2008年6月30日月曜日

「スカイ・クロラ」①

戦争請負会社の戦闘機のパイロットが主人公という奇想天外な設定。更に主人公は遺伝子制御薬の開発時に偶然生まれてしまった子供、思春期に体の成長が止まり、病気もしない。
少し、「夜間飛行」の香りがする。
いずれにしても、人工的な静寂に満ちた物語である。
宇宙空間は静かだという。また次元は異なるが高層マンションも静からしい。生身の人間が存在しない、肉の気配がしない静かさがこの小説にはある。
とりあえず。映画が楽しみである。

晴漕雨吹

晴れた日は自転車のペダルを「漕ぎ」、雨の日はサックスを「吹く」。「晴耕雨読」ならぬ、「晴漕雨吹」の生活である。
アルトサックスとはしばらく付き合えそうだ。汗もかくし、腹筋も使うし、肺活量も増えるかも。体にもいいかもしれない。

雨音が聴こえるバーで

鉄線が入って斜めにはめ込まれた窓を滴る雨は、
僕に似合わない気障な言葉を使わせる。
静かに雨が窓を滴り落ちるとき、
僕は次第にこの空間にいる意味を知るのだ。
思いがけず饒舌になる夜。

2008年6月29日日曜日

栗山千明さん

素敵というより、不思議な人。
アニメ好きのオタクで、でも焼酎好き。変わった人で、美人なのに、それを意識している様子はほとんどない。美人の元モデルの女優さんとして、それらしいイメージを意識して作ろうとしている様子がない。自然体なのだろうか。スカイ・クロラで声優で出ているとのこと。
スカイ・クロラが映画化されるので、本屋に本が並び、TVで栗山千明が出ているのだろうか?なかなかのクロスメディアである。
しかし、おしゃれ関係でのベッキーのコメントはなかなかのものでした。

初レッスン

6/27(金)体験レッスン。まさしく現役プロの先生なので、少し気が引けるが気にせず、吸収あるのみ。
少しコツがつかめたようで、家で吹いてみると少しスムーズに吹けるようになっている。
7/4(金)が第1回レッスン。1回30分だけど、個人の方がいろいろ質問が自由にできるので、当面は個人レッスンで勉強することにする。
ストラップは買う必要がある。チューニングメーターとメトロノームも必要か?
この土日は「フライミートゥザムーン」を練習してみる。当然難しい。
先生から「サックスという楽器はよくできた楽器」という話が30分のレッスンで2回も出てきた野が印象的だった。サックスをいかに愛しているかわかる。クラシック、ジャズ、吹奏楽というジャンルでなく、サックスという楽器にほれ込んでいるということなのだろう。
<学んだこと①>
・吹きすぎない、力を入れすぎない
・下唇は丸める
・上の歯に押し当てる
・まっすぐ空気を押し出す?下めに?
・ストラップで全て支える
・マウスピースは1センチ以下まで押し込む
・リードを舐めながら、組み立てる
・マウスピースは1センチぐらい咥える

*教科書から
・リードを下唇に押し付けると音の響きが損なわれるので注意する

「枠外」の人たち

小島よしお、黒人演歌歌手のジェロ、エド・はるみ、世界のナベ・アツ、ねずみ先輩、おばかブームのかのスザンヌ、現象としてのメイドカフェ・・・・・、枚挙の暇がないが、何か「枠外」の人間がせつな的に出現する。出現しては消えていく。「枠内」でしか生活できない自分にはできないことをする人が、単発で人気を得る。代償行為なのか。
「枠外」だったり、「振り切れて」いたり・・・・。
バカなことはできない時代に、カラダを張ってバカなことをしてくれる人は尊い、ということか?

あの頃の有楽町のお店

テイジンメンズショップ
伊東屋丸の内仲通り店:ステッドラーの鉛筆、消しゴム・・・
アメリカンファーマシー:はじめてハーブティを知って買ったお店
この3つのお店は東京生活を始めた僕に影響をお与えてくれたお店。
ミコノス:ギリシア風のカフェ、厚切りトースト、サラダ、スクランブルエッグが確かワンプレートだったような、そして珈琲、それでその当時は高かった350円だったような。
ブリアン:有楽町ビルの13F
慶楽、小胴天、天龍、きくかわ・・・・。

