抑え目がよいのかもしれないが、ドラマティックが足りない。
しかし、小川洋子と佐野元春というのがどうしても結びつかない。少し粘着質なところが共通点なのか?
「アンジェリーナ」はトゥシューズをめぐる話だが、少し食い足りない。もう少し話が続いてもいい。「バルセロナの夜」はペーパーウェイトの中から伝わってくるもので小説を書くというアイデアが面白いが、これもまだ書けそう。「彼女はデリケート」はレンタルファミリー派遣会社というのがアイデア。これも抑え目がよいのかもしれないが、ドラマティックが足りない。
2009年11月24日火曜日
「海」小川洋子②マイワールドについて
絵描きはどこかの時点で自分のスタイルを持つ。
魅力的でオリジナルはスタイルを持たない絵描きは存在理由を持たない。
小説化も同様だ。
小川洋子もこの本のような初期の作品は若い、幼い印象が否めない。
しかし、「ブラフマン」になると、そのにはもう確固とした小川ワールドが出来上がっている。
作家はどこで自分にとってのワールドを発見するのだろうか?村上春樹のようにはじめからワールドを持っていたと思われる人は素晴らしいが、小川洋子のようにワールドを精進の末、獲得したと思われる人は素敵だ。
魅力的でオリジナルはスタイルを持たない絵描きは存在理由を持たない。
小説化も同様だ。
小川洋子もこの本のような初期の作品は若い、幼い印象が否めない。
しかし、「ブラフマン」になると、そのにはもう確固とした小川ワールドが出来上がっている。
作家はどこで自分にとってのワールドを発見するのだろうか?村上春樹のようにはじめからワールドを持っていたと思われる人は素晴らしいが、小川洋子のようにワールドを精進の末、獲得したと思われる人は素敵だ。
公園通り坂上
公園通り坂上のスターバックスは久しぶり。3Fのソファー席は空いていなかったが、窓に近い2人用のテーブル席が空いていた。いつもながらこの店は落ち着く。店内の客の人口密度が他の店と比べて高くないのがその理由のひとつかもしれない。この場所でソファー席が残っているのもすごい。
読みかけの小川洋子の「ガイド」を読む。
そのうちに窓際のソファー席のサラリーマンが席を立ち、僕はそのあとに座る。ああ、寝てしまいそうと思っているうちに、部屋の暖かさに負けて寝てしまう。
TSUTAYAでDVDを借り、ロフトでファイロファックスの来年の手帳の用紙を買い、そのあと久しぶりに渋谷を少しうろついた。なじみの店はなくなり、さすがに渋谷は変化が激しい。居心地のいい場所はどんどんなくなる。
2009年11月23日月曜日
2009年11月22日日曜日
恋人までの距離(ディスタンス)
18日(水)深夜に放映していたイーサン・ホーク主演の映画。
ブダペストからパリへ向かう列車の中で若い二人が話をするようになり、女性がためらいがちながらも男性と一緒にウィーンで途中下車をするというシーンから見始めた。そのシーンに引き込まれ、深夜深い時間にもかかわらず最後まで見てしまった。
旅の途中、列車の中で知り合い、途中下車して、朝まで共に過ごして、最後は半年後の再会を約束するという結末の付け方(これはもう会わないだろうけど、そういう別れ方をしたいということか)をして別れるというあり得ない設定だが、自分にもこういう素敵な偶然がないものか、妬ましく惹き込まれてしまった。
ほとんど二人しか出ない映画なのだが、その会話と背景になるウィーンの街の美しさが素晴しかった。
はじめの方を見ていないので、ビデオを借りてくることにしよう。
ブダペストからパリへ向かう列車の中で若い二人が話をするようになり、女性がためらいがちながらも男性と一緒にウィーンで途中下車をするというシーンから見始めた。そのシーンに引き込まれ、深夜深い時間にもかかわらず最後まで見てしまった。
旅の途中、列車の中で知り合い、途中下車して、朝まで共に過ごして、最後は半年後の再会を約束するという結末の付け方(これはもう会わないだろうけど、そういう別れ方をしたいということか)をして別れるというあり得ない設定だが、自分にもこういう素敵な偶然がないものか、妬ましく惹き込まれてしまった。
ほとんど二人しか出ない映画なのだが、その会話と背景になるウィーンの街の美しさが素晴しかった。
はじめの方を見ていないので、ビデオを借りてくることにしよう。
2009年11月21日土曜日
お気に入りの野比海岸にて
