2009年4月26日日曜日

No.49荒井由実「ひこうき雲」

「ベルベット・イースター」は取り上げたが、ユーミンの「ひこうき雲」からはもっともっとこの場に登場させないといけないのだ。それほど僕に影響を与えて、聴きこんだアルバムだし、このアルバムが出たことで「世の中が変わった」ように感じたのだから。 高校で一人騒いでいたように思う。
4/25の朝日新聞の土曜版で「ひこうき雲」の特集があり、そこにはいくつも発見があった。
73年11月20日発売の「ひこうき雲」はパックインミュージックで林美雄が「天才少女現る」と興奮してアルバムを毎週かけていたこと。パックでこの曲をはじめて聴いた記憶はあるが、林美雄のパックだったんだ。 僕も興奮していたが、林美雄も興奮していたんだ。
3枚目のアルバムに入っていた「ルージュの伝言」はすばらしい曲だったけど、”ポップなほうへいってしまった””ユーミンが離れていった”と感じる人がほかにもいたということもこの特集で知った。自分自身も「ルージュの伝言」が入っているアルバム「コバルトアワー」は買っていない。あくまで、「ひこうき雲」「ミスリム」だった。
”繊細な言葉や表現につかっていたかった””内省的で湿り気のある”世界から、ユーミンは戦略的な転換で、ポップでメジャーな道へ飛び立っていったのだったが、僕自身は2枚目までのアルバムの世界のその後相当長い間、つかっていたままだった。そして、その後いつごろまで初期のユーミンの世界に置き去りにされていたのだろう。
しかし、この特集の記述では、”台頭してきた中産階級の、東京ローカルな感受性とでもいうべき歌詞とメロディ”と表現されているが、関西にいて吉本の世界に浸っていたかに見える僕はどうしてこれを発見したのだろう。庄司薫か?神戸の街か?すでに接していたはずの西脇順三郎の世界か?

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