2008年12月31日水曜日

1年間書き込んでみて

1/5スタートでどれぐらい続くのだろうかと思っていたが、今時点で615書き込んで、これが616番目の書き込み。最も多かったのは7月で73、少なかったのは9月で25。12月も既に45。1/12には既に「結構、はまってます」と書いている。結構思いの外、書くことが好きなのだろう。過去の記憶、日々気になること、好きな音楽、読んだ本、今年途中から習い始めたアルトサックスのこと・・・・・・・・、人生が結構後半に来たこともあるが、何か書き残したいということもあるのだろう。内心忸怩たることもたくさんあるのだろう。整理をつけずに来たこともたくさんある。
いずれにしても、こういうカタチで自分のこれまでと今の人生のバランスシートをつけるような感覚で記録を残している。そろそろ集約しなければならないのかもしれないが、結構書きすぎて集約するのも億劫なほどになっている。
しかし、感じたこと、過去に感じたことを、こういうカタチで書いてみることは重要だと思う。これからの人生を有意義に過ごすためにも。
今日、まだ書くかもしれないが、とりあえず1年の締めとして。

甲子園への遺言

この本はプロで30年にわたり打撃コーチを務め、最後は高校教師になった高畠導宏の生涯の話である。NHKのテレビドラマの最終回?だけを見て本を購入した。
まずはこんなすごい打撃コーチがいたのだ、という感想であり、その人が50代も半ばから高校教師になり、甲子園を目指そうとしてことへの驚きである。年令が行ってから学校の先生をやってみたいという気持ちになること自体は多くの人にあるかもしれないが、それを5年も掛けて資格を取り、教育実習を経て実際に現職を捨てて教師になり、さらに生徒や周囲の心を掴むまでになるとなると、聞いたこともない話である。それも「伝説の打撃コーチ」を捨ててまでも、である。
記憶に残った部分を書き記す。
・最後はハートの強さで決まる
・指導者は長所を伸ばすのが役目、欠点だけを直そうとしない
・観察の重要性:クセを見抜く・・・観察力とは天性のものか?普通の人間には少なくとも観察のポイントは教えられないと、「観察力」は獲得できない
・それぞれの選手にあった指導法
・コーチにとって重要なことは、選手の内面と技術をいかに尊重するか
・伸びる人の必須の共通点:1)素直、2)好奇心、3)忍耐力・あきらめないこと、4)準備を怠らない、5)几帳面、6)気配り、7)夢を持ち、目標を高く設定できること

2008年12月30日火曜日

森戸神社詣で




今日は冬にしては圧倒的に暖かい。森戸海岸往復、38.29K。腰の状態が良くない中、精一杯か?葉山港湾食堂ではじめて食べる。朝ごはんとも昼ごはんともつかない時間なので、他にお客さんはいない。アジフライ定食+〆サバ。森戸海岸は波は静かで今日は富士山は望めず、まあ、こんな感じの日がこの海岸には似合っているかもしれない。今日はウィンドサーファーもシーカヤックもヨットもボート釣りも海岸散歩もお天気からすると少ない。みんな年末大掃除中だろうか。森戸神社で交通安全の御守を買う。あまりこういうことはしないのだが、森戸神社だからいいだろう。


92.9.29 広州→九龍(香港)