波の音が今日はいいから(少し荒れ気味ということ)、
こんなときに音楽を聴くのはもったいないと思う
今日は日ざしが、11月後半にしてはとても穏やかでいいから、
お日さまに向かい座っていないともったいないと思う
沖合いに釣り船らしき船が一定間隔を置いてたくさん並ぶように停泊している
今日は何が釣れるのだろうか
この日ざしの心地よさに負けて僕ならビールを飲んでしまうだろう
時折ウィンドサーファーが通過していくがこの浜では孤独だ
砂浜の投げ釣り客も孤独だ。おまけにちっとも釣れてない
波の音と海風と心地よい日ざしに、満腹の昼食の後だから睡魔が近づくけど、
帰り道はまだ遠くて、こんなところで昼寝はできない
折りたたんだ自転車を収納する袋も今日は持ってないしね
詩というよりもいまいまの心地よさを書き留めておきたくてペンを取る
こんなときに音楽を聴くのはもったいないと思う
今日は日ざしが、11月後半にしてはとても穏やかでいいから、
お日さまに向かい座っていないともったいないと思う
沖合いに釣り船らしき船が一定間隔を置いてたくさん並ぶように停泊している
今日は何が釣れるのだろうか
この日ざしの心地よさに負けて僕ならビールを飲んでしまうだろう
時折ウィンドサーファーが通過していくがこの浜では孤独だ
砂浜の投げ釣り客も孤独だ。おまけにちっとも釣れてない
波の音と海風と心地よい日ざしに、満腹の昼食の後だから睡魔が近づくけど、
帰り道はまだ遠くて、こんなところで昼寝はできない
折りたたんだ自転車を収納する袋も今日は持ってないしね
詩というよりもいまいまの心地よさを書き留めておきたくてペンを取る
2009年11月17日火曜日
「深き心の底より」小川洋子
途中まで読んでおいてあった本。きっとアウシュビッツやアンネフランクの話が結構あって重かったのだろうと思う。
読み返してみると、確かにその部分は重いけど、感覚的に自分に近いことがわかる。
・サン・テグジュペリは見えないものを見ようとした
・空想癖
・大原美術館のエル・グレコの「受胎告知」
・「旅の記憶は感性の預金」
・何かを書こうとするならせめて精神だけでも孤独にしなければならない
次も小川洋子を読もう。
読み返してみると、確かにその部分は重いけど、感覚的に自分に近いことがわかる。
・サン・テグジュペリは見えないものを見ようとした
・空想癖
・大原美術館のエル・グレコの「受胎告知」
・「旅の記憶は感性の預金」
・何かを書こうとするならせめて精神だけでも孤独にしなければならない
次も小川洋子を読もう。
白楽アゲイン
菊名で急行を降り、白楽で途中下車。六角橋商店街の日曜の試験の帰りに寄ったとんかつ屋さんにカキフライを食べに行く。生ビール小は先日もらったビール無料チラシでサービス。大きなカキフライ5個。カキフライはジューシーでうまい。カキを傾けると汁がこぼれそうで注意して食べる。そうしたくなる味。5個も食べるとおなかは満腹ということで大満足。帰りにまたカキフライにつく生ビール無料チラシをもらったので、また途中下車してしまいそう。
そのまま帰ろうと思ったが、ふれあい通りで前を通った喫茶店に一度通り過ぎながら後ろ髪をひかれ、戻って立ち寄る。お店の名前は「珈琲文明」。”シンフォニア”という名前の珈琲をいただく。お店は木の無垢を多用した落ち着く感じの店。家具類はオークビレッジの家具のような感じ。うらびれた通りには似合わないほどのこざっぱりしたお店。珈琲はサイフォン式で口の小さなサイフォンでそのまま持ってきてくれて、香りが逃げないようにとの店主のこだわりが感じられる。久しぶりに本当においしい、香りのいい珈琲を飲んだ。会社帰りのサラリーマンやOLが一人でも立ち寄っている。居酒屋ではなく、静かな宿木が欲しい人たちのためのお店だ。この街に、この通りに、この店はいいたたずまいだ。
ちょうど小川洋子さんの「深き心の底より」を読んでいたが、まことに似つかわしい本だったように思う。
また来ることになるだろう。
写真は携帯のカメラなので?ちょっとピンボケだが、ボリュームはわかる。
2009年11月15日日曜日
心の中に隠してあるもの
心の奥底に隠してあるものを、それを本当に時々だけれど、この人となら共有できるんじゃないかと思い込んで話してみるのだが、それが共有できることはない。少なくとも記憶にない。
その度に僕は孤独になり、自分が変な人間であることを自覚させられる。