No35.ウェザーリポート「バードランド」

これはレコードの時代に買ったもの。79年発売。
今聴いても素晴らしい。出だしのパートで予感させ、そのあとのカッコいい疾走感。夜の闇の中を車で飛ばしたらどんなに気持ちがいいだろう。
グルーブ感とか、心をざらつかせ、掻き立てるサウンド。
ブラスがとりわけカッコいい。
メロディラインのノリのよさ、ダイナミックさ、繰り返しによる高揚感、急降下感・・・・、この曲の魅力を言葉に落とすのは無駄なことだ。ただ聴けばいいのだ、29年前聴いたときと同じ熱さが得られる。

2008年6月28日土曜日

ポパイ物語②

大学2年という一番影響を受けやすい時代に影響を受けなかった理由を考えてみた。
まずはものに関心が薄かった。カネもなかった。しかし、それ以上にポパイの男の子的な世界に関心がなかったこと、そして何よりスポーツに縁がなかったことが、ポパイという雑誌に関係が薄かった理由だろうか。それでいて、後年片岡義男にはまっているからおかしい。

ポパイ物語①

1976年6月25日創刊。大学は75年に入学したので大学2年のときに創刊。しかし、この本がとんでもなく面白かったほどには雑誌ポパイには影響されなかった大学時代であった。それはなぜかということはおいて、まずこの本についてである。
本文中で面白かった部分を書き連ねてみる。
・石川はアメリカの基本は「道具」だと見抜いて・・・
・ライフスタイルはきれいごとで生活を飾るのではない。生きる技術を身につけ、情報をコントロールし、物事を確実に公平に見つめることだ。
・道具が身体に与える快感の秘密/70年代から登場した新スポーツは”無重力の世界、浮遊感覚、平衡感覚”が重要なポイントとなっている
・新しい雑誌には、新しい言葉の開発、新しい文体が絶対必要
・「スグレモノ」「ギャル」という言葉はこの雑誌から
・「ダイクマ」は茅ヶ崎発のアメリカ風巨大ディスカウントストアだったのだ
・片岡義男もこの雑誌にいた
・3分しかない歌でも2時間の映画を見たに値するみたいな部分があるでしょ(山口百恵)
いろいろな新しいものをつくった。生活はアメリカ化し、感覚化、ものの時代をリードした。

「ポスト消費社会のゆくえ」

これはタイトルに偽りありですね。全体的には上野千鶴子が西武の失敗を「堤清二」に問いただし続けているという内容ですね。しかし、しかし、広告の歴史を西武中心にたどった部分は大変懐かしかった。
西武といえば西武美術館だ。ずいぶん通ったものだ。75年~99年。美術館に行って、本を眺めて・・・しかし、どこでお茶を飲んだのか、食事したのか池袋の街には全く記憶がない。買物の記憶もない。
「不思議、大好き」(81年)、「おいしい生活」(82年)、おそらくこの頃まではコピーライターになりたいなんてことを考えていたのだろうと思う。あるいはならなくてしまった!と。
この時代、84年「さよなら大衆」、85年雇均法、同「新・階層消費の時代」(小沢雅子)。
最後の方で、辻井喬は「日本の大衆全体がこの2,3年でまた貧しくなった」と発言している。広告に関連させると、上の方は広告に左右されず、下の方は広告に喚起されても踊れずということだろうか。
すごい二人の対談。西武の話にとどまらず、もっとポスト消費社会に言及して欲しかった。

今週の外食

(月)昼:皿うどん&ゴーヤと豚のトーチ炒め丼、(水)夜:野菜炒め、(木)夜:しゅう、(金)昼:そばランチ(NAGARA)、夜:代々木のロバーツ。今週はNAGARAが特筆でしたね。荒らしてはいけないお店でした。

2008年6月25日水曜日

副都心線への東横線の乗り入れ

東横線の特急・急行は副都心線とつながっても、横浜方面行きは渋谷始発であるべきであると思う。そうである方が東横線の沿線価値を高めるはずだ。
普通は相互乗り入れでいいが、東横線沿線住民にとって渋谷で座れないことは、副都心線直通になったことでの改悪である。
東急は田園都市線では渋谷始発は全くない。だから心配である。京浜急行は長距離ということもあるが、スピードの速い列車は品川始発にしている。賢明である。
東急は渋谷始発でなくなることのお客にとってのデメリットをどのくらい感じているのだろうか?つながるから必ずしもいい訳ではない。東横線の特急は特に渋谷ー横浜の利用客が多い。だからこそ座りたいし、寝たい。待っても寝たいのだ。そのあたりの乗客の気持ちをどれくらいわかっているのだろうか。座れないのなら早いからJRの方がいいのだ。

