1/5スタートでどれぐらい続くのだろうかと思っていたが、今時点で615書き込んで、これが616番目の書き込み。最も多かったのは7月で73、少なかったのは9月で25。12月も既に45。1/12には既に「結構、はまってます」と書いている。結構思いの外、書くことが好きなのだろう。過去の記憶、日々気になること、好きな音楽、読んだ本、今年途中から習い始めたアルトサックスのこと・・・・・・・・、人生が結構後半に来たこともあるが、何か書き残したいということもあるのだろう。内心忸怩たることもたくさんあるのだろう。整理をつけずに来たこともたくさんある。
いずれにしても、こういうカタチで自分のこれまでと今の人生のバランスシートをつけるような感覚で記録を残している。そろそろ集約しなければならないのかもしれないが、結構書きすぎて集約するのも億劫なほどになっている。
しかし、感じたこと、過去に感じたことを、こういうカタチで書いてみることは重要だと思う。これからの人生を有意義に過ごすためにも。
今日、まだ書くかもしれないが、とりあえず1年の締めとして。
2008年12月31日水曜日
甲子園への遺言
この本はプロで30年にわたり打撃コーチを務め、最後は高校教師になった高畠導宏の生涯の話である。NHKのテレビドラマの最終回?だけを見て本を購入した。
まずはこんなすごい打撃コーチがいたのだ、という感想であり、その人が50代も半ばから高校教師になり、甲子園を目指そうとしてことへの驚きである。年令が行ってから学校の先生をやってみたいという気持ちになること自体は多くの人にあるかもしれないが、それを5年も掛けて資格を取り、教育実習を経て実際に現職を捨てて教師になり、さらに生徒や周囲の心を掴むまでになるとなると、聞いたこともない話である。それも「伝説の打撃コーチ」を捨ててまでも、である。
記憶に残った部分を書き記す。
・最後はハートの強さで決まる
・指導者は長所を伸ばすのが役目、欠点だけを直そうとしない
・観察の重要性:クセを見抜く・・・観察力とは天性のものか?普通の人間には少なくとも観察のポイントは教えられないと、「観察力」は獲得できない
・それぞれの選手にあった指導法
・コーチにとって重要なことは、選手の内面と技術をいかに尊重するか
・伸びる人の必須の共通点:1)素直、2)好奇心、3)忍耐力・あきらめないこと、4)準備を怠らない、5)几帳面、6)気配り、7)夢を持ち、目標を高く設定できること
まずはこんなすごい打撃コーチがいたのだ、という感想であり、その人が50代も半ばから高校教師になり、甲子園を目指そうとしてことへの驚きである。年令が行ってから学校の先生をやってみたいという気持ちになること自体は多くの人にあるかもしれないが、それを5年も掛けて資格を取り、教育実習を経て実際に現職を捨てて教師になり、さらに生徒や周囲の心を掴むまでになるとなると、聞いたこともない話である。それも「伝説の打撃コーチ」を捨ててまでも、である。
記憶に残った部分を書き記す。
・最後はハートの強さで決まる
・指導者は長所を伸ばすのが役目、欠点だけを直そうとしない
・観察の重要性:クセを見抜く・・・観察力とは天性のものか?普通の人間には少なくとも観察のポイントは教えられないと、「観察力」は獲得できない
・それぞれの選手にあった指導法
・コーチにとって重要なことは、選手の内面と技術をいかに尊重するか
・伸びる人の必須の共通点:1)素直、2)好奇心、3)忍耐力・あきらめないこと、4)準備を怠らない、5)几帳面、6)気配り、7)夢を持ち、目標を高く設定できること
2008年12月30日火曜日
92.9.29 広州→九龍(香港)
広州からの帰りのチケットが残っている。広州10:15発、9号車の76番という座席。等級1、これは軟坐ということで、席はやわらかいシート。2等は硬坐でこちらの席は板張りということだった。
はじめての広州。海外経験豊かな会社の先輩N氏と後輩のT君との3人旅。そして広州では北京駐在の当社社員と現地社員と合流する。広州が消費社会になり始めたということで、香港のブランチ経由で広州に向かった。飛行機が取れずに結構苦労して電車で行ったが、香港側から川を越えて、長蛇の列を並んで中国側に入ったこと、列車の中での乗務員の女の子との筆談での買物、広州駅に降りて駅前広場に出たときのめまいがするような雑踏・・・今思えばいい経験をした。しかし、駅前にはいったいどれぐらいの人がいたのだろう。学校でも1000人はいたのだから、万単位であるのは間違いない。眩暈がしそうだった。彼らは何をしていたのだろう。しかし、その群衆を見るだけでなく、ホテルに向かうためのタクシーを捕まえるためには、この群衆をかきわけ、白タクを断り、荷物を運んでやろうという男を拒絶し・・・・ひたすら掻き分け、掻き分け行かなければならない。
翌日から広告会社の現地の社員の案内で視聴率調査の仕組みを教えられたり、郊外の家電街にいったり・・・、ここはびっくりであった。最新式のTVが中国の物価から考えるととんでもない値段でおいてある。おいてあるだけでなく、どんどん売れていく。豊富な品揃え、新型中心、お客の多さ・・・、広州の秋葉原のような場所だった。
そして、あちこちで皆ファミコンをしていた。仕事が暇だと一心不乱にやっている。そして1つのカセットにゲームが100とか500とか入っているゲームソフトが売られている。全くもってカオスのようだ。花王のビオレのにせものの「ピオレ」など、いろんなジャンルでフェイクがまかり通っている。