その度に僕は孤独になり、自分が変な人間であることを自覚させられる。
片岡義男
この人には、前にも書いているはずだが、その当時まだ言葉だけが先行していた「ライフスタイル」とは何かということを教えられた。
片岡義男の小説をたくさん読んだが、恋愛小説として読んだ訳でも、若者小説として読んだ訳でも、バイク小説として読んだ訳でもない。
小説の中の何気ないモノについてのコメントや、生活シーン、その中に登場するものや、食べ方、時間のすごし方といった「やり方」からライフスタイルを学んでいたといえる。だからライフスタイルの教科書だったといえる。
もう一度そうしたアングルから片岡義男の小説を読み直してみることは新鮮かもしれない。
片岡義男の小説をたくさん読んだが、恋愛小説として読んだ訳でも、若者小説として読んだ訳でも、バイク小説として読んだ訳でもない。
小説の中の何気ないモノについてのコメントや、生活シーン、その中に登場するものや、食べ方、時間のすごし方といった「やり方」からライフスタイルを学んでいたといえる。だからライフスタイルの教科書だったといえる。
もう一度そうしたアングルから片岡義男の小説を読み直してみることは新鮮かもしれない。
六角橋ふれあい通り
神奈川大学に仏検に行った帰りにはじめて訪れた。そもそも白楽の駅で降りること自体がはじめて。朝、駅を降りて大学まで歩いた第一印象はごちゃごちゃした街ということで、印象はあまりよくない。六角橋商店街自体は有名だが、面白みや風合いはない感じだ。しかし、一本裏通りの「六角橋ふれあい通り」は”ふれあい”という名前はダサいが面白い店が結構ある。特に雑貨店や喫茶店に面白い店が多い。しかし、廃業した店も多い。どの店も古いし、アーケードはあるけど、トタン屋根のようなアーケードだし、どの店も小さいし、いつまで続くのだろうとも思わせるが、新しい街づくりやイベントなどの試みもなされている。ちょっとまたゆっくり来て見たい。しかし、周辺はごちゃごちゃしていて、火事があっても消防車は入れない。古いアパートがいっぱいある。駅前の不動産屋の案内を見ていると、マンションという表示よりも圧倒的にアパートが多い。家賃もかなり安い。横浜から3駅だし、東横線だし、ちょっとお得で住みやすい街かもしれないと思う。
六角橋「とんかつ、ど~んとこい」
仏検
今日は朝10時から神奈川大学で仏検5級の試験。ここ1ヶ月近くは結構がんばった。フランス語は結構長い間かじってきたが、きちっとしたルールをものにするのはそれなりにちゃんと勉強をすることが必要ということがよくわかった。
結果は50問中48問正解という予想以上の結果(自己採点)となったが、それなりに過去問に取り組んだ結果である。5級とはいえ、そんなに簡単ではなかった。TOEIC以来10年以上ぶりぐらいの試験も結構疲れたし、試験のための準備はもっと疲れた。
しかし、2009年11月15日はちょっとした記念日。次は来年6月。今度は4級。問題集を見ると結構難しい。そんなに簡単でもないようだ。しかし、こうやってひとつずつ関門を抜けていくのは楽しみだ。
写真は試験会場の神奈川大学。白楽の駅から結構距離があり、途中の下町の感じは中年にはいいが、いまどきの学生には魅力には映らないはず。この学校は東横線沿線にもかかわらず立地でまず厳しい経営環境におかれているのではないだろうか?
2009年11月14日土曜日
2009年11月12日木曜日
それからはスープのことばかり考えて暮らした②
この小説はサンドイッチをめぐる小説でもある。
と、気づいたとき村上春樹の「午後の最後の芝生」を思い出した。
芝生刈りのアルバイトで行った女主人の家で、中年の彼女が作ってくれたサンドイッチが登場する。
ただのキューリとハムとレタスのサンドイッチで、この小説の中で非常に大事なアイテムかといえばそうでもなく、しかし芝刈りのあとサンドイッチが出されて食べるシーンが妙に記憶に残っている。
パンを焼くというのは大変だが、サンドイッチは素人でもチャレンジできるパンメニューである。
少し置いてもべちゃべちゃしない、野菜のさくさく感とパンのもっちりした感じのバランス、同じものばかりでは飽きるので、それなりのバラエティを一食の中に用意すること、
そんなことが重要なことなのだろう。いつかはチャレンジしてみたいが、いい教科書があるのだろうか?