ソニーロリンズのサウンド

ソニーロリンズはもちろんアルトサックスではなく、テナー。しかし彼のインプロビゼーション、グルーブ感はアルトサックスでも同じパフォーマンスが可能だ。
朝、会社に行く途中で聴いたソニーロリンズの演奏。やはり、これだ!この音廻し、グルーブ感で、ジャズにのめりこんでいったのだから、少しでも自分が演奏する中でも、近づきたいもの。

UFOキャッチャーの名人

セガの社員とのことだが、久しぶりでテレビですごい人を見た。(日曜)
たかがUFOキャッチャーだが、スーパー素晴らしい攻略術でした。こんなものをTVで公開してもいいんだろうか、マネなんかできっこないと思っているのかもしれないけど、マネはできるものです。
ぬいぐるみの脚の間に突っ込む、わっかになった紐に引っ掛ける、どれもこれも素晴らしいテクニック、こんなことまで想定してあの遊戯マシーンは作られているのだろうか。

朝、駅までの道で

朝、駅までの道の途中で可憐な花を発見。
朝、あわただしく会社へ行く途中で、なごみますね。
何という花なのか、名前も知らないけど、朝、忙しい私に見てみて、といわんばかりの真っ盛りの花。
でも、こんな花に眼も止まらなくなったらおしまいですね。

「太助」

仙台の牛タン専門店を虎ノ門で見つけました。
適当な値段で昼も楽しめるお店。そのうち、行って見ましょう。
場所は地下鉄虎ノ門駅を降りて、交差点近く。

2008年6月22日日曜日

「何でも見てやろう」③

読んだときのメモが残っていたので追加。
これは旅ではなく、いくつかの場所で生活した記録だと思う。
旅行者でなく、現地で生活して人に溶け込もう、そしてその人たちや文化を理解しようとする意思が感じられる。
そして、後日書いたはずのものだが、ノートに書きなぐったような、記録・メモ・日記という感じが強くする。 なんといっても「好奇心のオバケ」というでもいうべき人。
日本から持参した思索を海外という環境の中でどう化学変化するかを体験するたびともいえる。旅行でも留学でも、その価値はここにあると思うのだが。
もう少し時間がたってから、もう一度読もう。
現在読書は「旅シリーズ」。
「青年は荒野を目ざす」→「何でも見てやろう」→一休みで軽く中谷美紀の「インド旅行記」つぎは。ロバート・ハリスの「エグザイルス」か沢木耕太郎の「深夜特急」か?これはどちらも過去に読んだものだが。

芸術を語る人への違和感

美術評論家として美術を語る人に対してずっと違和感を感じてきた。
音楽評論家や映画評論家ではそれほど感じないにもかかわらず・・・。
芸術とは荒々しい魂の発露、エネルギーの噴出のようなものだと思うのだが、それを上質のスーツを着て、ネクタイを締めて、そしてこれがそう感じさせる根本だと思うのだが、「対象」として客観的に分析・解釈して、美術の流れ・歴史の中に位置づける作業をしているのが彼ら、評論家のしていることのように思えてならないのだ。それも、何か高いところから眺めて、語っているような気がする。あるいは学術という高みから芸術を眺めているとでもいうような。美学は芸術の上ではないはず。
音楽評論家(これはどちらかというとポップ系だが)や映画評論家と違うのは、リスペクトや単純な「すごいよね!まいった!ワーオ!」という感動がいわゆる芸術評論家からは伝わってこないことがそう思わせるのだろう。
芸術に「解釈」は必要なのだろうか?生み出す人に対して眺める人は最大限のリスペクトが必要だし、それを更に解釈する人は、それ以上のリスペクトが必要だと思う。

2008年6月21日土曜日

「インド旅日記2」中谷美紀

アーユルヴェーダのはまった女優のインド旅日記というよりも、観光日記。ガイドつきの旅行だし、インドの見学と事実の羅列と歴史が記述された本で、そこには文化を見る眼やソウルの欠如や今のインドの生活を見る眼の乏しさは否めないが、本人はそれなりにわかっていて、”軟弱な私”という言い方をしているのは少し痛々しい。
そう、そう簡単にインドはお手軽文明国日本の女の子が過ごしていけるやさしい国ではないのだ。こっともっと感じたこと、考えたことを書いて欲しいなと思う。

