2009年3月29日日曜日
「座布団の花が咲く」
色違い、模様違いの座布団を配色に気を配りながら並べる劇場、福岡飯塚「嘉穂劇場」。色違い、模様違いに気を配って座布団を並べて、開演前の客席に花を咲かせる。座ってしまえばわからない。お客さんだってわからないかもしれない。そんなところに気を配る、そんなセンスが劇場を守る。尊いと思う。
2009年3月24日火曜日
「ほぼ折れかけていた心」
イチローが大事なところで打てず、バントも失敗し、それでも最後に何とはヒットを連ねて出た本音。イチローでも「ほぼ折れかけていた心」なんていう心境になるのかと感心したり、人の子だと感じた瞬間。仕事が忙しく、トラブルが多い。にも拘らず腰痛と花粉症に悩んでいる中、このイチローの言葉が思い出されて勇気が出た。
人の心はしばしば折れかかる。それが折れてしまうか、踏ん張るかは気持ちの持ちよう次第なのだと、当たり前のことだけれど思う。あんなイチローでも折れかかり、そこをなんでもないかのように踏ん張り、何とか結果を出す。しんどいときも平常心を保ち、いつもの力を発揮できれば、結果はそのうちついてくるもの。心はほぼ折れかかったときの処方箋としていい話を聞いたと思う。
人の心はしばしば折れかかる。それが折れてしまうか、踏ん張るかは気持ちの持ちよう次第なのだと、当たり前のことだけれど思う。あんなイチローでも折れかかり、そこをなんでもないかのように踏ん張り、何とか結果を出す。しんどいときも平常心を保ち、いつもの力を発揮できれば、結果はそのうちついてくるもの。心はほぼ折れかかったときの処方箋としていい話を聞いたと思う。
2009年3月22日日曜日
「リチャード・ブローディガン」藤本和子
やっと読んだ、というのが本当のところ。でも、この本の世界、ブローディガンの世界はやはり、自分が求めている世界ではないのだな、と思う。著作を読んでみても今ひとつしっくりせず、やっとこの本を読んだのだが、これも心にしみてこない。そして、もしかしたら、この本の著者の藤本和子さんも今では、ブローディガンに少し距離を置いているのではないか?
この本の中でもっとも興味を引いたのは椎名たか子さんの回想の部分。どんな女性なのか?そして六本木クレイドルとはどんなバーだったのか?
この本の中でもっとも興味を引いたのは椎名たか子さんの回想の部分。どんな女性なのか?そして六本木クレイドルとはどんなバーだったのか?
2009年3月15日日曜日
2009年3月9日月曜日
「資本主義はなぜ自壊したのか」中谷巌
・気になったのはアメリカ社会の「粗雑さ」という指摘。日本もそう。何かが壊れてきている予感。心、環境、食品・・・。ちゃんとしようとする気持ち。
・「怪物」としてのグローバル資本主義、マーケット至上主義、新自由主義。コンピュータもロボットも登場したときは怪物化することが懸念されたが、本物の怪物になったのは、91年の社会主義の崩壊で過信した資本主義であった。
・“まやかし”のキーワードとしての「改革」「自己責任」「規制緩和」「財政再建」「民営化」・・・・。これらのキーワードはいつも“絶対善”としてデビューした。一部エリートにとって都合のいい思想であり、格差正当化のためのツールになり果てた。知恵が回る奴らが世の中を跋扈している、油断はならない。
・“新自由主義”=“規制のない市場での競争が最適解を産む”という考え方はローカルな資本主義の下では機能しえた。しかしグローバル資本主義の下ではマーケットの調整機能がうまく働かない。
・さて、“潮目は変わった”。共和党の個人の自由優先から民主党の公共の利益優先の社会への転換が少しずつ始まる。こうやってアメリカ社会はバランスをとることを30年おきぐらいに行っているとのこと。
・しかしこの書籍はこのタイトルであるならば、グローバル資本主義制御の方法論に踏みこんでほしかった。“日本の特殊性”“価値”“文化”にスライスしすぎてはいないか?日本の互恵性、長期的なものの考え方、自然との共生、現場力、信用第一、一体感を重視術氏といっても、ハイエナのようなグローバル資本主義は見向きもしない。
・最後の目うろこは、“低信頼社会”では家族経営になるというもの。なるほど中国はそうである。
・「怪物」としてのグローバル資本主義、マーケット至上主義、新自由主義。コンピュータもロボットも登場したときは怪物化することが懸念されたが、本物の怪物になったのは、91年の社会主義の崩壊で過信した資本主義であった。
・“まやかし”のキーワードとしての「改革」「自己責任」「規制緩和」「財政再建」「民営化」・・・・。これらのキーワードはいつも“絶対善”としてデビューした。一部エリートにとって都合のいい思想であり、格差正当化のためのツールになり果てた。知恵が回る奴らが世の中を跋扈している、油断はならない。
・“新自由主義”=“規制のない市場での競争が最適解を産む”という考え方はローカルな資本主義の下では機能しえた。しかしグローバル資本主義の下ではマーケットの調整機能がうまく働かない。
・さて、“潮目は変わった”。共和党の個人の自由優先から民主党の公共の利益優先の社会への転換が少しずつ始まる。こうやってアメリカ社会はバランスをとることを30年おきぐらいに行っているとのこと。
・しかしこの書籍はこのタイトルであるならば、グローバル資本主義制御の方法論に踏みこんでほしかった。“日本の特殊性”“価値”“文化”にスライスしすぎてはいないか?日本の互恵性、長期的なものの考え方、自然との共生、現場力、信用第一、一体感を重視術氏といっても、ハイエナのようなグローバル資本主義は見向きもしない。
・最後の目うろこは、“低信頼社会”では家族経営になるというもの。なるほど中国はそうである。
2009年3月8日日曜日
2009年3月1日日曜日
安藤道場
建築家安藤忠雄の事務所はさながら「道場」である。
”チーム力”を大事にし、自分も含め個室はなし、安藤の机は平場の事務所の玄関脇。安藤が大きな声で呼べば吹き抜けになつているので階上に机を持つメンバーもすぐはせ参じる。メールは玄関脇、安藤の机の近くの一台のPCのみにて可能、電話は数台あるが同じ場所。全てやり取りは安藤に筒抜け。どこで滞っているかすぐわかるという。ここでは「ほうれんそう」は不要だ。
安藤は外出してもNRはしない。「リーダーは戻ってくる」というのが大事だという。英語も皆で勉強に行く。安藤も一生徒だ。今どきすごい。安藤の求心力、エネルギーがすごい。
”チーム力”を大事にし、自分も含め個室はなし、安藤の机は平場の事務所の玄関脇。安藤が大きな声で呼べば吹き抜けになつているので階上に机を持つメンバーもすぐはせ参じる。メールは玄関脇、安藤の机の近くの一台のPCのみにて可能、電話は数台あるが同じ場所。全てやり取りは安藤に筒抜け。どこで滞っているかすぐわかるという。ここでは「ほうれんそう」は不要だ。
安藤は外出してもNRはしない。「リーダーは戻ってくる」というのが大事だという。英語も皆で勉強に行く。安藤も一生徒だ。今どきすごい。安藤の求心力、エネルギーがすごい。
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