食事の記憶はこれだけだが、広告会社はどの国も同じなのか、現地の広告会社の接待は大変だった。広州は川沿いということで、リバーサイドの店に連れて行かれ、川の虫をたべ、ゲージに入った猫と蛇とどちらがいいかと問われ、仕方なく蛇をチョイスして食べた。何といって野菜がうまかった。紹興酒は乾杯の嵐である。結局果てて、しばらくホテルのロビーで気絶していた。よく物がなくならなかったものだ。
北京のブランチから来ていた女性社員は北京にはないといってCDを買い込んでいた。この頃の広州は、新しい街が作られようとしていた。ビルが建ちはじめていて、建設現場には裸足の男がたくさんいて、高層ビルにも拘らず足場は竹で組まれて、そこを裸足で器用に登っていた。転落して死ぬ人間もたくさんいたのだろうけど、これだけ人口がいれば関係ないかもしれない。
この頃の広告会社の上の方は共産党の人間が多いらしく、彼らは裕福で、車もフォルクスワーゲンに乗っていた。
街で記憶にあるのは百貨店のようなところでバーゲンのようなものをやっていたのだが、その一等賞が軽自動車であったことが記憶に新しい。まだまだ、車と自転車と歩く人が道路に同居しているという感じで、どんどん車が増えている今とはかなり違ったはずだ。
はじめての広州。海外経験豊かな会社の先輩N氏と後輩のT君との3人旅。そして広州では北京駐在の当社社員と現地社員と合流する。広州が消費社会になり始めたということで、香港のブランチ経由で広州に向かった。飛行機が取れずに結構苦労して電車で行ったが、香港側から川を越えて、長蛇の列を並んで中国側に入ったこと、列車の中での乗務員の女の子との筆談での買物、広州駅に降りて駅前広場に出たときのめまいがするような雑踏・・・今思えばいい経験をした。しかし、駅前にはいったいどれぐらいの人がいたのだろう。学校でも1000人はいたのだから、万単位であるのは間違いない。眩暈がしそうだった。彼らは何をしていたのだろう。しかし、その群衆を見るだけでなく、ホテルに向かうためのタクシーを捕まえるためには、この群衆をかきわけ、白タクを断り、荷物を運んでやろうという男を拒絶し・・・・ひたすら掻き分け、掻き分け行かなければならない。
翌日から広告会社の現地の社員の案内で視聴率調査の仕組みを教えられたり、郊外の家電街にいったり・・・、ここはびっくりであった。最新式のTVが中国の物価から考えるととんでもない値段でおいてある。おいてあるだけでなく、どんどん売れていく。豊富な品揃え、新型中心、お客の多さ・・・、広州の秋葉原のような場所だった。
そして、あちこちで皆ファミコンをしていた。仕事が暇だと一心不乱にやっている。そして1つのカセットにゲームが100とか500とか入っているゲームソフトが売られている。全くもってカオスのようだ。花王のビオレのにせものの「ピオレ」など、いろんなジャンルでフェイクがまかり通っている。
食事の記憶はこれだけだが、広告会社はどの国も同じなのか、現地の広告会社の接待は大変だった。広州は川沿いということで、リバーサイドの店に連れて行かれ、川の虫をたべ、ゲージに入った猫と蛇とどちらがいいかと問われ、仕方なく蛇をチョイスして食べた。何といって野菜がうまかった。紹興酒は乾杯の嵐である。結局果てて、しばらくホテルのロビーで気絶していた。よく物がなくならなかったものだ。
北京のブランチから来ていた女性社員は北京にはないといってCDを買い込んでいた。この頃の広州は、新しい街が作られようとしていた。ビルが建ちはじめていて、建設現場には裸足の男がたくさんいて、高層ビルにも拘らず足場は竹で組まれて、そこを裸足で器用に登っていた。転落して死ぬ人間もたくさんいたのだろうけど、これだけ人口がいれば関係ないかもしれない。
この頃の広告会社の上の方は共産党の人間が多いらしく、彼らは裕福で、車もフォルクスワーゲンに乗っていた。
街で記憶にあるのは百貨店のようなところでバーゲンのようなものをやっていたのだが、その一等賞が軽自動車であったことが記憶に新しい。まだまだ、車と自転車と歩く人が道路に同居しているという感じで、どんどん車が増えている今とはかなり違ったはずだ。
97.4.6 グッゲンハイム美術館
美樹館は中央部が大きく吹き抜けになっていて、らせん状になった坂道に沿って作品が並べられていたように思う。一旦エレベーターで最上階まで上がり、下ってきながら見るという形式だった。一般的にも言われているように決して見学しやすいものではないが、コンセプトを実現しているところがすごい。正式にはソロモン・R・グッゲンハイム美術館という。グッゲンハイム財団により、各地にグッゲンハイム美術館は作り続けられているようだ。
表参道のスパイラルビルがその名の通り、一部にらせん状の様式を取り入れている。
グッゲンハイム美術館の帰りに地下鉄の駅のそばのCDショップ(タワーレコード?)で何か買ったように思う。
97.4.5 旧MOMA
NYでの仕事の合間にあわただしく見学。短い時間だったがここは好きなものがたっぷり見学できる場所であった。
このときのNYは寒く、NYにつく前の日に雪は降った。
このときのNY滞在は仕事も結構あったが、ティファニー、ナイキタウン、ソーホー、チャイナタウン、セントラルパークの中のレストラン、オイスターバー、外人のモデレーターに連れて行かれた寿司屋とブルースの店、そしてMOMA、グッゲンハイムの2つの美術館と結構あちこち行っている。宿泊はセントラルパーク前のエセックスハウス。高級すぎて中のレストランでは食べられなかったが。
2008年12月29日月曜日
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