Jason Mraz

最近お気に入りのJason Mraz。2曲目をラジオで聴いて購入し、3曲目の”ラッキー・フィーチャリング・コルビー・キャレイ ”にはまっている。まずアコースティックな気分がいい。そして、何だろう。表現が難しいが、優しいメロディらいにもかかわらず、ハートにぐぐっと来るのは何故だろう。今年最大の発見かもしれない。また、うまく感想が書けるようになったら、追加コメントしたいと思います。

今週の外食

(月)お休み、昼:ゆうき食堂で生しらすと地アジの二点盛り、(火)昼:原宿神宮前、ポークソテー、(水)閑山でほっけとお刺身の定食、美人おかみのいる店、夜:新しく東急本店前に引っ越した魚山亭、(木)成都酒家、豚肉と○○の炒め物定食、すごいボリューム、(金)夜:ニラと豚・卵の炒め物定食。

2008年6月20日金曜日

魚山亭

いつの間にやら宮益坂から道玄坂、東急百貨店本店前に引っ越していました。
シネマのあるビルの2F。店の雰囲気と、メニューは同じ。
牛のたたき、焼き野菜のサラダ、炊き合わせ、らっきょ、ひやじる、あと何を食べたんでしょう。

2008年6月19日木曜日

「何でも見てやろう」②

この本はもっと早く、それも若いときに出会っておくべき種類の本でした。
小田実のすごさがひしひしと伝わってくる。”貪欲”という言葉はこの男のためにあるようなものだ。
アメリカ南部でも、メキシコでも、インドでも、その入り込む力はすごいとしか言いようがない。
小田実の文化論は研究した文化論ではなく、体感した文化論で、更に現地に入り込んだ文化論で、そこがすごい。おまけに背景として、それなりに日本で勉強してから行っているから強い。
各国に行き、見て、感じて、現地の人間と語り、考え、「何でも見てやろう」はそういう旅だ。そして、結局は日本とは、日本人とはということを考えている本だ。上っ面を撫ぜただけの旅ではない。本物のすごい男がここにいたという印象だ。
1958年、26歳の時の体験。勉強して、少し成熟してから行ったことも深い旅にしている。
五木寛之と並べて読んだことに反省!

フレンチカンカン

ジャン・ルノワールの映画。
パリを舞台に、ムーランルージュの創始者で、女性には移り気な興行師・ダンクラールの生き様と、『フレンチ・カンカン』の誕生を描いたルノワールの名作ミュージカル。有名シャンソン歌手や豪華俳優陣らが競演する。
ニューヨークにおけるミュージカルのようなムーラン・ルージュ。こんなところなら、パリに行ったときに見に行けばよかったと思わせる。
映画はジャン・ギャバンの存在感、ニニの可愛さ、複雑な恋愛模様、踊りに歌と、そしてショービジネスの厳しさなど見所が多く、なかなかのエンターテイメント。

2008年6月17日火曜日

「何でも見てやろう」①2人の1932年生まれ

「青年は荒野を目ざす」の五木寛之と、「何でも見てやろう」の小田実は何と、ともに1932年生まれ。何と現在76歳。ずいぶん色味の違う二人だ。ここのところ小田実は余り表には出てきてない様子。
ひとことで言って、「青年は荒野をめざす」はずっと読まないできたけど、大きく期待はずれ。そもそも実体験ではないところに弱さがあるし、ちゃらい。それに対して、「何でも見てやろう」はまだ読んでいる途中だが、これはすごい本だ。本物、何が本物かということはあるが、これもはじめて読むが、一世を風靡しただけのことはある。
感想は全部読んでからにしたいが、世の中は五木寛之の方の軽めの主人公に近い感じで変化をしてきている。その意味では前触れとしては正解なのだろう。小田実はあの時代に、実にすごい旅をしている!

