2011年8月21日日曜日

再開

最近になっていくつかの書き残しておくべきことがあると思い、
東日本大震災のしばらく後から中断していたこのブログへの書き込みを
5か月ぶりに再開しようと思う。
そもそも、日々心にふと気付いたことを書き残そうと思ってはじめたブログ。
ゆったりとはじめようと思う。
きっかけの一つ目は、8/8の六角橋商店街の火事。
やっと8/18に現場を見に行ってきました。六角橋の交差点寄りの17軒が燃えたとのこと。
火災に遭った中にはひいきの「とんかつや どーんとこい」もありました。
カキフライも美味しいこのお店。復活を期待しています。
近くのお店に残された文字「なんとかするから待っててね」。力強い!
二つ目は向田邦子さんの作品、特に小説に出会ったこと。
きっかけは、TVドラマの「胡桃の部屋」。そして、「胡桃の部屋」が掲載されている
新潮文庫の「隣りの女」。少々しけているが、かわいい女性・・・う~ん、いい。
そんなことで、少しずつ書き始めようと思う。

2011年3月17日木曜日

地震から明日で一週間です

地震の時は会社が入っているビルの10Fにいました。こんな激しい揺れは初めての体験でした。人生で初めて身の危険を感じました。
結局、その日は帰れず会社に泊まり、翌日土曜朝に大混雑の在来線を尻目に何と平常運転している新幹線は簡単に座れて、車内販売もいつもと同じようにしていて不思議な感じでした。
月曜も行きは新幹線で、帰りは東急東横線で帰りましたが、まだ夜9時半過ぎだというのに横浜駅に人気はなく変な静寂が駅を支配していました。私鉄電車の上り(東京方面行)はまだこんな時間なのに終わっていて、私が乗る下りも各駅停車は来ず、結局2駅手前からタクシーで帰りました。
地震以降、不思議な感覚に捉われることが多いです。
そして、今回のことで、これまで私たちがいかに便利な生活を享受していたかを思い知らされ、そしてそれがいかに脆弱な基盤の上に成り立っていたのかということを思い知らされています(現在進行形です)。
そして、今日も大規模停電があるかもしれないという大臣発言で、大慌てでみんな殺到するように帰宅しました。駅は大混乱でした。
NYの9.11でアメリカ人は価値観が変わったと言われていましたが、今回の地震では東京は直接の被災地ではなかったにしろ、地震での激しい揺れ、津波が引き起こした悲惨な動画での映像、首都圏の交通の大混乱、原子力発電所の問題、その後のモノ不足と、人命は損なわれていないけれども大きく被災していると思います。
石原慎太郎は「天罰」だと言って非難されたけれども、今回のことは自分たちのこれまでの生活を見直せという警鐘かもしれないと思います。

2011年3月6日日曜日

今週の外食

(月)昼:串揚げ、(水)夜:とんかつ@白楽、(金)夜:つけ麺@赤坂

2011年2月26日土曜日

今週の外食

(月)夜:渋谷@唐そばでつけめん、チャーシュー追加はtoo much、(水)夜:横浜駅地下でつけめん、(木)夜:横浜駅地下の勝烈庵で定食+カキフライ、久しぶりの勝烈定食、いつもながらおいしい。このお店のとんかつは独身時代から食べ続けているが、とんかつも、しじみのみそしるも、ソースもキャベツも味が落ちたという感じは全くない。

2011年2月24日木曜日

「短歌の友人」穂村弘

短歌もまた詩であり、そしてまたコピーライティングにも通じるものがあると思わせる。
いくつか気になった短歌。
・カップ焼きそばにてお湯を切るときにへこむ流しのかなしきしらべ
*”へこむ流し”→実感があるなあ
・たくさんのおんなのひとがいるなかで/わたしをみつけてくれてありがとう(今橋愛)
*何て素直なんだろう
・夢らしきものの手前の現実をずっと過ごしているわけだけども(脇川飛鳥)
★ポイント2つ
①言葉を軽く握る:言葉を詰め込みすぎない
②言葉のカテゴリーの越境
しかし、俵万智さんはすごい。万智さん以前、以後という概念があると思わされる。
・「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ(俵万智)
短歌は俳句より自由な表現であるように思う。

八ヶ岳倶楽部Ⅱ

俳優の柳生博さんがこういうもう一つの顔をもっていることをはじめて知った。
きっかけはNHKのテレビ。そしてこの本をアマゾンで買った。
森を知り、花を知り、鳥を知る、土地の気候を知る。
こういう生活はたぶん自分にはできないが、もう一つの自分があることが素晴らしい。
そして80歳を過ぎてまだこういう活動ができていることが素敵だ。

春の気配





自宅のある地域の周辺も少しずつ春が近づいている気配。
一番春が早い梅は満開、続く花たちもつぼみを膨らませ始めている。
撮影したいものが少ないこの地区にも自然は平等だ。