2008年1月20日日曜日

「戦争と罪責」④実行者の責任

命令だから当然のこと、あの時代は、仕方なかった、やむをえなかった・・・、自分達が中国でして来たことを合理化・自己弁明しているだけではないか?他国に侵入して何をしてきたのか?作戦ではなく、侵略・略奪ではないか?命じられたことでも、それでいいのか?少なくとも、その当時生きていくため、非国民にならないため、家族を悲しませないためにはやむをえなかったことかも知れないが、戦後になってもまだ、自己を正当化するのか?個人だけではない(個人として発言してきた人はいるが、多くは沈黙しているが)、国としても非人道的行為を自覚・反省してこなかった国がこの国である。口をつぐむには余りにもひどいことがこの国の人間によって中国において行われていた。
人体実験的なことについて、また血液製剤をめぐる問題についての医師の団体である医師会の反省への発言もなければ(ベルリンの医師会は1988年になってやっと戦争への関与についての反省の声明を出したとのこと)、学者も政治家も誰も反省・総括しない。親も戦後の苦しい生活は語っても侵略・略奪の歴史に対しては口をつぐんできた。発言してきた人に攻撃さえ加えてきた。「日本の文化には罪を感じる力は乏しい」という記述があった。これは、一国民としてかなりショックな自己認識である。日本語における“やむをえない”“しかたない”という言葉はとても便利な免責の言葉である。
この本は自分にとって大変ショックな本であった。そして、戦争に関わった世代が残っている間に、日本人が共有すべきテーマであると思う、残された時間はそう多くない。もう歴史のかなたになってしまう。
そして、日々日常の中で我々は、“やむをえない”“しかたない”という便利な言葉で、現実の問題や企業の中での問題を処理してないか、企業犯罪にもこうやって加担していないか?自戒の念をこめて。もっともっとこの本で知ったこと、学んだことを記しておきたいが、とりあえず。

0 件のコメント: