2008年8月31日日曜日

金曜の授業

「のどをひびかせる」「舌のポジションをあげる」「あごの力を抜かないと高い音がならない「しぶい音にならない」。
少しいい音の要領が見えてきたか?しかし舌はかみすぎ。高音部がずれる。「息のスピード」が大事。

やっと雨が上がり・・・

今日はいつもに増して自転車が多かった。少し涼しくもなったし、ここの所ずっと雨だったこともあるだろう。
今日のコースは北鎌倉→鎌倉→逗子マリーナ→材木座→辻堂西海岸→腰越→大船経由、50.2K。
入道雲もそろそろ見納め。烏帽子岩、雲間からこぼれる太陽。ところどころ陽が水面をきらめかせる。夏が名残惜しそうなサーファー、今年の夏の最後のバーベキュー、もうこれでしまってしまうひと夏お世話になった水着、解体作業をはじめた海の家、今年は8月後半は商売にならなかったかもしれない。
風がひんやりとしている。皆このあたりで遊んでいる若者は夏の終りだからきれいに日焼けしている。ひと夏サーフィンするとどれくらい上手になれるのだろう?
7月に入ったばかりの週末から付き合い始めた女の子と、今年何度目の海だろう。回数券を買ったほうがいいほど新宿から江ノ島に通い、ずっと二人でサーフィンを練習した。8/31、8月のほんとの最後の日曜は、そこそこいい波があってラッキー。今年の夏の記憶をひとつひとつ想い返しながら波に乗った。
・・・なんて夏を一度過ごしたかったなあ。松下奈緒の曲がいいBGM。写真は逗子マリーナ裏。

今週の外食

(火)昼:酸味のきいたゴマ味の暖かい肉うどん、(水)夜:サラダ、クラムチャウダー、ビール、(木)昼:ベーコンとたまねぎのつけめん(中華)、(金)昼:K(ワンプレートランチ、チキン、チャンプルー、ナスのマリネ。jack cafe2週連続。

2008年8月28日木曜日

「悩む力」

悩みや苦悩は意味のないことなのか?という問いからスタートする。
「個人の自由をベースとした個別に引き離された自我は肥大化をもたらす」
「自我が確立するほど自己と他者の折り合いがつけにくくなる」
“自我”がモンスターになるということか?
いびつに肥大化した自我がモンスターをつくる
「一人一宗教」「自分が教祖」
「何かを信じるのではなく、自分を信じる」「確信するまで悩む」
“何様”は現代では正しい姿なのか?

wednesday

はじめての長いポエジイ。・・・・・では、

柔らかい女性ジャズボーカルが店の隅々まで届く空間
外はてんとう虫柄のテーブルクロスの机
その向こうを午後8時過ぎであることに関係なく、自転車で疾走する男
そして、机の脚もとには、お店の看板猫
交差点は信号が待ちきれない車が、
大桟橋帰りの人たちが、そそくさと通る
樹皮が街灯に照らされて存在感を示す樹齢深い木々
メニューを見ては通り過ぎる男女
何かこのお店のメニューに不満があるのだろうか
選びにくいのか、too muchなのか

曲が変わり、
これから大桟橋に向かう男女
初秋の大桟橋で愛でも語ろうというのか
そんなことは遥か昔、嫉妬と妬みとジェラシー・・・同じことか
まだ、8月だけど、空気と風は、もう夏の匂いを失っている

僕はきっと何かを取り戻したいんだろうと思う
今日一日を何かに捧げてきたから、なくしたものを取り戻したいのだと思う
思うまま食べて、そしてビールを飲んだ、ビールをガラスのボトルからそのまま飲むのはスローライフっぽくていいね
いつものラッキーストライクをふかせ、読み始めたばかりの小説の縦組みの活字に目を滑らせる
外の気配と流れる音楽に包まれた時間
静かな音楽と空調の音
この場所では時間はゆっくり、ゆっくりと流れ行く

僕はこの場所で誰かを待っているのかもしれない
そうでないなら,別れた誰かとの記憶を洗い流すためにここにいたいのかもしれない
右折する車の動きが、美しいと思うことはないだろうか
何かに逆らって動いているようにも思う
こういう時間にはポエジイが書ける

時々交差点を行きすぎる車のヘッドライトが眩しいのだが、
それはそれで心地よかったりする
眠くなってきたし、アルコールも回ってきて、だるく、
もう今日は終りだね
こういう過ごし方をしていると、Wednesdayが好きになりそう

もう書くのはやめようと思っていたけど、
今、目の前を通り過ぎたのは何というタイプの自転車なのだろう。
こんな時間に、寝そべって漕ぐ自転車で走る奴がいる
一日の仕事を終えて、大好きな自転車にまたがっているのか?
この辺は浮世離れした奴が住んでいるんだなと思う

こうやって外で、自分の好きな空間を作って、自分だけの時間が過ごせるのは素敵だ
でも、お客さんが来ないから、帰れないなあ
そうしたら、外に出ていたらしいお店の猫が戻ってきた
「もう、帰る時間だろ、帰んなよ」とでもいうように
黒猫も店の奥から、顔を覗かせていた