広州からの帰りのチケットが残っている。広州10:15発、9号車の76番という座席。等級1、これは軟坐ということで、席はやわらかいシート。2等は硬坐でこちらの席は板張りということだった。
はじめての広州。海外経験豊かな会社の先輩N氏と後輩のT君との3人旅。そして広州では北京駐在の当社社員と現地社員と合流する。広州が消費社会になり始めたということで、香港のブランチ経由で広州に向かった。飛行機が取れずに結構苦労して電車で行ったが、香港側から川を越えて、長蛇の列を並んで中国側に入ったこと、列車の中での乗務員の女の子との筆談での買物、広州駅に降りて駅前広場に出たときのめまいがするような雑踏・・・今思えばいい経験をした。しかし、駅前にはいったいどれぐらいの人がいたのだろう。学校でも1000人はいたのだから、万単位であるのは間違いない。眩暈がしそうだった。彼らは何をしていたのだろう。しかし、その群衆を見るだけでなく、ホテルに向かうためのタクシーを捕まえるためには、この群衆をかきわけ、白タクを断り、荷物を運んでやろうという男を拒絶し・・・・ひたすら掻き分け、掻き分け行かなければならない。
翌日から広告会社の現地の社員の案内で視聴率調査の仕組みを教えられたり、郊外の家電街にいったり・・・、ここはびっくりであった。最新式のTVが中国の物価から考えるととんでもない値段でおいてある。おいてあるだけでなく、どんどん売れていく。豊富な品揃え、新型中心、お客の多さ・・・、広州の秋葉原のような場所だった。
そして、あちこちで皆ファミコンをしていた。仕事が暇だと一心不乱にやっている。そして1つのカセットにゲームが100とか500とか入っているゲームソフトが売られている。全くもってカオスのようだ。花王のビオレのにせものの「ピオレ」など、いろんなジャンルでフェイクがまかり通っている。
食事の記憶はこれだけだが、広告会社はどの国も同じなのか、現地の広告会社の接待は大変だった。広州は川沿いということで、リバーサイドの店に連れて行かれ、川の虫をたべ、ゲージに入った猫と蛇とどちらがいいかと問われ、仕方なく蛇をチョイスして食べた。何といって野菜がうまかった。紹興酒は乾杯の嵐である。結局果てて、しばらくホテルのロビーで気絶していた。よく物がなくならなかったものだ。
北京のブランチから来ていた女性社員は北京にはないといってCDを買い込んでいた。この頃の広州は、新しい街が作られようとしていた。ビルが建ちはじめていて、建設現場には裸足の男がたくさんいて、高層ビルにも拘らず足場は竹で組まれて、そこを裸足で器用に登っていた。転落して死ぬ人間もたくさんいたのだろうけど、これだけ人口がいれば関係ないかもしれない。
この頃の広告会社の上の方は共産党の人間が多いらしく、彼らは裕福で、車もフォルクスワーゲンに乗っていた。
街で記憶にあるのは百貨店のようなところでバーゲンのようなものをやっていたのだが、その一等賞が軽自動車であったことが記憶に新しい。まだまだ、車と自転車と歩く人が道路に同居しているという感じで、どんどん車が増えている今とはかなり違ったはずだ。

97.4.6 グッゲンハイム美術館

地下鉄に乗ってセントラルパークのエースと再度を北上して、高級住宅街の中にこの一風風変わりな美術館はあった。入場券が残っていた。高級住宅街のアパートは玄関にボーイがいるという感じ。講演の中は物騒だと聞いていたが、住んでみたくなるような素晴らしい場所であった。
美樹館は中央部が大きく吹き抜けになっていて、らせん状になった坂道に沿って作品が並べられていたように思う。一旦エレベーターで最上階まで上がり、下ってきながら見るという形式だった。一般的にも言われているように決して見学しやすいものではないが、コンセプトを実現しているところがすごい。正式にはソロモン・R・グッゲンハイム美術館という。グッゲンハイム財団により、各地にグッゲンハイム美術館は作り続けられているようだ。
表参道のスパイラルビルがその名の通り、一部にらせん状の様式を取り入れている。
グッゲンハイム美術館の帰りに地下鉄の駅のそばのCDショップ(タワーレコード?)で何か買ったように思う。


97.4.5 旧MOMA

まだマンハッタンのど真ん中にあった頃のMOMAにはじめて行った日の入場券。そのあとNYに行ったときはもう移転していた。
NYでの仕事の合間にあわただしく見学。短い時間だったがここは好きなものがたっぷり見学できる場所であった。
このときのNYは寒く、NYにつく前の日に雪は降った。
このときのNY滞在は仕事も結構あったが、ティファニー、ナイキタウン、ソーホー、チャイナタウン、セントラルパークの中のレストラン、オイスターバー、外人のモデレーターに連れて行かれた寿司屋とブルースの店、そしてMOMA、グッゲンハイムの2つの美術館と結構あちこち行っている。宿泊はセントラルパーク前のエセックスハウス。高級すぎて中のレストランでは食べられなかったが。

2008年12月29日月曜日

モクレンのつぼみが・・・

春咲く白のもくれんのつぼみがもう見られた。
今日がポカポカ陽気だったこととは関係ないと思うが、モクレンが咲くのは桜の前とはいえ3月後半、今からこのつぼみを厳寒の1~3月の3ヶ月も保つのであろうか?