と、気づいたとき村上春樹の「午後の最後の芝生」を思い出した。
芝生刈りのアルバイトで行った女主人の家で、中年の彼女が作ってくれたサンドイッチが登場する。
ただのキューリとハムとレタスのサンドイッチで、この小説の中で非常に大事なアイテムかといえばそうでもなく、しかし芝刈りのあとサンドイッチが出されて食べるシーンが妙に記憶に残っている。
パンを焼くというのは大変だが、サンドイッチは素人でもチャレンジできるパンメニューである。
少し置いてもべちゃべちゃしない、野菜のさくさく感とパンのもっちりした感じのバランス、同じものばかりでは飽きるので、それなりのバラエティを一食の中に用意すること、
そんなことが重要なことなのだろう。いつかはチャレンジしてみたいが、いい教科書があるのだろうか?
2009年11月10日火曜日
七里ガ浜billsのホットケーキ
七里ガ浜の人気店billsのホットケーキを食べに行く。さすがに平日なので駐車場には入れるが、お店は天気がいいからか30分待ち。こんな日に来ている人はどんな人なのだろう。自分もそうだけれど。待っている間に、物販のお店がビルの中にいくつかあるが、ターゲット外なので買いたい商品はほとんどない。悲しい現実。
人気のリコッタ・ホットケーキは卵たっぷり、ふわふわ、でも結構ボリューミィ、でおいしい。卵をいくつ使っているのだろう。粉は使っているのか?ほとんど玉子焼きのようだが、スクランブルエッグを比較すると違うことがわかる。もうひとつ食べたスクランブルエッグ&&トーストにアボガドとベーコンを付け合せとしたディシュ。こちらのスクランブルエッグも卵をたくさん使っていて、そのあと少し胃がもたれたほど。こちらもおいしかった。
とにかく、席が海を向いていて気持ちいい。今日はあまり波がなく、サーファーはもてあまし気味?シーカヤックを楽しんでいる人にはいいかもしれない。
このビルは海を眺めるために設計されたビルだと思う。お店からも通路からも。
人気のリコッタ・ホットケーキは卵たっぷり、ふわふわ、でも結構ボリューミィ、でおいしい。卵をいくつ使っているのだろう。粉は使っているのか?ほとんど玉子焼きのようだが、スクランブルエッグを比較すると違うことがわかる。もうひとつ食べたスクランブルエッグ&&トーストにアボガドとベーコンを付け合せとしたディシュ。こちらのスクランブルエッグも卵をたくさん使っていて、そのあと少し胃がもたれたほど。こちらもおいしかった。
とにかく、席が海を向いていて気持ちいい。今日はあまり波がなく、サーファーはもてあまし気味?シーカヤックを楽しんでいる人にはいいかもしれない。
このビルは海を眺めるために設計されたビルだと思う。お店からも通路からも。
2009年11月9日月曜日
それからはスープのことばかり考えて暮らした
久しぶりに本を読んだ。心が落ち着く話。こういう人生であってもよかったと思うが、違う道を来てしまった。ちょっと駆け足で読んでしまったので、日曜の試験の後に少しゆっくり読んでみようと思う。
2009年11月7日土曜日
柳島海岸石畳にて
11時を過ぎて日差しが強くなり、風も心地いい
ここのところ寒かったのがうそのよう
海は太陽の光で水面がキラキラ、銀細工のようにきらめき、
波の音はわすれていたものを呼び起こすように、昔の記憶を刺激する
そう、感じたら、ヘッドホンステレオの音が邪魔になり、耳からはずす
手繰ろうとしていた記憶は何だったのか
それは、するりと逃げ去り、目の前には真っ白なキャンバスだけが取り残されている
その前にたたずむ私は描く題材を持ち合わせていない
空気を感じ、光を感じ、風を感じ、自然の奏でる音に耳を澄ますとき、
自分の中の何かをとろかされたようで、とろかされたあと、何が出来上がるのか
想像もつかない
この柳島の石畳のような場所は、実は終着駅のようで気に入っている場所のひとつだ。
何か懐かしさのようなものがここにはある。
岩に砕ける波の音はひとつの要素だが、日差しとか風のにおいとか、、
そんなものも大切なパーツだ