2008年8月26日火曜日

加島祥造「老子と暮らす」

老子は私たちに、「もう少し自由に生きたらどうか」と言っている。
■『歩く速度』ということ
海岸沿いの道をゆっくりと自転車で走ることで、空気に溶け込めるのを感じた。
時速でいえば、18Kくらいだろうか?
早く走ると走ることに集中する。だから見逃すことも多くなる。
ゆっくり走ることで、周りの人や、海の音や風の音・・・を感じることができる。
鵠沼から柳島への自転車道、鎌倉から七里ガ浜への広めの歩道などはそういう空気感が感じられる場所だ。
■風を見る
広い緑の稲穂が風に大きく流れ、さらさらと穂同士が摺りあう音が聞こえる。
森全体を揺らす風。
しなやかな竹を大きくゆする風。
そういったとき、風が見えるような気がするね。

・自分の心の中の声に従う
・感情の中にこそ、常識(理性)よりもっと高い知性がある
・僕がひとりでいたがるのは、そうするとトータルになれるから

2008年8月25日月曜日

オリンピック⑫秘策

女子ソフトボールで奇跡とも言えるアメリカ戦の勝利の裏には2つの秘策があった。アメリカの絶対的エースのオスターマンの投球のクセを盗んでいたこと。そして上野が隠していたシュート。
やはり、上野の頑張りと、球に食らいついていく根性だけでなく、そういう研究や戦術があって勝てたわけで、更にすごい勝利だったことがわかった。

2008年8月24日日曜日

佐藤玲さん

写真をキャンバスに焼き付け、そこに見えないものを彼女は見て書き加えるという手法にまず脱帽。
何気ない風景に彼女は何かを見つけて写真を撮り、アトリエに帰ってから書き加える。見えないものを見る力、こんなものがあったらいいなが見える力。
日常の風景にはいつも何かが足りないことが多いから、彼女の手法は有効だ。
ここではマンガのような絵が似合っているのは何故なんだろう。そういえば、彼女の顔も○。
純真な世界。彼女は自然児のよう。




オリンピック⑪浜口京子の銅

女子レスリングの最強といわれる4人の中でも、この人だけはいつも心配させられる。
父親が強く、目立ちすぎるから、いつまでもひとり立ちできてないかのようにも見えがち。
今回も準決勝でフォールで余りにも鮮やかに負けて、3位決定戦に引きずるのではないかと心配だったが、見違えるような試合で銅メダルを獲得した。
本人も試合後に最高の試合でしたということを語っていたけど、本当に最後にいい試合で勝ててよかったよね。こんなやさしい、かわいい人が、よくこんな格闘技のモチベーションを保ち続けられているなと感心する。

オリンピック⑩伊調千春の銀メダル

前回銀、今回も銀だったけど、素晴らしい銀だった。
結構苦戦続きで準決勝は最後の最後で逆転勝ちだった。
決勝は準決勝で力尽きたのか、いいところなく負けたけど、
表彰台での顔は清々しいものだった。
”メダルの色で差はついたけど、私のレスリング人生は最高だった”
”妹の馨と二人で歩いてきた道は最高の道だった”と言い切っている姿
はやりつくした満足感に充ちていた。
銀メダルで残念という論調もあるが、銀メダルはすごいとまずいってあげなくちゃね。

オリンピック⑨男子400mリレー

幸運もあったけど、素晴らしい銅メダル。
朝原は4回も出てるんだから、幸運も1回ぐらいあっていいはず。
現代っ子の塚原はいいムードメーカー。走る前のパフォーマンス、いいじゃないの。負けていたらいろいろ言われていたかもしれないけど、それは日本の体質が問題なだけ。そして若いけど、朝原に心酔しているようにも見える老成した感じもある高平、彼にはまだまだこの先がある。抑え目の末続のレースのコメントはよかった。そして、朝原。本当に有終の美という言葉はこういう場面のために用意されていた言葉だと思う。36才にしてあの走り。素晴らしかった。メダルに結実してよかった。
一回だけオリンピックに出た奥さんの奥野史子さんにやっと追いつけた。
やっと追いつけたんじゃなくて、メダルを取ることが大変な世界で戦っていたんだから、16年もの歳月が必要だったんだと思う。
4人の結束で取れたメダルだろ思うけど、4人が色味の違う4人であることがいいよね。年令も違うし、キャラクターも違う。こういうチームが力を発揮することがいいね。

オリンピック⑧心中する相手

星野はダルビッシュと心中すべきではなかったか。
調子のいい選手をとっかえひっかえ使うという采配はオリンピックのような舞台では向かないのではないのかな。
日本のエースはダルビッシュのはず。調子が悪くともダルビッシュと心中して欲しかった。
選手より自分の采配を信じたところに間違いがあったのかもしれない。