今日は忘年会

レッスンをはじめて初の忘年会、@八重洲。
50人以上集まり盛会であった。思いのほかというか、若い人が多く、自己表現ということに飢えているのだろうか?自分を解放できるということなのだろうか?はたまた仲間とのつながりなのか、ストレス発散なのか?純粋に音楽が好きというだけでもないのかもしれない。いや、それでも素晴らしい。

「私は若者が嫌いだ」香山リカ

若者をバッシングする大人は嫌いだ。自分達がつくってきた世代を自己否定もせずに否定することに嫌悪感を感じるからだ。
若者を擁護してきた香山リカが否定する側に回るとはインパクトが大きい。
若者側に君たちはこう育ってきて、そこには大人の側の勘違いあって、間違った育て方をしてきた。申し訳なく思うと同時に、君たちは君たちで育てられてきたプロセスに問題があったことを自己認識して、お願いだから自分の認識やあり方をどうか修正して欲しい・・・・というメッセージを発するべきときなのではないだろうか。
・得体の知れない弱さ/精神的にもろい
・はけ口となるネット
・知識や技能を実生活で応用する力に乏しい
・世の中を柔軟に受け入れることが出来ない
・最高と最低の間がない
・誰かのせいにする
・子供や若者に一方的にサービスしてきたことが誤り
親の問題でもある

86.9.26 ザントフォールト

手元にCasini Zandvoortの86.9.26の名前入りの入場券のようなものが残っている。
ザントフォールトはアムステルダムから電車で30分ほどの北海に面したオランダのリゾートタウンにして、86年までオランダGPが開かれていたサーキットがある街。
このときはアムステルダム出張で、さらに得意先のメンバーと合宿ということでザントフォールトに行った。
チケットの日付にあるように夏が過ぎてハイシーズンが終わったあとのリゾート地の寂しい感じの中で僕たちはひたすら会議・ブレストをしていたように思う。“ベニスに死す”に出てくるリゾートの雰囲気と似ているなと感じたことだけ記憶にある。あとは見たもの食べたもの何一つ記憶にない。不思議なくらいだが。でも、このチケットが残っているということは、カジノには行ったわけだ。何も記憶にはないが。
ザントフォールトも一枚だけ絵葉書が残っている。リゾート地らしい絵柄のもの。
本当に”甦る記憶”という印象だ。

87.8.29 マーストリヒト

新シリーズ。一枚の切符などが残っているあの一日を思い返してみようと思います。
第一回はオランダの一番下=南の端の街、マーストリヒト。
行ったのは87.8.29。アムスからマーストリヒトまでの切符が残っている。片道33.50ギルダー。
土曜はホテルで必死で一日で片付けるべく仕事をして月曜のプレゼンに備え、千載一遇のチャンスの日曜日に片道3時間のマーストリヒトに日帰りで行った。あらかじめ時間を駅に行って調べ、途中では地図と通過する駅名を必死に見て、間違いなく列車がマーストリヒトに向かっているか確認しながらという旅だったので、のんびり車窓を楽しむことはできなかった。
日曜だったので、マーストリヒトに帰る人が多かった。駅に迎えに来ている人がたくさんいたことが記憶に残っている。こういう時、一人旅は寂しい。
マーストリヒトの街はオランダの端っこにあるので、どれだけ田舎の街なんだろうと想像していたが、思いのほか都会で、アムステルダムのような大きなビルはないけれど、街を歩いている人のファッションや街が醸し出す雰囲気的には大きくは違わない気がした。このあたりがヨーロッパの豊かさを感じさせた。しかし、街は古い建物が多く、道は狭く、車での生活は少なくとも市街地ではしにくそうだった。にぎやかな休日に一人でのレストランの昼食は寂しかった想い出がある。何を食べたのか記憶にないが、マース川沿いの町で川魚が有名なようなので、マスなどを食べたのかもしれない。あと、お城と大きな公園があったような・・・。家にはオランダ最古の教会のひとつといわれる教会(多分聖セントファールス教会)の絵葉書が一枚だけ額に入って掛けられてある。
その後91年、突如この小さな街がマーストリヒト条約という国際舞台として名前が出たのには驚いた。先見の明?