海は、当然だが、魚とか海藻などの生臭いにおいがつきものである
漁港はたいてい臭いし、騒がしい
この場所は、そんなものは無縁で、ただ地球や海を感じさせてくれるものだけがあり、
そういうものに向かって、作られた舞台のような石畳で、僕はひとやすみする
靴を脱ぎ、ソックスをとり去って、石畳の上に仰向けに寝転がってみると、
そんな中に入り込み、ひとつになれるような心地よさが与えられる。まさに至福のとき。
ここのところ寒かったのがうそのよう
海は太陽の光で水面がキラキラ、銀細工のようにきらめき、
波の音はわすれていたものを呼び起こすように、昔の記憶を刺激する
そう、感じたら、ヘッドホンステレオの音が邪魔になり、耳からはずす
手繰ろうとしていた記憶は何だったのか
それは、するりと逃げ去り、目の前には真っ白なキャンバスだけが取り残されている
その前にたたずむ私は描く題材を持ち合わせていない
空気を感じ、光を感じ、風を感じ、自然の奏でる音に耳を澄ますとき、
自分の中の何かをとろかされたようで、とろかされたあと、何が出来上がるのか
想像もつかない
この柳島の石畳のような場所は、実は終着駅のようで気に入っている場所のひとつだ。
何か懐かしさのようなものがここにはある。
岩に砕ける波の音はひとつの要素だが、日差しとか風のにおいとか、、
そんなものも大切なパーツだ
海は、当然だが、魚とか海藻などの生臭いにおいがつきものである
漁港はたいてい臭いし、騒がしい
この場所は、そんなものは無縁で、ただ地球や海を感じさせてくれるものだけがあり、
そういうものに向かって、作られた舞台のような石畳で、僕はひとやすみする
靴を脱ぎ、ソックスをとり去って、石畳の上に仰向けに寝転がってみると、
そんな中に入り込み、ひとつになれるような心地よさが与えられる。まさに至福のとき。
膝の痛みを押して柳島海岸まで
2009年11月6日金曜日
いつだって(仮)
いつだって、いつだって
いつでもあの頃の気持ちに戻れるとわかってる
奇跡のような出会いがあり、
奇跡をものにできないもどかしさが、
あの頃の僕だった
ただ君の影を追うことが楽しく、
ただそれだけで、生き生きと生きられた
何十年過ぎても、あの日の君は僕の中ではあの日のままで
青春の淡い記憶は奇跡のようにあの時のまま
いつだって、いつだって
いつでもあの頃の気持ちに戻れるとわかってる
季節がいくつか過ぎ
木枯らしが吹き始める季節になっても
奇跡を生かせずにいたあの頃
一歩踏み出すことができずに
一歩踏み出すことが怖くて日々は過ぎて行った
何十年過ぎても、あの日の君は僕の中ではあの日のままで
変わらない記憶は奇跡のようにきれいなまま
奇跡を生かすかどうかが人生かもしれないけど、
奇跡を夢のまま残しておいてよかったのかもしれない
あの頃の気持ちに戻れることで素敵な時間が生まれるのだから
いつでもあの頃の気持ちに戻れるとわかってる
奇跡のような出会いがあり、
奇跡をものにできないもどかしさが、
あの頃の僕だった
ただ君の影を追うことが楽しく、
ただそれだけで、生き生きと生きられた
何十年過ぎても、あの日の君は僕の中ではあの日のままで
青春の淡い記憶は奇跡のようにあの時のまま
いつだって、いつだって
いつでもあの頃の気持ちに戻れるとわかってる
季節がいくつか過ぎ
木枯らしが吹き始める季節になっても
奇跡を生かせずにいたあの頃
一歩踏み出すことができずに
一歩踏み出すことが怖くて日々は過ぎて行った
何十年過ぎても、あの日の君は僕の中ではあの日のままで
変わらない記憶は奇跡のようにきれいなまま
奇跡を生かすかどうかが人生かもしれないけど、
奇跡を夢のまま残しておいてよかったのかもしれない
あの頃の気持ちに戻れることで素敵な時間が生まれるのだから
2009年11月4日水曜日
仏検
15日の仏検まであと10日ほど。そもそも5級だからそんなに勉強しなくても大丈夫だと思うのだが、落ちるのは自分の中ではかっこ悪いのでここ数日は最後の追い込み。今日は3時間以上勉強したかもしれない。