オリンピック⑦女子サッカーチームの4位

澤を中心としたいいチーム。アメリカやドイツにはかなわなかったけれど、東京オリンピックの男子の銅メダルに次ぐ4位は素晴らしい結果だった。メダルをあげたかった。
澤選手を中心に素晴らしいまとまりのチーム。よく走り、決めるところは決め、よく守り、最後はパワーでやられたけれど、女子のソフトボールと同じく、「チーム」の素晴らしさを見せてくれた。
普段は陽の当たらないところにいるのは女子ソフトボールと同じ。そんなハングリーさと、大舞台に立てる喜びが素晴らしい結果につながったのであろうか?
澤選手は確か10代の頃から長くチームの中心選手として活躍してきている。他の選手も長くやってきている選手が多いと思う。そんな長い間やってきた思いとか、汗とか涙とか友情とか・・・・、たくさんのものがメダルには手が届かなかったけど、素晴らしい結果に結実したのだと思う。

2008年8月23日土曜日

オリンピック⑥女子ソフトボール

一致団結とか、根性とか、余り好きではないけど、これほどひたむきさが表に出て、結果に結びついたことも余りないだろう。今回のオリンピックの金メダルの中で文句なく最高の金メダルだろう。
投手の上野以外は戦争で言えば、竹やりのような選手が日本は中心。体格的にも全くかないそうもないアメリカ戦でよく勝った。体を投げ出すようなバント、食らいつくような打ち方、アメリカ戦9回の三塁手のツーアウト目のサードライナー、最後のサードゴロ、どちらも見事な守備、ホームランは読みが素晴らしかった。。。。こういうことが結果に結びついてよかった。上野は驚異的。竹やりばかりの日本で、上野は別格。男気のようなものも感じた。ほんとにすごい!26才の上野には次回のオリンピックがないのはかわいそう。何かもっと舞台を作ってあげたい気がする。

加島祥造「伊那谷の老子」②

”六時半になってもまだ空は薄紅色を交えている。涼しいベランダの椅子に座ってお茶を飲みながら見上げている。空はしだいに紫に、紺色になり、すると十三夜の白い月が輪郭を見せはじめた。”
似た体験を昔、函館山の山頂でした。あの時も少なくとも2,3時間はあの場所にいたと思う。昼間から夕方に、そして夜に向かう空と海の色の変化は見事で見入ってしまった。いか釣り船も見えたように思う。たぶんそのあと、函館港から青森にフェリーに渡り、夜行で上野まで帰ったんだろうけれども、忘れられない時間だ。

加島祥造「伊那谷の老子」①

読むのは2回目。
”ごくゆっくり歩くことで。都会的なせわしない自分から抜け出した自分をみつける”
”「閑」は東洋ではいちばん大事な哲学的・詩的境地のひとつ。「閑」は門に木(横棒)をかけて、その中で自分を世間から取り戻して「自分の時間」の中にいること”
しばらく、加島祥造が紹介する老子の世界に身を置いてみることにする。

今週の外食

(火)昼:鳥唐揚げ、山芋、(水)夜:ハンバーグ、アボガドサラダ、ビール、ウイスキーダブル、(金)昼:ハンバーグ(溜池)。jack cafeなかなかです。

2008年8月21日木曜日

@JACK CAFE

cat under the chair,テーブルはてんとう虫
前脚で顔をぬぐい、
お店の若い女性の撫でる手にいつものように?思い切り甘える。
まだ暑さの残る夕べ
やさしいテンポのジャズが流れる中で、
ここにしかないゆったりした時間が流れる。
僕はビールとアボガドサラダとイタリアンハンバーグの夕食、
そして食後にウィスキーのダブル。
週末金曜のような時間。でもまだ水曜の贅沢な時間。

2008年8月19日火曜日

「子規365日」②

俳句とは映像美・感動を季語と五七五のリズムを持った言葉によってメディア変換を行う芸術である。・・・・なんて、難しく定義してみたが、この本を読んで気づいたことばは、「映像美」「映像喚起力」「カメラワーク」「映像化」などのことばだ。
”大雨の中に四五人田植えかな”子規
は、この短い言葉で見事な映像が喚起されている。ここに俳句の本質のひとつがあると感じた。
最近、写真に俳句をつけた本を見かけたが、こういうことだったのだ。
しかし、俳句の映像は具象画なのであろう。抽象画ではありえないのだろうか。

「インドの衝撃」②

(1)頭脳パワー
とことん突き詰めて、かつ論理的に考える。
論理的に、しかも独創的な思考方法で、かつ美しく。
テクノロジーのあと、マネジメントを学ぶ。
(2)インド経済は本物か?
消費パワー、中間層の拡大、女性の社会進出
ショッピングモール、レトルトカレー、ワイン、マンション、車
最もホットなのは「小売」
モノがヒトを変えつつある、消費中毒、ガンジー精神は消えていないようだが・・・。
(3)政治大国
筋論、強制への強い嫌悪、頑なさ

