2008年2月3日日曜日

「ねっとり」した社会

“情報大爆発”における秋山隆平氏の指摘。
この言葉から、エーリッヒ・フロムの“自由からの逃走”を思い出した。
地域社会や血縁など「縁」から自由になり、かつ会社も終身雇用制が崩れつつある中で、逆の傾向が出てきているのが面白い。
確かに、携帯電話は24時間オン、いつでも通話可能。メールの返信もすぐないと落ち着かない人が増えている。メールにおける「C.C.」という情報共有の仕組み。C.C.で送ってくれるメールには送ってくれなくていいものも多い。発信者にとっての“保険”であることも多い。過去の購入履歴などでおせっかいなリコメンドをしてくるグーグル。ブログは、自分の気に入ったものをできるだけたくさんの人に影響を与えたいというおすすめの書き込みが一杯。コラボというのもねっとりだ。
“関係性”を再度ねっとりさせる方向にテクノロジーが“貢献”している。“余計なお世話”“わずらわしさ”を感じる向きもあるだろう。
余計な情報を遮断しないと、「個」が埋没しそうだ。あるいは“関係性”の中だけで、自らのポジションを選択する、あるいは環境に過剰適応するといった方向に行きそうだ。
地縁・血縁・社縁から自由になって通信が新たな縁を作る。まさしく“ネットワーク社会”なのだが、こういう方向を望んでいたんだろうか?
“自由からの逃走”にも見えるのだが。

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