2008年12月27日土曜日

宮崎あおいさん

Wあおいでは、蒼井優派だが、この東京メトロのポスターは目に留まった。当たり役の篤姫で一躍国民的スターになった彼女の素顔かしらん。

ドラッカーの名言・至言集

これは、Wダイヤモンドのおまけの特集だが、一冊の本並みの重みがあった。ドラッカーはほとんど読んでいないが、洞察力は素晴らしく、マーケッターやビジネスマンはこういう本で勉強すべきだろう。心に残ったことばを箇条書きにしておく。
・これからの世界を左右する支配的な要因は人口構造の変化である
・機会を放って問題にかかりきりになる問題至上主義は企業が低迷する要因
・金銭という近視眼的な考えが、生活と人生を支配することがあってはならない
・マネジメントするには目標が必要である、社会貢献、自己実現
・知識労働で重要なことは仕事の目的である
・リーダーシップにはいささかの神秘性もない。それは平凡で退屈なものである
・知覚の力により、全体を全体として把握しなければならない
・操作によってではなく、真摯さによってリーダーになる
・明日がどのような種類になるかは組織に働く普通の人たちの知識・洞察・先見・能力にかかっている
・世のためひとのためという目線の高さが成果をあげるには重要
・支出配分の変化こそあらゆる情報の基本である

今週の外食

(水)昼:京橋の松輪のアジフライ、good!、(木)昼:乃木坂の魚真でばらちらし、夜:青山通りで広東麺(金)プルデンシャルタワーのフリッツの厚切りのロースカツ・・・、締めの3日は気合が入りました。

高音部D~Fの演奏

高音部D~Fは、かまない、高音は力を抜く、あごに力が入ると♯する。(重要!!)
空気は下向き
アクセント~終了は、ためて、まとめる感じで(?:次回聞く)
今日でレッスンも6ヶ月経過、順調に進んでいるのかどうか?
まあ、好きでやってるのでいいか。

2008年12月26日金曜日

あえて、飯島愛”ちゃん”か

覚悟の死のような、富士の樹海での死のような、どうして一人っきりで、一週間も発見されないような死に方を選んだのだろうか。そして、クリスマスイブでの発見。どうしても選んだように見えてしまう。
30代半ばではあるけれど、いろんなことを通過してきたから、もういいのよ、と言っている気もする。
もうここらで、と芸能界から今思えば身を引いたようにも思えるし、無理をするのを辞めたようにも思えるし、そんなことはなくて、あてもなく、ちょっと今いる状態は違うなということで、舞台から降りたようにも思えるし・・・・・・・・・・・・、点をいくつ打っても足りないように思えるほど、わからなくて、そして。切ない。
特段贔屓にしていたタレントさんではないけれども、どこか哀愁や諦観のようなものが身辺からあふれ出していたのが今になってみれば感じるところ。
”私はダメだと思えば、いつでも身を引く”というような潔い覚悟が彼女にはあったようにも思うけど、わかっていないことを承知で書くと、もっと自由に、渋谷の高級マンションなんかで孤独に生活するのはやめて、等身大で、本音で、住める環境をつくればよかったのだ。
でも、それが出来ない何かがあったのだと今は思いたいし,それが何なのかということは詮索しないでおきたいと思う。・・・・・・・・・・・合掌!

2008年12月25日木曜日

今日はばらちらし

今日の昼は乃木坂の「魚真」のばらちらし、800円。魚が何種類入っているだろうか、いくらも結構乗っているし、魚でだしをとっている?味噌汁もうまい。帰り道、途中で右折してミッドタウンに抜けてみる。思いの外近い。昨晩芝生に電気を敷いてライトアップしていた場所に行ってみたが、昼間はなんということもない。
帰りは青山一丁目の武蔵でラーメンを食べるつもりで歩いていったが、再開発?でなくなっていて、外苑前と表参道の間にあった麺飯坊で広東麺を食べる。当てもなく入ったけれど結構おいしい。この界隈は再開発が進んでいて、そばの川上庵もバーのラジオも場所が変わっている感じがした。大坊珈琲店がちゃんとあるので安心する。結局表参道まで歩いて結構疲れた。