今日で文法のテキストのノートまとめは終了。あとはこれを読み込むのと、明日からは聞き取り。こちらはほとんどやってないので、こちらは本当に追い込み。明日は午前中、会社を休んで喫茶店で聞き取りの練習をする予定。
そろそろ受験票が届く。会場が不便なところでなければよいが・・・。
しかし、動詞の変化にはお手上げ。こんなことばかりやっているとフランス語が嫌いになる。それでもまあ、自分の意思を伝えることと、街で標識などを読むことをを中心に考えると何とかなりそうである。
今日で文法のテキストのノートまとめは終了。あとはこれを読み込むのと、明日からは聞き取り。こちらはほとんどやってないので、こちらは本当に追い込み。明日は午前中、会社を休んで喫茶店で聞き取りの練習をする予定。
そろそろ受験票が届く。会場が不便なところでなければよいが・・・。
しかし、動詞の変化にはお手上げ。こんなことばかりやっているとフランス語が嫌いになる。それでもまあ、自分の意思を伝えることと、街で標識などを読むことをを中心に考えると何とかなりそうである。
2009年11月2日月曜日
オーティス・マーフィー×雲井雅人4
会場は来年3月で閉じるカザルスホール。
雲井氏が大学で教えているからか大学生?それも女の子がびっくりするほど多い。サックス抱えて通学するのはかっこいいかも。
コンサートはオーティス・マーフィーのガーシュウィン(ピアノ伴奏は日本人の妻)からスタート。見事にいろいろな音色をアルトサックスで吹き分ける。アルトサックスの魅力に引き込まれる。技術が素晴らしいのはいうまでもないが、エモーショナルな演奏にグッとくる。アンコールの”千の風になって”には少しやられそうになった。
後半は雲井雅人4。見事なハーモニーを聞かせてくれる。うなったり、まげたりという下品な演奏ではなく、正統的な音楽を聴かせてくれる。2曲オーティス夫妻と共演。特に”琉球幻想曲”はよかった。そしてアンコールの”ワルツフォーデビー”は6人の見事なアンサンブル。CDがないのが残念。
終わって外に出たらうそのような寒さ。もう冬。
雲井氏が大学で教えているからか大学生?それも女の子がびっくりするほど多い。サックス抱えて通学するのはかっこいいかも。
コンサートはオーティス・マーフィーのガーシュウィン(ピアノ伴奏は日本人の妻)からスタート。見事にいろいろな音色をアルトサックスで吹き分ける。アルトサックスの魅力に引き込まれる。技術が素晴らしいのはいうまでもないが、エモーショナルな演奏にグッとくる。アンコールの”千の風になって”には少しやられそうになった。
後半は雲井雅人4。見事なハーモニーを聞かせてくれる。うなったり、まげたりという下品な演奏ではなく、正統的な音楽を聴かせてくれる。2曲オーティス夫妻と共演。特に”琉球幻想曲”はよかった。そしてアンコールの”ワルツフォーデビー”は6人の見事なアンサンブル。CDがないのが残念。
終わって外に出たらうそのような寒さ。もう冬。
2009年10月31日土曜日
台風後の葉山方面見回り
天気よく久しぶりに葉山方面へ。秋谷往復で44.99K。今月も216.56Kで200K超え。この6ヶ月で200K超えは5回目。距離が安定してきた。今日はひざの具合もそんなに悪くない。
写真は秋谷のあたりの山の中腹に立っている日本家屋。このあたりは泉鏡花の「草迷宮」が書かれた場所らしく、少し先には碑もたっているが、それっぽい家屋ということで写真を撮った。
写真は秋谷のあたりの山の中腹に立っている日本家屋。このあたりは泉鏡花の「草迷宮」が書かれた場所らしく、少し先には碑もたっているが、それっぽい家屋ということで写真を撮った。
2枚目は芝崎漁港の並びのスペイン料理屋さんだが、この前の台風でやられたらしい。二階に上がる階段が破壊されている。このあたりは結構被害があったようだ。そう思えば堤防がずいぶん低いのが不思議。
今月これで38回目の書き込み。今年最も書き込んだ月になった。暇だったのだろうか?
