2008年12月30日火曜日

92.9.29 広州→九龍(香港)

広州からの帰りのチケットが残っている。広州10:15発、9号車の76番という座席。等級1、これは軟坐ということで、席はやわらかいシート。2等は硬坐でこちらの席は板張りということだった。
はじめての広州。海外経験豊かな会社の先輩N氏と後輩のT君との3人旅。そして広州では北京駐在の当社社員と現地社員と合流する。広州が消費社会になり始めたということで、香港のブランチ経由で広州に向かった。飛行機が取れずに結構苦労して電車で行ったが、香港側から川を越えて、長蛇の列を並んで中国側に入ったこと、列車の中での乗務員の女の子との筆談での買物、広州駅に降りて駅前広場に出たときのめまいがするような雑踏・・・今思えばいい経験をした。しかし、駅前にはいったいどれぐらいの人がいたのだろう。学校でも1000人はいたのだから、万単位であるのは間違いない。眩暈がしそうだった。彼らは何をしていたのだろう。しかし、その群衆を見るだけでなく、ホテルに向かうためのタクシーを捕まえるためには、この群衆をかきわけ、白タクを断り、荷物を運んでやろうという男を拒絶し・・・・ひたすら掻き分け、掻き分け行かなければならない。
翌日から広告会社の現地の社員の案内で視聴率調査の仕組みを教えられたり、郊外の家電街にいったり・・・、ここはびっくりであった。最新式のTVが中国の物価から考えるととんでもない値段でおいてある。おいてあるだけでなく、どんどん売れていく。豊富な品揃え、新型中心、お客の多さ・・・、広州の秋葉原のような場所だった。
そして、あちこちで皆ファミコンをしていた。仕事が暇だと一心不乱にやっている。そして1つのカセットにゲームが100とか500とか入っているゲームソフトが売られている。全くもってカオスのようだ。花王のビオレのにせものの「ピオレ」など、いろんなジャンルでフェイクがまかり通っている。
食事の記憶はこれだけだが、広告会社はどの国も同じなのか、現地の広告会社の接待は大変だった。広州は川沿いということで、リバーサイドの店に連れて行かれ、川の虫をたべ、ゲージに入った猫と蛇とどちらがいいかと問われ、仕方なく蛇をチョイスして食べた。何といって野菜がうまかった。紹興酒は乾杯の嵐である。結局果てて、しばらくホテルのロビーで気絶していた。よく物がなくならなかったものだ。
北京のブランチから来ていた女性社員は北京にはないといってCDを買い込んでいた。この頃の広州は、新しい街が作られようとしていた。ビルが建ちはじめていて、建設現場には裸足の男がたくさんいて、高層ビルにも拘らず足場は竹で組まれて、そこを裸足で器用に登っていた。転落して死ぬ人間もたくさんいたのだろうけど、これだけ人口がいれば関係ないかもしれない。
この頃の広告会社の上の方は共産党の人間が多いらしく、彼らは裕福で、車もフォルクスワーゲンに乗っていた。
街で記憶にあるのは百貨店のようなところでバーゲンのようなものをやっていたのだが、その一等賞が軽自動車であったことが記憶に新しい。まだまだ、車と自転車と歩く人が道路に同居しているという感じで、どんどん車が増えている今とはかなり違ったはずだ。

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