何と、これが今年600回目の書き込み。月平均50。まあ、たいしたことは書いてなくて備忘録だったりもするのだけれど、1年間感じたこと、考えたこと、読んだ本について、聴いた音楽について、好きな曲について、気になったこと・・・・・・・・・、思いのほか継続できたことが収穫。結構書くことが好きであるということを再認識した。
来年はどうしましょうかね。もう少し深掘りして書くとか、文章を練るとか、厳選するとか・・・・高度化・深化したいけど、余り似合わないし、気負わないでとにかく書き続けることが大事かなと思う。一応書き込んだものについて読み返してみることにはしましょうかね。

松輪のアジフライ

昼に京橋の松輪にアジフライを食べに行きました。
開店15分前の段階で並んでいる人2名。寒かったので、INAXのブックショップで立ち読みをちょっとしてもどったら。+5,6名並んでいて、店の規模がわかっていなかったのであわてて並ぶ。
昼はうわさのアジフライのみ。わずか小鉢がある様子。アジフライはフライに向くというやや小ぶりなものが2匹。身はふわふわでおいしい。フライだけど、おろし大根とわさびで食べるのが合っている。うわさにたがわぬうまさ。自分で釣って絶品だったアジより、少し小ぶりなので、食感はよりふわふわとやさしい味という印象。素朴においしい。中骨に身がついた部分もカラリと揚がっていておいしい。加えて味噌汁もうまい。
12時前には食べ終わり、いつもの銀座のかばん屋をのぞき、山野楽器でアルトサックスのアドリブの教則本を買い、丸の内線で戻ってきました。

2008年12月21日日曜日

ティファニーで朝食を

「読んだ本」の100回目の書き込みということで、読みかけの本の中からこれを読了。窓からバスローブでやってきて、ベッドで子供のように眠り込んでしまう女の子の友達が一人ぐらいいてもいいようには思うけど、「魅了」まではされなかったなあ。
映画と小説は結構違うのを知った。どちらがどうというわけではないけど。

2008年12月20日土曜日

今週の外食

(月)昼:ピエロのハンバーグ定食、夜:鴨川ラーメン、(水)昼:南蛮風鳥のから揚げ(宮崎料理)、(木)夜:山の上ホテルでビール、オードブル、鴨のサラダ、牡蠣フライ・・・その後ワイン、(金)昼:野菜やきそば

2008年12月17日水曜日

フェスティバルホール

最後の”ありがとうコンサート”の案内だ。
僕が高校生のときは関西で一番クラシック音楽をいい音で聞けるホールだったと思う。
大学生のときフランス国立管弦楽団の来日公演のチケットが当たって聴きに行った(確かFM大阪からもらったと思う)。聴いた曲や内容は何も覚えていないが、その事実だけが記憶になっている。大学のN教授夫妻?が来られていて、他の来客と談笑されていた姿が記憶にある。こういう文化人と呼ばれる人たちが集まる場所なんだと妙に感心した。
転勤してこのビルにいた5年間には結局一度も聴きに行くことはなかった。

新朝日ビル地下街

もうこわすのだろう。テナントは地下には残ってない。このビルは昭和35年に第1回建築業協会賞を取った由緒あるビル。オフィス、ホテル、ショッピングゾーン、コンサートホールが一体になった確かにその当時は画期的なビルだったろうと思う。
今はその面影もない。
この地下街ではお茶も飲んだし、歌も歌ったし、小さな本屋だったけどいい本を集めた本屋さんがあった。守衛室には朝晩よく鍵をもらいに行った。

うつぼ公園

大阪で仕事前に散策。時間はお昼休み。お弁当を食べる人たち、散歩してる人たち。結構一人の人が多い。そんなにお金があるわけでなく、孤独で、だけどみんなそれぞれに精一杯頑張っている・・・。そんなことを感じた。
写真に写っているのはヤクルトおばさん。お弁当を食べる人に売ろうと考えているのだろうけれど、積極的に売りに行くわけでもなく、不器用に待ちの商売。
一つ一つぬれた容器をイチゴ柄のタオルで水をぬぐって丁寧に売っている感じだが、そんなに売れないんだろうなあ。陽だまりでお弁当を食べる姿も少しわびしい。

アヴァンギャルドチャイナ

中の島の国立国際美術館で見るつもりだったが、その火が月曜だということをすっかり忘れていた。
この展覧会は現代中国の美術を。鎖国状態から一気にメディアアート作品まで急展開する様を一挙展示したもの。館内も見たかっただけに残念。

