2009年1月13日火曜日

自己責任

この20年「自己責任」という言葉でずいぶんだまされてきたと思う。「自己責任」という言葉は本来美しい言葉だったはずが、欺瞞に満ちた言葉に変貌してしまった。
自分の財産は自分で守る、自己責任、そしてそのための投資信託、老後の年金も自己責任で、「自己責任」という言葉の背景の”わな”に無防備な日本人はだまされたのだ。
安全も「自己責任」の時代、だからセコムで。・・・どんどん「自己責任」の領域が拡大する。
これは、”自己責任で、国や企業の責任ではありませんよ”という無責任は表明を許してきただけじゃないか。結果、金融機関や警備会社が儲かることになる。
財産についていえば、「自己責任」は増分についてのものであるべきではなかったか?大幅な元本割れを吸収できる個人はほとんどいない。
きっと「自己責任」という言葉に日本人は弱いのだ。「責任を果たしてない」といわれることに極度な恐怖を覚える民族なのだ。「自己責任」を問われる領域なのかどうかすら吟味せずにね。
「自己責任」という言葉が出てきたら、まず疑って掛かる必要があるということを肝に銘じよう。

2009年1月12日月曜日

伊那谷の老子

加島祥造のこの本を読むのは2度目。この前読んだ「赤毛のアン」と何か共通点があるような気がして読んだのだが、その共通点がどこにあるのか到達できていない。「自然体」ということはひとつのキーワードのようだが。気になった言葉は以下。
・気取らずに、もっと自由に生きよう
・「閑」という字は門にかんぬきを掛けて、その中にいる主人は自分を世間から取り戻して自分の時間の中にいるということ
・老子=自由で奔放な哲学
・孔子と老子の「徳」は異なる。老子の「徳」はパワー
・現実では、世間の固さと強さの原理に支配されている
まだ、「赤毛のアン」との共通点に到達しないが、直観で感じたものには必ず答えがあるはず。もう少し、加島祥造さんの老子の本を読み進めてみよう。

ベイサイドマリーナ

年末に撮影し忘れた新杉田駅の撮影とベイサイドマリーナにコートを見に行った。打越→新杉田→ベイサイドマリーナ富岡→洋光台で14.94K、腰の具合も良くないのでこれぐらいで。ベイサイドマリーナは見事な天気で写真だけ見ると真夏のよう。

今週の外食

(月)昼:今年の出勤初日、桜花亭の酢豚、(火)昼;タイ料理のバイキング、(水)昼:ほっけ、夜:広島つけラーメン、少し味は濃いがおいしい、野菜たっぷりトッピングで、麺は240gと多い、(木)昼:同源楼の野菜定食、(金)昼:韓国家庭料理、チャプチェとプルコギ、「ウェルビン」、夜:串揚げ、今週はなかなか赤坂豪華版の一週間、しかしカロリーオーバーか?

2009年1月5日月曜日

赤毛のアンに学ぶ幸せになる方法

本屋さんで平積みになっている茂木健一郎さんのこの本が、まさか著者が小さいときからの愛読書であって、その後も心の中で生き続けていた本であったなどということが冒頭に書かれていようとは夢にも思わなかった。そして、茂木さんがカミングアウトしたという書き方をしているが、この本のおかげで私もカミングアウトできそうである。
読みはじめて、思いがけず感動して、そして妙な恥ずかしさがあった。子供だとしても男の子が読む本ではないし、まして大人が読む本でも、感動する本としてもふさわしいとは思えなかった。そのことが、妙なことなのだが、感動していながらなかなか読み進めないという妙な事態を招いた。これがこの本を見つけて、一気に読了にこぎつけた。安心して・・・、である。
この本の魅力は私にとってのもう一冊のお気に入りの少女小説「家なき娘」にも通じるところがあるように思うが、共通点についての言及はまたの機会にしたい。
アンの素敵なところは、ひたむきでけなげで、まっすぐなところ。純真で眩しすぎるぐらいに。真摯な自分を貫くところ。現代社会はいろいろなことに惑わされすぎている。茂木さんは「赤毛のアン」の正しい読み方を教えてくれている。
気になった文書を以下に記す。
・「想像の余地」:情報過多で想像力が広がらない?
・現実的な豊かさは想像力を磨耗させる
・クリエイターという人種は子供時代の輝きや自由奔放な想像力を失うことなく、大人としても何とかバランスをとろうとしている
・時折自分がかって心動かされたものと、その意味に立ち返ってみることが重要

カラダで感じる

スキーをするようになって、風を切ってすべり、雪をスキー板で感じることの快感を知った。雪面のでこぼこがいとおしいとでもいうような感覚。
釣りは魚が餌を突っついている感触から、掛かったときのピクピクからグッと持っていかれるまでの魚の大きさや食いつきの性質によって程度は異なるが、あの手ごたえ。
自転車はペダルの感触とスキーと同じ風を切って走る感触。
そしてアルトサックス。こちらは吹き込む息の量・強さ・スピード・方向などによって、吹き込む息が生きた音色に生まれ変わってくる。
道具を自在に操作することで得られる”カラダで感じること”、よりプリミティブな「感触」感とでもいうべき方向に魅せられている。

2009年1月4日日曜日

時代の「心情」のありか

マーケッターがまず掴み取るべきことは、今の時代、大きな方向としてどういう「心情」が求められているのかということである。いわゆるソーシャルインサイトということである。個別の課題の答えは、バックグラウンドに対する理解によって大きく異なるはずだ。そして時代の「心情」を掴み取るための自分なりの方法論、自分のやり方での定点観測など、を持つことが必要なのだ。