副都心線渋谷駅

会社の帰りに千代田線を明治神宮前まで今日二回目となる乗車。副都心線で渋谷へ。
副都心線渋谷駅は将来の東横線への乗り入れを想定して、線路が4本もある大型の地下駅。何と地下5回。将来はどういう構造になるのでしょうか。
いずれにしても東横線が渋谷始発でなくなるなら、また通勤が辛くなるなあ。

シルバーマグ

シルバーマグがなくなっていた。ショック!
1980年オープン。最初jはカフェ。そのあと、いわゆるカフェバーのはしりだったと思う。たぶん、オン・サンデーズにいった帰りに見つけたのだと思う。
世界のビールが何十種類もある、その当時は珍しいお店だった。ヌードビール、これはラベルをつめでこすると女性のヌードがあらわれるという趣向。ノルウェーのスキービール。これ、結構好きでよく飲みました。今もあるのでしょうか?アルコール度数の高いビールもあって、これにチャレンジして気分が悪くなったこともありました。
亡くなったFさんはじめいろんな人と来たお店。
雨の日、傾斜した鉄線の入ったガラス窓に雨が流れるのが好きだった。記憶と思い出がたくさん、一番たくさんある店がとうとうなくなった。

北参道

昼前から抜け出して、新しく開通した副都心線に乗る。明治神宮前から北参道へ。駅はマンジュ・ペシェから程近い場所。原宿の裏通りを抜け神宮前でご飯(ポークソテー)。そのあと、オン・サンデーズを経由、外苑前のリブロで探し物。なかなかの午後の散歩。

2008年6月16日月曜日

ピーター・バラカン「魂のゆくえ」

ソウルミュージックの歴史とアルバムの紹介した本。週末の週刊ブックレビューで紹介されて、アマゾンで購入。それ以降、この本を熟読し、改めてソウル・ミュージックにはまっている。とりあえず、今はモータウンとアレサ・フランクリン。ソウルはいろんな音楽に分解されていっている感もあるが、「ソウル」はロックでもブルースでもジャズでも、その根本にあるものだと思う。そもそも「ソウル」のない音楽は存在しない。しばらくソウルワールドの浸ってみることにしよう。

あじさい

梅雨の真っ只中のはずが、3日続けて快晴。久しぶりに走る。
腰越(あじさいは手広の手前の青蓮寺で)→柳島→小坪(ゆうき食堂で今日は地アジと生しらすの二点盛り定食、アジも生シラスも抜群!1000円、逗子マリーナ山側にもう一軒生シラス丼を食べさせる店を発見。こちらは次回)→鎌倉→あじさい見物で混雑している北鎌倉を抜けて・・・。61.2K。最近では最長。結構最後はへとへとでした。
今日の海はもう夏、コパトーンの香りがしたような感じがしたし、海の家の建設は今が盛り。もうすっかりコンガリと焼けた若者と元若者。
鵠沼から柳島まで18~19Kのごきげんペースで流す。気持ちのいい風、いい休日だ。
逗子マリーナの裏の防波堤で寝転ぶ。海は外海。結構水平線の眺めがいい。おおらかな気持ちになれる心地いい風、そして防波堤のコンクリートは程よく暖かい。
肌は今日一日でずいぶん大人気なく焼いてしまった。
命の洗濯ってこんなことかな。

2008年6月15日日曜日

映画「モディリアーニ」

ジャンヌ役のエルザ・ジルベスタインがモディアリアーニの絵の中のジャンヌにとても似ている。
「静かな絵に似合わないラテン男」、モディリアーニ」「芸術の世界も競争社会」、意外なことがいくつかあった。「君の魂が見えたら瞳を書くよ」にはまいりました。

今週の外食

風邪で体調不良。よって昼は社内で、夜は自宅での1週間。
(金)昼:午後出社で有楽町「小胴天」でやきそばランチ。このお店で25年以上ずっと食べてきたやわらかい焼きそばとシュウマイがセットになったもの。昔はフルサイズの焼きそばにシュウマイ二つが定番だったけど、今はいつも便利なこのメニュー。少し焼きそばを食べたりないぐらいでいいところか。

2008年6月8日日曜日

男女のイメージの逆転

女子の方が男子より積極的で万事にアバウト。男女のイメージの逆転が起きている。
「がさつ」「気が強い」「おおざっぱ」はいずれも男子<女子。「容姿への自信」が将来への希望につながるのは、これは逆に男子>女子。「勉強好き」が希望につながるのは、男子<女子。
車、旅、酒いずれもダメなのはこのあたりが要因か?
「欲しいものはいつでも手に入る」から先送りできる。結婚のかわいい服も年齢制限なし。時間感覚がとても自由になっていて、消費を煽りにくくなっていることは確かだろう。
(4/11日経流通、石鍋仁美)

感情をそのままぶつける

週刊ブックレビューでピーターバラカンがソウルについて語っていた言葉、「ソウルは感情をそのままぶつける」はアルトサックスにもそのままいえる。吹きたい、鳴らしたい、音を出したいという感情やソウルがないと取り扱えない楽器なのかもしれない。