バス車内のクリスマスイルミネーション

帰りに横浜市営バスに乗ったら車内の各窓にクリスマスイルミネーションが施されていてびっくり。赤字のバスにこんな無駄遣い・・・という声もあるだろうけど、各窓がしっかり飾られていて見事。イブとクリスマスの日は運転手さんもサンタの衣装を着るとかね・・・。

鉄道廃線跡の旅

この本を読んで自分が廃線跡には余り興味を感じないということがわかった。とはいえ、下津井電鉄の話は懐かしかった。1972年に茶屋町-児島間が廃止。行ったのは中学生の頃だったのだろうか?
著者の「私たちの方こそ捨てられたのではないか」というマニアならではのことばには感服した。
南大東島の砂糖鉄道だけには乗ってみたかった。

京阪電車の快速急行

久しぶりの電車ネタ。
中の島線に乗り入れる快速急行はデザインも一新。せっかくなので行きも帰りも乗るが、「快速急行」なので、ずいぶん停車し、時間はかかるということを実感した。中の島から出町柳まで所要時間は63分である。
椅子は2人席と1人席の横3席という変則。長距離客への配慮と急行ということで乗客の数が多いことを受けての工夫の作品か?今のところすいている。帰りも中の島に戻って乗車したが、座席が満員になったのは本線の天満橋駅だ。定期客などは切り替えも必要だし、混んでくるのはもう少しあとか?

2008年12月16日火曜日

桂大橋西詰

この坂の右手あたりの奥に生まれた頃は住んでいたのだ。表通りの手前右側の石積みだけが当時をしのばせてくれる。
桂離宮の裏塀、右カーブの道路、Kさんの家は古い家の趣を残している。お隣には下駄を作る職人さんが住んでいたように思う。
この場所で覚えているのは伊勢湾台風、国鉄の鉄橋を渡る特急電車、神社の庭に来ていた紙芝居、桂離宮から流れ出る小川でとったざりがに、・・・・、もう50年近く前の話。もう記憶も断片的にしかない。
33系統のバスで約30分掛けて京都駅に戻った。

桂川駅から桂大橋西詰へ


先月新しく開業した桂川駅に行った。駅前は結構立派なロータリーがあり、バス停は3つ、そしてタクシー乗り場。でも、それだけ。コンビにひとつあるわけではない。まだ開業1ヶ月。
タクシーの運転手の話では自衛隊の駐屯地もそのうちなくなるようだ。なくならなければ意味が薄い駅ではある。久世や洛西ニュータウンへの最寄り駅にはなるが。
戻っても友人Sに会うまでまだ時間があるので、タクシーに乗って生まれ育った桂大橋に西詰めまで行く。中村軒で3色団子他買う。このお店のお饅頭は幼稚園の頃の最も贅沢なおやつだったと思う。春の草餅、6月の水無月、おはぎ、3色団子・・・。おかみさんがやり手らしく、HPも充実している。

「乗る旅・読む旅」

「乗る旅」のパートはもう著者が70代になって、なくなる数年前ということもあるのか、行動がまず淡白になり、文章も淡白になったのだろうと感じた。しょうがないか。
編集者に頼った計画と行動は元気なときのこの人には似合わない。熱気とか細部へのこだわりとかが物足りない。仕方がないか。
それに比べると、「読む旅」のパートは面白い。「津軽」、種村さんの本、中村由信さん、「事故の鉄道史」など。ほとんどが短いものだが、さすがの目の付け所という感じだ。

リコーダーにはまっていた

母親に”最近アルトサックスにはまっている”という話をして、いくらか母親の理解のためのやりとりがあり、北村栄治のクラリネットでなくて、曲がっている渡辺貞夫が吹いているヤツというところでは母親は理解した。そこで、母親が言ったのは、
「昔も縦笛をよく吹いていた」
という話。忘れていたけど、確かにそうだ。小学校から中学にかけての頃か?指もよく動いていたかもしれない。”そうか、そんなところでつながっていたとは”と再認識させられた。
はまるべくしてはまっているということか?