インドの強さは向上心、人口の多さ、英語、精神性。
冷房の効いた快適なオフィスで働く社員。一歩外に出ると、インドのまだまだ貧しい現実。インドの発展のために貢献したいと思う人たち。こういう気持ちはもはや日本には失われている。
中国13億、インド11億。下流から中流へ這い上がろうとする人たちのエネルギーが国の成長を支えている。まだ、このレベルの国が結構たくさんあることに今更ながら驚く。このエネルギーにはかなわないと思う。

2008年8月17日日曜日

ラタトゥイユ

冷蔵庫になすとトマトときゅうりが残っていたので、久しぶりにラタトゥイユをつくる。
普通はきゅうりではなく、ズッキーニを使うのだが、ずっと安いきゅうりの方がおいしいと思う。
オリーブオリルでにんにくの香りを引き出し、なす、きゅうり、とまと、にんじん、エリンギ、たまねぎなどを適当に放り込み、月桂樹の葉っぱを2枚、そして適当にワインを注ぎ込んで、約20分煮込む。
冷ましている間に味がよくなじむので、早めに作るのがコツ。
「夏野菜の魔法の味」

オリンピック⑤光と影

オリンピックは光もあるが、また影も多い。
柔道の鈴木桂治、マラソンの土佐礼子、男子のサッカー・・・、枚挙のいとまがない。
4年間のつらい訓練の最後に無残なまでの結果が待ち受けることもある。大舞台だからこそ、期待との落差はより大きなものになる。
精一杯やぅても空回りすることもある、さめた気持ちでのぞんで結果が伴わないことははっきりしているが、一途に思いつめているだけに無残だ。
しかし、結果は伴わなくても、積み重ねてきたものが確実にある。それを頼りに次をめざして欲しいもの。

「入門歳時記」

夏井いつきさんの「子規365日」を読んでいたら、季語が気になった。
以前から季語は素敵な言葉が多く、気になっていたのだが、いいきっかけだったので、はじめて今日季語が紹介されている本を買ったのがこれ。
う~む、俳句をつくろうとは思わないが、素敵な日本語の宝庫である。
例えば・・・、「夜の秋」:夜だけに秋めいた感じのすること。昼間は全くの夏の盛りだけど、夜にふと混じる秋の気配のことをさす。・・・なかなかいい言葉である。

クールダウン

夏休み最後の日。
クールダウンには、
小雨交じりの曇天でよかったかもしれない。
きっと、夏の日差しに誘われて、また遠出していただろうし。

夏井いつき「子規365日」

この本は子規よりも著者に興味を持って買った本。
同年代で元学校の先生で、地方在住の俳人。ここまでは普通。
しかし、俳句集団「いつき組」組長という肩書き、写真の感じに何か普通にイメージする「俳句」との快い違和感があった。
活躍は全国的に活躍されされているようだし、読みはじめてみると、レイチャールズを聴きながら・・・というような記述も出てくる。人としてのパワーがあり、魅力的な人のように見受けられる。
とりあえず、俳句をかじる入り口にはなったようだ。

「十五少年漂流記」への旅

椎名誠が幼い時感動した「十五少年漂流記」の舞台となる島と探して、パタゴニアとニュージーランドの孤島を旅する。この人の書籍をずいぶん読んだのは20年以上までだと思うが、まだ続けていることに敬服。
”僕が一番ものを考えられる状態になるのは、不自由な生活を強いられるキャンプなどの野営生活のときが多い”といのは判る気がする。きっと普段の生活では雑音が多すぎるのだ。

2008年8月16日土曜日

街路樹

八景の一之瀬丸がある前の通りの街路樹。
並木になっていて美しい。名前はなんと言うのだろう。

夏の雲

今日は夕方八景島方面を一周。23K。
この一週間で130Kほど。やや多いか?
しかし、今日もはじめは膝が笑っていたが、後半はバテもせずゆったり。
夏の雲が心地よかった。

オリンピック④国のため、自分のため

国民の期待、世話してもらった皆のためと思うとプレッシャーになる。
しかし、自分のためにと思えば力にもなる。子供のためが全面に出て勝った柔道選手もいた。
自分にとっての一世一代の勝負だという意識だけでいいのだ。
国民の期待で苦しんだ柔道、男子サッカー、男子バレーはしんどかったろう。野球もそう。オグシオもそうだったろう。

オリンピック③メダルの有無

メダルとメダルなしの差は果てしなく大きい。
とにかく、周りに惑わせられることなく、自分の中で納得のいくオリンピックであって欲しい。

オリンピック②開会式

開会式は誰のためのものなのだろう。国家の士気高揚のためのものなのか?
参加している選手は全く関係かのようにも思えた。
中国がやっているからかもしれないが、エンターテイメントにも見えず、余りにもそうだいで一糸乱れぬアトラクションには興ざめすら感じた。