見直してみると、今月は本もたくさん読んでいるが、ツイッターをはじめたり、加藤和彦が死んだり、結構話題が多かった月だった。
2009年10月30日金曜日
2009年10月26日月曜日
一週間たって
追悼 加藤和彦
加藤和彦が死んだ。加藤和彦は僕たちの憧れだった。「あの素晴らしい愛をもう一度」は何度歌ったことだろう。「イムジン河」「タイムマシンにお願い」・・・・遺書に「音楽でもうやるべきことがなくなった」とあったそうだが、僕は60代になった加藤和彦にシャンソンを歌って欲しかった。残念。
(泉涌寺かいわい)
加藤和彦さんが亡くなって、自殺で、うつでということがわかって、いろいろな人が哀悼の言葉を述べているのをみて、ますます喪失感が増してくる。
(ツイッターへの書き込み)
加藤和彦さんが10月17日に亡くなって一週間。
今夜、NHKの追悼番組があったけど、まだまだ僕たちを楽しませてほしかった。
坂崎君はここ数年一緒に活動することが多かっただけに喪失感は大きいと思う。
「タイムマシンにお願い」は勢いもあったし、まだまだやれるはずだったのに。
久しぶりに歌おう!
加藤和彦が死んだ。加藤和彦は僕たちの憧れだった。「あの素晴らしい愛をもう一度」は何度歌ったことだろう。「イムジン河」「タイムマシンにお願い」・・・・遺書に「音楽でもうやるべきことがなくなった」とあったそうだが、僕は60代になった加藤和彦にシャンソンを歌って欲しかった。残念。
(泉涌寺かいわい)
加藤和彦さんが亡くなって、自殺で、うつでということがわかって、いろいろな人が哀悼の言葉を述べているのをみて、ますます喪失感が増してくる。
(ツイッターへの書き込み)
加藤和彦さんが10月17日に亡くなって一週間。
今夜、NHKの追悼番組があったけど、まだまだ僕たちを楽しませてほしかった。
坂崎君はここ数年一緒に活動することが多かっただけに喪失感は大きいと思う。
「タイムマシンにお願い」は勢いもあったし、まだまだやれるはずだったのに。
久しぶりに歌おう!
2009年10月25日日曜日
新しいものをつくるのが難しい時代
「クリエイターが新しいものを作るのが難しい時代」という話がある。何でもある、クラシックでいえば、ベートーベン、モーツアルト・・・・の上に何を作るのか?絵画も具象ではもうすることがない?広告表現も使い回しが多くないか?ああ、この手があったね、というような・・・。広告は芸術ではないからいいけど、芸術の領域は大変かもしれないが、これもある、あれもある・・・と考え出すと何もできない。
王様のブランチのブックガイド200
著者の松田哲夫さんはなかなか器用な人である。「王様のブランチ」の視聴者にうまく当てて、それを本人も結構無理なくそれぞれの本を薦めている。”王様のブランチが薦める本」というジャンルがなんとなく出来上がっているようだ。
感動して涙があふれる、しみじみとした余韻が残る、ドキドキワクワクする、笑って元気になる・・・というようなカテゴリーわけはこの番組の視聴者のことをよくわかっているようだ。
西かな子、吉田篤弘、小川洋子、上橋菜穂子、森見登美彦、津村記久子、三浦しをん・・・・、読みたい人がどんどん出てくる。
感動して涙があふれる、しみじみとした余韻が残る、ドキドキワクワクする、笑って元気になる・・・というようなカテゴリーわけはこの番組の視聴者のことをよくわかっているようだ。
西かな子、吉田篤弘、小川洋子、上橋菜穂子、森見登美彦、津村記久子、三浦しをん・・・・、読みたい人がどんどん出てくる。
2009年10月24日土曜日
発表会の曲、仮決まり!
今日から授業は2冊目の教則本。この本の頭のデイリーエクササイズはできているのが前提といわれてがっかり。16分音符、符点がついたり、細かい休符もあるし、シャープ・フラットが非常に多かったりと結構大変。
そして、3月の発表会の曲が仮決まり。3人編成とのこと。”On the sunny side of the street"の予定。気に入って弾いている曲でもあるのでなんとかなるか。
そして、3月の発表会の曲が仮決まり。3人編成とのこと。”On the sunny side of the street"の予定。気に入って弾いている曲でもあるのでなんとかなるか。
2009年10月22日木曜日
2009年10月21日水曜日
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