「プレイザアルトサックス1」

・リガチャーを比較的下のほうに付けると、抵抗が増し、特に高い音がしっかり出る→家に帰って試してみると、確かにそんな気がする
・高いCより上の音・・・C:o、D:e、E&F:iに変化させ、リードに当たる唇の面積を少なくする(P23)/少し浅めに咥える
・高いE&F:パテントキーを使う
・下の音がひっくり返る人は、アムブシュアをもっとリラックスさせ、なるべく浅く咥えて腹で息を支える
・アクセント(2種類)
・ターン

2008年12月13日土曜日

鈴木亜紀「お尻に火をつけて」

自由な旅がうらやましい。アルゼンチンの歌手リリアナの話は感動的である。
CDで出会ったリリアナ・エレーロの歌を聴くためにニューヨークからさらにアルゼンチンまで12時間、更に北部の街フフイへ。そこから出会いがあり、日本への招聘まで。こういう「突き起こす何か」に出会うこと、そのとき行動に移すことは重要なことだが、なかなか出来ない。鈴木亜紀さんが比較的自由な立場というのはあるけれど・・・。
ここから、アルゼンチンのコンテンポラリー・フォルクローレという新しいアルゼンチンの音楽に触れた。欧州風味の効いた、アルゼンチンのフォルクローレ。洗練されていて、それでいてその国らしさのあるサウンド。ヨーロピアンジャズにも近く、日本でも好まれそうなサウンドである。

矢作俊彦「悲劇週間」

「大きな構想力」とは「大きな妄想」ということかもしれない。それほどこの本はすごい。ヒロインのフエセラのキャラクターづくりは素晴らしい。読ませる力、取材力?、ガッチリした文章、実に見事。
堀口大学が公使の息子として2年間その当時日本にとって親しい国であったメキシコに行っていたという事実、そしてその当時のメキシコ革命前期という時代背景、軟派な文化人でもあった大学、という3点から構想というか、妄想のようなもので練り上げられた見事な物語。いやはや、である。一気に週中に600ページを読んだ。

ミスチル桜井

水曜にSONGSをみた。あとから考えると新しいアルバムが発売された日で少しあざといが・・・。思ったキーワードは「バンド=同時代性」ということ。桜井は30代後半になっても、若さを保ちつつ、大人にも若者にも受け入れられる曲を作り、歌い。すごい。GIFTも、少年も・・・・すごい。また第3期?黄金時代か?

今週の授業

①低い音はやさしく、柔らかく
②62とJマイケルでデーブルキーのつくりが異なる?(来週確認)Jマイケルの方が低音部を弾きやすいのは何故?
③グレードテストがあるとのこと。受けてみるか。
④2冊目までもう少しだ

今週の外食

途中まで危なく外食ゼロになりそうで・・・、(木)夜:横浜駅の勝烈庵にて三元豚のロースカツ定食。普通の勝烈定食でも良かったかもしれない。値段差も知れているから驚くほどの味でもなかった。(金)昼:串揚げ。昼から丁寧な仕事

2008年12月9日火曜日

「チャーリーとの旅」

読みたい本が次から次へと出てくる。ここのところたくさん読んでる。「内こもり」か?
”どこかへ行きたい衝動は中年になると治る”らしい。また”ほとんど全ての人はさすらうことに飢えている”とのこと。”治らないし、飢えている”。私もそうだ。
しかし、旅は楽しいことばかりではない。特に年が行ってからはそうだ。寝心地の悪いベッド、おいしくない食事、悪天候、道に迷う、車の故障、相棒や自分の体の調子などなど、慣れ親しんだぬくぬくした生活から出ていくのだから、許せないこと、我慢できないこともも多い。年いけばなおさら。短気にもなっている。意地悪い見方をすれば、年いった成功した人間が旅する(勘違いの旅)と、それは安楽なフル装備の車をもってしても、乗り越えられないことはたくさん出てくるんだろう。
やはり、旅には、とりわけ長旅には出るべき年令があるのだと思う。何かを得ようとする徹底した態度、我慢、疲労・・・・そういうことが乗り越えられる年令というものはありそうだ。
それでも、年いっても旅にはやはり出たい。何か新しい経験がそこにはあるはずである。
この本でもうひとつ知ったこと。それは「テキサス」。”テキサスはひとつの国家である””テキサスの独自性””カウボーイの伝統””大地の力強さ、実直さ””テキサスはアメリカの秘密”・・・・。テキサスはアメリカそのものなのかもしれない。
さらにもうひとつ。黒人への偏見の克服の難しさを表していることば、「物事に対する感情を変えるのは難しい」。人は哀しい動物なのかもしれない。