オリンピック①「ぎらぎら」と「ひょうひょう」

「ぎらぎら」と「ひょうひょう」。
水泳の北島、柔道の石井は邪悪なまでに「ぎらぎら」。特に眼力。 「ひょうひょう」は体操の内村。
女子サッカーは「結束力」。固定メンバーの良さが男子サッカーチームにないものとして感じた。普段は陽が当たらない中で、ずっとこれまで一緒にやってきたメンバーの強さを感じた。
そして全てに共通するのが「集中力」。

インドの衝撃

インドは沢木耕太郎の”深夜特急”のインド、バックパッカー・放浪者の聖地から急速に変わろうとしている。なぜ変わってきたのか手軽に新書あたりで読もうと思ったが、不思議にもない。・・・ということで手にしたのがこの本。もともとはNHKのTVの取材だが、TVは見てない。冒頭に”インドが今までのインドでなくなってきていることに世界中が衝撃を受けている”という記述があるが、まさにそうだ。知的興味を掻き立てられる一冊。まずは教育の話からスタート。

3つのこと

自転車、アルトサックス、フランス語。
今熱中しているもの3つ。何か共通項があるのでしょうか。

外向きの日々

気持ちが内向きになるとき、外向きになるときが交互にあるように思う。
内向きになるときは、自分の過去の足跡を思い返してみたり、あるいはマイフェイバリットは何か挙げてみて、自分のことを考えてみる。
そういう意味では今は少し外向きなのかなと思う。
外に出かけて何かを吸収する、自転車で走るのも何かを見つけるため。

⑫十五少年漂流記

椎名誠が「十五少年漂流記」について週刊ブックレビューで語っていて、その魅力について「工夫」というキーワードを出した。一般的には知恵とか勇気とか友情とかで語られる本だけど、”ひざぽん”もののキーワードでした。
自分の中の少年時代の重要な本といえば、この「十五少年漂流記」と「家なき娘」だけど、共通する部分は何だろうとずっと思っていたけど、「工夫」がまさにぴったりのキーワードだと思う。
人生の中でも”自分なりの工夫”ということが少しはあったのかなと振り返ってみても思う。

今週の外食

(日)朝:あぶずり食堂の朝定食+アジの干物、(火)昼:ハンバーグ(@プルデンシャルタワー)、(水)昼:横須賀美術館のランチ、(木)昼:火の鳥の壺焼き、ボルシチ、ピロシキ、(金)夜;鳥の水炊き。今週はバラエティに富んだ一週間でした。どれもよかったですね。

2008年8月14日木曜日

野比海岸

久しぶりの「気の風景」。
野比海岸はアメリカ合衆国に続いている気がする。
房総半島と三浦半島の間の隙間から、海はアメリカ合衆国まで続いている感じがする。
東京湾ではこうはいかない。
ここに住んでいる人たちはこの景色に見せられた人なのだろうと思う。

ライオネル・ファイニンガー

雑誌の挿絵や風刺画を描いた後、油彩を描き正統派画家として評価を得た。油彩、水彩、版画、素描、木工作品(玩具)など作品は多彩。
色が鮮やか私好みなのかもしれない。
始まったばかりなので、もう一度訪れたい作家。日本での本格的な公開ははじめてのこととのこと。



野比海岸「火の鳥」からの眺め

この店からの眺めは格別である。
夕方にこの店に来て、夕暮れを楽しみたいものである。野比海岸の駅から徒歩6,7分だからそれほど大変でもない。
しかし、こんなに寂しい場所でやっていけているのだろうか?



潜水艦

横須賀港に停泊中の潜水艦。
潜水艦の上に人が見えたから現役のものらしい。
それにしてもそっけないカタチである。
こんなものが静かに海底深く航行しているのは不気味だ。

横須賀美術館

昨年?オープンした素晴らしい美術館。
レストランがまた絶景の場所にある。
前は広い芝生の庭で、その向こうは東京湾。
東京湾は大きな船や小さな漁船、ヨットなどいろいろな船が航行して、見ていて飽きない。
夏は暑いが、外のテラスが特等席。
星降る夜のディナーをここでいただくのもいいかも。
行ったのは昨日です。

野比海岸

野比海岸まで一気に走り「火の鳥」で昼ごはん。
ビール、ボルシチ、ピロシキ、つぼやき(パンがおいしい、具はきのこと白身魚)。窓から海が素晴らしい。いつか夕方来たいもの。お店の窓からは、右は三浦半島の先端、左は千葉の突端の間の狭い水道が見れる場所。
今日は風が強い。
風がつくる白い波、ウィンドサーファー、流れる雲、海岸に打ち寄せる波・・・・。強い日差しに照らされて、海岸の砂浜の砂が陽にきらめくうつくしい瞬間をここでは心行くまで楽しめる。
今日はサイクリングは往路のみ。帰りはYRP野比海岸駅から京急で。・・・ということで35K。たいした距離ではありません。でも、今日は風が特に強かったので、へとへと。

