2008年2月22日金曜日

「虫眼とアニ眼」

養老孟司と宮崎駿の対談。宮崎駿の創造についての発言にはハッとさせられる。いわく、
”映画を作る作業というのは言葉で意識的につかまえられる範囲じゃなくなってくる行為なんですね。・・・、ある感じだとか、気分といった漠然としたものを手がかりに「こっちの方だな」と思ってはじめるわけですけど、・・・”(感じとか気分を手がかりに・・・、というのはスゴい!)
”トトロの映画を一回見ただけなら、どんぐりでも拾いにいきたくなるけど、ずっと見続けたらどんぐり拾いに行かないですよ”(なるほど!疑似体験で満足ということか)
”生きていくための武装に欠けている”(鉛筆を削れない若者が槍玉に)
”みんなが正義を口にし始めたら、一番ヤバイ”(「正論」なんていう雑誌があるが、正論だといって書く奴にろくな奴はいないと思う。自信過剰か狭い考え方の持ち主か教条主義者か。)
養老さんの”感性の基本には、ある種の差異を見分ける能力があると思う”という発言もその通りだ。感性とは変化がわかるってことらしいが、「なんか違う」と感じられることは生きていくうえで基本だ。苦いと思っても食べたという中国製ギョーザ事件。何か変だ。
感性をファッションで他人と差異化するためだけに、その能力を使い果たしてほしくないと思う。ファッションも感性の訓練の場としてはいいけれど、本当のゴールはそこではないだろう。

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