2008年12月7日日曜日

相棒

5月にネットで購入した我がアルトサックス。こいつのおかげで新しい世界が拓けたわけだ。
made in chinaの高いものではないが、結構頑張ってくれている。マウスピースは先生の勧めでヤマハのものに取り替えたが、教室で使うヤマハの楽器と比べてむちゃくちゃ悪いと言うことはない。高音が少し吹きにくいとかはあるが、これはヤマハが吹きやすいのかもしれない。
早めにいい楽器=高い楽器に買い換えようと思っていたけど、もう少し頑張ってみようか。

大船観音

「根岸線」ブログのために本郷台周辺チェック→飯島→笠間大橋→大船駅→帰路で、25.03K。
かんのんさまはやはりびっくりする大きさだったが、優しいお顔でした。

宮脇俊三「時刻表昭和史」

戦時中19年の九州旅行。戦後すぐの20年秋にはもう東北旅行。すごいのひとこと。
終戦の8月15日も天皇の放送は米坂線の駅で父と聞いている。放送のあとも何事もなかったようにというか、走り続けることは誰も止めていないというか、列車は走り続けていた。
時刻表の話、鉄道の話を通じて歴史はこれほどまでもいきいきと語ることが出来るのだ。

2008年12月6日土曜日

今日の授業

①ベンドの使い方:使いすぎない、使いすぎると下品?、抑制して計算して使う
②Cより下の低音部の指使い:ローラーの使い方をマスターする。ひたすら練習か。
③false fingering:上のA→左手Aの指、右手3指追加で同じ音が半音程度上がり、変化が出る

今週の外食

(月)昼:麹町まで昼に散歩して、和定食(鳥の唐揚げ、サバのみそ煮他)、(木)夜;赤坂イングリッシュパブ、ソーセージ、チキン、フライドポテトなど、(金)昼:中華野菜炒め定食、上品であっさり、いつも混んでいてはじめて入れた店、夜:ブリしゃぶ、おさしみ(きんめ、たい、まぐろ、ぶり、いか)、たらの白子・・・・@恵比寿、絶品でした→ワインバーへ

快晴の土曜の朝

昨夜は1時過ぎまで飲んでいたにもかかわらず、8時前には目覚め、二度寝は出来ないようなので起きた。家族がまだ起きてこない中、木曜の「風のガーデン」の録画を見て、週刊ブックレビューを見て、いい休日の朝が始まった。「風のガーデン」は涙も出てくるし、一人で見たい作品。コーヒーはインスタントにしたが、充実した朝にはインスタントでも何の問題もない。週刊ブックレビューは川上弘美さんの新作が面白そう。本屋で覗いてみるかな。

2008年12月2日火曜日

「旅する力」沢木耕太郎

”私もこんな旅がしたかった”
「深夜特急」を読んだ読者の多くはこういう感想だろう。
”ローマまで来るのに7年掛かりました”
という若い歯科医の話は普通の人の限界を示している。
一方、”旅には適齢期がある”ということも間違いなくそうであろう。
沢木耕太郎本人でさえ、「深夜特急」の旅は今の年令では出来まい。
しかし、”旅は行くことが目的なのではない””大事なのは行く過程で何を感じるかである”ということはある程度年令には関係ないことだと思う。
”旅は旅する人が自分で作るもの”である。
このことばはいつまでも肝に銘じておきたい。
”旅を生きる”そうありたい。若い頃の北海道もそういう気持ちで旅していた。

2008年12月1日月曜日

弁慶橋から麹町界隈へ

昼休みに会社から弁慶橋を渡り、ニューオータニの脇の紀尾井町通りから清水谷坂を上り、諏訪坂から麹町大通り(新宿通り)へ。戻って紀尾井坂を上ってニューオータニの中を抜けて3Kくらいは歩いただろうか。ポカポカ陽気で汗をかいた。
ニューオータニの正面玄関に向かう紀尾井坂のいちょうは今が見ごろ、というより最後。いちょうの落ち葉の分だけ、クッションが効いていて歩きやすい。
写真はニューオータニに至る紀尾井坂の銀杏並木。