横須賀美術館

8/13.横須賀美術館でランチをして。8/2からはじまったライオネル・ファイニンガー展を見て、自宅まで走る。雨が降りそうでもあったので一気に戻る。26.6K。

2008年8月10日日曜日

No.38 ZARD「気楽に行こう」

坂井泉水さんの曲で最も好きな曲のひとつ。
今日自転車で走りながら聴いていて気になった。
歌詞は恋愛の曲。そうでよかった。人生を「気楽に行こう」という歌詞でなくて・・・。
もしそうだったら悲しすぎる。
”追いかけたい気持ちにブレーキかけて”・・・誰を想っての歌詞だったんだろう。
”気楽に行こう、今は目の前にある、それぞれの夢を、ひとつずつ積み上げていこう・・・・”

森戸海岸のOASIS

釜利谷→六浦(山越)→逗子→森戸海岸→六浦→八景島。47.4K
今日はそれほど暑くなかったので、疲労困憊ということはなく帰宅。休憩もほとんどなし。
途中、葉山のげんべいでサンダルを見るも、やはりこれは洋光台では履けない。葉山ファッションである。
早めの日ご飯はいつものようにあぶずり食堂。今日は朝f定食+焼き魚(アジの干物)。なかなかよろしい。
写真は森戸海岸のOASIS。

2008年8月9日土曜日

トーマス・マン「魔の山」

大学生以来で、読みはじめた。
ハンス・カストルプという主人公の名前はよく自分の中に記憶されている。
この本は最後まで読んだと記憶しているが、だから主人公の名前がよく記憶されているのかもしれない。
活字が大きくなって読みやすくなったと知り、また読んでみたくなった。
しかし、巻頭の一文は上下巻おそらく1400ページあるこの小説を読み通すのをためらわせるものである。
いわく、「作者はこの物語を手短かに話し終えるわけには行かない。いちばんいいのは、どれほど地上の時間が経過するか予定を立てないことである。まさか七年とはかかるまい」
いやはや、とんでもない小説である。とんでもない覚悟を求めている。
時間観念が異なる時代の小説を現代読む、現代読んでも掛かる時間は同じなのだが、読み通す意味はどのように考えればいいのだろうか?

ヤマハのオンライントレーニング

オンライントレーニングのサックスのコースに入会。
このWEBのプログラムはよくできています。
会員だからだけど、525円はとても安い。
予習、復習が完璧にできます。

タンギングは通過

7/18以来、一回行けなかったりして久しぶりの授業。
<今日の指摘>
・あごに力が入りすぎている
・安定した音出しができない(音が割れる?もれる?)
・息の圧力をかけ続ける
・2分の2拍子はテンポ感が重要
次回にでも楽器を持って行って見てもらうことに。

今週の外食

(月)昼:コウベステーキのステーキランチ(三宮)、(火)昼:ハンバーグ&カレー(新地のステーキハウス)、(水)昼:豚肉の細切りとのナスを炒めて丼にしたもの、(木)昼:銀だら煮付け定食、夜:パーコー冷坦々麺(希須林)。今週は毎日昼は充実です。

2008年8月8日金曜日

塩屋百人百景

元町の海文堂さんに送ってもらった。懐かしい本。
光る海、異人館。
路地、坂、迫る山、階段
防波堤、テトラポット、海岸、砂浜
山陽電鉄と国道2号線とJR
海に注ぐ川、高架下
商店街、昔ながらの露店、買い物客
淡路島、ボート、漁船、海苔の養殖
狭い街にせせこましく詰め込まれている街、塩屋。
住んだのは75年6月ごろから79年3月の4年弱。

2008年8月7日木曜日

深夜特急6②

イスタンブールからギリシア、イタリア・・・のヨーロッパは、沢木にとって香港・マカオ・インドで感じた強い刺激に比べて物足りない旅であったかもしれない。そして、マカオのリベンジを狙ったモナコも門前払い。そこから、何かを求めるかのような急ぎの旅の果てに到着したのが、ポルトガルのサグレス。きっとそこへは旅を安楽死させるために来たのだ。
熱を持ったカラダを冷やすにはふさわしい場所と時間が必要だ。
そのあとのパリ、ロンドンは、先進国に完全に復帰するためのリハビリの旅といってもいいかもしれない。
自分自身の北海道からの帰りも夜行を好んだ。時に釧路から二晩連続しての夜行で東京に戻った。たぶん夜行で、旅で覚えた歌を口ずさみ、暗い窓の外にわずかにみえる風景を眺めながら、熱を冷ましていたのだろう。

深夜特急6

いよいよ最終巻。
イタリアの長靴型の国土の踵の部分に当たる街ブリンディジから、ローマ、フィレンツェ、モナコ、マルセイユ、マドリッド、リスボンを経て、イベリア半島の果ての岬サグレスへ。そのあとはパリ、ロンドン。
ヨーロッパは駆け足だ。街や人との付き合い方も当然先進国スタイルだ。アジアの旅を続けてきた沢木には物足りなかったのかもしれない。ヨーロッパは別の機会に来るべきだったのかもしれない。旅のスタイルが違う気がする。
・ローマの人は着こなし上手。女性は個性的で、特に色使いが垢抜けている。・・・こんな昔の話なのに、すでに”垢抜けている”ローマの女性。
・パリは寒いが寂しくなかった。パリが本当の都会だからだ。・・・これは判る気がする。
・黄金色のサグレスの海を眺め、”ここに来るために旅をしてきた”と感じ、”ここで旅を終えよう”と心に決める。・・・旅の終え方を求めてヨーロッパの最西端まで来たかのようだ。

2008年8月6日水曜日

ちょっとだけ、少しだけ見えてきた?