2008年6月7日土曜日

魂を入れる

ピアノが簡単というわけではないが、とりあえず鍵盤を押せばそれぞれの音は鳴る。しかし、アルトサックスは空気の入れ具合で音が変わる。一音階も変わるし、音もズレる。全ての音に魂を込めて吹かないと思うとおりの音は得られない。厄介かつ人間臭い楽器である。

ロブション自伝

オーソドックスな素晴らしい料理人の話。料理には王道しかないと思わせる。厳選された素材、確実な火入れ・・・・・、そして大変な労働時間と根気の投入。特別な道はないのだ。

ONCEダブリンの街角で

ピアノが家にないので楽器店で昼休みの1時間ピアノを弾かせてもらっているチェコから来た子連れの女、掃除機の修理をしながら穴の開いたギターで曲を作り街角で歌う男。そんな二人が出会って、愛が芽生えそうになって、男の曲をいっしょにスタジオ録音もするのだが、結局男は夢を見続けるためにでもCDを持ってロンドンへ、女は母と娘のいるダブリンに留まる。男はロンドンに行く前に女の家にピアノを贈る。全編音楽が素晴らしい。サウンドトラックがアメリカで売れているらしいが、さもありなん。速攻でアマゾンで購入。right person

今週の外食

(月)夜:寿司懐石(乃木坂)、(水)昼:つつみ揚げ、夜:豚、もやし、ニラ炒め、(木)昼:グラナータ(ラザニア、パスタ)

2008年6月4日水曜日

哀れ!

育児に悩む主婦が生後6ヶ月の子供首を絞めて殺害し、自らは風呂場で腹部を包丁で刺して自殺した。女性は34才で、夫は29才。
「赤ちゃんを連れて行ってごめんなさい」という遺書、辛い死に方だったはずの腹部を刺しての自殺、部屋を汚さない配慮か、風呂場での自殺を選んだ最後の瞬間での気配り、5才年下の夫への申し訳なさもあっただろう。やりきれない話。こういう事件は本当にどうにかならなかったのかと思う。

2008年6月3日火曜日

青年は荒野をめざす

新装の文庫本の帯には、「60、70年代、この本は青春のバイブルだった」とある。しかし、この本を読んで感じたのは、これはノンフィクションではなくフィクションであるということ。本当に青春時代にナホトカ、モスクワ、ヘルシンキ、パリ・・・・と旅した人間の話としては余りにもリアリティがないということ。既に1972年には40才だった五木が青春期ではない時期に旅したことをあたかも青春期に旅したように作家としてフィクションした作品だと感じた。その当時では、この程度の話で充分若者をだませた、そういう書物ではなかったか?沢木耕太郎の「深夜特急」のリアリティには全く及びもつかないし、おそらく小田実の「なんでもみてやろう」とも全く違うものなのだろう。
今の五木寛之にとってこの本が本当に新装の文庫本で出す価値があるのか聞いてみたい気がする。

平野綾さん

この人は声優として天才ですね。21才でこんなに声優という仕事が大好きで、大事にしているということ自体が素晴らしい。とても可愛くて、輝いている人、それでいてちゃんとしていて真摯。「なんだろうなあ」が口癖かも。感覚が先行して、感覚のありかを考えるというタイプ?
以下ウィキペディアでの評。
・アドリブが非常に洗練されており、独自の手法で脚本にない「行間」を読ませることに長けている。
・比較的役者の自由な掛け合いが可能な場面において、他の声優にない独特の声の使い方をする。特徴的な声質で勝負するよりは、独自の感性と幅広い演技力で勝負するタイプの声優である。(こういうところはとってもクリエイティブ)
・好きな言葉は「存在するということは、自分を創造することだ」である。

2008年6月1日日曜日

思いのまま人を好きになれる季節

思いのまま人を好きになることができたら、そしてその思いをそのまま行動に移せることができたらどんなに素晴らしいだろう。思いのまま好きになることはできる。でも、その後行動に移すことはできるのだろうか?相手にも躊躇があるだろうし。そういう季節ににもっともっと人を好きになって、臆病になりがちな時期に、こんなことができるのは人生の中で今だけだよということが見通せて、行動できていればどんなにか良かっただろう。でも、年令を重ねても人を好きになることはある。そのとき人はどう振舞うのが正しいのだろう。しかし正しいことが全てではないこともまた確かなのだが。