アンブシャーと腹式呼吸が少し理屈ではなく、身についてきたような気がする。
今週末レッスンだがどうですかね。
だんだん小さな音でも吹けるようになったので、夜でもそれほど迷惑ではないかもしれない。

深夜特急5②

”旅の終り”についてもう少し。
旅の辛さと楽しさのネガポジが逆転し始めると帰り時なのだろう。
そこまで、旅でつらい思いをしたことはないのだけれど。
”旅の終り”といえば、北海道のYHで流行っていた曲があった。
”こんなつらい旅なんか、もういやだ、旅を終わろう、汽車に乗ろう”
きっとこの汽車は札幌行きの夜行だったり、函館行きの電車だったりするのだろう。
北海道を回っていたときも札幌に戻ってくると終りを感じた。
ずっと辺地をめぐって、最後に周遊券の期限を気にしながら札幌に仕方なく戻ってくる。
もうあとは帰るだけ。
やっぱり街に帰ってきたときは旅の終着駅なのだ。
79年3月の旅を記す。3/10大沼、3/11札幌、3/12羽幌(寒かった)、3/13豊富(石油のかすが浮いた風呂)、3/14,15浜頓別(ノルディックスキー)、3/16.17紋別、3/18浜小清水、3/19標津、3/20-22釧路。3/23,24札幌、全15泊。確かこのときは早くに風邪を引き、ずっと咳き込んでの旅立ったと記憶している。写真を見てもひどく薄着。
なんか、深夜特急に全く関係ない話になりました。

2008年8月5日火曜日

熊野神社前YAMATOYA

オーソドックスなジャズを流す。昼間は珈琲、夜はアルコールを出すオーセンティックな昔ながらの店。バーというよりも喫茶店に印象は近い。
この店に通いはじめてどれくらいになるだろう。まだ10年ぐらいか?
いつまでこの店は持つのか?京大の近くながらこの店で京大生らしき人間を見かけたことはないように思う。
でも、おかげで、私はいつでもこの店でゆったりできる。
この店でジャズを聴いて、本を読んで、煙草を吸い、アルコールをちびちび飲み、一人で気ままな時間を過ごす。
いい時間だ。そんなことをする人はもう京都にさえ、生息しないのか?
横浜の491も店を閉めたという。僕らが生息する場所は確実に減っている。

淀川大橋

淀川に掛かる阪急の三本の橋梁は真ん中を走る宝塚線が少し低い位置にあるので、京都線から見ると、神戸線まできれいに見える。
17時ジャスト梅田発は、京都線・神戸線が特急、宝塚線が急行と各線の優等列車がきれいに並んで橋を渡る。なかなか圧巻である。
しかし、写真はどこから撮るのだ。
京都線の特急に乗る前に、十三で久しぶりに天ぷらそばを食べた。大学生の頃よく食べたものだ。

「プガジャ」の時代

元町海文堂ですごい本発見。
「ぷがじゃ」なんていう名前、久しぶりに見ました。
71年創刊(87年まであったらしいが)。プガジャの全盛期に関西で大学生でいて、時には読んでいたにも拘らず、全くといっていいほど影響を受けていないことに、この本を読んでみて驚く。
映画中心、大阪の匂い、アンダーグラウンドなテイストについていけないものを感じていたのだろう。
しかし、B6という特赦なサイズで、「ぴあ」の前にこんな情報誌があったことは関西文化として誇っていい。

六甲2008.8.4


暑い中、レガースを探して汗だくになる。震災の後、来た記憶があるので、10数年ぶりだろうか?アイスカフェオレ¥550を頼む。店は同じ、中もだいたい同じだが、スツールに飛び上がっていた猫は当然いるわけもなく、あの頃いた美人姉妹の一人が今のママさんなんだろうか?お客も夏休みではあるが、ずいぶん年齢層が上がったもんだなと思う。

そのあと、六甲の街をぶらぶらする。石積みの壁が多いのは六甲の特徴だ。
もちろん紅茶文庫はないが、喫茶シュガー発見。この近くに名前は忘れたが1ドル珈琲の店があった。だけど発見はそれくらいか?いやあ、このあたりは高級住宅街です。文学部の校舎はずいぶん新しくなったようです。

三宮・元町2008.8.4


コーベステーキでの¥3.150也のステーキランチとプレモルでセンチメンタルジャーニーのようなものを開始。さすがに肉はうまかった。(量は少し物足りないが・・・)
さんちか・・・・・、この地下街を4年間でどのくらい歩いただろう。
しかし、この地下街を歩いたのは30年近く前にもかかわらず、そんな気がしない。しかし、よく通ったコーベブックスも、流水書房もない。G線もないが、古書店のあかつき書房が残っているのにはびっくり。
元町DONQは元町通りにはなくなっていて、センター街の端に本店がある。DONQは僕にフランスパンを教えてくれた店で、この店ではじめてバゲットなるものを食べたのは中学生ごろのことだったろうか。
観音屋珈琲店、きんつばの高砂屋は健在。しかし、ブルーベルのギターを買った楽器屋さんはもうない。元町駅前の楽器屋ももうない。
もちろん、“とんぼ”も“さりげなく”もないのはわかっている。しかし、不思議と高架下は店をやっている。再建されたのか?サンセット通りはなんとなく風格のない建物が増え、風景と色合いが失われた。
やはり、あの頃の神戸とは何かが違う。スカスカな感じだ。

深夜特急5

トルコ、ギリシア、そしてイタリアまでの地中海の船旅。
もうここには過酷な旅はない。
交渉・値切りをする旅はアジアの旅であった。イスタンブールはボスポラス海峡によってアジア側とヨーロッパ側に分かれている。
沢木はイスタンブールに着いたことで、終着地ロンドンまではまだまだ距離がはるかあるにも関わらず、早くも旅の終りを感じはじめている。旅の終りということもあるが、西欧文明社会・先進国に戻ってきてしまったという感触があるのだろう。
ギリシアのペロポネソス半島をほとんど一周して、いよいよイタリアへ船で向かう船の中で沢木は、バランタインをほぼ一本飲み干し、最後の黄金色の液体を地中海に注ぐ。旅の最後の儀式であるかのように。
ここで、「終わってしまった」という喪失感が沢木を襲う。

2008年8月2日土曜日

赤塚不二夫さん亡くなる

ギャグ漫画の神様が亡くなった。72歳。思いのほか若い。
六つ子が主人公の「おそ松くん」は、62年から「週刊少年サンデー」(小学館)に連載され、登場人物イヤミの「シェー!」の奇声とポーズ、デカパンやダヨーンなど奇人変人のキャラクターが大人気となった。
「これでいいのだ」が口癖のバカボンのパパが活躍する代表作「天才バカボン」は、67年、「週刊少年マガジン」(講談社)でスタート。また、同年から少年サンデーで始まった「もーれつア太郎」では、言葉をしゃべるネコ、ニャロメが人気を博した。
小さい頃は、吉本とおそ松くんで育ったといっても過言ではない。まさに天才!

深夜特急4

デリーからシルクロードへ。バスの旅だ。これは若くても真似はできません。
デリー→パキスタンのラホール(諦観のインドから来るとパキスタンは解放感に充ち、豊かで生き生きとした街らしい、ではインドの現在の繁栄は何が起こったのだろう?)→アフガニスタンのカブール→イランのテヘラン→4巻の終点イランのイスファンまでの旅。
心が荒む旅。貧しいもの同士の値引きゲームに熱中し、感謝より憎らしさが勝り、不感症や退廃、そして落ちていきそうな感触。長いトンネルのような旅。この貧しく、過酷なエリアの旅はどんな意味があるのか。何が得られるというのか?つらいから誰かにぶつける。そこまでして続ける旅なのか?戻れば真っ当な生活。それよりはいいのか?
誰もが旅では寂しい。そして、あるとき動くのさえ億劫になる。
行ったからといって本当の意味でその国のことがわかるのか?誰に会って何を見たというのか?
行かないよりは行く方がいいが、行ったからといってオールマイティではないし、行ったからこそその国に対して謙虚であるべきではないか。

2008年8月1日金曜日

今週の外食

(月)昼:スープカレー、(水)夜:かつ繁、(木)昼:冷坦々麺(希須林)、夕:じゃんがら。
今週の一押しは希須林でしょうか?しかし、久しぶりのカツ繁も、じゃんがらのこぼんしゃんもうまかった。

深夜特急3②

・旅人と関わるのは子供と老人だけ。しかし、彼らにかまってもらっても本当の意味でのその国のことはわからない・・・。正しい。海外についての子供と老人の写真集はその国の実態は示していない
・旅先で負けまいと思うこと、だまされまいと思うことは本当に正しいことか?だまされてもいいと思うと世界が開ける。旅の技術を学ぶのは両刃の剣。・・・う~む。これも正しい。
・両替屋でのインドのしたたかな商人とのスリリングな駆け引きに熱くなる沢木。そういえばカジノでも。そのほかでもいろいろ理不尽なことと戦っている。エネルギーを持て余している若者というようにも見えるし、このあたりが若くして旅に出ることの意味の一つかもしれないと思う。
・他人に任す局面を本能的に知っている?例えばインドの薬に身を任す。自分の意志を貫く姿勢の旅に見えて、郷に入れば何とかで、他人に任せる術を知っているなと感じた。